手紙Ⅱ
それに続くように、フレアは口を開く。
「それに、まだ一回も目を覚まさないの」
「あの戦いから、今日で何日目?」
「七日だよ」
「輸血もしましたし、点滴もしましたが……目覚める兆候が……」
カイルはゆっくりと首を横に振る。
「そんな……」
こんなの、あまりにも酷すぎる。溢れ出す涙と声を止めることが出来ない。
風がレースカーテンを揺らし、クラウの金の髪をサラサラと撫ぜる。
どれくらいの時間が経っただろう。私の涙は枯れてしまったようだ。
「こんな時に言いにくいんだけどよー」
アレクは「ふぅ……」と細い息を吐く。
「コレ、コイツから預かってたんだ」
私の前にスッと手を差し出した。そこには何度か折りたたまれた白い紙がある。
「オマエ宛だ」
そう言われ、恐る恐るその紙を手に取った。確かに何か書いてあるようだ。丁寧に広げていく。
「私、読めない」
しかし、訳の分からない、英語に似た複雑な文字が並んでいるだけなのだ。
きっと、クラウは一生懸命書いてくれた筈なのに。それなのに。
「スティアの文字、分かんない! 何で!? カノンの記憶だってあるのに……!」
こんな時に限って、記憶が役に立たないなんて。悔しくて、悔しくて堪らない。
手紙を持つ手はガタガタと震え、また涙が溢れ出してしまった。
このままでは手紙が濡れてしまうと思ったのだろう。アレクは私の手からそれを取り上げ、今度はカイルに差し出す。
「カイル、オマエ、読め」
「私が、ですか?」
躊躇うカイルに、アレクは軽く首を振る。
「オレには……無理だ……」
「分かりました」
カイルはそっと手紙を受け取ると丁寧に広げていく。
涙を流しながらも、カイルの声に静かに耳を傾ける。
「人一倍素直で、繊細な君へ。最初に言わせて欲しい。ごめんね。こんな結末しか選べなかった俺を──」
────────
人一倍素直で、繊細な君へ
最初に言わせて欲しい。ごめんね。こんな結末しか選べなかった俺を、どうか許して。何度も考えたけど、同じ所に行き着くんだ。君を死なせたくはない。そのためには、こうするしかなかったんだ。
これから今までの事を白状するけど、一つだけ約束して? 絶対、自分自身を憎まないで。恨まないで。これは俺が選んだ結果で、君が悪い訳じゃない。君が自分自身を呪う事が、俺にとって一番辛い事だから。
良い? じゃあ、話すよ。
俺、君を置いて水の塔に行ったよね? その時、神様に言われたんだ。君を救いたいのなら、解呪の剣を使え。その代わり、誰かが呪いの身代わりになるしかない。その役目は俺が一番良いだろうって。
そんな事、他の誰かになんて頼めないし、頼みたくもない。誰かの犠牲の上に掴んだ幸せなんて、本当の幸せじゃないから。
いつまでも君と一緒に居たかった。やっと出逢えたんだから。でも、それは叶えられない願いだった。君か俺か、どちらかの命しか選べないのなら、迷わず君の命を選ぶよ。
もう、あんなに悲しい思いをするのは嫌だったんだ。そんな思いを君に押し付けてしまった俺が言える事じゃないよね。本当にごめん。
ただ、これだけは誓うよ。君みたいに長い間待たせたりはしない。絶対に逢いに行くから。だから、それまで少しだけ我慢して? ほんの少しだけ。
最後に、君に出逢えて本当に良かった。愛してる。たとえ何度生まれ変わったとしても、この気持ちは変わらないから。
生まれてきてくれて、ありがとう。
君を永遠に想い続ける者より
────────
フレアのすすり泣く声が響く。
「何、それ……」
止めどない戸惑いが心を支配している。
「こんな……遺書みたいな手紙……」
「『みたい』じゃねぇんだ。コイツは最初っから死ぬつもりだったんだ」
「私の……身代わりで……?」
「あぁ」
なんて神様は意地悪なのだろう。
「水の塔って……あの時?」
今になって、初めて気付く。
「私、呪いは解けないって言われたんだと思ってた」
罠だった廃墟に到着してから、クラウの様子がいつもと違っていた。
「じゃあ、私、今までずっと勘違いしてたの?」
私に笛を吹いてとせがんだり、突然キスをしたり──
「皆、知ってたんでしょ?」
皆も知っていたとしか思えない。それでなければ、こんなに冷静でいられる筈が無い。
潤む目で、アレクとフレアの顔を交互に睨み付ける。二人とも俯いたまま、顔を上げようとしない。
「何で!? 何で教えてくれなかったの!?」
「教えられる訳ねーだろ!」
そんな私に、アレクは俯いたまま声を荒げる。突然の事に、身体がびくりと震えた。
「教えられねーよ……」
アレクはすっと顔を上げる。その目は私をしっかりと捉えている。
「教えたら、オマエ、コイツを止められたか?」
一呼吸置き、私の様子を窺う。
「また百年間……いや、千年間、オマエを待ち続けなきゃいけなくなってた、としてもだぞ?」
何故、そんなに意地悪な事を言うのだろう。こんなの、ただの後付けだ。こんな質問に私が答えられる筈も無いのに。
「そんな──」
「ついでに、オレも白状するけどよー」
一言文句を言おうとする私の言葉を遮り、アレクは更に続ける。
「オレだって、何回もコイツを説得したんだ。『オマエらだけが苦しむ必要なんかねーんだ。今回は、オレがオマエの代わりになる』ってよー」
「アレク……!」
フレアが堪らず声を上げた。必死にアレクを見詰め、今にもその腕に縋り付きそうだ。
それでも、アレクは潤む瞳のまま私から視線を逸らそうとしない。
「でもよー、駄目だった……。済まねぇ……。ホント、済まねぇ……」
声は震え、瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。私に見せる初めての涙だ。
二人は、秘密を知っているが故に味わわなければいけない辛さを、ずっと抱えていたのだ。
「お願い、クラウと二人きりにさせて」
どうしても、気持ちを整理する必要がある。こんな言い方は申し訳ないけれど、他の四人が邪魔者でしかない。
気が散ってしまう。
「でもよー──」
「アレク、行くよ。カイルも、アリアもね」
「はっ、はい……!」
四人が出ていくのを見届けると、クラウの衣服の乱れを直した。布団を再び掛け、大きな両手を包み込んだ。
穏やかな寝顔に涙が一粒落ちる。
「どうしてこんな事になっちゃったのかなぁ……」
何処で私とクラウの歯車は噛み合わなくなってしまったのだろう。
「カノンが呪いをかけられたせい……だよね。影さえ居なかったら……。ごめんね。ホントにごめんね……」
恨む相手はもう、何処にも居ない。誰に、このどうしようも無い気持ちをぶつけて良いのかも分からない。
叫びたくなる衝動を抑え、ギュッとクラウの左手を握る。
「ねえ、クラウ」
このままクラウが眠り続けたままなら、私はどうすれば良いのだろう。
「起きて……。お願いだから、起きてよぉ……」
額を両手の上に置く。また一粒、今度はクラウの手首に涙が落ちた。
その時、微かにクラウの指がピクリと動いた気がした。




