手紙Ⅰ
うっすらと開けた目に映ったものは、真っ白な天井だった。
此処は何処だろう。天国だろうか。
頭の中に靄がかかっているかのようだ。きちんと働いてくれない。
横たわったまま、開き切らない目でひたすら天井を眺めていた。
と突然、近くで物音がしたのだ。誰かいるのだろうか。気にはなるものの、確認することすら面倒臭い。
「ミユ!」
「ミユ様!」
二つの声が重なる。視界には緑の髪と瞳を持つ人物の顔が現れた。
「あたし、アレク呼んでくるから」
「分かりました」
ドアの動く音と、人が足を引きずりながら走り去っていく音が耳に響く。
そんなものはどうでも良い。何も考えたくない。
よくよく確かめてみると、腕には点滴が繋がれている。何があったのだろう。
「ここはどこ? ダイヤ?」
「そうですよ」
何故、ダイヤにいるのだろう。分からない。
一人でいれば、何も考えずにいられる。それなのに、この人を追い出す気力も湧かない。それどころか、数人分の慌ただしい足音が近付いてきたのだ。ドアの開閉音が聞こえ、人の気配が増える。
「ミユ。調子は……どうだ?」
言葉が上から降ってくる。何故、放っておいてくれないのだろう。
返事もせずに、虚ろに天井を眺める。
「影は? 呪いは?」
私が言葉を発した後、ほんの僅かな間、沈黙が流れる。
「オマエ、覚えてねーのか?」
痛い程の視線が私に刺さる。
覚えていないとは、何のことを言っているのだろう。分からない。
「自分の胸を、見てみろ」
何度見ても、そこにあるものなんて変わる筈がない。うんざりしながらナイトドレスに手をかけ、ボタンを外していく。虚ろな視線を胸元へ持っていくと、そこにあるべきものが、ない。
「どういうことか、分かるな?」
「呪いが……消えた?」
「あぁ」
この時初めて声の主の方へと目を向けた。そこには笑顔のかけらもない。私を見る瞳は私と同じように虚ろで、どこか物悲しい。
隣りにいる人物に至っては、声も上げずに静かに涙を流している。
呪いが消えたなんて、喜ばしいことの筈なのに。
「何で泣いてるの?」
他に何か悲しい出来事でもあったのだろうか。私が小首を傾げても、何も答えてはくれない。
確かに、ここにいるべき人は一人欠けているのだ。いつも私の傍にいてくれた、あの人が。
「クラウは?」
その人物の名前を挙げると、返事が返ってくるどころか空気が一層重苦しくなってしまった。聞いてはいけない事を聞いてしまったのだろうか。
とその時、記憶が一瞬で駆け巡る。
ルイスが影の生まれ変わりだったこと、真っ白な花畑で戦ったこと、アレクの右腕が貫かれたこと、フレアが足を負傷したこと、クラウの身体から溢れ出す赤、赤、赤――。
一瞬でパニック状態に陥った。
「嫌……嫌ぁっ!」
頭を抱え、記憶をなかったことにしようとしてみる。そんなことをしても無駄だと言うのに。
「ミユ様、落ち着いてください」
誰かが私の身体を包み込んだものの、そんなものは何の慰めにもならない。
「クラウはどこ!? ねえ、どこにいるの!?」
「アイツは別の部屋にいる」
「生きてるの?」
「あぁ」
良かった。本当に良かった。私たちは誰一人として欠けることなく、全員で帰って来られたのだ。
安心し過ぎたのか、瞼が重たくなってくる。眠気には抗えず、そのまま夢の世界へと誘われた。
* * *
次に目を開けると、すっかり夜になってしまっていた。窓の外は星空で溢れ、部屋には蠟燭の明かりが灯されている。
左手を辿ってみれば、点滴は外されていた。
アリアは私の傍に座り込み、こっくりこっくりと船を漕いでいる。寝ずの看病を続けてくれていたのだろう。
「ありがとう、アリア」
声をかけると、アリアは微睡みの中から目覚めたようだ。緑の瞳が段々と覗く。
「ミユ様……。おはようございます」
欠伸をしながら、のんびりと挨拶をする。
「おはようじゃなくて、おそようだよ」
「そうでしたか。もう、そんな時間に……」
アリアは部屋の中を見回し、小首を傾げる。
「アレク様とフレア様は?」
言われてみると、夜になってからは二人の姿を見ていない。大きく首を振ると、アリアは顔を曇らせる。
「クラウ様の所でしょうか……」
何故、揃いも揃ってクラウの話をすると暗い顔になってしまうのだろう。何かあったのだろうか。
「私もクラウの所に行きたい」
「ですが……」
「行きたいの!」
いつもの明るい太陽のような笑顔を見て、早く自分を安心させたい。せがむと、アリアは観念したように立ち上がった。その表情は硬く、強張っている。
「ミユ様、起きられますか?」
言われ、ようやく身体を起こそうと試みる。身体のあちこちが痛い。何分間か悪戦苦闘し、足を地面につけることが出来た。
「行きましょう」
アリアに無言で頷くと、彼女は私の左手をそっと握ってくれた。その手が心なしか震えている。
手を引かれ、辿り着いたのは、何度も訪れたことがあるクラウの部屋の前だった。アリアはドアノブを握り、静かに開ける。部屋の中はゆっくりと露わになっていった。
アレクとフレア、それにカイルもいる。三人はベッドの傍に座り、何かを話しているようだった。
「皆様、ミユ様を連れてまいりました」
アリアの声が凛と響くと、三人は驚いた顔で振り返った。
「ミユ!」
「ミユ様!」
三人の声が重なる。
「アリア、なんでミユを連れてきた!?」
「いつまでも目を背けていては、何も好転しません。それに、ミユ様が一番知るべきだと思いますが」
「それは……そうなんだけどよー……」
アレクはバツが悪そうに俯いてしまった。
「あたしたちは、ミユの心の回復を待ちたかったの」
「ですが、ミユ様はそれで納得はされませんよ?」
私の心なら、もう大丈夫だ。フレアに微笑みかけてみせると、フレアまでもが俯いてしまった。
「ミユ様、クラウ様はこちらです」
カイルは手でベッドを指し示す。アレクとフレアは立ち上がり、場所を譲ってくれたので、そそくさとそちらへと駆け寄った。
クラウはベッドで眠っていた。柔らかな笑みを浮かべ、すうすうと息をしている。
布団の中を弄り、点滴に繋がれた大きな手をぎゅっと握ってみる。温かい。本当に生きている。
身体の力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。目にはじんわりと涙が溜まっていく。
「ミユ様に見ていただかなくてはいけないモノがあります」
「えっ?」
唐突な言葉に、素っ頓狂な声が漏れてしまった。
やはり、クラウの身に何かが起きたのだろうか。
カイルは神妙な面持ちで私に手を差し伸べる。立ち上がれということなのだろうか。断る理由も無いので、その手を取り、腰を上げる。
「絶対に目を背けないで下さい」
強い語気に、生唾を飲み込む。
カイルはクラウの枕元へと移動すると、掛けられていた布団を捲る。その手でクラウのナイトウェアのボタンを外していく。そこにはルイスの剣による傷跡がある筈だ。出来れば見たくはない。
カイルはある程度ボタンを外すと、クラウの襟元を掴む。ゆっくりと捲っていくと、そこには信じられないモノがあったのだ。
「何、これ……」
思わず口を両手で覆う。
これは傷跡なんかではない。円が描かれており、中心には六芒星、縁にはよく分からないファンタジーを彷彿させるような文字が並んでいる。私のモノとは確実に違う痣が浮かんでいたのだ。
「私はこれをミユ様とは別種の呪いだと考えています」
ぽつりぽつりとカイルが紡いだ。




