偽りの記憶Ⅱ
しかし、私はそれどころではない。今、見たものは何なのだろう。
「ミユ、驚いたか?」
眼前に佇む人物は、冷酷な瞳を私に向ける。
「今の、何? 私、こんなの知らない。私が知ってるのは、アイリスに呼び出されて、行ってみたら影がいて、呪いをかけられた時に傍でアイリスが笑ってて……」
「今、見せたものが真実だ」
「えっ?」
「影が君の記憶を書き換えた」
そんな。では、やはり私の記憶が間違っていたのだろうか。信じられないけれど、信じるしかないのだろう。
「影にそんな力があるのか?」
「あるから記憶の相違があるのだろう? ミユ、フレア。君たちなら分かるだろう」
ルイスの言葉が真実なのであれば、非の無いアイリスを疑い、傷つけ、憎み――謝っても許されないことをしてしまった。それでも私は謝りたかった。
フレアを探し、視界に捉えると、一心にその姿を見詰めた。
「フレア、ごめんね! 私……!」
クラウに抱かれていなければ、駆け寄ってフレアの両手を握り締めていただろう。
フレアは優しく微笑み、ゆっくりと首を横に振る。
「ミユはあたし以上に辛かったでしょ? 気にしてないよ」
「嘘……!」
気にしていない筈がない。逆の立場になれば分かるものだ。仲間が自分を恨んで死んでいったらと思うと、いたたまれない。
言葉を重ねようとすると、クラウが耳元で囁いたのだ。
「あれはフレアの精一杯の強がりだ。もう何も言わないであげて」
辛くて、もどかしくて仕方がない。堪らずにクラウの服を握り締めた。
一方で、フレアはルイスを睨み、声を振り絞る。
「貴方、もう一つ記憶を書き換えてるでしょ?」
「フッ……ミユと打ち合せ済みか。まあ、隠す気もないが」
またしても、足元に魔法陣が描かれる。次はどこへ飛ばされるというのだろう。身構えながら、瞼を閉じる。
「ミユ」
心地良い風と共に、フレアの声が運ばれる。
目を開けてみると、数メートル先にはカノンとアイリスの姿があった。その向こう側には、竜巻と水柱が混じったようなものが、天高く立ち上っている。
恐らく、リエルとヴィクトが魔法対決をしているのだろう。呪いをかけられる前の昼だ。
「カノン」
意を決した様子で、アイリスはカノンに話し掛ける。
「何〜?」
カノンはカノンで、おっとりと小首を傾げる。
「ちょっと、話があるの。でも、ヴィクトとリエルには聞かれたくなくて……」
「あれじゃあ、聞こえないと思うんだけど……」
カノンの視線の先には、あの水と風の柱がある。リエルとヴィクトの傍では鳴動が轟いているのだろう。
アイリスは失笑すると、躊躇いながらも言葉を紡いでいく。
「あたし、カノンとうまく話せてなかったでしょ? それどころか、ちゃんと目も合わせられなかったし。そのこと、謝ろうと思って」
まただ。アイリスの不利になるように、私の記憶が書き換えられている。
アイリスは俯き、瞼を固く瞑った。
「今までごめんなさい」
「アイリス、頭を上げて! 私、これから仲良く出来るなら、それで良いから! これからもよろしくね」
「……うん。ありがとう」
カノンはアイリスに抱き着き、その頭を撫でる。
「あたし、カノンよりお姉さんなんだけどなぁ」
「そんなの気にしないの~」
二人は笑い合う。それまでの不穏な仲を感じさせぬ程に。
そこで視界はぐにゃりと曲がり、現実世界へと戻ってきた。フレアの隣で、アレクは殺気をみなぎらせる。
「オマエ、なんでミユとカノンの記憶を書き換えやがった!? フレアに何の恨みがある!?」
「恨みがあるのはフレアじゃない。ただ仲間割れをさせたかっただけだからな」
何故か、ルイスは私を見て、目を細める。この視線は何なのだろう。
「煩わしい」
一刀すると、漆黒の矢がこちら目がけて飛んできた。それを氷の欠片が弾き返す。
「じゃあ、ミユに恨みが?」
「ああ」
漆黒の瞳はクラウの方を見ることもなく、私を見詰める。まるで氷のように、私の存在全てを否定するかのように。
私が何をしたと言うのだろう。困惑していると、ルイスは鼻で笑う。
「考えたところで、君が分かる筈がないだろう。全てを思い出した訳ではない君がな」
「意味深なことを言いやがる……!」
アレクが吠えても見向きもしない。
「私が思い出してないこと……?」
カノンが魔導師であった時のことは全て思い出した筈だ。魔導師になる前のことは不明瞭だけれど、影との接点はない筈だ。
眉をひそめ、小首を傾げる。
「その存在自体が邪魔でしかない」
「えっ……?」
次に漆黒の三本の矢が空気を切り裂き飛んでくる。三つの氷の欠片が盾となり、甲高い音を立てて全ての矢を退けた。
私が感じた殺気は間違いではなかったのだ。
でも、一体何故なのか。理由が分からない。
「私は今すぐにでもミユを殺せる。殺されたくないのなら、かかってこい」
ルイスは顎をしゃくる。
「やるしかねぇのか……?」
「やらなかったら、ミユが殺される!」
「羽根を出そうよ。あたしたちには、あれがある」
「でも、羽根で戦って勝ったら、私の呪いが……!」
百年前と同じことが起きるだろう。
恐怖で身体がカチコチに固まってしまう。
四人で会話をしているうちに、ルイスは頭上に黒い靄を作り出した。渦を巻き、大きくなっていく。
「駄目だ、羽根で立ち向かわなかったら、四人全員殺られるぞ!」
やるしかないのだろうか。不安に押し潰されそうな瞳でクラウを見詰めると、この場には似つかわしくない優しい視線が返ってきた。




