想いⅢ
睫毛を伏せ、本音を紡ぐ。
「私、不安だった。ラナンキュラスはカノンが好きな花で、私が好きな花とは違うから。だから、ずっとクラウの目にはカノンしか映ってなかったのかなって」
言い終わると口を結ぶ。直後、クラウの身体が小さく揺れた。
「最初に会った時は、確かにカノンを追ってたのかもしれない。でも、ミユのことを知れば知る程、カノンとは違うんだって分かったから。今の俺にはミユしか見えてないよ」
優しい声色に、思わず涙が零れそうになる。抱かれながら頷き、次の言葉を待つ。
「俺も不安だったんだ。カノンのリングを着けてくれた時は、凄く嬉しかった。でも、よく考えたら、これは俺が送ったものじゃなくて、リエルが送ったものなんだよね。でも、ミユが俺を見てくれてて良かった。ホントに良かった」
私を抱く腕に力が加わる。
フレアの言った通り、私が抱えていた不安をクラウも抱えていたのだ。やるせない気持ちが靄のように広がっていく。
「私たち、過去の記憶がなかったら、普通の恋愛を出来てたのかな?」
「それは分からない。『もし』なんて考え始めたらきりがないから。でも、一つだけ良いことはある」
背中からするりと腕が離れたので、身体を起こしてみる。
クラウが自身の首元に右手を持っていくと、金属が小さくぶつかる音が鳴った。ネックレスの先には何かがぶら下がっている。シルバーのつるりとした円に、青い石――リエルの結婚指輪だ。
クラウはそれを指で摘まむと、少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「これ、お揃い」
「うん、お揃い……」
『お揃い』と言われると、私まで恥ずかしくなってしまう。顔の熱を感じながら、カノンのリングを同じように摘まんでみせた。緑と青の石が太陽の光を受けてキラリと輝いた。
今の私は上手く笑えているだろうか。
日は段々と傾き始め、空の色は黄色からオレンジへと変わっていく。二人で湖畔に並んで座り、その光景に見惚れていた。
「こうやって、二人で夕暮れを見たの覚えてる?」
「えっ?」
「リエルとカノンの時」
言われ、頭をフル回転させて思い返してみる。確か、あれはリエルが二十五歳の誕生日を迎えた日のことだ。
思わず「あっ」と声が漏れた。
「あの時の俺、カノンに告白しようと思ってたんだよ。それなのに、カノンに言葉を遮られちゃってさ」
クラウは空を見上げたまま苦笑する。
「あれは……その……気づかなくて、ごめんなさい」
「ううん、百年も前のことだし、気にしてないよ。ただ思い出しただけ」
百年前とは、場所も、空すらも違う。それなのに、こんなにも懐かしいのは何故だろう。
クラウの瞳がこちらを向いたような気がした。
「そうだ、ミユが好きな花って何?」
「えっ?」
「ミユの呪いが解けたらさ、プレゼントしたい」
満面の笑みが桜色に染まる。
そう、私が好きな花は桜だ。満開の桜並木――日本で家族と一緒に見たあの景色を忘れることは出来ない。
「桜」
「桜、か。うーん……」
何故かクラウは困り顔になってしまった。
「どうしたの?」
「サファイアには桜が咲かなくてさ。困ったな……」
クラウは更に「うーん」と唸り声を上げる。
「また、氷の花でも良い?」
「うん。勿論だよ」
クラウがくれるものなら、何でも嬉しい。もし、もらえるのなら、窓辺に飾ろう。ぼんやりと、窓辺に咲く氷の桜を想像してみる。
その時だ。
「あっ」
クラウが小さく声を上げた。そのまま空を指差す。
「一番星だ。一番星に願いをかけると、願いが叶うんだってさ」
その指を目で追うと、紫色に変わり始めた空に一粒のきらめきがある。
「いつ願いをかけても良いの?」
「ううん。他の星が出るまでの間だけだよ」
では、あまり時間がない。迷信だとは分かっている。でも、叶えてくれるのなら、何にでも縋りたい。一心に一番星を見詰めた。
『どうか、お願いします。一番星よ、願いを叶えて下さい。この幸せが永遠に続きますように』
気づいた時には、一番星の隣に、寄り添うように次の星が瞬いていた。
間に合ったのだろうか。分からない。
「クラウは何をお願いしたの?」
「うーん、いや……」
星を見上げる瞳は、どことなく寂しげでもある。
「四人全員の無事を願っただけだよ」
「そっか」
何となく、自分の気持ちを誤魔化してしまった魔法の特訓での一コマを思い出す。あの時、呪いが解けたら何を望むか問われ、皆でのんびりしたいと答えてしまった。本当は違うのに。
「私ね? この前言ったことは嘘じゃないんだけど……呪いが解けて、影を倒せたら、一番したいことが他にあるの」
「何?」
「クラウと一緒にいたい」
言った瞬間、顔が火を噴いた。今の私の顔は、ゆでだこのように真っ赤になっているだろう。膝を抱え、その上に額を乗せた。
「俺もだよ。呪いが解けて、影を倒せたら、ミユと一緒にいたい」
大きくて柔らかなものが頭を撫でる。
「そのためには、星に願った事をホントにしなくちゃ」
「……うん」
頷き、考えを巡らせる。私が死んではいけない、と。
寒さが強まり、日没を迎えるまで、二人だけで優しい時間を過ごした。




