出発Ⅲ
結局、クラウとアレクは落ちてきた水飛沫にやられ、びしょ濡れになって戻ってきた。ロイが準備していたテントに二人を押し込み、無理やり着替えをさせる。
「ミユ様とは状況が違います。水遊びで熱を出すなんて、私は許しませんからね」
ロイは捨て台詞を吐き、テントの出入り口をぴしゃりと閉める。
時折、冬に似た冷たい風が吹くので、風邪を引いてもおかしくはない。クラウとアレクがいる方に向かって、フレアと二人で溜め息を吐いた。
河原で遊んでいた使い魔は、濡らしたのは足元だけだったらしい。四人揃ってタオルで足を拭っていた。準備が良いな、と感心してしまった。
着替えを終えたらしいクラウとアレクがテントから顔を覗かせると、ロイはうんうんと頷く。
「では、出発しましょう。日が暮れる前に、目的地に着かないと」
ロイはテントを魔法で縮め、ポケットにしまい込んだ。
誰が言うでもなく、先程の隊列に並ぶ。私の隣には当然のようにクラウがやってきた。私の手を握り、にこっと微笑む。
心なしか、クラウの左手が冷たい。
「大丈夫? 寒くない?」
「大丈夫だよ。ミユの手、温かいし」
そういう問題ではない。風邪を引かないか、と聞きたいのだ。歩き出しながら、頬を膨らませてみる。
「歩いてたら身体も温まるから。そんな顔しなくても良いじゃん」
「心配だから言ってるの~」
「ごめんごめん」
言いながら、クラウは苦笑いをする。
「あと、どれくらい歩くのかな」
「うーん、こういう所って、あと何キロって看板がある筈なんだけど」
「キロ?」
「うん、距離の単位だよ」
まただ。また、私の知っている単語が飛び出した。気にしていても仕方がないので、首を振って今の言葉をなかったことにする。
「ミユ?」
「ううん、何でもない」
クラウは不思議そうに首を傾げる。
すると、私たちの会話を聞いていたかのように、ロイが声を上げた。
「あ! 看板がありました!」
ロイが指さす方向には、確かに看板のようなものが掲げられている。
八人で看板に駆け寄り、食い入るように見入る。
「クレスタの館まで、あと七十キロ……。今日はあと十キロくらい進みましょう」
「分かった」
カイルの提案に、全員が頷く。
走り込みの効果なのか、足がきちんと動いてくれる。痛みや張りもない。
「クラウ、ありがとう」
「ん? 何が?」
道に戻り、歩みを進めながらクラウに微笑んでみせる。
「走り込みしてなかったら、多分、途中でダウンしてたと思うんだ~」
「うーん」
以前は走り込みさせたことを謝ってきたくらいだ。あまり、プラスなイメージはなかったのかもしれない。
「気持ちだけ受け取っとくよ」
そう返されてしまった。
『ありがとう』の気持ちが伝わったなら、それで良いと、自分を納得させた。
木々が騒めき、少し寒いくらいの風が私たちを撫でる。クラウの手が一瞬震えた。
「ホントに寒くない?」
「やっぱり寒い」
クラウは苦笑いをする。
やせ我慢をせずに、早く言えば良いのに。振り返り、カイルを見上げる。
「何か温まるものないかなぁ」
「そうですねぇ……手袋とマフラーならありますが……」
あるなら早く渡して欲しかった。逆に言えば、何故、そんなものをエメラルドに持ってきているのだろう。カイルが足を止めるので、私とクラウ、アリアの足も止まる。先頭の四人は先に行ってしまった。カイルは麻袋を大きくし、広げると、中身をごそごそと漁る。
「これ、どうぞ。邪魔になるだけかと思っていましたが」
「ありがとう」
それらを受け取ったクラウはさっそく身に着ける。手を繋いでも、直にクラウの温もりを感じられなくなったのは残念だ。
「アレク様、フレア様、待って下さーい!」
アリアの叫び声で、ようやく先頭の四人が振り返る。
「オマエら、何やってんだー?」
「ちょっと、防寒着を!」
「今行きまーす!」
数メートル離されてしまったので、駆け足で四人の元へと戻った。クラウの格好を見たアレクは不満そうに口を尖らせる。
「オマエだけ良いな……っくしょん!」
思っていたよりも可愛らしいくしゃみだ。
アレクは「あー……」と言いながら鼻をすする。
「アレク、風邪引かないでね?」
「あぁ、多分大丈夫だ」
にかっと笑うアレクに、フレアも苦笑いをする。
それから二時間は歩いただろうか。日が傾いてきた為、ロイとサラが足を止めた。
「ここで野宿しましょう」
まさか、初野宿が異世界の森の中だとは思ってもいなかった。大きな空間もないので、道のど真ん中にテントを張る。その中に私たち魔導師は押し込まれた。吊るされていたランタンに、フレアが魔法で火をつける。
この傍の川の水は、飲んでも大丈夫だろうか。そう考えている間に、アリアはコップを取り出し、カイルがその中に魔法で水を入れた。
「これ飲んで、休んでください」
「うん、ありがとう」
アリアからコップを受けると、迷わず口をつける。冷たくて美味しい。
「私とサラは火の準備をするから、カイルとロイは魚を釣ってきて」
「ラジャー」
「私たちは?」
「休んでいてください」
こんなにも甘やかされっぱなしで良いのだろうか。疑問に思っている間に、アレクは大の字で寝転んだ。
「今回は、余震……だったか? 小さな揺れもねーんだな」
「影も力を温存してるのかもしれない」
「だな、油断は出来ねぇ」
三人の視線が私に向く。
「ミユはぜってぇ一人になるなよ」
怖くて一人にはなれない。素直に大きく頷いた。
アリアが集めた薪にサラが火をつけ、カイルとロイが釣った魚を串に刺して焼く。芳ばしい香りが辺りに充満し始める。
魚は一人につき二匹も当たった。これでも十分なのに、ハードパンも用意してくれていたのだ。腹も味覚も十分に満たされた。
静かな夜は過ぎていく。




