出発Ⅰ
眠い。まだ眠っていたい。グレーの視界に身を置きながら、尚も眠ろうと試みる。それなのに。
駄目だ。眠れない。緊張で手も汗ばんできてしまった。
仕方がなく瞼をこじ開け、天井を見る筈だった。
緑の瞳が私を覗き込んでいる。驚いて飛び起きてしまった。
「アリア!」
「はい。どうなさいました?」
アリアは不思議そうに首を傾げる。
昨日、目覚めたばかりなのに、もう起き上がっても大丈夫なのだろうか。
「ふらふらしたりしない? 大丈夫?」
「もうぴんぴんしていますよ。使い魔の体力を甘く見ないでください」
アリアはきりっとした顔で笑い、両手を腰に当てる。
「良かった」
回復が早くて良かった。アリアの辛そうな姿を見続けられる程、私は気丈ではない。
そうだ、他の皆も旅の準備をして待っているだろうし、私も支度を済ませよう。スリッパを履き、クローゼットの中を漁る。今日はこの服で、後の二着は着替えとして持っていこう。なんとなくで服を選び、袖を通した。最初は手間取っていたマントの装着も、今は慣れっこだ。ブーツに履き替え、気持ちを切り替える。
「ミユ様、お着替えはこちらに」
「分かった~」
着替えをクローゼットの中からハンガーごと取り、そのままアリアへ渡した。アリアはそれを麻袋へと詰めていく。
「後はヘアブラシと、コップと……」
「取ってくる?」
「いいえ、私が取ってきます。ミユ様はお食事を済ませてください」
アリアはにこっと微笑む。テーブルを見遣ると、そこにはシリアルと牛乳が準備されていた。
ここはお言葉に甘えさせてもらおう。すたすたと席に着くと、シリアルに牛乳を注いだ。ふやける前に食べてしまおう。アリアが忙しなく動き回る中で、私は黙々とスプーンを口に運んでいた。フレアとサラが顔を覗かせたのは、半分ほど食べ進めた辺りだろう。
「ミユ、準備出来た?」
「アリアあやってうええう」
「ん?」
喋りかけてくるタイミングが悪く、口に物を詰めた状態になってしまった。きちんと話せていたのなら「アリアがやってくれてる」と言えていただろう。
私の代わりに、部屋の中央で麻袋と一緒に座り込むアリアが口を開いた。
「終わりましたよ。後は袋を小さくするだけです」
「そっか」
フレアは私の対角の席へと腰を下ろし、サラはアリアと並んでしゃがみ込む。
「もう少ししたら、アレクとクラウも来ると思う」
フレアが言うので、今度こそ口の中の物を喉へと流し込んだ。
「これ食べる終わるまで、もう少し待って~」
「勿論だよ」
フレアはにこっと微笑むと、若干身を乗り出す。
「ミユ、好きな人出来たでしょ」
「へっ!?」
口の中にシリアルが入っていなくて良かった。危うく噴き出すところだった。今の私の顔は、ゆでだこのように真っ赤になっているだろう。
「分かりやすい反応するなぁ」
「む~……」
唸りながら、シリアルを口に放り込む。フレアだって、私のことは言えないと思うのだ。
「なんかあったら頼ってね。女同士だし」
「……うん」
そういうことなら、悪い気はしない。素直に頷き、朝食を食べ進めた。食べ終えるには五分とかからなかっただろう。その間もフレアは見守っていてくれた。
「ご馳走様でした」
スプーンを置き、いつものように呟く。
「お腹いっぱいになった?」
「うん」
腹部を擦るまでもなく、空腹は満たされた。食事に関しては満足だ。
丁度そんな時に、男性陣はやってきた。少し遠慮がちに、ドアの隙間からこちらを見る。
「入っても良い?」
「大丈夫だよ~」
返事をすると、四人はクラウを先頭にしておずおずと歩を進める。食事も終わったので、席に留まる理由はない。私とフレアも椅子を離れ、アリアたちの元へと向かった。既に麻袋の影はなく、八人で輪になって腰を下ろす。私の右隣をクラウが陣取ったので、自然と頬は熱を持っていった。
「良いか? 引き返すことはないと思ってくれ。ミユの呪いを解くまではな」
「それは分かっています」
ロイの返答に、全員が頷く。
「クレスタ村からクレスタの館までは、三日間だったな、アリア」
「はい。森を進んだ所にあります」
「一本道だって信じるしかねぇか」
アレクは呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
「アリア、魔法陣を作ってくれ」
「分かりました。皆さん、下がってください」
それぞれが立ち上がり、アリアに場所を譲った。アリアは杖を出すと、床に向ける。描いた先が線となり、円になり、文字になり、緑色の光を発する。それをじっと見詰めていた。
この旅で私の命運が決まるのだ。緊張するなと言う方が、無理がある。
ぎゅっと両手で拳を作ると、その右手に何かが触れた。そちらへ顔を向けると、そこには力強い青の瞳があった。この人がいてくれるなら、きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。
「出来ました」
アリアの凛とした声に、我に返る。前方には八個の魔法陣が円状に並んでいた。無言のまま、アレクとフレア、ロイ、サラは魔法陣へと歩き出す。
「俺たちも行こう」
クラウが一歩踏み出し、顔も魔法陣の方へ向いた。瞬間、あの時に音を立てて傾いた、氷のラナンキュラスが頭を過った。
ラナンキュラスはカノンが好きな花で、私が好きな花ではない。もしかして、未だにクラウは私ではなく、カノンを追っているのだろうか。
「ミユ?」
「……あっ、ううん、何でもない」
今、そんなことを考えている場合ではない。行かなくては。平静を装い、私も魔法陣を踏んだ。




