小さな冒険Ⅴ
今日は伯爵の屋敷、だった筈だ。視界には入りきらない屋敷の前に立ち、緊張に震える。
「ミユ様、行きますよ」
「うん」
曖昧に頷き、アリアの行動を見守る。
アリアはドアノッカーに手を伸ばすと、間を置かずに三回打ち鳴らした。
程なく扉は蝶番の音とともに開く。
「どちら様でしょうか?」
「魔法の事で、ちょっとお伺いしたい者です」
「少々お待ちを」
三十代くらいの燕尾服の男性が神妙な面持ちで応対すると、後ろを振り向く。
「ルイス様、お客様です」
当主は、呼び掛けにはすぐに反応してくれた。自らエントランスまで来て出迎えてくれたのだ。一人の女性を連れて。
その見た目に息を呑んだ。
「こちらへどうぞ」
二十代であろう若い当主――ルイスが手で道を指し示してくれるけれど、私はそれどころではない。恐らく、アリアもだろう。
女性の見た目がカノンそっくりだったのだ。髪の色も、髪型も、瞳の色も。その深い緑色の目もまた、私を見て見開かれている。
「どうなさいました? オリビアが何か?」
「『どうなさいました?』って。私たち、そっくりですね」
「ああ、確かにそっくりだが……見た目だけだろう?」
「そうだとは思うけど……」
ルイスの焦茶の瞳はまっすぐに女性――オリビアを見る。
「私は、オリビア・カーター。エスクリント伯爵夫人です。あなたのお名前は?」
「えっ? 私は……」
駄目だ、本名を言ってしまってはいけない。かといって、偽名を思いつく訳でもない。
「カノンです」
咄嗟に出た名前がこれだった。
ルイスは鼻で笑い、オリビアは驚きの表情で口に手を当てる。
「まあ! 百年前の魔導師様と同じお名前! 良いお名前を頂きましたね」
「はい……」
にこやかに微笑まれたので、苦笑いを返すしかなかった。
そこへアリアが助け舟を出してくれた。
「私たちは急いでおりますので。申し訳ありませんが、お話をお伺い出来ますか?」
「ああ。構いませんよ」
ルイスはにこりと微笑み、漆黒の前髪を掻き上げる。オリビアの腰へ腕を回すと、二人で奥へと進んでいった。
彼はクラウやアレクとは、まるでタイプが違う。同じ美形ではあるけれど、氷のような冷たさのある美しさ、と例えれば良いだろうか。
恐らく、ルイスはオリビアを愛してはいない。直感でそう思った。
「カノン様、行きましょう」
「……あっ、うん」
そうだ、カノンとは私のことだ。はっとして現実へ戻り、遠ざかっていくルイスとオリビアの後を追った。
通されたのは、やはり客間のようだ。ソファーが二つ、対面に置かれている。調度品を見ている程の心の余裕はない。
「どうぞ」
生唾を飲み込み、ソファーへと腰かけた。
ルイスは腕を組み、一呼吸をする。
「早速ですが、お話とは?」
「実は、カノン様の『呪い』の解き方を探しているんです。何かご存知ありませんか?」
昨日までと同じように、アリアは緊迫感を持って問いかける。それを合図に私も胸元をグイっと開けた。
ルイスは目を細め、私の痣を凝視する。
「十三の円に、古代語、か。相当な呪いではありませんか?」
「カノン様の『命』がかかっています。少しでも、何か情報があればと思いまして、魔法守護者の元を回っているんです」
「ほう……」
ルイスは瞼を閉じ、何かを考え込む。
オリビアが紅茶に手をつけたので、私たちもいただくことにした。緊張のし過ぎで、やはり味は分からない。
「そんな呪い、一体どこで? 普通に暮らしていれば、受けない筈の呪いでしょう?」
「それにはお答え出来ません」
若干、好奇心に輝く緑色の瞳に、アリアがきっぱりと言い放つ。
オリビアはたじろぎ、小さな溜め息を吐いた。
ルイスの瞼がゆっくりと開いていく。
「あの本に載っていなかっただろうか……。少々お待ち下さい」
言うと、ルイスは駆け足で部屋を去っていった。
今、変なことを聞いた気がする。本に載っていた、と。これが事実なら、とんでもない発見だ。
「アリア。私、希望を持っても良いのかな」
「もう少し待ってからにしましょう」
浮足立つ私とは対称的に、アリアは冷静さを失わない。私の手をぎゅっと握り、にっこりと微笑む。
どうか、夢幻で終わりませんように。祈るような気持ちでルイスの帰りを待った。その時は数分も経たずに訪れる。
眼鏡と本を片手に、ルイスはオリビアの隣へと颯爽と舞い戻った。眼鏡をかけ、本を広げ、一つの頁でその手は止まった。
「あった。同じ刻印だが……詳細は……」
もう駄目だ。緊張で息が止まりそうだ。
「詳細は……クレスタの館?」
疑問形で言葉が止まってしまい、私の頭にも疑問符が浮かぶ。
「……この本では説明し難い程、難しい呪いだそうだ。クレスタの館へ来い、と書いてある」
「クレスタの館とは?」
「クレスタ村から北へ三日……森を進んだ所にあるそうだ」
ルイスの言葉を聞き、アリアは大きく頷く。
「クレスタ村はエメラルドの北部にあります。そこへ皆で移動してから、作戦を立てた方が良いでしょう」
「分かった」
希望が少しでもあるなら、それに縋ってみよう。収穫があって良かった。本当に良かった。涙が溢れそうになる。
「カノン様、これからまた頑張りましょう」
「うん」
「申し訳ありませんが、私たちはこれで。本当にありがとうございました。感謝の言葉しかありません」
「いや、少しでもお役に立てたのなら」
立ち上がる私たちに、ルイスとオリビアは優しい笑顔をくれた。お辞儀をする時にふらついたのは、緊張感が抜けたからだろう。
廊下を抜けるとエントランスに並び、アリアと二人で再びお辞儀をする。
「クレスタへ行かれるのでしょう? お気をつけくださいね」
「カノンさん、またお会いしましょう」
「はい」
小さく手を振るオリビアに返事をしたけれど、二人に会うことはもうないだろう。
挨拶も早々に、帰り道を急ぐ。すぐに皆へ報告しよう。呪いは解けるかもしれない、と。
人気の無い路地で周囲を確認し、ワープを試みた。浮遊感に襲われる。とともに、寒気に襲われる。
この寒気は何なのだろう。部屋へ帰り着いてすぐに、その場に座り込んでしまった。
「ミユ様?」
「なんか……寒気が凄くて……」
それに、頭が痛い。この感覚は発熱症状だ。
冷たい手が私の額に触れる。
「酷いお熱……! 歩けますか?」
「う~ん……」
なんとか足に力を入れようとしてみる。しかし、ふらついて立ち上がることが出来ない。
「ミユ様!」
勢い余って、その場に倒れてしまった。アリアの顔が近い。
なんとなくテーブルの方を向いてみる。三人に初めて会った歓迎会の日にクラウから貰った、あの氷のラナンキュラスが目に映った。
「クラウ……」
小さく呟くと、ラナンキュラスの花がガラスの花瓶の中でカタリと音を立てて傾いた。




