小さな冒険Ⅲ
二週間の別れになるのなら、もう少しクラウと話しておくべきだった 。エメラルドに帰ってきてから後悔の念に襲われる。
「はぁ……」
窓の外の曇り空に溜め息を吐いた。
後ろでアリアがクスリと笑う。
「今日はどこへ行きましょうか」
「う~ん……。こういう時って、何どこに行けば良いんだろう」
「人の多い場所か、図書室、でしょうか」
「じゃあ、いろんな人と話してみたい」
「分かりました」
アリアはちらりと時計を見遣る。つられてそちらに視線を移すと、時刻は十時半、といったところだった。
「王がお許しになった時間は一時から四時までです。それまで、こちらで待機していてください」
「分かった」
返事をしたものの、それまでの間、何をして過ごせば良いのだろう。
とりあえず、テーブルの上にある木箱型のオルゴールに手を伸ばす。ねじを巻いてしばらくすると、軽やかなワルツの音楽が流れ始めた。
やはり、手持無沙汰なのには変わりない。
考えた結果、部屋の中を探ってみることにした。今まで時間はあったはずなのに、先人たちが残したものに全く触れていなかったのだ。
先ずは本棚だ。四十冊程の中から、適当にえんじ色の本に手を伸ばした。
私の考えは甘かったことに気づく。
「これ、何語?」
既にタイトルが分からない。アルファベットには似ているけれど、全く見たことのない文字が羅列している。
忘れていた。この世界の文字は読めないことを。
仕方なく、アリアの方へ振り向いてみる。
「アリア、これ読める?」
「見せて下さい」
走り寄ってきたアリアに本を渡し、本を見詰める彼女の様子を窺う。
「『美味しかった料理ベストテン! 著、キーラ・デュ・エメラルド』だそうです」
「アリアも知ってる人?」
「はい。五百年ほど前の魔導師様ですね」
五百年前の本、ということに驚かされる。まるで新品の本なのだ。古ぼけた感じが全くしない。
増刷をすれば、また話は変わってくるのかもしれないけれど。
呪いには全く関係していない本なのは確かだ。
本を戻し、次に新緑色の本に手を伸ばす。
「これは?」
「『私が選んだ茶葉! 著、セリン・デュ・エメラルド』ですね。三百年ほど前の魔導師様が書かれた本です」
またハズレだ。隣の本を手に取り、アリアに見せる。
「これは?」
「『シャンプー徹底解説! 香りから使用感まで書くよ 著、ヘレナ・デュ・エメラルド』です」
今のシャンプーに不満がある訳ではない。しかし、少し興味はある。
ううん、今は駄目だ、呪いが解けた後で読み聞かせをしてもらおう。そう思い直し、本を仕舞った。
「呪いに関係してそうな本ってないのかなぁ」
「本棚は私にお任せください。ミユ様は別の場所を」
「分かった~」
そうすると、どこだろう。ドレッサーの引き出しにはないだろうし、洋箪笥の中は――もしかすると、あるかもしれない。
さっと上の段から中身を確認していく。洋服、ストール、裁縫道具などなどが放り込まれいるだけで、書物のようなものは見つからない。
そして、三段目の引き出しを開けて、見つけてしまった。茶色みを帯びてはいるものの、間違えようがない。これはカノンが編んだテーブルクロスだ。
カノンは私たちの心の中だけではなく、実在していた人物だと思い知らされる。
「ミユ様、ちょっとよろしいですか?」
「あっ、うん」
アリアに呼ばれ、懐かしいような、悲しいような、例えようのない気持ちを振り切りった。
何か分かったのだろうか。淡い期待を抱き、胸に手を当てる。アリアは一冊の図鑑のような本を抱えていた。
「これは、色々な魔法陣が載った本のようなのです」
アリアは本を床に広げ、一枚一枚捲っていく。
「エメラルド北部、クレスタへ転移する魔法陣。エメラルド南部、アローニアへ転移する魔法陣。これは……」
「どうしたの?」
「私の頭の中に全て入っています」
そんな。あまりにも拍子抜けした為、二人で肩をがくりと落とす。
最後のページまで目を通したものの、目新しい発見は無く、部屋の中の探索は収穫なしで、あえなく終わってしまった。
昼食を急いで摂り、早くも十二時半を迎えた。
「ミユ様にお伝えしておかなくてはいけないことがあります」
「何?」
アリアがいつも身に着けているようなコルセットドレスに袖を通しながら、話の先を促す。
「王の魔法で、ミユ様の魔導石は一般の方々には見えないようになっています。ですから、ご自身のお名前だけは、口に出さないようにして欲しいんです」
「どうして?」
「ミユ様が魔導師様だとバレないようにするためです。ミユ様のお名前は、全国民に知れ渡っています。こんなに珍しいお名前の方は他にはいませんから」
成程、そういうことか。それなら、無暗に名前を出すのは控えよう。
それ以前に、名前を聞かれる場面なんて、ほとんどないだろうけれど。
うんうんと頷き、スカートを払う。
「メモは必要ありません。私が全て覚えておきますので」
「お願いね」
余程、記憶力が良いのだな、と感心しながら、ドレッサーの前に立った。
「私がして差し上げますよ」
「ううん、自分でやる」
化粧はあまり派手にはしない方が良いだろう。ファンデーションを叩き、ビューラーで睫毛を整え、チークを乗せ、薄いピンクのリップクリームを塗る。
うん。多分、先程よりは可愛いだろう。一人で納得し、振り返った。二つの魔法陣が淡い緑色の光を放っている。
「行きましょう」
「うん」
今一度気を引き締め、ゆっくりと魔法陣を踏んだ。
浮遊感が消え去り、辺りを見回してみる。可愛らしい木組みの家々が眼前に立ち並んでいる。ここは路地裏だろうか。
「こちらです」
アリアに導かれるまま、あまり陽の届かない薄暗い狭路を進んだ。




