特訓Ⅰ
身体がゆらゆら揺れている。誰かが私の名を呼んでいる。
こんなことが昔もあったな、などとぼんやり考えながら薄目を開けた。
「ミユ!」
ぼやける視界には、うっすらとクラウの顔が映る。もしかして、私は好きな人に抱かれているのだろうか。一気に眠気は覚めていった。
「何があった?」
その左頬は腫れているし、右眼の下部には痣だって出来いる。それなのに、クラウのことは気に掛けてあげられず、思いのままにその胸へ飛び込んだ。
「怖い夢を……見たみたい」
「夢?」
「うん。あれが現実なら、私は……」
恐らく、殺されていただろう。ぎゅっと瞼を瞑り、クラウの服を握り締める。
「夢じゃねぇだろ。周り見てみろ」
アレクの声が聞こえるけれど、私にそんな勇気はない。首を振り、顔を埋める。
「魔法の特訓なんてしてる時間ある?」
「今回はただの脅しだ。じゃなかったら、ホントにアイツはミユを殺してただろ。誰も見てねー絶好の機会だったからな」
逆を言えば、本気になればいつでも私を殺せるのだろう。フレアの言う通り、時間はないと思う。
「私、やだ」
何も出来ずにただ殺されるのが、本気で嫌だ。時間がないのなら、やるしかない。誰かに意見を求める訳でもなく、思いのままにダイヤの外へとワープした。膝をつき、両手を大地に向ける。
轟音と共に、前方の大地がそそり立つ。とてつもなく嫌だ――。
恐怖と怒りをぶつけるように、更に魔法を放った。先に出来た大地の壁を割り、蔦が立ち上る。それでも感情は収まらない。
「嫌ぁ!」
目を瞑り、もう一度、魔法を放とうとした時だった。
「ミユ、止めるんだ!」
クラウの叫びにも似た声が聞こえ、身体がふわりと宙に浮く感覚がした。
疲れた。体力がごっそりと持っていかれ、もうほとんど残っていない。意識を手放す事も叶わず、倒れ込んで天を仰いだ。頭をぶつけずに済んだのはクラウのお陰だろうか。
息が苦しい。心臓が激しく鼓動している。身体の悲鳴ではなく、心の悲鳴に合わせて涙が溢れる。
「大丈夫だから。今度こそ、俺が何とかするから」
頭を撫でられ、晴天に向かって号泣した。
どうやって部屋に戻ってきたのかは覚えていない。部屋は何ごともなかったかのように整頓されいた。椅子に座り、ココアの入ったマグカップを握る。ココアの温かさが心に染みる。
ぼんやりと窓の外を眺めると、先程、私が出した蔦が天高くそびえていた。
「落ち着いた?」
返事も出来ず、対角に座った声の主へと視線を向ける。アレクとフレアの姿はない。
「その顔の怪我、どうしたの?」
「えっ? うーん……」
私の小さな問いに、クラウは声を詰まらせる。
「いや……」
何か言えない理由でもあるのだろうか。小首を傾げると、クラウは私から顔を逸らした。
「昨日、アレクに殴られた」
「えっ?」
アレクが言っていたことが思い返される。黙らせたとは、やはりこういうことだったのか。昨日、怒っておけば良かった。
「痛そう……」
堪らずに右手を伸ばす。その拍子にネックレスがずれ、カノンのリングが横に揺れた。青色の瞳も同時に動く。
「そのリング……」
「えっ? あっ……」
かあっと顔が熱くなる。咄嗟にリングを両手で握り、口を結んだ。
私の想いが伝わってしまっただろうか。そう心配する前に、クラウの右目から雫が溢れ落ちる。
「クラウ?」
私が泣かせてしまったのだろうか。あたふたしていると、とうとうクラウは両手で顔を覆った。嬉しかったのか、驚いたのか、それは分からない。でも、心を揺さぶったのは確かだ。
いてもたってもいられず、クラウの傍らへと移動した。横からその身体を抱き締める。背中を撫でると、彼は声を上げて泣き始めてしまった。
どれくらいの間、そうしていたのだろう。私はただ、今までクラウから貰った優しさを返したい。切に願っただけだった。
* * *
魔法の特訓は二日後から行われることになった。それもこれも、私が無茶な魔法の使い方をし、体力を回復しなくてはいけなくなったせいだ。もう、絶対にこんなことはしないと心に誓った。
それともう一つ。使い魔たちがダイヤにやって来たのだ。理由は簡単で、私が奇襲を受けたせいだ。各国を留守にしてでも、私たちの安全を確保するためだった。
食事の準備は全て使い魔が行ってくれた。夕食の一時間前には誰からともなく会議室に集まり、これからの作戦を練る。私が扉を開けた時には、既にアレクとフレアが何やら話し合っていたようだ。
「よう、ミユ」
「もう大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんなさい」
窓際に立ち、こちらを見る二人に、ぺこりと頭を下げてみる。
「混乱するなって方が無理な話だからな」
「あたしたちは全然気にしてないよ」
良かった。ほっと一安心し、トコトコと二人の元へと駆け寄った。
「クラウはまだ来てないの?」
「あぁ、そのうち来るだろ」
あまり緊張感なく話すこの人がクラウを殴ったのだ。今のうちに一言文句を言っておこう。
「ねえ、アレク」
「何だ? ……なんか怒ってるのか?」
「うん。何でクラウを殴ったの?」
多分、理由を聞いても許せはしない。言い分は聞いてあげよう。一応、だ。
「ごちゃごちゃうるかったからだって言ったよな?」
「うるさいだけで殴る?」
「あぁ」
この人はまるで反省をしていない。自分が悪いと思っていない。怒りがふつふつと沸いてくる。




