羽根Ⅴ
もつれる足で何とか踏みとどまり、膝を折ることは避けられた。ただ、この状況はまずい。どうしよう。
「ミユ」
混乱の中で聞こえた声に、無意識のうちに振り返る。間近には青色の瞳があった。今にも泣き出しそうな瞳が。
「俺のこと、嫌いになった?」
その声は微かに震えている。
考えるよりも先に首を横に振っていた。
「私の方こそ嫌われたって――」
「そんな筈ない!」
一瞬にして、マイナスな思考が吹き飛んでしまう。
「ホント?」
「うん」
聞くと、クラウは小さく頷いてくれた。
会話をした後で気づく。まるで恋人同士であるかのような内容ではなかっただろうか、と。恥ずかしくて目を伏せる。頬が熱を持ち始める。
どうやらクラウも同じだったようで、再び話し始めるタイミングを二人で見計らっていた。
「あの」
「あのさ」
そして、声が重なる。
自然と視線を上げると、青色の目とぶつかった。またしても目を伏せる。
「何?」
「うん、さっき、俺に話があるって言ってなかった?」
そうだ。それを話す為にここまで来ていたのだった。色々なことが重なって、すっかり忘れてしまっていた。
「あのね? 羽根のことなんだけど、取りに行かなくても良いみたい。さっき、神様が羽根を届けてくれたから」
「うん、知ってる」
頭に『はてな』が浮かぶ。何故、クラウが知っているのだろう。まだ誰にも話していないから、私以外に知る由もない筈なのに。
「何で知ってるの?」
小首を傾げると、クラウの表情が『しまった』と言わんばかりに渋くなっていく。顔まで逸らして。何か知られたくないことでもあるのだろうか。
「答えてくれないと分かんないよ」
「それは……言えない」
クラウの拳を見てみると、微かに震えている。余程の隠しごとなのだろうか。
「何で言えないの?」
「ミユは連れて行けないから」
「私に関係してることなの?」
私が関わっているのなら、聞かない理由はない。それなのに、クラウは表情を険しくするばかりだ。黙っていてもお互いに辛いだけなのなら、言ってしまえば良いのに。
私も拳を作り、口を尖らせる。
「もう良い。もう知らない」
内心とは裏腹な言葉が自分の口から飛び出してしまった。まずいと思ってももう遅い。
しかし、何故か腹も立っているのだ。少しくらい教えてくれても良いのに、と。
その苛立ちのまま、クラウに背を向けた。ドアノブを回し、部屋を出ようと試みる。
ドアが開かない。鍵でもかかっているのだろうか。
「嫌われたとしても、それでも」
と、ここで閃いた。部屋へ戻るなら、なにもドアを介する必要はないのだ。ワープしてしまえば良い。クラウの言葉が途切れた所で瞼を閉じる。自室を思い浮かべ、浮遊感に身を委ねる。
「絶対に危険な目には――」
光に包まれた時、気になる言葉が飛び出した。もう少し聞いておいた方が良かっただろうか。そう思った時には光は消え去り、自室の中央に佇んでいた。
「危険って何……?」
何か、とんでもないことに巻き込まれはしないだろうか。良からぬ不安が脳裏に浮かぶ。
“嫌な予感がする”
「私も……。どうしよう……」
カノンに曖昧に答えながら、下唇を噛む。
私のことなのに、私抜きでその危険に立ち向かおうとしているのなら、見過ごす訳にはいかない。かと言って、あの様子だ。クラウの部屋にトンボ帰りしても一筋縄にはいかないだろう。そもそも、部屋に行く勇気は残っていない。
どうすれば良いだろう。
頭を捻ってみたものの、良い案は思い浮かんでくれない。時間を置くしかないだろうか。
アレクも怒らせた――ううん、正確には、怒らせたのはクラウなのだけれど、頼る気にもなれなかった。
私には何でも言ってくれる筈だ。そう心の奥で密かに感じていた思いは、どうやら過信だったらしい。自分への苛立ちとともに、無力感に苛まれる。
とりあえず、今日はクラウが行動を起こさないことを祈ろう。明日までに、何か対策を立てなくては。
「ねえ、カノン」
“何〜?”
「クラウが危ないことをしようとした時って、最初に何すると思う?」
カノンは「う〜ん」と唸り声を上げ、数秒考える。
“あの人の事は分からないけど、リエルなら……私の顔を見に来ると思う”
「それに賭けて良い?」
“えっ?”
私の顔を見に来るのなら、その時が一番行動に移しやすい。勇気は相当いるだろう。でも、今からなら心の準備くらい出来る。クラウを捕まえてしまうのだ。
“私の場合と実結の場合は違う。それは分かった上で行動してね”
「うん」
不確定な事象に賭けるなんて、傍から見れば、それこそギャンブルかもしれない。私は本気だ。本気でクラウを止めようとしている。
胸に手を当て、深呼吸をしてみる。少しだけ緊張が和らいだ気がする。
ここで、もう一つの問題が浮かんできた。食事をどこで誰と摂ろうか、という問題だ。
今日くらい、一人で食べても良いだろう。そう勝手に決めつけ、十二時を回った時計を垣間見る。
あんなことがあったばかりなので、キッチンで腕を振るうアレクは、一人での食事を許可してくれた。ただ、何かあったのだろうということは伝わってしまったらしい。
「アイツと何があった?」
「喧嘩した」
昼食を乗せたトレーを手にし、アレクも見ずに答える。次の質問が飛んでくる前に、さっさとキッチンから撤退した。




