邂逅(中編)Ⅲ
身体がゆらゆらと揺れている。それに、私の名を呼ぶ誰かの声もなんとなく聞こえてくる。
ゆっくりと瞼を開けると、涙に潤む青い瞳が私を見下ろしていた。
「カノン、何があった!? 影に何された!?」
尋常ではない叫びに目を瞬かせ、頭を働かせてみる。
アイリスに会いにテントを出て、湖へ向かったら影が居て、逃げたのに追い詰められ、呪いを――。
なんとなく、視線を胸へと下げていく。そこには、確かに複数の円が複雑に交わり合った模様の痣があったのだ。一気に理性は失われていく。
リエルの腕を避け、息を荒げながら、傍に座り込んでいたアイリスの頬を平手打ちした。
「貴女、そんなに私が憎いの!? なんで、こんなに酷いことが出来るの!?」
アイリスは打たれた左頬を庇いながら、涙を滲ませる。
「なんのことを言ってるの?」
「影と一緒にいたでしょ!?」
「知らない……。ホントだよ」
この期に及んでシラを切るつもりなのだろうか。許せない。
怒りにまかせ、もう一度右手を振りかぶる。そのままアイリスを叩こうと思っていた。それなのに。
リエルが私の右手を掴んだのだ。振り払おうとしても力で負けてしまい、自由が効かない。
「離して!」
叫んでも、その力は衰えない。
「お願いだから、離してよぉ!」
リエルは険しい表情で首を横に振るだけだ。
その隙に、ヴィクトがアイリスを引き離す。どうして二人とも、アイリスの味方をするのだろう。使い魔たちも、私に獣を見るような瞳を向けてくる。
「なんで!? ねえ、なんで!?」
被害に遭った私に味方してくれる人はいないのだろうか。怒り以上の、途方もない虚しさが襲いかかってくる。
無言で涙を流し始めると、リエルは私の手をそっと離した。そのまま私の頭を撫でる。
「何があったのか、話してくれる?」
「……お願い。一人にさせて」
「でも――」
「お願い」
ダイヤでは、すぐに皆が追ってきてしまう。それなら、私の故郷の近く、人気のないラナンキュラスの花畑へ逃げよう。
花畑をイメージし、リエルの腕の中から一人掻き消えた。
「なんで……。皆、なんで……」
ラナンキュラスに囲まれ、花弁に涙を落とす。
「アイリスは……影の仲間で……私を殺そうとしてるのに……」
悲しくて、悔しくて堪らない。
拳に力を入れると、地鳴りがしたのだ。次の瞬間には、大地が揺さぶられ始める。
「きゃっ……」
うずくまり、なんとか揺れを耐え忍ぶ。
揺れが収まると、身体から力が抜けていく。そのままゴロリと大地に転がった。空には綿雲がぷかぷかと浮かんでいる。この空も、明日で見納めなんて――。
嫌だ。怖い。身体が勝手に震え出す。堪らず腕を抱いた。
「カノン様」
一体、誰がどうやってここに。はっと声のした方を向くと、アリアが心配そうに私の顔を見下ろしていた。傍まで来ると、スッとしゃがみ込む。
「どうしてしまったんですか?」
何故、ここが分かったのだろう。眉間にしわを寄せると、アリアは吐息をつく。
「私は貴女の使い魔ですよ? 貴女がどこにいるかなんて、すぐに分かります」
そうか、私は一人になる事すら許されないらしい。また一粒、涙が零れ落ちる。
「私、どう足掻いても、明日、殺されるみたい。なんで、私が……」
「アイリス様が関係しているのですか?」
「影に呪いをかけられた時、アイリスは、傍で笑ってたの」
あの狂気に満ちた笑顔は、一生忘れることが出来ないだろう。
アリアは信じられないとでも言いたそうに、ゆっくりと首を横に振る。
「本当にアイリス様だったのですか?」
「私が見間違える筈ないよ」
私とアリアの間を、微風が吹き抜ける。
アリアは私の肩にそっと触れ、穏やかに微笑む。
「起き上がれますか?」
アリアの力を借りながら、なんとか踏ん張り、上半身を起き上がらせる事は出来た。しかし、身体に力が思ったように入らないため、いつまた倒れてもおかしくはない。
魂の抜けたような私の身体を、アリアはそっと抱き締める。
「アリア。アリアは私の味方でいてくれる?」
「勿論です。魔導師の皆さんが貴女を見限っても、私は貴女から離れません」
その言葉を聞いた瞬間、涙腺が崩壊した。声を上げて泣きじゃくる。
「カノン様をこんな目に遭わせた影を、私は絶対に許しません」
きっと、アリアも泣いてくれていたのだろう。声が激しく震えていた。
「皆さんの元に帰りましょう?」
「なんで? アイリスが居るのに」
落ち着いた頃、事の経緯を話し終わると、アリアは悲しそうに微笑む。
「あの場にまた、影が現れるのですよね? カノン様がいないのでは、他の皆さんは何も出来ずに、影に殺されてしまいます」
「それは嫌。何が何でも、リエルだけは殺させたくない」
「では、影を止めましょう。私はカノン様の呪いを解く鍵を探しに行ってきます」
アリアは立ち上がり、そっと瞼を閉じる。
「待って!」
まだ、アリアには別の場所に行って欲しくない。聞きたいことがあるのだ。
「皆には……どう説明したら良いの……?」
「どうも何も、ありのままを話せば良いのでは――」
「駄目」
それでは、仲間を――リエルを危険に晒してしまう。私のためなら、自分の身を投げ出すような人だ。呪いのことを話してしまえば、何をするか分からない。
「では、カノン様が話せる所だけ、まとめてみましょうか」
「うん」
「明日、湖に影が来ます。昨日、倒れてしまったのは、影に足元を掬われて、頭を木の幹にぶつけてしまったから。……こんな感じはいかがですか?」
「それなら……大丈夫だと思う」
まずいことを聞かれるのであれば、ひらりひらりと躱すしかない。覚悟を決めよう。何度か深呼吸し、アリアに頷いてみせる。
「では、皆さんの所に帰れますね? 私のことは、適当にあしらってください」
「分かった」
私もふらりと立ち上がると、あの湖をイメージする。それだけで気持ちが重くなってしまう。
大きく息を吐き出し、光を破裂させた。




