風Ⅱ
“それよりも、過去を見たくて来たのではないか?”
「そうだけど……」
“では”
小首を傾げる間もなかった。一瞬にして、耐え難い程の睡魔に襲われる。意思に反し、瞼は重く下がっていく。
どうしてこんなことに。混乱しているうちに、目に映る景色は変わっていった。
* * *
自分がテーブルに伏せって眠ってしまったことに気付き、はっと顔を上げた。
斜め向かいの席には、黄色の瞳で、短髪の薄茶の髪の人物が座っていた。その人――ヴィクトはニッと笑い、私を見る。
「良く眠れたか?」
「うん。この部屋、ポカポカだし~」
眠気を誘う室温、背中から降り注ぐ日光、転寝をするには最高の環境だ。
小さな欠伸をすると、右手で目を擦る。
「そんなに擦るな。目ぇ赤くなるぞ?」
「う~ん」
とりあえず擦るのを止め、目を瞬かせる。
何故、ヴィクトと二人きりになったのだろう。頭を働かせ、考えてみる。そうだ、少し男性の意見を聞きたくて、ヴィクトを呼び出したのだった。呼び出した張本人が寝てしまうなんて。悪いことをしてしまった。
「ヴィクト、ごめんね」
「なにがだ?」
「折角来てくれたのに、私、寝ちゃって」
「いや、いつものことじゃねーか」
私、そんなに寝てしまっているだろうか。首を捻って考えてみても、思い当たることはなかった。
「む~……?」
「やっぱオマエ、おもしれーな」
もしかして、馬鹿にされているのだろうか。ちょっぴり腹が立ってしまい、頬を膨らませてみる。
「そんなに膨れなくても良いじゃねーか」
「む~……」
これでは怒っている私の方が馬鹿みたいだ。大袈裟に溜め息を吐くと、何とか自分の気持ちを切り替える。
ヴィクトは声を出して笑い、腕を組んだ。
「んで、話ってなんだ?」
「あ、あの……」
男の人が渡されて嬉しい誕生日プレゼントは何だろう。
私の中で、小説かオルゴールかで迷いが生じていた。
「ヴィクトが貰って嬉しい誕生日プレゼントって何?」
「くれんのか? でも、オレのはもう終わってるしよー、オマエもプレゼントくれただろ?」
「そうじゃなくて~」
「あ?」
何故、こんなにも分かってくれないのだろう。もうすぐ誕生日なのは、あの人だというのに。
「リエルか?」
心の中で散々文句を言っていたのに、当てられると心臓がとくんと跳ねた。頬が熱を持ち始める。
「オマエ、分かりやすいな」
「む~……」
ヴィクトだって、アイリスの前では顔が赤いし、若干声が上ずるし、表情だってころころと変わる。
私のことは言えないと思う。
「それで、ヴィクトが貰って嬉しい物って何~?」
「オレか? そーだな、花一本貰えりゃそれで良い」
「それだけ?」
「あぁ、好きなヤツからならな」
何だか、聞いた意味がないかもしれない。カイルに聞いた方が良かっただろうか。
「アイツもそーだと思うけどな」
「私のこと、好きかどうかも分からないもん」
「そーか?」
リエルはアイリスにも優しいから、あまり自信が無い。笑みを浮かべたまま私を見るヴィクトに、小さく首を横に振った。
「どうしよう~。本か、オルゴールか……」
「もう本にしちまえよ。来年はオルゴール渡せば良いんじゃねーか?」
「う~ん……」
このまま悩んでいても仕方が無いのは分かっている。ヴィクトに促されるまま、小説に決めてしまおう。
「ヴィクト、ありがとう」
「決まったのか?」
「うん」
微笑んでみせると、ヴィクトの大きな右手がこちらに伸びてくる。そのまま私の頭を撫で回す。
「もう、止めてよ~」
「良ーじゃねーか」
ヴィクトにとって、私は妹みたいな存在なのかもしれないけれど、これでは妹を通り越して子供のような扱いだ。
ヴィクトたちと出会ってから、もう三年が経つ。このまま私の位置づけは変わらないのだろうか。一向に私の頭を撫で回すヴィクトの腕を、両手でしっかりと掴んだ。
とその時、扉の蝶番が軋む音が響いたのだ。
「……アイリス?」
肩まで靡く黒髪を持つ人なんて、アイリスしか居ない。
すぐに扉は閉まってしまい、甲高いヒールの音は遠ざかっていく。
「ヴィクト、アイリスが勘違いしちゃうかもしれないから、行って!」
「あ、あぁ。済まねぇな」
ヴィクトは自身の頭を軽く搔き、足早に会議室から去っていった。
この頃から、アイリスとの仲は不穏になっていったと思う。
* * *
今見たものは何だったのだろう。ヴィクトとリエル、アイリスといった人物が出てきたが、私の記憶にはそんな人たちはいない。それに、夢の中の私は、私ではなかったような感覚だ。
これが、百年前の過去、というものなのだろうか。
目を開けると、真っ白な天井が視界に入った。少しだけ頭が痛い。
「あれ……?」
黄色の花畑にいた筈なのに。何故、ベッドの中にいるのだろう。掛け布団を両手で握り、記憶を辿る。
「ミユ、混乱してない?」
フレアの優しい声が聞こえる。
「う~ん……」
フレアの顔も、アレクの顔も見るのが怖くなってしまい、布団を頭からすっぽりと被った。
確かにヴィクトの顔はアレクに似ていた。似ていたというより、瓜二つだ。ううん、もしかすると、私の思い込みがそう言う夢を見せたのかもしれない。それならばアレクに失礼だ。
ただの好奇心で見た過去なのに。私、何をしているのだろう。
と、ここで疑問が生じた。
「今見たものが、過去?」
影と呼ばれるものは一切出てこなかったし、戦いに繋がることも起きていない。