異世界建築-建築士ガイア匠の技術
城下町は活気に満ちている。
商店街を歩けば商人が声を上げながら客引きを行っているし、飲食街に行けば多くの人の話し声がする。
また、宿屋併設の飲み屋などでは、冒険者が今日も仲間を集めたりパーティを組んだりするために盛り上がっている。
この世は多くの音で成り立っていると言ってもいい。
そんな街中の一角、街の喧騒からは少し離れた場所にひっそりと立つ一つの建物がある。
事務所兼住宅のそこには、たまに大口の依頼が来る。
今入ってきた客も、そんな一人だ。
「ようこそ、ガイア建築事務所へ」
ガイアは入ってきた知り合いの女性に言った。
ガイアは建築士である。それも一級建築士だ。
国王からわざわざもらったそれを表す勲章まである。
しかし、この街角の中で小さな建築事務所をやるのが、ガイアには性分に合っていた。
「なんか暗い顔をしているな、エミリー」
目の前の女性――エミリーの表情は晴天の空模様とは反対に曇天のごとく暗い。
そういう顧客の情報をすぐさま見られるから、一人で黙々と、かつ小さな場所でやるのが気に入っているのだ。
「そうなのよ、ガイア、聞いてくれる?」
エミリーはガイアより三個下だ。
昔は冒険者だったが今は引退して冒険者を対象としたアパート賃貸の経営を行っている。
そのアパートの設計はガイアが手掛けたものだ。三階建てで一階あたり五部屋のアパートだが、冒険者に必要なもの――鎧置き場など――は一通り揃っている。
ガイアは経営には手を出さなかったが、修理保全などでよくエミリーから相談を受けている。
エミリー自身も経営はやり手で、現在貸しているアパートはキャンセル待ちの予約でいっぱいだ。
そんなやり手がこちらに悩みを持ち込んでくる時は決まっている。
「何か厄介なことがあった。そうだろ?」
エミリーは何度も大きく頷いた。
よっぽど切羽詰まっているのだろう。こんな反応は珍しい。
「そうなのよー。実はね、今うちのアパートに入っている住民に関することでクレームが他の人から入っちゃってね……」
「流石に俺のところでそんな話しされても困るぞ。俺はクレーム対応屋じゃなくて建築士だからな」
「そりゃわかってるわよ。でも、これある意味ではそちらに関係してるかもしれない案件なのよ」
自分が設計したもので何か絡む案件だと言われると流石に無視するわけにもいかない。
さすがにそれは建築士としての沽券に関わる。
「俺に? どういう住民なんだ、それ?」
「それがね、成り立ての吟遊詩人さんなのよ」
う、と、思わず口に出てしまった。
吟遊詩人は歌や楽器などを用いて持ち前の魔力を仲間に振り分けたり、能力を強化したりする後方支援特化のバッファージョブだ。
そのバフ効果は非常に高く、実際一人いるだけで魔物討伐が非常にやりやすくなるなど、とにかく評判がいい。
だが、なり手が少なく冒険者パーティには引っ張りだこだ。冒険者の中でもトップクラスに売り手市場と言ってもいい。
これだけなり手が少ないのは理由がある。
「ひょっとして、吟遊詩人絡みの騒音公害か?」
エミリーは頷いた。
そう、これが要因だ。
吟遊詩人はどうしても能力上、歌や楽器などで大きな音を出す。
そのために普通のアパートやマンションだと戦闘練習の際に音漏れによる騒音公害が発生してしまうため、入居を断られる事態が多い。
稼いだ吟遊詩人ならばあまり住宅の密集していない地域の一軒家に住むが、成り立ての吟遊詩人にそんな一軒家を借りたり買ったりする金があるわけがない。
となるとアパートやマンション住まいとなるが、入居したとしても、都市から離れた郊外すぎる僻地だったりするなど、吟遊詩人はジョブによる売り手市場と引き換えにあらゆる一般生活の不便さを担ってしまう。
だから担い手不足による絶対的な数不足にいつも悩まされるジョブなのだ。
「だが、お前のところ入居前にジョブの申請があるはずだろ? それで断ることできたんじゃないのか?」
「それが頭の痛いところでねぇ。最初はその子弓使いだったから入れたのよ。でも凄腕の吟遊詩人さんとパーティ偶然一緒になっちゃって、それで憧れて吟遊詩人にジョブチェンジしたのよ」
「凄腕の吟遊詩人?」
「聞いたことはあるでしょ、あの音律の貴公子よ」
なるほど、これは憧れてジョブチェンジしても仕方がないとガイアは思った。
音律の貴公子の異名で活躍しているクラウスという吟遊詩人がおり、これは恐らく全世界でもトップクラスの実力を持つ吟遊詩人だ。
後方支援のエキスパートとして非常に有名だし、あらゆる冒険者ギルドからスカウトが舞い込むほどだが、本人は吟遊詩人の担い手を増やしたいと流浪の旅をしているという。
それほどの男と会ってしまったらそういう方向に目覚めるのも仕方がないだろう。
「そいつを追い出すのは?」
「そ、それはダメよ! あの子メチャクチャいい子だし毎日いろんな住民のゴミ出しとかも手伝ってくれるしみんなのご飯だって率先して作るし! 今のうちのアパートには欠かせないのよ!」
首を横に何度も振りながら、エミリーは早口に言った。
これは何かあるなと、ガイアは少し感じた。
少ししてから冷静になったのか、顔を赤らめながらエミリーは咳払いをする。
「だから問題になってる騒音だけ解決してくれればずっとうちにいてほしいくらいなの。そこどうにかならない?」
少し、ガイアは悩んだ。
正直ガイアもこの事態を設計『当時は』想定していなかった。
詰めが甘いと言われればそれまでなのだが、まずあのアパートが建築された当初、吟遊詩人というジョブは存在していなかった。
ある時偶然の発見から音に魔力を乗せれば冒険者にバフをかけられるということがわかり、それから吟遊詩人のジョブが正式に認められた。それもせいぜい三年前だ。
実際吟遊詩人による騒音公害が指摘されたのはここ二年くらいの話であり、かなり直近の話である。
公害となればなり手が減っていくのは当然のことであるが、吟遊詩人の効力は絶大。そう簡単に代替手段が見つかると思えない。
そうなってくると今現在の問題を解決する以外に手段はない。
「わかった、引き受けよう。ただしエミリー、条件がある。他の音に関する苦情をアンケートにしてその結果をまとめたものと、例の吟遊詩人を明日までに持ってきてくれ。それでどう直すかを決める」
エミリーは頭に疑問符が浮かんだ状態のようだったが、今日のところは引き下がった。
翌日、エミリーは例の吟遊詩人とアンケートの紙束を持って事務所にやってきた。
例の吟遊詩人は、少し不安そうな顔をしている。
「あの、やはり僕、出ていったほうが皆さんの迷惑にならないのではないでしょうか……? 吟遊詩人は騒音公害の元って言われて久しいですし……」
「何言ってるのよぉ。この人だったらなんとかしてくれるわよ、きっと。だから心配しないで大丈夫よぉ」
エミリーは吟遊詩人相手にやたら甘い。
吟遊詩人自体、色白の肌で顔は端正だし、如何にも真面目を絵に書いたようなそんな男だ。
なんとなく、エミリーが追い出さない理由を、ガイアは察した。
多分エミリーはこの吟遊詩人に惚れたのだ。
なんだかんだいい歳で独身なのでそろそろ相手が欲しいのだろう。それで手放したくないのだ。
もっとも、流石にガイアもそれを本人の前で言う程野暮ではない。
ガイアはアンケート結果をつぶさにチェックする。
「お前さん、住んでるのは何階だ?」
「あ、はい。三階です。三階の一番奥の部屋です」
「三階か。一階からも音に対するクレームがあるが……」
いくらなんでも吟遊詩人の音とはいえ一階まで音が響くとは考えられなかった。そこまで安普請にしたつもりはない。
それ以前にその音のクレームを出している相手は完全にこの吟遊詩人の部屋と対角線だ。
陥れるために仕組んだとも考えられるが、エミリーの冒険者を見極める目は確かで、悪質な冒険者は入ってきた例がない。
となると音がどこかで鳴っているのは本当だろう。
各部屋のアンケート結果を見たが、どうやら音に対するクレームは全体に及んでいるようだ。それも吟遊詩人だけのせいではない。
つまり、様々な音が共鳴し合っている可能性が高かった。
少し考えてから、手法が思いついた。
「エミリー、ちょっとお前さんのアパートの冒険者全員に対して、俺が依頼を出す」
「依頼?」
「何、ちょっとした物集めだよ」
三日後、冒険者はアパートの外でガイアから依頼されていたものを一通り積み上げた。
依頼はスライムの内臓器官を抜いたもの、すなわちスライムの外郭を一五〇個とゴーレムの残骸一五個、それと風脈のクリスタルを部屋の数分、そして板を部屋の数の倍の数分集めてくること。
一人でやるとなれば途方もない数だし、これだけのパーティを組んだとしてもこれだけの数を揃えるには最低でも二週間はかかる。
だが、アパート全員をエミリーが強制的に納得させて依頼した結果――なんでも家賃を一ヶ月間半額にするという条件をつけたらしい――、吟遊詩人の徹底的、かつ圧倒的なまでのパーティに対するバフの効果もあり、モンスター討伐も相当楽だったようで僅か三日ですべての資材が集まった。
全員が何に使うんだと疑問符の浮かんだ顔をしているが、吟遊詩人に対する評価自体は悪いものではないらしく、結構討伐はいつもより遥かに楽だったとの声は上がっている。
本人の性格的な徳も出ているのだろう。
「さて、集まったか」
ガイアは素材をチェックする。結構高度なスライムやゴーレムの素材もあるため、この素材ならば改修作業にも十分に対応できる。
なかなかに腕の良い冒険者が揃っていると、ガイアは改めてエミリーの目の確かさを実感した。
「でも、こんなの何に使うの?」
エミリーも疑問符が浮かんでいるようだった。
それもそうだ。今から行う手法を試した建築士など存在しないのだから。
「今からこの素材でちょっとアパートを改修するのさ。まぁ、見ていろ」
そう言うと、ガイアは素材の前で手をかざし、魔力を注入した。
その注入した魔力によって、ゴーレムの残骸とスライムの外郭を板と融合させた。見た目は全く普通の板だが、自分の目には確かに素材が入っていることが分かる。
そういう目を持っているから、自分は一級建築士になれたのだ。
そして板がどんどん切断されていき、均等な四角が出来上がる。その板と風脈のクリスタルが浮かぶと同時に板とクリスタルがアパートを覆い、すぅっと、何事もなかったかのようにアパートに吸収されていった。
ガイアはふぅ、と息をついて、魔力を止める。
「よし、これで改修は完了だ」
「え? だって、全く外見変わってないじゃない?」
エミリーの疑問はもっともだ。
アパートの外見は何一つ改修前と変わっていない。本当に改修されたのか、全員の顔に疑問符がついている。
先ほどと唯一違うのは、素材がすべて消失していることだけだ。
「ま、実際の効果はやってみれば分かる。吟遊詩人ともう一人は、吟遊詩人の部屋に入って、他の住民はそれぞれ自分の部屋に戻れ。で、吟遊詩人は思う存分に練習しろ。五分もすれば結果が分かるぞ」
ガイアが言うと、全員がよくわからないという表情をしたまま部屋へ戻っていく。
そして、五分が経過した。そこには当然吟遊詩人もいる。
先程のスペースに全員が集まると、全員一様に疑問符が余計に増していた。
「なぁ建築士さんよ。ホントに吟遊詩人は練習してたのか?」
冒険者の一人がいう。
「ええ、確かに練習しました。いつも通りの声量、いつも通りの楽器です」
「確かに練習してたぜ。結構な音だった」
一時的に同室になった冒険者が言った。
「直下でも響かなかったぜ」
「一階も同じく。全く聞こえなかった」
「むしろ空気が良くなったような……そんな感じだな」
ざわざわと冒険者が感想を述べ合っていた。
作戦は成功した。
我ながら完璧だ、とガイアは思った。
「ただ、何か改修されてるようには何も見えなかったんだよなぁ。何やったんだ?」
冒険者の疑問はもっともだ。
そろそろ種明かしといくとするかと、ガイアは思った。
「さっき板がアパートに吸収されただろう。あれ、実は吸音材と遮音材でな、それを部屋の隙間に敷き詰めたんだ」
「なにそれ?」
エミリーがこちらを向く。
「吟遊詩人だろうがなんだろうが、魔力が乗っても音は音。まずはその音を吸音材で各所に逃がすんだ。そこで使ったのがゴーレムの残骸だ。ゴーレムの残骸を板に混ぜたもの、これが吸音材の正体。でもこれだけだと完璧にはならん。そこでもう一つ使うのが遮音材。外部に音を漏らさないようにする跳ね返すものだ。これに用いたのがスライムの外郭ってわけだ。それを板と融合して、全部の部屋の壁に組み込んだ。ただそれだけだと空気が悪くなる。だから風脈のクリスタルを入れて空気の循環を良くした、ってわけだ」
「つまり、音に悩まされることはもうねぇってことなのか?!」
「ああ。そうだと思ってくれていい」
そうガイアが言った瞬間、冒険者から歓声が上がった。
「す、すげぇ! これで剣の音も出し放題だ!」
「ああ、夜間に剣研ぎとかするの悪いと思ってたしな!」
冒険者が口々に感想をいう中、吟遊詩人が一歩、前に出た。
「皆さん、本当に僕のせいでご迷惑をおかけしました! だけど、これからは皆さんのお役に立てるように、もっと練習を積み重ねていきます! 傲慢かもしれませんが、あの音律の貴公子さんのように皆さんのお役に立てるような、立派な吟遊詩人になってみせます!」
そういった瞬間、多くの冒険者が涙した。
「こっちこそ悪かったぜ。吟遊詩人の効果を疑ってたが、まさかこれほど楽になるとはな」
「ホントに驚いたぜ。うちのパーティに来るなら、いつでも歓迎するぞ」
「いーや、俺は最初からこいつはすげぇって思ってたから、まずは俺のところだな」
「何調子の良いこと言ってんだ、おめーは!」
冒険者の活気が、ガイアにはよく伝わってきた。
そういう仲間意識がすぐに芽生えるあたり、エミリーの人を見る目はやはり確かだと、ガイアは実感した。
「ありがとね、ガイア。ホントに助かったわ。これであの子追い出さなくて済むもの」
「何、これで防音の能力が実証されたからな。俺もこれを論文にまとめて学会で発表する。そうすりゃ吟遊詩人の志願者はより増える。冒険者にとっては助かるだろうさ」
「確かに、こういう防音ができれば、近郊に住める様になるわね。これ、あなたも忙しくなるんじゃない?」
「そうだな。忙しくなりそうだ」
だが、今まだ解決していない疑問があったのをガイアは思い出した。
「そういや、対角線の住人ちょっといいか?」
「ん、なんすか?」
「いや、お前さんの部屋からも音が聞こえたって言ってただろ? どんな音だった?」
「ああ、地鳴りみたいな、そんな音っす」
そう言うと、その部屋の隣に住んでいる冒険者が、恥ずかしそうに手を上げた。
「わ、悪ぃ、それ俺のいびきかもしれねぇ……」
全員が、引いていた。
あっさり解決したとはいえ、こんなことが原因だったのかと、ガイアは呆れて物も言えなかった。
「マジかよ……」
「地鳴りみてぇないびきってどんだけだよ……」
一気にシンとなってしまったが、吟遊詩人が一つ、ぽんと手を叩いた。
「でも、これで音に悩まされる心配もなくなったじゃないですか。きっとその音にも悩まされずに済みますよ」
「それもそうかもしれねぇな。ま、いっかぁ」
「本当にガイアさんにはなんとお礼を言ったらいいか……。これで僕も、恋人と同居できます!」
言った瞬間、エミリーの顔が凍った。
「え、え、こ、恋人……? ど、どういうことなのかな……?」
明らかにエミリーは動揺している。
本当に惚れてたんかと、呆れざるを得なかった。
「実を言うと、前にパーティを組んだ回復士のジョブの女性と付き合ってまして……。で、気づけば互いに思い合ってて……。それで、近い内に一緒に暮らそうってなってたんですけど、騒音対策が厄介でなかなか住むことができなくて……。でも、これでなんとかなりそうです! ありがとうございます!」
冒険者からは歓声が上がるし、羨ましいなどと声が上がる。
これほどできた男に惚れる女は多いだろうし、正直恋人くらいいても不思議じゃないなとガイアは思っていた。
だがエミリーはそうではなかったらしく、表面上笑っているが、顔は青ざめていた。
「お、終わった……。私の恋、また終わった……」
そう、またなのだ。正直いい男だと見定めては恋をするのだが、失敗が多すぎる。その度にエミリーのやけ酒に付き合わされ、もう何回目かガイアは覚えてすらいない。
もてはやされる吟遊詩人をよそに、エミリーの沈み込みは半端ではなかった。
「ま、次の相手を探すことだな」
「そんな~……。ガイアいい男紹介してよ~……」
「俺に聞かれても困る」
その夜、エミリーのやけ酒にガイアが付き合わされたのは言うまでもない。
こいつとの腐れ縁はまだ続きそうだなと、ガイアは苦笑した。
数日後、ガイアの建築事務所にまた別の顧客から新たな依頼が舞い込んだ。
「炎使いの魔法師の方が入居を希望されているのですが……。そのまま魔法の練習をしたらアパートが燃えてしまいますし……」
「なるほど。確かに難儀だけど、なんとかなりそうだな。いいだろう、依頼を引き受ける」
ガイアの建築仕事は、今日も続いていく。
(了)