菌と熊
わたしの名はゲンキ。そう名付けられたただのキノコだ。いや、語弊があったか。私は魔族となった毒キノコであって、ただのキノコではない。元々は魔物であるこの体の特性を利用し、宿主に力を分け与えるビジネスをとある森にて生業としていた。
しかし、わたしの友人である熊の魔獣、通称クママルが森を去ると聞き、わたしも彼と共に魔族の国なる場所へと引っ越す事にしたのだ。その結果今の今まで実に平和に過ごしていたのだが…
目の前で起きている惨状は平和とは程遠いものであった。まるでアリの大群が攻め込んでいるかのような人数の鎧を纏った人間共が攻めてきたのだ。
我が友クママルはわたしが傷つかぬよう背中にわたしを寄生させ、背を壁にしながら人間共を捌くが…包み隠さずに言うなれば劣勢だ。いくら腕力の強いクママルだったとしても全ての剣や魔法を防ぎ切れる訳では無い。戦闘時にクママルが装着する肉の鎧も随分と破壊され、露になったその肉体に騎士達の攻撃が仕掛けられる。
『クママル、大丈夫か?』
彼の脳に直接信号を送り、彼に自分の意志を伝える。すると彼は騎士達を薙ぎ払いながら強く念じた。
『この数…死ぬかもしれねぇ…!』
『わたしを庇うのはもうやめろ。今はとにかく逃げる事を考えろ』
『キノコなんか一刺しでお陀仏だ!ここは退けねぇ…!』
『世は弱肉強食だとよく言っていただろう?弱い者が死ぬのは当たり前だと』
『うるせぇ!俺が何とかする…!』
話を聞かない友人に、わたしは頭を悩ませる。彼は実に単細胞だ。自分がそうだと信じれば突き進むのみ、つまりは命知らずだ。そんな彼にわたしは無い口で溜め息をつく。
『いいか?よく聞け、わたしに良い考えがある』
『あ?』
『わたしを敵軍の主将の元へと連れて行くんだ。誰にも気付かれぬように脳へ寄生し、撤退命令を下す。人間の社会というものは上の言う事を忠実に守らねばならぬ世界だからな』
『主将に…?お前見てないのかよ、結界を破ったのはシャンだぞ?ユウドで俺達あいつのせいでとんでもない目に遭っただろ』
『やるしかないだろう。とにかく騎士を蹴散らして進め。その後はわたしが何とかする』
『簡単に言うなよ…!こいつら、一人一人が強いんだぞ!』
「見切った!足元がお留守だぞ!魔獣め!」
「ガルッ!?」
空を切る音がしたと思った次の瞬間、クママルの顔に血液がべったりと飛び散った。そしてそのまま彼は力が抜けたように四つん這いになって地に伏せてしまったのだ。彼の足元を見てみると鮮血が溢れて止まぬ、深い切り傷を残した右脚が見えた。
そんな彼を騎士達は囲む。動けなくなった標的を前に、とどめを刺す準備を整えているのだ。
『クママル…』
『馬鹿野郎…これぐらい何ともねぇよ!』
『お前の神経はとてつもない痛みを訴えている。それにもう、その脚は動かせないだろう?』
『だからどうしたよ…!』
『お前…』
『まだ知り合ってから日は浅いが、仲間達の暮らす場所なんだよ…!肩を焼き焦がれた俺を仕留めるどころか、治療してくれた奴らが居るんだ…!弱肉強食のこの世界で損得勘定抜きで優しくされたのは初めてだ…!』
『お前の記憶は覗かせてもらったからよく分かっている。だが、ここは引くんだ。わたしの目論見も甘かった。わたし達では奴らには敵わない。それに、昨日グロテスクが言っていただろう。お前は別世界では死んでいるんだぞ』
『死んでもいいさ…!その覚悟を抱いてない奴は野生で生きていけやしねぇよ…!俺は命をもってこの恩を返す!』
『クママル!』
『だからもう少し力を貸してくれや…親友!』
『っ…』
「グオォォォォォォォオオオオオ!!!」
「こいつっ!?まだ動けるのか!」
「ウオォォォォォォォオオオオオ!!!」
クママルはわたしの力を使い、両腕を振り回しながら立ち上がった。その行動に何人かの騎士は腕に巻き込まれて戦線離脱するが、まだまだ悠に二十人を超える数の騎士達はわたし達の事を囲んでいる。
しかも無理をしたせいかただでさえ出血していたその足からは血が更に勢い良く滝のように流れ始めていた。元々既に負っていた傷の事を考えると、この量の血は明らかに命に関わる。にも関わらず、クママルの目は死んでいなかった。
「怯むな!たった一匹の魔族が村を滅ぼす様を俺達は何度も見てきた筈だ!向こうは重傷、俺達の命に替えても脅威を取り除くんだ!」
「「「うぉー!!!」」」
「ガァアァァァアァアウ!!!」
もう無理だ。友は止まらない。そして友に向けられた刃も収まる気配は無い。今のわたしに出来る事と言えば、クママルに力を分け与える事だけだ。それ以外に、出来る事がない。無理にやれる事を探そうとするならば、神頼みをするぐらいか。
だが…そんな神頼みだけでは変えられない現実がある事を、私は思い知らされた。
「グァァァァァァア!?」
「はぁっ…はぁっ……やりました!胸に氷の槍を突き刺せました!」
「ご苦労!単純な腕力では劣っていても…私達には仲間が居る!一人が機動力を削ぎ、一人が守りを剥がし、一人が渾身の一撃を与える!それが我ら戦士の根源、絆だ!」
「グゥ…ガァァオウ!!!」
「団長から貴様の相手を任された以上、負けられぬのだ!王直騎士団第九部隊の隊長として、人々と部下の命は私が守る!」
熟練された戦士しか持ち得ない、空気が張り詰めるような気迫。そんな気迫を乗せた一人の男は剣を構え、苦しむクママルの事を真っ直ぐと見つめた。
『クママル…!』
『ゲンキ…』
『何を差し置いてでも逃げろ!このままでは…お前は…!』
『はは…力がもう、出ないんだ。プルアの奴との対決の後でもここまで疲れてはなかったかな…』
『っ…』
『最後に…これだけは言わせてくれ』
剣を構えた男は飛び上がり、その剣先をクママルの頭部へと向ける。その剣は嫌に幻想的な青い光を放っていた。
「『ブルームーン!』」
『ゲンキ…今までありがとうな。後は頼んだぜ、相棒』
『クママ…』
次の瞬間、辺りには金属音が響いた。
「むぅ…?」
「…間に合った」
輝く剣は弾かれ、空中を回転しながら地面に突き刺さる。そしてそれを確認した隊長を名乗る男は引いた。
あのまま行けば、確かにクママルは抵抗虚しく騎士の剣によって脳天を貫かれていた筈だ。だがしかし、騎士が剣を突き刺そうとした瞬間、クママルと騎士の間に一つの黒い影が入り込んできたのだ。その者は剣を腕で受け止め、騎士を下がらせる事に成功したのだ。
「隊長!?大丈夫ですか!」
「あぁ、大丈夫だ。…貴様何者だ」
騎士の一撃を防いだその人物は人型であるものの、とても人間には見えなかった。その小柄な身体にはびっしりと黒い色をした鱗のようなものが全身を覆い、一切の肌も露出してはいなかった。まるで黒の鎧を着ているかのように見えるその人物の唯一見える口からは鋭い歯がキラリと光を反射している。
その謎の人物は騎士に向けて言い放つ。
「主に無断で国へと攻め込むとは…礼儀がなっていない」
「主だと?貴様、まさか…」
謎の人物は掌を騎士達に向けて翳す。すると、彼女の手には底の見えない深い闇が出現した。その魔法を見て、わたしとクママルも彼女が何者なのかを理解した。
「私の名はリィハー・エイレイト。この国、『リィロント』の王であり、魔族を統べる者である」
「こいつが王だと…?」
「隊長!増援を呼びましょう!王を討ち取れば向こうの士気は下がる筈です!」
「う、うむ!そうだな!」
「無礼者。この国にて、王に逆らえると思うな」
すると突然、世界が見えなくなった。一瞬にして辺り一帯をリィハーが闇魔法で包んだのだ。光が通らない程の闇、互いの姿すら見えない深い闇の中では狼狽えたような声を出す事しか出来ないのであった。
そして、騎士達の声は消えた。何が起こったのかと困惑していると闇が晴れ、そこには目を閉じて倒れ込む騎士達の姿と、その中心に佇む異形のリィハーの姿があった。
彼女はわたし達に向けて微笑みかける。
「視界を奪われた人間は無力。いくら手練であろうとこの私には敵わない」
「グオ…」
「ん、この姿が気になる?これは…『病気』のようなものかな」
「ガウ…?」
「そんな事より、二人とも急ぐよ。とうとうこの国を捨てて逃げる時がきた。この戦力差ではどうにもならない」
「グル…!?ガウ!ガウ!」
「国民さえ生き残ってれば国なんてどうなってもいい。だから急いで。外でアカマルが待ってるから、そこまで行けば安全な筈。グロテスク、プラント、プルア、ディドの四人は私が責任をもって探しておくから」
「グルル…!」
「その傷じゃろくに戦えないでしょ?それに、外でキャロとはぐれた。だからお願い」
「……ガウ」
クママルは納得したように大人しくなる。その様子を見てリィハーは満足そうに笑うと、こちらに背を向けた。
「入口付近の騎士達は粗方片付けておいた。ご武運を」
そう言い残し、彼女は何処かへと飛び去って行く。きっと残りの住人達を探しに行ったのだ。そんな彼女の背中を見送り、わたしはクママルに話しかける。
『色々と疑問はあるだろうが、今は逃げるぞ。歩けるか?』
『当たり前だろうが…いてて…』
その後もわたし達の脳裏にはしばらく王の知られざる姿がこびり付いていた。今の彼女はユウドで戦っていた時よりもずっと強い。それはやはり、あの異質な姿が起因しているのであろうか。
そんな疑問を抱えたまま、わたし達は逃げ出した。
ウニストスでのお話の時にリィハーが言っていた国の名前がついに出ました。出すタイミングが無かったのは内緒です。
リィロント…国の創立者であるリィハーとプラントの名前から取ってありますね。そんな中、間にロが挟まれているのはきっと、彼女のお気に入りの友達の名前から取っているからなのでしょう。彼女なりの愛情表現というものです。