残されたもの
「この町とももうお別れ…か。居た時間は短かったけど、長く感じたなぁ」
目の前に聳え立つ、ウニストスの校舎はあんな事件が起きても尚その風格を失わずに畳んずでいた。そんなウニストスを見上げ、私はホッと息を吐く。
そうして穏やかな気持ちで帰ろうとしていたのだが…そんな私の目論見は上手くはいかなかったようだ。突然私の上に大きな影が覆い被さる。それは…銀色の髪をした一人の女子生徒である。
「キャロちゃん、リィちゃん…また来てねぇ…!待ってるからねぇ!」
「ぐ、グレーさん…苦しい」
「そりゃもう居なくなっちゃうんだもん!今のうちに沢山匂いを嗅いでおかないと…すぅー」
変質者を前に苦笑いをしながらふと横を見てみると、私と同じくグレーさんに抱き締められるリィちゃんと目が合った。彼女は感情を失った瞳でちらりとグレーさんの方を見る。
「これ、どうする?世の子供達の為に退治しておくべき?」
「うーん…うん」
「よし」
「何を物騒な事を話してるの!?」
そうして目を見開くグレーさんに、彼女の後ろに居た友人達は笑う。アガリさん、タクさん、そして僅かに口角を上げるシズカさん。彼らと過ごした時間も短かったが、彼らも私達のお見送りに来てくれたのだ。
しかし、そんな彼らの中にウェルフルさんとテンメイさんの姿は見えない。それに加え、アカマルさえもこの場に居ないのだ。一体何をしているのだろうと様々な想像をしていると、アガリさんがその気持ちを見透かしたのか口を開く。
「今、三人は大事な話をしている。ケイトさん…アカマルさん?からは『後から追い付くから先に行っててくれ』と伝言を預かっている」
「そっか。ありがとう、アガリさん」
「いや、感謝と謝罪を伝えねばならないのはこちらの方だ。本来我々生徒会でどうにかすべき問題にまだ幼い君達を巻き込んでしまった。大変申し訳ない」
そう言って生真面目なアガリさんは深々と頭を下げる。彼はそう言うが、私達はこの学校に眠る魔道具を奪いに来た盗人だ。本来悪人であった筈の立場として彼に頭を下げられると何だか罪悪感が湧いてしまう。
それに、実際この学校で起きた出来事を解決したのは彼らだ。シークイさんを成仏させたのもシズカさん、メアリーさんを退けたのもグレーさん、暴走するアカマルを元に戻してくれたのもウェルフルさんだ。アカマルはともかく、私とリィちゃんがした事といえば洗脳された生徒達を無力化させたぐらいだ。
そんな私は…
「頭を上げてくださいアガリさん!」
それしか言えなかった。本当はより深く謝罪をしたい気持ちで一杯だったが…あまり言うと砂時計を狙っていたのがバレてしまうかもしれない。そもそも前提として魔族であるアカマルの仲間だというのは向こうに知られているのだ。あまり妙な事は言わない方が良いだろう。
しかしやはりそこは見過ごせないようで、眼鏡越しに目を細めながらタクさんが語りかけてくる。
「なぁ…お前達って何者なんだ?」
「え、…っとですね」
回答に困り果てていると、隣のリィちゃんが代わりに口を開いた。
「魔族」
「いやまぁそうだよなぁ。しかもオマケに闇魔法を使えるとなっちゃあなぁ…」
彼がそう言うと、タクさんの隣に立つアガリさんがゴホンと咳払いをする。
「タク」
「…分かってるよ。もうそういう次元の話じゃないもんな。メアリーだって、別の道を歩む魔族だったけど俺達の仲間だ。それに…シラツラの事だって、俺があいつを魔族として見てたからこそ起こってしまった悲劇だ。もう、立場や種族で相手を見るのはやめだ」
「驚いたな。お前も成長するのか」
「どういう意味だアガリ?喧嘩か?」
そうしてバチバチに視線を飛ばし合う元恋のライバル達を他所に、グレーさんは私達の方を見る。
「実際、二人は世界を敵に回してしまうような立ち位置に居る。けど…自分を信じなくちゃ、理想を信じなくちゃだめだからね。絶対に挫けちゃだめだよ」
「グレーさん…」
「この世に悪い子供なんて居ないんだから!ね?もし何かあったらまた来ていいからね。短い付き合いだったけど、待ってるから」
「…うん。ありがとう、グレーさん」
グレーさんは微笑み、私達を抱き締める力を弱めた。そして自由になったリィちゃんは帰ろうと一歩を踏み出すが…彼女は一歩も動かない私の方を見る。そしてグレーさんの方を見たまま固まる私に、彼女は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや…何だか、グレーさんの笑顔が知ってる人と重なって」
「ふぅん?」
「…もう会えないけど、たったの一週間で色々私に影響を与えてくれた人だった。何で思い出しちゃったんだろう」
センチメンタルな気持ちになって目を細める私に、グレーさんは左手を肩に乗せてきた。
「その人がどんな人だったのかは知らないけど、キャロちゃんがそう言うんだからきっと素敵な人だったんだろうね」
「うん。…少し変態っぽい所もあったけど、尊敬出来る、生まれて初めて見た外界の人間だった。その人は私達に色んな事を教えてくれたんだ」
「…私もさ、色々な事を教えてくれた、尊敬出来るお兄ちゃんが居るんだ。けど、もうしばらく連絡付かない。危険なお仕事をしてたから、多分もう…」
「グレーさん…」
「けど、死んだら終わりじゃない。…それはシラツラやシークイのように幽霊になるって意味じゃなくて、その人が生きていた証が誰かの心に刻まれてるって事。私はお兄ちゃんに貰った考え方や楽しかった思い出を胸に抱いて生きている。だからキャロちゃんも、失ってしまった人の分まで生きて」
「………」
失ってしまった人。…ホワイトさんだけじゃなくて、村の皆んなもそうだ。お母さん、お爺ちゃん、ニオン、ロコ、それにテト。グレーさんの言葉を聞いて…大切だった人達の笑い顔が鮮明に思い出されてしまった。その笑い顔が好きだった。けど…今はもう、それを想像するだけで胸が苦しくなってしまう。
そんな考えが顔に出ていたのか…一つの暖かい手が私の頭を撫でた。
「リィちゃん…」
「独りじゃない。…一緒に頑張ろ」
「…うん、ありがとう」
私は溢れそうになった涙を堪え、リィちゃんの手をぎゅっと握った。私と同じくらいの大きさ。同じくらいの体温。そんな彼女の優しい手を、私は固く握り締めていた。
そして、グレーさん達の方を振り返る。
「それじゃあ…生徒会の皆さんも、お元気で!また来るよ!」
「バイバイ、キャロちゃん!リィちゃん!いつでも待ってるからね!」
「うむッ!次回は平和になった校舎で色んなものを見せてやるッ!将来ウニストスに通う事もあるかもしれんしなッ!」
「あー…じゃあ、その時までに俺ももっと頑張らないとなぁ。…いじめも何も無い、綺麗で健全な学校にするよ」
「楽しみにしてるよ!それじゃあ、ばいばい!」
私達は彼らに手を振り、ウニストスの校門を抜けた。道中で何度も振り返るが、彼らは一歩も動かずに私達を見送っているようだ。そんな義理堅い彼らの行動に敬意を示していると、ふと隣のリィちゃんが気になった。
「そういえばリィちゃんはお別れを告げなくても良かったの?」
「どうせまたすぐに会う事になるから別にいい。今回は諦めたけど、逆さの砂時計を取りに来る」
「やっぱりそうだよねー。その時はまた一緒に来よう!…盗むのはちょっと罪悪感あるけど」
「それに…今回、死人は出なかったにせよアカマルは生徒達に怪我と恐怖を与えた。王として、へらへらと別れを告げる事は許されない」
「…そっか。リィちゃんは真面目だね」
「キャロと違ってね」
「どういう意味…?」
「冗談。そんな事より、お出迎えだよ」
「え?」
言葉を交わしながら活気ある街道を歩いていると、リィちゃんが突然前方を指差した。するとそこには…一人の見覚えのある人物が立っていた。青い髪に、眼鏡越しの落ち着き払った瞳。それは何処からどう見ても、先程別れを告げた会長さん、シズカであった。彼はいつの間にか先回りしていたのだ。
そこで私は思い出す。そういえば、シークイさんとの戦いの時、彼は実体を失ってシークイさんとシラツラさんと共に別空間へと移動していた。恐らく一時的に肉体を幽霊と同じ性質へと変化させられるのであろう。よって、地面をすり抜けて私達よりも早く移動したのだ。その証拠に彼の身体はほんのりと透明感を感じさせる。
そんな彼は全く足音を鳴らさずに石で出来た地面を歩くと、私達の前に立った。
「会長さん、どうしたの?」
「………」
「会長さん?」
「…僕は、幽霊について研究し、霊となる魔法を使えるようになった。だからこそ、誰よりも霊という存在について理解がある」
「霊について…?」
「霊とは本来存在しないもの。何者かの想いが形になったもの。霊は魔族でありながらも、魔族が生まれるよりもずっと前に存在していた古のメカニズム」
「それってどういう…」
「本題から逸れたね。…これを」
彼が握った手を差し出したのを見て、私も慌てて両手を伸ばす。するとトスッとほんの少しの重量を感じさせる硬い物体が彼の手から私の手へと手渡された。
その物体は…色の無い、真っ黒な小箱であった。せいぜい指輪程度しか入らないであろうサイズ感の箱をぼうっと見つめていると、シズカさんは語り始めた。
「それは君の友達からだ」
「私の…友達…?」
「そう。その霊は君の事をずっと気にかけていた。…村の惨劇が起きた時、君を残して死んでしまった事を深く反省していたよ」
「…そっか。テト、ニオン、ロコのうちの誰かの…でもどうやってそんな物を?」
「その箱も一種の霊だ。本来存在しない筈なのに、確かな形を持って存在している。…今はまだ、その箱を開ける事は出来ない。けど、時が来ればきっと開く筈…と君の友達は言ってたよ」
「…ありがとう、会長さん」
「お礼は天国から見ている君の友達に。…それじゃ」
そう言い残し、会長さんの姿は光となって消えていった。きっと皆んなの待つウニストスへと帰ったのだろう。そんな消えて行く光が完全に消え去るまで、私はその光に手を振っていた。
そして光が完全に消えた時…小さな手が再び私の手をぎゅっと握る。その感触に驚いて手が伸びてきた方向を見てみると、そこには小さく口角を上げるリィちゃんの姿があった。
「天国で見てるって。良かったね」
「…そうだね。一人になっちゃったと思ってたけど…皆んなが見守ってくれてたみたい」
「そもそも一人じゃないでしょ」
「そうだった。…リィちゃんや皆んながいるもんね」
「うむ。キャロの友達以上にキャロの事を大切にしてやろう」
「ありがとう。じゃあ、私もそうするね」
「天国から見てる友達達、悪いな。キャロは私が貰った」
「貰われちゃった」
ふふっと互いに冗談っぽく笑い、私達は通行人を避けながらこの美しい町を走った。片方の手には居なくなってしまった友人からの贈り物を、そしてもう片方の手にはかけがえのない今の友人の暖かな手を握りしめて。
ある有名な漫画の台詞で『人はいつ死ぬと思う?人に忘れ去られた時さ』という言葉があります。
実際、私はその通りだと思っています。自分の存在が消え去る事があっても、きっと自分が誰かに与えた影響や思い出は小さな自分の分身として誰かの中で生き続けるのです。そうして自分の事を覚えていてくれる人の心の一部に自分が居て、その人と共に生きていくのです。
そして自分が誰かに残した想いや考え方を、その人が第三者に与えるかもしれません。きっとそうした小さな連鎖が長い長い年月をかけて人間という種を良い方向に変えていくんだと思います。そういう意味では、私達は不死身かもしれませんね。




