贖罪
「ん…」
硬い床の感触に、自分は目を覚ましたのだと私様は理解する。目を開けてみればそこは仄暗い、樽や木箱が至る所に置かれた簡素な部屋であった。消えかけの照明と古臭い匂いに、私様はここがウニストスの地下室である事を理解する。
そして、古臭い匂いの中には異臭もあった。薄々感づきながらも後ろを見てみると、そこには壁に寄りかかって座り込む一人の人間の姿があった。青いショートヘアの、学生服を来た女子。そんな彼女の腹には風穴が空いていた。
その少女の姿と手元に転がっている包丁を見れば明白だ。…これは、シークイの遺体だ。
「シークイ…ごめんな。私様がもっと早くにお前達の気持ちに気付いてやれてたらな」
居た堪れない気持ちでシークイを見つめていると、背後からコツンコツンと足音がした。その静かな部屋に居る自分以外の存在に、私様は振り返る。
するとそこには私様が居た。…いや、違う。私様にそっくりな人物と言った方が正しいであろう。そんな彼女はバツが悪そうに目を逸らしていた。
「私様が生きてるって事は…ちゃんと私様の遺言を聞いてくれたみたいだな、ケイト」
「………」
黙り込むケイトを他所に、私はシークイの方に向き直る。
「体内に清澄の魔石を取り込んだ者は魔族となる。だが、魔族としてのシークイは幽霊で、魂だけの存在だった。だからこそ、アイツが消えてもアイツの遺体にはまだ魔石が残ってたんだよな」
「………」
「お前は私様の意図に気付き、シークイの遺体から私の遺体に魔石を移したんだろ?ありがとな、助かった」
「………」
一向に口を開こうとしない友人に、私は深い溜め息をついた。
「おい、何とか言ってみろよ?ようやっと落ち着いて会話が出来るようになったんだからさ」
「…ごめん」
「あー、そうだな。お前が勝手に楽しみにしてたおやつのデザートを食いやがった事は今でも許してないぜ」
「そうじゃなくて…私は…」
ケイトは歯を食いしばり、拳に力を込めた。
「私は…親友であるウェルフルを裏切った。自分の罪に耐え切れなくて、推し潰れそうで…その重圧から逃れる為に一番大切な人を犠牲にしようとした。殺そうとして、心配かけて…ようやく再開したのに散々ウェルフルの事を苦しめて、死なせて…」
「何だよ、そんな話か?」
「だって…!私のせいで、ウェルフルは『幽霊』に…」
ケイトは涙を浮かべながらシークイの隣に座り込む『私の死体』を見つめた。そう、今の私様は身体との接続を失った、幽霊なのだ。ケイトが魔石を移した時点でこうなる運命だったのだ。
しかし、そんなのは私様にとっては些細な事であった。私は肩を竦めて彼女に言う。
「幽霊っつってもなぁ、あんま死んでる実感ねぇしな」
「魔族になったって事は…もう人間の仲間として生きていけないって事…ウェルフルの居場所を、私が奪ったんだ…!」
「そうか?」
「え…?」
「お前は悲観的すぎんだよ。物事をもっとポジティブに考えようぜ」
ぽかんとするケイトに、私は笑いながら語りかけた。
「人は誰しも死ぬ。それはもう決まった事だ。けどよ、幽霊になったって事は無限にこの場に留まれるんだろ?つまりだ。本来ウニストスは私様という超有能な人材を寿命というつまらない理由で失っていた訳だ。けど、幽霊になったなら無限に生徒達の事を指導出来る。以前より状況としてはずっと良いぜ!」
「でも…ウェルフルが魔族なのがバレたら…」
「バレたらどうなる?」
「…人は魔族を憎んでいる。だからウェルフルは消されちゃうかもしれない」
「アーッハッハ!」
「何で笑うの…!?」
「お前なぁ、自分の言ってた事思い出してみろよ!」
私様はニヤリと笑い、彼女に向けて親指を突き立てた。
「『ウェルフルは最強』なんだぜ?どんな奴が来ようと返り討ちにしてやんよ!そして無理矢理にでも生徒達に教育を受けさせる!…こんな世界なんだ、きちんと魔法学を学ばせればその分助かる命だってある筈だ」
「ウェルフル…」
「ま、早い話ワクワクが止まんねーってこった!つー事で、他に何か問題でも?」
しかし相変わらずケイトは浮かない顔を浮かべていた。
「でも…私は最低なのは変わらない。もし少しでも何かが噛み合わなければ、ウェルフルは永遠に失われてたかもしれないのに…」
「お前さぁ…何か勘違いしてるみてぇだからハッキリ言ってやるよ」
「勘違い…?」
私様は立ち上がり、彼女の肩にポンと手を置く。
「私様は確かに怒ってるさ。どうして相談しなかったんだーとか、長らく放置しやがってーとかな」
「………」
「けどよ、そんな感触がどーでもよくなるぐらい私様は喜んでるんだよ。お前がこうして五体満足で私様の元へ戻って来てくれてよ」
「でも…」
「でもじゃねぇ。…お前が本当に償いたいと思っているなら、いい加減立ち直れ。私様はあの頃の元気なお前が見たい」
「………」
「ま、とにかく座ろうや」
私様は無理矢理彼女の事を座らせると、自分もその隣に座る。そして俯く彼女に言い聞かせた。
「あの事件はお前にとって相当ショックだったろうな。同じ家で暮らす、言わば家族達が全員殺されてよ。当時何が起きていたかは知らねぇが、きっとお前も相当の恐怖を植え付けられた筈だ。…あのシンシャの野郎の悪行を暴いてボコボコにしてやったが、お前の気持ちを思うとまだまだ殴り足りねぇな」
「………」
「で、そんな事件が起きてお前は思った。『自分がもっと強ければ皆んなを救えたのに』と。そうだろ?」
「…うん」
「お前に教えてやるよ。どうして私様は強いのか」
「どうして強いのか…?」
「何歳の頃だったかなぁ。町の外で遊んでたらよ、自分より小さな小僧が目の前で魔族に食われた」
「っ…」
「その時、私は思い知った。この世界に神なんてもんは居ない。自分が強くなるしかないんだと」
「…そうだよ。だからもし、私が強かったなら皆んなは…」
「言ったばっかだろうが。この世界に神は居ねぇって。…ケイト、お前は神なのか?」
「………」
「理想が全て叶う訳じゃねぇんだ。私達は人間なんだからよ、生きてりゃ無限に後悔やら悲しみやらが募るんだ。私様はそうは思わねぇが、もし仮におめぇの家のもんが全滅したのがお前のせいだったとしても、それはしゃーないだろ。自分じゃどうにもならねぇ事だってあんだ」
「………」
「人間は完璧じゃねぇ。嫌な事はいくらでも起こる。…そんな不完全な存在だからこそ、人間は群れるんだ。意地汚く自分のドス黒い感情を周りにぶつけてみろよ。自分一人で悪い感情を増幅させるより、誰かと一緒にその気持ちを処理した方がずっと合理的ってもんだ」
「ウェルフルは…どうしてこんな私に優しくしてくれるの…?」
「答えはもう分かってんじゃねぇのか?」
こちらを見つめる青い瞳に、私様は微笑みかけた。
「親友だろ」
それは何の変哲もない、当たり前の言葉だった。…そして、この数年間、ずっと言えてなかった言葉。ただ自分達の関係を現す単語でしかないのだ。
それなのに、ケイトは泣いていた。当たり前だった筈の、失った筈の言葉を噛み締めていた。彼女は魔族になって肉体も屈強にはなったものの、その姿は昔と変わらない。泣き虫な私様の宝物はあの頃と何も変わっていないのだ。
そんな彼女の頭を私様は優しく擦る。
「おかえり。ケイト」
「た…た……」
彼女は泣き崩れたその顔で、私の胸に抱き着いた。
「ただいまっ…」
幽霊となった私にはもう、彼女の温もりは伝わらない。それでも…きっと今のケイトは、あの頃と同じ暖かい手をしている筈だ。その懐かしい感触を思い出し、私様は思わず微笑んでしまう。
こうして彼女が背負っていた罪、そして彼女に言えず喉に詰まったままだった私様の言葉は…ようやく、消えた。
自分が酷く傷付いた時、きっと傍に居る大切な人も辛い筈です。周りを傷付けないように辛さを隠し通せという話ではありません。
人という字は人と人が支え合って出来ています。自分が辛い時は相手を巻き込み、相手が辛い時は自分が巻き込まれる。何でも出来る超人なんて居ないんですから、弱い自分を隠さないで下さい。大切な貴方の力になれる事が相手にとっての幸福である筈です。迷惑をかけるのは人間として当たり前の事なんです。