赤き門
「死なないと出られない部屋…!?」
驚きのあまりオウム返しをする私に、彼女はこくりと可愛らしく頷いた。
「そうだよ。その部屋はねっ、中で誰かが命を失わないと脱出する事が出来ないの。例え私の魔力量を超えた魔法をぶつけたとしても、その壁は傷一つ付かない」
「………」
「こんな無茶苦茶な魔法でも、砂時計の力を借りれば使えるようになる。私の魔力量は普遍的なものなのに、それでも砂時計を手にしたこの瞬間は他の生物を凌駕する。どう?スーパーアイドルが一番強くて可愛いの、素敵じゃない?」
メアリーは胸を張ってこれ以上ないぐらいのしたり顔を浮かべる。だがそんな彼女に、私は言った。
「えぇ、本当に凄い魔法だわ。本来なら為す術もなく死んでいたわね」
「…まるで死なないみたいな口振りじゃないですか?」
「死なないわよ。…貴女のその、狂気に満ちた執着のお陰で」
私は人差し指を立て、その指を自分の目に向けた。するとメアリーは私の意図を理解したのか焦ったような表情を浮かべる。
そして次の瞬間、私の指先からは小さな炎が生み出された。その炎は私の網膜を炙り、不愉快な熱気と痛みを私に与える。
その結果、私を包んでいた透明の壁は消える事となった。私はトンと華麗に着地をすると痛む片目を閉じながら、呆然とするメアリーに言ってやった。
「さっき、『中で誰かが命を失わないと出られない』って言ってたわよね?つまり、私以外が命を落としても出られるって事よ」
「………」
「会長から聞いた。メアリー、皆んなの目に景色虫を寄生させてたんだよね?少し火傷しちゃったけど、目に張り付いていた景色虫は死んだわ」
「…はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
そうして深い溜め息をつくその声は、まるでメアリーの声ではないみたいに醜悪さを晒していた。彼女は虚ろな瞳を下に向け、まるで悪霊に取り憑かれたかのと思ってしまう程ヒステリックに頭を掻きむしった。
「確かに本体は一匹だけで、それ以外の景色虫達はただの分身に過ぎない。けどなぁ、目の前で同胞と同じ姿をした存在が殺されてくのはなんだかなぁ」
「ごめんなさい、他に方法が無くて」
「そもそもさぁ…グレーさんもシズカさんもさぁ…何で私に見蕩れないかなぁ…!?他の皆んなはちゃあぁんと寄生したら私に好意を抱くようになったのに…君達はどうしたって虜に出来ないんだよ!煩わしい…!」
「…言いたくないけど、私にはその理由が分かる」
「あぁ?」
苛つく彼女とは対照的に、その時の私は落ち着き払っていた。しかし、ドクンドクンと緊張から心臓が高鳴る。そんな心臓を両手で抑えながら、私は静かに言った。
「誰にも言った事の無い…秘密なんだけどね…」
「何?」
「…私、好きな人がいるんだ」
「は…?」
その言葉に、頭を搔くメアリーの手は止まった。彼女は放心しているのか口を開けたまま、私を見た事のない生物を見るかのような眼差しを向けたまま固まってしまった。
そんな彼女を前に、私は続ける。
「乙女らしさの欠片も無い私がこんな事言うなんて、おかしいよね。でも…この気持ちは本物なんだ。その人はね、皆んなから尊敬されてて、クールでかっこいいって言われてる。けど本当は気弱で、口下手なだけの男の子。…優しくて、誰よりも純粋な男の子。他の人には見せないくせに、私と二人きりの時にはよく見せてくれる笑顔が大好き」
「………」
「だから…メアリーが世界一の美人に見えていても、私の気持ちは揺るがなかった。メアリーを好いちゃうのが本能だったとしても、私の指にはもう…赤い糸が絡まってるんだ。…そう、願ってるんだ」
「…何それ」
「………」
「何だよ…それっ…!」
メアリーは過呼吸気味に叫ぶと、私に一歩近付いた。
「私の魅力が誰かに負けたって事?ねぇ、何で?私は…世界一可愛いスイミちゃんなのに…!」
「メアリー…」
「皆んなに見られたくて、魔族にまでなったのに!?それなのに…何で?ねぇ?どういう事なの…!?」
「…メアリーは、好意というものを履き違えてる。メアリーが今満たされてるっていうなら、それは偽物の感情だよ」
「偽物…?それは違うよ。だって私はこんなに皆んなから求められてるんだよ…?こんなに皆んなの愛で胸が一杯なのに、偽りな訳がない!」
「メアリー…だからそれは…」
「そうだ…グレーさんが居なくなっちゃえば良いんだ。そしたら私を見ない者は居なくなる…!またいつも通り皆んなに愛されるんだ…!狂ってるのは私じゃなくて、グレーさんなんだ…!」
「…本当にもう、何を言っても届かないんだね」
「本気を出すよ…悪く思わないでね、グレーさん」
彼女はハァと息を吐くと、再び口を開いた。
「『スリーピー』」
彼女がそう言うと、メアリーの身体からモゾモゾという何かが這うような音が聞こえた。そしてその音が止んだと思った時、メアリーの身体に異変が訪れる。何と彼女の中からまるで植物のようにもう一人のメアリーが生え、そのもう一人のメアリーは最初のメアリーから完全に離れる。そう、一連の流れが終わりそこには二人のメアリーが立っていたのだ。
「三人で楽しもうかぁ!グレーさん!」
「…数の利。単純だけど不利になったわね」
「『ソーセージ!』」
「来るっ…!」
メアリーの声に反応するかのように、空中に真っ黒な穴が空いた。その光景に嫌な予感を感じて私は飛び上がったが…その判断は正しかった。まるで人の死体をぐちゃぐちゃに溶けて固めたかのような長い肉の塊が闇の中から現れて、先程まで私が立っていた地面を抉ったのだ。恐らく、食らっていれば即死だったであろう。
だがしかし、安心するには早すぎた。跳んでいた私は突然の息苦しさに息を吐き出す。そう、いつの間にか首にロープが絡まっていたのだ。いつ現れたのかは分からないが、そのロープは天井からぶら下がっている。
「グレーさんは首絞めは好き?私はね、する方が好きなんだ。首を握っているとその体温と脈の動きが心地好くて…」
「お生憎様ね…私の方は握るのも握られるのも手一択だわ!」
そう言って私は首を絞めるロープを腕力で無理矢理引きちぎる。兄の背中に追い付きたくて鍛錬を重ねてきたのだ。力や運動神経には些か自信がある。
だが拘束を解いた私の腹部に衝撃が走る。二人目のメアリーが放った心臓型の光が直撃したのだ。その苦痛に顔を歪ませながら私は地面に背中から落下する。
そうしてムクリと立ち上がった私はメアリー達を見ながら言った。
「今の魔法は威力が低かった。そうよね、もう一人の方は逆さの砂時計なんて持ってないもんね」
「…確かにそうですよ。けど、手数が増えたのは事実。グレーさんに捌ききれますかね?」
「けどね、メアリー。数じゃどうにもならない事ってあるのよ。それはね…」
「む…」
「…圧倒的な火力よ!」
私の左手に、白と赤が混じり合う炎が握られる。
「この一撃で二人纏めてカタを付けさせて貰うわ」
「…グレーさんって本当に馬鹿正直な人ですよね。小細工を使わず、純粋な火力だけで勝負をするなんて」
「人を救おうとする者が真っ直ぐじゃなくてどうするのよ…!」
「………」
「行くよ、メアリー。『ヘヴンズフレア!!!』」
そうして、白の炎は私の手から離れた。空中にてどんどんと熱気を強めるその魔法を前に、メアリーは掌を広げた。
「その真っ向勝負に付き合ってあげますよ。『アバロニ』」
メアリーと火球の間に突然、血のような赤色をした石製の門が現れる。見て明らかに分かる、防御魔法。彼女は砂時計の力を借りた魔法で私の攻撃を完封しようとしているのだ。
そしてその目論見は成功し、門に触れると私のヘヴンズフレアはそのまま分散して消える事となった。
「くっ…」
「悔しがってる暇はありませんよ、グレーさん」
私はハッとして上を見上げる。するとそこには高くに飛び上がり、こちらへ目線を合わせるもう一人のメアリーの姿があった。
彼女は言い放つ。
「『ビザールバイオレンス』」
そして、頭上から無数の拳を模した光が放たれる。その光は私の身体に鈍い打撃を与え続け、その衝撃を受け続けた私は段々と身体に力が入らなくなっていった。
思うように動けなくなる私を前に、赤い門の向こう側に居るメアリーは高笑いをする。
「手が出せないまま苦しめられる気分はどうですかぁ!もっともっともーっと痛め付けてあげますね!」
「う…!」
「『ナイトメアツインズ』」
彼女が魔法を唱えると、門の影から二人の人物が現れる。その人物達は、メアリー。再び増殖したのだ。そんな新しく増えたメアリー達は私に指先を向けると、そこからは心臓型の光が放たれた。
頭上からは拳。前方からも打撃。今まで生きた仲で最も遠慮の無い暴力に、私は口から血を吐いた。
「あっははは!死ぬ!グレーさんが死ぬ!」
「う…ぐ……!」
「さぁ、さぁ、さぁ!死んじゃえ!早く私の目の前から消えちゃえ!私の事を好きにならない異分子は排除されるんだ!」
「はぁ…はぁ…!」
絶え間なく与えられる打撲に打ちひしがれながらも、私はぷるぷると震える二本の足でしっかりと床を踏み締める。そして、門の向こうに居る筈のどんな表情をしているのかも分からないメアリーに、言った。
「メアリー…効かないよ…!」
「え?」
「私は…友達を救うという大義を背負って今戦ってるんだ…!お兄ちゃんが言ってたんだ…正義はね…何があっても挫けないんだよ…!」
「強がりと遺言はそれだけで充分ですか〜?」
煽る彼女を他所に、私は左手を上げる。すると左手には青と黒が混ざり合った不穏な色の炎が握られた。
「ヘルフレイムは…正義を貫こうとするお兄ちゃんの真似をしてようやく使えるようになった魔法…」
そして右手を上げると、今度はそちらに赤と白が混ざり合った神聖な雰囲気の炎が握られる。
「ヘヴンズフレアは…お兄ちゃんに対する憧れそのもの。お兄ちゃんを超えるという私の想いが詰まった魔法…!」
全身から血が噴き出し、骨も何本折れたか分からない。休みなくやって来る苦痛を前に、私は震える両手を少しづつ近付けた。
「私は…お兄ちゃんの背中を追うだけの未熟者だよ。お兄ちゃんと同じ道を歩もうとして、努力し続けるだけの存在が私だ…!」
「所詮、お兄さんの劣化って事ですよ。無様な死に様を見せずに済んで良かったですね」
「けど…私はシズカに会って変わった…!今までお兄ちゃんの背中にしか目が行ってなかった私だけど…隣に居るシズカを見るようになって、お兄ちゃん以外の世界を見るようになって、気付けば生徒会という大切な居場所が出来た…!お兄ちゃんじゃなくて、私が手にしたもの。私は、ようやくホワイト・ボグレーの劣化品じゃなくてグレー・ボグレーとなったんだ…!」
私は両手を合わせる。すると握っていた青と黒の炎、そして赤と白の炎は凄まじい熱を放ちながら重なり合った。青、黒、赤、白の四色が混ざり合い、混沌とした基調の色をした獄炎へと変貌したのだ。
近くに居るだけで身を焼き付きそうな火球を、私は両手で必死に抑え込む。そして、真っ直ぐに目の前の赤い門を睨み付けた。
「私はグレーとして、貴女の友人として…私だけの方法で、貴女を救うっ!」
「っ…」
「『カオスインフェルノ!!!』」
そして、私は押さえていた両手を離す。すると獄炎はたちまち巨大化し、そのまま赤い門目掛けて進んで行った。炎は床、天井、インテリア、そして分身したメアリー達を全て焼き払いながら更に強く燃え盛る。
「逆さの砂時計の魔力に勝てると思うなぁ!この門は絶対に壊れない!」
獄炎はやがて、赤い門に触れる。しかし一瞬して消えたヘヴンズフレアとは違い、触れ続けても尚炎は勢いを強めるばかりだ。そのあまりの熱気に門は次第に溶け始める。
「馬鹿な…!私と砂時計の…魔法が負ける…!?」
「メアリー」
「っ…!」
「例え貴女が私を友達として見ていなくても…私は貴女の為ならばここまで全力になれるの。この魔法こそ、私の想いそのものよ」
そして…炎に包まれ、門は消滅した。そして消滅と共に大規模の爆発が起こり、辺り一帯は火の海となる。簡単には消火出来ない程の大火事だ。
そんな火の中心にて、メアリーは息を荒らげながら立ち尽くす。そんな彼女の両腕は機能停止するぐらい真っ黒に焦げていた。
メアリーは俯きながら息をする。
「これが…グレーさんの想い…」
「そうよ。遮る障害物なんて、全て消せるの」
「…認めない」
彼女は顔を上げ、ギロリとこちらを睨んだ。
「私に向けるべき感情はそれじゃない…!そんな憐れむような目で私を見るな…!」
「違うわ。私は貴女を助けたいの」
「もういい…本気の本気だよ。まさかここまで使わせるとは思わなかった…」
「メアリー、何をする気?」
「へへっ…」
メアリーは目を見開き、その口角を不気味に上げた。
「時を止める魔法…見た事ありますか?」
やりたい放題のスイミさんなのでした