痛い…
「ん…」
自分が漏らした小さな声と共に、私は自分が意識を手放していた事を自覚した。眠い目を擦って周りを見渡せば見覚えの無い景色。それはそうだ。今まで暮らしていた家はもう無いのだから。やっぱり慣れないなと思いながら寝惚ける頭を働かせる。
「アカマルとクッキー食べた後…疲れて寝ちゃったんだ。今何時だろう…」
部屋を見渡しても時計は何処にも見当たらない。それどころかアカマルもグロテスクさんも、誰も居ないのだ。ベッドで寝かされてるのは恐らくグロテスクさんの粋な計らいだとは思うが、気を使って部屋から出て行ったのだろうか。
「グロテスクさんの部屋なのに悪い事しちゃったな…」
青色の布団やベッド上に置かれた動物達のぬいぐるみを押し退け、私は立ち上がる。魔族の住む恐ろしい城。その中を散策したいという好奇心を抑える事が出来なかったのだ。そのままきぃという音を鳴らしながら扉を開く。
「やっぱり広いなぁ。この様子だと十階はありそう。このお城のお手入れ全部グロテスクさんがやってるのかな…」
心から気の毒に思いながらも、それ以上は深く考えずに私は気の向くまま足を動かした。とりあえず最上階へ行こう。そう決心した私は来る時にも登った螺旋階段の更に上へと向かう。
「こんな不思議な世界でも、月はあるんだなぁ。黄色い空に白い月。月光が階段を照らしてて何だか綺麗…」
この城を建てた者は相当の芸術家に違いない。あらゆる飾り付けや窓の配置は全て美しく見せる為のアクセントとなり、子供ながらにも何だか感動してしまう。今日は『初めて』が多い日だと感じ、心の底からワクワクした気持ちが溢れ出ていた。それと同時に大事なものを幾つも失った日ではあるが、泣いてばかり居たら天国の彼らに笑われてしまう。
「テト…ニオン…ロコ…お母さん…村の皆んな…ホワイトさん…今まで本当にありがとう」
「ふーん。お母さん…か」
「!?」
独り言に対し誰かが反応する。その無感情な声の主は一つ上の階からし、声の方向を向いてみると確かに手摺りの陰に誰かが居たのだ。その小さな人影は私の驚いた顔を見て満足気に笑うと、月光の元に姿を現した。
「女の子…?」
その声の主はまるで黒曜石かのような真っ黒の瞳と髪をした、私とそう歳も変わらないような女の子であった。その透き通るような白い肌に良く似合う黒色のワンピースを揺らし、彼女はこつんこつんと階段を一歩づつ降りる。その無表情な少女を見て私は心底驚いた。
「あなた…人間、なの?」
「そう。私はリィハー・エイレイト。この城の所有者」
「って事は…」
「そのまさか」
リィハーは僅かに口角を上げ、細めた目でその事実を伝える。
「私がここの国王。もう既に三人から話は聞いてる」
「人間の子供が魔族達の王…!?一体どうなって…」
「いずれ、そんな事も言ってられなくなる」
「どういう事…?」
「ここに住むと決めた以上、もう『人間の仲間』じゃないんだから」
「………」
プラントさんの手を取ったあの時から既に人としての道から逸れている事は分かっていた。ただそれでも、心の何処かでは脳裏に刻まれた『人間らしく』という言葉がまだ生きているのだ。あの時の選択は間違いではない。しかし同時に私の望む未来がどんどんと遠ざかっていくのも事実だ。
「キャロ…だよね?あなたはここで暮らしてどうしたい?何が、目的?」
「私は…」
「………」
「…私は、人間の幸せを願ってる。だからもし…この国が平和に暮らす人々に仇なす存在となるなら、私はそれを止めたい。『生きていれば何とかなる』から、どんな世界でも生きなくちゃいけないの」
「なるほどね」
やがて彼女は足を止め、簡単に触れられる程の距離で止まった。その無表情な顔からは何の感情も抱けなかったのだが、たった一瞬。その一瞬だけ彼女の瞳が輝いたように見えた。
リィハーは私に手を伸ばした。
「歓迎する。ようこそ、魔族の国へ」
「…私は人間の味方をするってハッキリ言ったんだよ?それでも歓迎するの?」
「貴女と私の目的が似てるから、気に入った」
「リィハーさんの目的?」
「私は…魔族の幸せを願っている。だから魔族でも安全に過ごせるような場所が欲しくて、この国を作った。まだ魔族は三人しか居ないけど」
「魔族の…幸せ…」
「オー…アカマル、グロテスク、プラントの三人に会って、どう思った?」
その言葉に私は少し考え、言葉を絞り出した。
「正直に言うと…人間と変わり無く感じたよ。私が想像していた魔族は人を殺す事しか考えてないような、怖い存在。だけどこの国に住む三人は優しかった…」
「確かに魔族の大半は歪んだ心を持っている。…けどそれは、その三人も同じなんだよ」
「え…?」
リィハーはこの世界全てを見渡すような、達観した目をしていた。
「魔族という存在の根っこには深い闇があるから。あの三人も心が強いから今は何とかなってるけど、いつ心が壊れて人を襲うようになるかも分からない。魔族は普通の生物とは違う、矛盾だらけの生き物なんだ」
「それを…リィハーさんは助けたいと?」
「病人が居たら助けたくなるでしょ」
「…確かに、そうですね」
「だから、キャロの存在は私にとっても都合がいい。私は魔族を救う。だからキャロは魔族に怯える人間達を救って。約束」
「そんなの…」
私はガシッと、差し伸べられた手を掴む。
「勿論協力するよ。これからよろしくね、リィハーさん」
彼女は凄い。私は同じ種族である人間を救おうと今日決意したばかりの凡人。でもリィハーは、理解するのが難しい魔族達を救おうとし、国まで作ったのだ。そこまでの決意を見せられ、私の『理想』を語られ、黙っている訳にはいかなかった。
そんな中、リィハーは微妙そうな顔をする。
「…その」
「ん?」
「…さっきからリィハー『さん』っていうのやめて?慣れない」
「そこなの…!?」
「ご機嫌麗しゅう今日も素晴らしい一日で御座いますねキャロさん。…嫌でしょ?」
「嫌だ〜…私なんかにそんな綺麗な言葉を使わなくてもーってなる〜…」
「だからさん付けは止めて。アカマルみたいに気楽に呼んで」
「えー、じゃあ…」
少し照れくさいが、脳裏に浮かんだ言葉をそのまま言ってみる。
「これからよろしくね。リィちゃん」
「リィ…ちゃん…」
「嫌だった!?いきなり馴れ馴れし過ぎたかな…」
「…まぁ許そうか」
握手した手を離すと彼女は階段を上る。ついて行くべきかと私も一歩を踏み出そうとした時、気がついた。背を向けた彼女の頭が何だか嬉しそうに揺れていた事に。
「ふひひ…リィちゃん…リィちゃんか…リィちゃん…!」
「あの、リィちゃん?ちゃんと前見ないと…」
「ぐはぁっ!」
螺旋階段だと言うのに、彼女は曲がらず壁に激突する。痛そうに鼻を押さえる彼女を見てようやく思い出した、彼女が私と同年代のまだまだお子様であるという事に。そして…
『私と王はだらしないからな!見兼ねたアイツが勝手にやってくれてんだ!便利!』
アカマルが言っていた言葉を。不思議な威厳のあったリィちゃんの、本当の姿を。