破綻した心、それが赤色
『はぁっ…!はぁっ…!』
日もまだ上がりきっていない、早朝の事であった。私様は人通りの少ないムッテの道を一心不乱に走る。不思議そうな顔をする通行人を押し退け、誰もいない屋台を倒しながらまるで猪のようにある方角へと向かっていたのだ。
『ふざけんな…んな事ある訳ねぇだろ…!何で…!』
恨みつらみを吐きながらも私様は走り続ける。するとやがてざわめく人々の声が耳に入ってくる事に気が付いた。私様が走る度、その声はどんどんと大きくなる。目的地へと近付いている証拠だ。
そうして私様は野次馬達に囲まれたある屋敷の前に到着する。私様はそこに居た人々を乱暴に押し退けながら叫ぶ。
『ケイト!無事か!?おい、ケイト!ケイト!!!』
『君、少し落ち着け!』
『うるせぇおっさん!親友が待ってんだよ…!行かなきゃなんねぇ…!』
『君…!』
『《ステップアップ!!!》』
魔法で身体能力を向上させると、私様は封鎖された屋敷の二階へと窓を突き破って侵入した。その行動に野次馬達の騒ぐ声はより一層強まるが、そんな事はもう思考の外であった。
私様は屋敷の中で起こった惨劇を目の当たりにし、充満する異臭に顔を顰めながら周りを見渡した。
『何が起こったんだよ…たった一晩で…!昨日まで平和だったろうが!刺客ももう居ない筈なんだろ!?』
しかし私の問いに屋敷内に転がる屍達は応えてはくれない。半身が灰になっていたり、剣が胸に刺さっていたり、溶けていたり…昨日元気に働いているのを見た使用人達は皆ピクリとも動かずに横たわっている。
そんな胸糞悪い空間を私は急いで走る。
『ケイト…!お前は無事だよな…!?そうだよな…!?』
何回も通った友人の家だ、間取りぐらい分かる。よって私様は最短距離でケイトの部屋の方へと向かっていった。そこかしこにある無惨な死体が視界に入る度に吐き気がするが、そんな事を言っている場合ではなかった。
『もうすぐだ…!もうすぐケイトの部屋に…!』
ケイトの部屋の扉が見えた、その時であった。同時に視界に映るそれが、ケイトの部屋の扉に寄りかかって倒れるそれは、私の荒ぶる心を更に狂わせた。
『…婆さん』
見間違える筈も無い、見知った顔に私様は膝から崩れ落ちた。ほんの昨日の話だ。ツウの婆さんは笑っていた。それなのに…どうしてそんな辛そうに目を閉じているんだ。どうして、胸にぽっかりと大きな穴が空いているんだ。
『クソが…!』
握っていた手は無意識に力を強め、掌から出血する程に私様は拳を固く握りしめていた。今まで、こんなにも怒りを覚えた事はない。まるで自分が自分じゃなくなったみたいだ。
私様は怒りのまま、ケイトの部屋の扉を蹴破った。
『ケイト!何処だ!!!ケイっ…』
そこで、私は気が付いた。部屋の中に居る人物に。私をゆらゆらと燃えるような瞳で見つめているそいつを。
『…来たか、ウェルフル』
『お前っ…!?』
部屋の真ん中にぽつりと立ち尽くすその人物を、私様は知っていた。いや違う。知っているのだが、その人な筈がないのだ。何故ならば…
そこに立っていたのは、他でもない私様自身であったからだ。強いて言うならばその真っ赤な肌と髪の毛の間から見える二本の角がまるで鬼のようであった。
彼女は不機嫌そうに顔を歪ませ、口を開いた。
『お前は何故ここに来た?ケイトを助ける為か?』
『そうだ…!ケイトは何処だ!』
『現実から目を逸らすな。お前も賢い私様ならもう気付いているんだろ?』
『黙れ…!』
『普段から肉体労働をしている屈強な使用人達が死んでいるのに、どうして手足の不自由な一人の少女が生き延びられる?』
『黙れって言ってんだろうが…!私様の偽物はお呼びじゃねぇ!手が出ねぇうちに早く帰れ…!』
その言葉に、目の前の赤い私様はぴくりと眉を動かした。
『違う』
『あ…?』
『この私様が本物のウェルフルだ』
『何をふざけた冗談抜かしてんだ!?今そんな場合じゃねぇだろ…!』
『………』
『おい待てよ…まさか婆さん達を殺したのはお前じゃねぇだろうな?おい…!』
『あの世で聞いてみろよ!偽物ォ!』
ブォンと鋭く宙を切る彼女の回し蹴りを私様は寸前で躱す。少しでも遅れて居れば頭蓋骨が砕け散っていた。それ程までに、彼女の動きは人外じみていた。
私様は前傾姿勢のまま距離を置くと、彼女に掌を向けた。
『《デスメタルナイツ!》』
私様がそう叫ぶと、偽ウェルフルの周りに黒い甲冑を来た八人の騎士が現れる。彼らは甲冑越しに目を光らせると取り囲んで彼女に持っていた槍を突き立てた。
しかし、彼女は慌てた様子を見せずに自身の拳を床へ食らわせる。その結果床は全壊し、騎士達は勿論私様まで下の階へと落下する事となる。
そして瓦礫が全て落ち切った時、甲冑にくっきりと残った拳の痕を残して騎士達は動かなくなった。その犯人は勿論、偽ウェルフルだ。
『結局やるみてぇだな…』
『この私様に小細工は通用しないぜ、偽物』
『なら一気に叩きのめしてやるよ…《ステップアップ》』
発光する私様の肉体に力が溢れる。その様子を見て偽ウェルフルは楽しそうに目を細めた。
『そう来なくっちゃあなぁ!?来い!!!』
『…行くぜェ!』
一蹴りで偽ウェルフルの目の前へと近付き、私様は右の拳を彼女の顔面に向けて叩き込もうとする。しかし、その拳は彼女の拳によって相殺される事となった。すかさず左足で顎を蹴り上げるも彼女は全く怯みはしなかった。蹴りによって隙の生まれた私様の顔に逆側の拳を入れる。
その衝撃に私様は地面を転がった。ペッと口の中の血を吐き出し、私様は立ち上がる。
『随分と自分の力を楽しんでるようだな…』
『あ?どういう意味だ?』
私様は真っ直ぐに彼女の瞳を覗く。
『お前…校庭で遊んでる奴らを見て羨ましそうにしてたもんな…』
『何…』
『今、話してるうちにお前が誰なのか分かっちまった。お前さ…自分では気付いてないかもしれねぇけど、喋る度に小さく息を吐く癖があんだよ。前までは話すのも一苦労だったからな、疲れを誤魔化す為に自然と身に付いた癖だろ』
『………』
『ケイト…お前どうしちまったんだよ』
私様がそう語りかけると、目の前の彼女はギリッと歯を食いしばった。
『違う!私様は正真正銘ウェルフルだ…!』
『お前がもし基礎魔法以外の魔法を使ったらケイトじゃないって信じてやるよ』
『………』
『魔法ってのは、使用者の考え方がよく反映されている。けど生まれつき脳に障害を負っていたお前はあまり物事を考えるのが得意ではなかった。しかし、魔法の才はある。だからこそお前は誰にでも扱える基礎魔法でこの私様を打ち負かした。今そうやって動けてるって事は何かが変わったみたいだけどよ、それでも急に普通の魔法を使えと言われても分かんねぇよなぁ?』
『…うるせぇよ』
ケイトは拳を強く握り、私様をギロリと睨み付けた。
『私様はウェルフルだ。だが、もう違う。ウェルフルが魔族となった存在…それが私様だ』
『………』
『《オーガ》だ。どんな鬼よりも、どんな存在よりも強い。それが私様だァ…!』
『…あぁ、そうかよ』
『勿論お前よりもだ…!ウェルフルゥ!!!』
ケイトは歯を食いしばり、こちらに掌を向けた。彼女から放たれる殺気に、私様は覚悟を決める。
『行くぞォ!《デスサンダーボルト!!!》』
家具や転がる死体を焼き尽くす、魔王の手のような大規模の電流が彼女の掌から放たれた。そんな迫り来る殺意を前に、私様は掌を向ける。
『《デスサンダーボルト》』
私様の放った光は彼女の放った電撃に触れると、彼女の電流を己の中に取り込みながら進んで行く。その様子に、目を見開いてケイトは叫んだ。
『そんな…馬鹿な…!?』
『お前の敗因は中途半端に私様になろうとした事だ。もしお前がお前のままなら、私様は負けていただろう。…こんな形でリベンジを果たしたくなかったぜ、ケイト』
次の瞬間、ケイトは私の魔法に巻き込まれて絶叫した。その後丸焦げになりながら床へと倒れ込む彼女に私様は哀れみの目を向ける。
『なぁケイト…お前本当にどうしちまったんだよ。昨夜ここで何があった?お前はどうして魔族になっちまった?』
『…違う』
『あ?』
『違う…!私はこの力を使いこなせなかっただけだ…!鬼となったウェルフルは最強の筈だ!違う…違う…!負けた訳ではない…!』
『お前…』
『このままじゃ…私は駄目だ…!嫌だ…嫌だよ…!』
『ケイト!』
『っケイトじゃない…!』
彼女はまるで獣のように、四足歩行で部屋の隅へと走り出す。そしてそのまま拳で壁を砕くと、彼女は外へと飛び出した。
『待てよ!ケイト!!!』
そして…私様はぽつりと部屋に残された。あっという間に消えてしまった彼女を追う術など私様にはなかったのだ。あったとしても…彼女の苦しそうな横顔を見て、動揺せずに後を追う事が出来たかは疑問だ。
『ケイト…』
その後、私様は二度とケイトと出会う事はなかった。
〜〜〜〜〜〜〜
「…それがお前らの仲間、アカマルの正体だ」
ウェルフルさんの話を聞いて、私は黙り込んでしまう。私が今まで見ていたアカマルは…本当のアカマルではなかったのだ。理由は分からないが彼女は苦しみ、壊れてしまい、ウェルフルさんになろうとした。元の自分を否定するかのように。
何を言うべきか分からずに立ち尽くす私達三人を見て、ウェルフルさんは溜め息を付いた。
「んじゃ…私様が過去話をわざわざしてやった意味が分かるか?」
「意味…?」
「ケイトとは、私様が決着を付ける。どうなっちまってもアイツは大事な親友なんだ。だから私様がやらなくちゃならねぇ」
ウェルフルさんがそう言うと、グレーさんは声を張上げた。
「駄目です!先生はまださっきの戦いの傷が残っています!立つのがやっとでしょう…!?」
「立つのがやっと?上等じゃねぇか。私様は車椅子に座ってたアイツに負けたんだぜ?立場が逆転したに過ぎねぇ」
「でも無茶ですよ…!行くなら私様も…!」
「いや…お前らはメアリーを止めろ」
「けど…!」
「この状況、何をしでかすか分からねぇのはメアリーも同じだ。だからお前ら三人はメアリーを何としてでも止めるんだ、良いな?」
「先生…」
ウェルフルさんはよろよろと覚束無い足取りでこちらへ近付くと、グレーさんとシズカさんの事を抱き締めた。
「お前らは私様の自慢の生徒だ。そしてそれは、メアリーも同じだ。だからよ…信じてるぜ。私様の教え子達は仲間を止める事が出来るって」
「………」
「頼んだぜ?私様はお前らの未来を守る為に、ケイトを倒す。その未来にゃメアリーの姿もある筈だろ?だから行ってこい!」
グレーさんとシズカさんはその言葉に、目を潤わせながらも力強く頷いた。その様子に満足したのかウェルフルさんは笑顔を見せ、抱き締めていた二人を離した。
そして立ち去ろうとする彼女の背中に、私は言う。
「アカマルを…どうかお願い」
「あぁ、任せろって」
ウェルフルさんはそのままスタスタと廊下を進む。だがしかし、突然足を止めると彼女はこちらを振り向いた。
そして一言、笑いながら言った。
「忘れんな。お前らはこの私様の教え子だ。だから自分の強さを信じろ」
「…はいっ!」
「んじゃ…あばよ」
ウェルフルさんの背中は暗い校舎の中へと消えて行った。
強く見える人にも必ず脆い部分はあります。五話のタイトルである『陽気で豪快、それが赤色』は当時のキャロが抱いた印象です。しかしウェルフルの話を聞いて、キャロはアカマルが自分の思っていた程強い人ではなかったと知りました。彼女も心が決壊してしまった小さな存在であるという事を。




