外見と内面
「やっべぇぞ…!どうしよう…」
赤い絨毯と黒い壁、青色の観葉植物や不気味な絵画に飾られた廊下にて私とアカマルは途方に暮れていた。目の前にある開けた扉からは真っ黒な煙が無限に湧いている。この明らかに人体への負担が大きそうな煙の中に突っ込むなど正気の沙汰ではやってられない。
「そもそも中の何がこんなに煙を出してるの?」
「知らねぇよ。美味そうな色の薬品があったから飲んでみたら目眩がしてな!ふらふらーっとなった拍子に色んな薬品が床に落ちてあの有り様よ」
「…何かも分かってないのにお薬飲んだの?」
「あぁ!まずかったぜ!」
そう言ってアカマルは清々しい笑顔を浮かべる。私が内心ドン引きしている事も知らずに。危機感幼児並であると認識されている事にも気付かずに。
「うーん、どうしよう。幼児さんもこの煙の止め方が分からないとなると…」
「誰が幼児さんだって?」
「ごめん、口が滑っちゃった」
「まさかロリに幼児呼ばわりされるとはな…人生何があるか分からんもんだ」
「そんな事よりわざわざ薬品を取り揃えた研究室があるって事は、科学者が居るんじゃないの?その人に頼れば解決できるんじゃない?」
「アイツ…アイツなー。小言がうるせぇんだよな…」
「でも他に手立てが無いなら頼るしか方法は無いんじゃない?」
「うむむ…!仕方ない…」
アカマルは入城した時と同じように私の腕を引っ張る。彼女はそのまま廊下の突き当たりに位置する階段まで到着すると、その螺旋階段をずるずると私を引きづりながら登っていく。
扱いが乱暴なのは良しとして、乗り気では無い彼女に私は言葉を投げかけた。
「そんなに嫌な人なの?」
「嫌いじゃないぜ。でもなぁ、細かい事に口出ししてくんだよ。プラントの頭蓋骨で蹴鞠をして遊んだり、男共が風呂に入ってる時に乱入したり、王の奴を投げ飛ばしてただけでピーチクパーチク説教してくんだぜ!?やってられっかよ!」
「まともそうな人で安心したよ。それと同時にアカマルさんが怖くなってきたよ」
「怖いって何が…おっと、そんな事より着いたぜ」
螺旋階段で二階程上がり、廊下へ出た直ぐの扉前でアカマルさんは立ち止まる。その扉には『腐れヤロー』と書かれた名札が固定されており、その口調から恐らくアカマルさんが書いたものなのだろうと察する。…いや、事ある毎に暴言を吐くプラントさんとの共同作業かもしれない。
彼女は遠慮する素振りも見せず、堂々と扉を開け放った。
「おい!助けてくれ!」
説明も無しに元気良くそう言い放つアカマルさんはむしろ清々しかった。あははとアカマルさんに苦笑いをすると、部屋の中の様子を見る。
そこは至って普通の、この城の外観に似合わない程落ち着いた雰囲気の部屋だった。明るい木材で作られた壁や家具。床に敷かれたもっふもふの白い毛皮の絨毯。読書好きにとっては堪らない巨大な本棚。部屋を優しく照らす暖炉の炎。そして…その暖炉の炎の前で椅子に腰掛ける一人の人物が居た。
彼は編んでいた水色の手袋を近くの机に置くと、その雪を思わせる真っ白に輝く瞳をこちらへ向けた。
「オーガ…今度はどんな厄介事を起こしたの?」
優しい声色で彼は話す。その男は癖毛の焦げ茶色をした髪を揺らし、その長い足でゆっくりと椅子から立ち上がる。子供ながらも彼が整った容姿を持った人であるのは分かる。だが、それと同時に普通の人間じゃ無い事も一目で理解した。
彼の顔、そして袖の捲られたセーターから見える腕からは無数の傷が見えた。いや、傷だけではない。皮が無く肉が露出している箇所や、骨が見える所まである。顔は比較的軽傷だが、それでも両目の周りに皮は無かった。見えてないだけで恐らくは服の下もそうなのだろう。
そんな重症にも関わらず、彼は元気そうにしている。ここが魔族の国であるという事を加味し、彼が人間ではないと結論付けるのは至って当たり前の事であった。そんな彼は慣れた様子でアカマルとの会話を続ける。
「オーガの為に暖かい手袋編んでるのに…問題ばっかり起こすからちっとも進まないよ。大人しくしてって言ったのにさ」
「がはは!だから私は大人しく研究室の見学をしていたんだ!そしたら煙がボワッとな!」
「煙…もしかして緑のテーブル掛けに乗ってた薬全部同じ所に落ちたとか?」
「そうそう!よく分かったな!」
「はぁ…じゃあここで待ってて。直ぐに後始末してくるから。…ってうん?」
溜息をつく彼は数歩歩いた所で私と目が合う。そこで彼はようやく、アカマルさんが一人の少女を持っている事に気が付いたのだ。彼は青ざめながら恐る恐るこちらへ指を指す。
「お、オーガ…その子って…」
「城の外で拾った!あと私の名前は今日からアカマルだぜ?コイツが付けてくれたんだ!良い名だろ?」
「前より可愛くて良い名前だね。…じゃなくて!その子貸して!」
「あ?んだよ。ほら」
片手で差し出された私の身体をまるで貴重品を触るかのように彼は抱っこする。そしてそのままアカマルさんから離れると、私の瞳の奥をじいっと見つめた。
「大丈夫?あの怖い鬼の人に何かされなかった?」
「おい、まるでこの私様が乱暴者みたいな扱いやめろよ」
「実際そうでしょ。お掃除した直後の部屋を散らかしたりするし、今まで育ててたお花がオー…アカマルのせいで何本枯れたか分からないよ!」
「良いだろそんぐらい」
「良くないよ!それにオガマルはいつも動き回ってるせいで服の洗濯が大変なんだよ!?分かってる!?」
「アカマルだぜ?」
「混じっちゃったの!全くもう…」
彼の掌は私の頭をワシワシと撫でる。
「もう大丈夫。怖い目には合わせないからね。辛かったね…」
「え、えーっと…そんなに怖い思いしてないから問題ないよ?だからそんな強く抱き締めなくても…」
「あぁ、ごめん。力が強すぎたね。それに魔族に近寄られちゃ怖いか」
そう言うと彼は私から離れる。決して魔族だからで避けていた訳では無いのだが、そう解釈した彼は私を刺激しないように距離を取ったのだ。アカマルさんとは違って気を遣う人なのだろうと察する。
「あ、自己紹介が遅れたね。僕の名前はグロテスク。君は?」
「私はキャロ。その、グロテスクさん。確かに色々びっくりしたけど、アカマルさんは私に対して酷い事してないし、あなた達を怖がってもないから大丈夫だよ」
「そっ、か。なら良かった。意外と子供との接し方分かってたのかな?見直したよ、アカマル」
「ふははは!だろう!?私様は凄いんだぜ!?」
アカマルさんは胸を張って威張り散らす。そんな彼女を見てやれやれと言わんばかりにグロテスクさんは溜め息をついた。
「子供を引きずって歩くのはどうかと思うけどね。…そんな事より、キャロちゃん。僕達に対してさん付けは要らないよ。楽に話していいからね」
「う、うん。じゃあ…これからよろしくね。アカマル。グロテスク…さん」
「さん付けは要らないって」
「やっぱり無理かも…慣れるまで待って」
「…おい?何で私に対しては呼び捨てなんだよ?」
「やっぱり…尊敬が消えたから?」
「んあ!?」
アカマルは怒ったように私を睨む。そんな彼女を見て爽やかに笑うと、グロテスクさんは部屋の外へと足を踏み出した。
「それじゃ、僕は早いとこ研究室の方をどうにかしてくるよ。キャロちゃん、アカマル、戸棚にクッキー入ってるから食べてていいよ」
「本当か!?やったぁー!」
「キャロちゃん、慣れない所だろうけどゆっくりしていってね。本棚から好きな本取って読んでもいいから」
「うん。ありがとう、グロテスクさん」
彼はひらひらと手を振り、扉を閉じた。彼の後ろ姿を見送りふとアカマルの方を見ると、彼女はがさがさと戸棚の中を漁っていた。そして戦利品と言わんばかりにピンク色の箱を自慢げに見せてくる。
「よしっ!一緒に食うぞ!キャロ!」
「ご機嫌だね」
「そりゃあそうだろ!グロの奴が作ったお菓子は世界一美味いからな!とびっきり甘くて大好きだ!」
「へぇ、あの人が作ったんだ」
「この城ん中で大体の事はアイツが担当してるぜ!料理、掃除、服作り、家具作り、薬品作り、武器作り、その他諸々の世話ァ!」
「まさか奴隷!?」
「私と王はだらしないからな!見兼ねたアイツが勝手にやってくれてんだ!便利!」
「グロテスクさん可哀想すぎる!…ってそうだ。アカマル、聞きたい事があるんだけど」
クッキーを貪る手を止め、アカマルはこちらを見る。
「ん?」
「大した事じゃないんだけどさ。いつもは『私様』って言うのに、さっきから一人称『私』になってるなって思って」
「んあー…まぁ、癖だ!たまに私になるが気にすんな!」
「癖?元々は私呼びが主流だったって事?」
「そうだな。弱っちい自分が嫌いで私様に変えたんだがな」
「弱い?アカマルが?」
「誰にでも外面とは違う、過去ってもんがあんだよ。…それよりキャロはクッキー要らないのか?私が全部食っちまうぞ」
「わ、私も食べる!」
彼女の言葉に焦り、慌てて私は箱に手を伸ばした。絶品のクッキーを一口噛む度に幸せが広がる。やはりアカマルの言う通りとびきり甘いが、後味はしつこくない良い塩梅だ。こんな腕を持つグロテスクさんは天才だとつくづく思う。
しかし、そうしてアカマルと二人でお菓子を食べてる内にふと頭の中に一つの疑問が浮かんだ。プラントさん、グロテスクさん、アカマル。皆んな何処か人間味を感じさせる、悪意を感じない人々なのだ。私の生まれるずっと前から人間の間で共通認識とされる、恐怖の象徴である怪物の姿はそこにはなかったのだ。
人と魔族の違いは何なんだろう。魔族はどんな存在なのだろう。私の村を滅ぼした魔族と、アカマル達はどうしてここまで違うのだろう。
そして…どうしてアカマルは、『過去』という単語を言った時、目に闇が出来たのだろう。