日誌と短剣
「マッタク、ムカムカするゼ!」
地上へと繋がる階段を登り終えた時でさえ、ロナウドさんは不平不満を漏らしていた。彼はただでさえ大きな鼻の穴を更に大きくし、顔を真っ赤にしている。
「何であんな野郎の味方をしてんだヨ、グレーの奴!」
そうして憤る彼を制止するように私は言った。
「会長さん達の考えは分からないけど…とりあえず今はアガリさんを安全な所に連れて行くのが先決だよ。外傷は無いし、すぐに目を覚ますと思うんだけど…」
「だがよゥ…その後はどうすんだヨ?地下室が駄目ならもう手掛かりはねぇゾ!?」
「逆さの砂時計を手に入れるにしても肝心の協力してくれる先生が居ない…か」
リィちゃんがそう呟くと、ロナウドさんは眉をひそめた。
「逆さの砂時計っつゥとあれだロ?何か…何てんダ?凄い…パワーアップの……あれだよナ!?」
「そう。現状あまりにも何とかすべき事象が多すぎる。アカマル、ニヤニヤ化け物、場合によっては会長とグレー。どれか一つにせよ私達だけじゃ戦力が足らない」
「俺様がぶっ潰しテやるヨォ!見ろ、この筋肉!」
「筋肉馬鹿は放っておいて…キャロはどう思う?」
こちらを見る真っ黒の瞳に、私は答えた。
「今は…『シークイさん』について調べるべきだと思う」
「キャロが頼まれてた事か。どうしてそう思うの?」
「頼み事をしてきた人…シラツラさんっていうんだけどね。正直、あの人の事を信用しきれてないから。だからあの人についての情報が欲しい」
「シークイを調べたらシラツラについて何か分かると?」
「うん。私を悪い人から助けてくれた、だなんて言ってたけど…真偽がどうなのかは結局の所分からない。だからあの人の事を信用したいんだよ」
「いずれにせよ、タクメアテンの三人とは合流しなくちゃならない。合流ついでに情報を探し回るしかないね」
そうして話す私達を前に、ロナウドさんは腕を鳴らす。
「ンな回りくどい事しねェでよォ…直接そのシラツラっつゥ奴ぶん殴って良いんじャねェか!?」
「馬鹿。それでシラツラが良い人だったらどうするの」
「ン?オ、オウ…お前頭良いナ。けどヨ!バリバリ怪しそうじャねェカ!?」
「証拠が出るまで動けない。それが騎士の辛い所だよ」
「リィちゃんはいつから騎士になったの…?」
「マァ…オメェがそう言うンなら従うけどよォ」
「ロナウドさんは何でそんなにリィちゃんを信頼してるの…?」
「ン?」
「…キャロ、ロナウド。あっち見て」
その言葉に、私とロナウドさんは彼女の目線が向く先を見た。そこにあるのは何の変哲もないただの曲がり角。しかし、耳を澄ませばドタタタという獣の群れが走る時のような地響きが角の向こう側から聞こえてくるのだ。明らかな異常事態に私達は警戒する。
そして、曲がり角から一人の人物が飛び出してきた。
「ン?アイツは…タクじャねェカ!?」
タクと呼ばれた人物はボサボサとした茶髪に丸眼鏡が特徴的な灰色のローブを羽織った男子生徒であった。しかし…彼の呼吸は荒く顔は血の気が引いたように真っ青となっていた。そんな色の抜けた顔色とは相対的に彼の目は血走っている。見て分かる、限界を超えて走り続けていたのだろう。
「ろ…ロナウドっ!」
「オイオイオメェ、何そんな慌ててんダ?」
そんな彼はこちらを見ると目の色を変え、そのままの速度でこちらへと向かって来た。しかしそんな彼の後を追うかのように例の曲がり角からいくつもの影が現れた。
「この恥知らずが…!」
「お前も裁かれるんだ…俺達と共に…!」
「彼女はそれを望んでいる…!」
タクさんの後を追う者達、それは生気を失ったような顔をした多種多様の生徒達であった。彼らは先頭を走るタクさんに向かって自分達の方へと引き込むかのように手を伸ばす。
そんな狂乱の生徒達の最後尾を務める赤い瞳は、ギョロリと私達の方を見た。
「あの四足歩行の化け物…!」
「これで確定した。生徒達の様子が変なのはあのニヤニヤが影響してる」
「ンな事ァいい!今はとりあえずあの軍勢をボコボコにしてやるゼ!」
アガリさんを地面に寝かせ、ロナウドさんは構えを取る。しかしそんな彼を前にしても欠片も安堵の様子を見せず、荒い息でタクさんは叫んだ。
「お前らっ…よく聞け…!」
「タクさん…?」
「生徒会の本棚っ…上から二番目!俺の日誌がある…!『シラツラについて』という項目を…読めぇ…!」
思わぬ名前に私は眉を顰める。そしてその名前に反応したのはリィちゃんも同じようで、彼女は何かを思案するかのように目を細めた。そんな私達を前にタクさんは今にも転びそうな無茶な走り方をしながら叫んだ。
「それとォッ…!!!」
だがしかし、バタッと倒れ込んだ彼の声はその痛みによって掻き消されてしまった。倒れた彼に追っ手達が迫る中、彼は自身の眼鏡を外す。
そして、眼鏡を握り潰した。それを皮切りに限界が来たのか、彼はそれ以上動かなかった。相当な運動量に身体が耐えきれなかったのだろう。
そうして意識を失ったタクさんを連れ去ろうと手を伸ばす生徒達に、私は掌を向けた。
「『オアシス』」
水の塊が放たれ、生徒達に着弾したと同時に小規模の爆発が起こる。それにより後ろへと吹き飛んだのを見逃さずロナウドさんは走った。
「ウォォォォォォオ!!!力自慢の俺様がオメェらの相手を引き受けたァ!」
「っロナウドさん!駄目!」
彼が走り出したと同時に起きた異変に気付き、私は叫ぶ。しかし私の言葉の真意を理解するより先に彼はその『赤い水滴』に触れてしまったのだった。
「な…赤い雨…だとゥ…!?」
「黄色い雨は力を奪い、黒い雨は鬼を呼び出す。赤い雨は一体…」
リィちゃんがそう呟くと、ロナウドさんの目の前に突然一匹の黒い鬼が現れた。鎧に身を纏い、お腹に貫かれた跡のある、悪魔のような形相の鬼。彼は憎悪の籠った瞳で目の前のロナウドさんを見ると、手に持っていた短剣を持ち上げる。
そして、その短剣をロナウドさんに手渡した。その意味が分からずに困惑していると…ロナウドさんは突然、その剣先を自分のお腹に向ける。
「ロナウドさん!?何を…!」
「わ、分からねェよォ…!身体が勝手ニ…!」
「まずい…!早く止めないと…!」
「し、死にたくねェよォ…」
「ロナウドさん!」
「死にたく…」
やけに鈍い、ズドッという音が響いた。そしてその音の後にカランカランと軽快な音を立てて床に落ちる真っ赤な短剣。その場に仰向けとなって倒れ込むロナウドさんの腹部には…ドクドクと血が溢れ出る冗談では済まされないような、黒い鬼のものと同じ穴が空いていた。
「ロナウドさん…?ロナウドさんっ…!」
目の前で力無く倒れ込むロナウドさんの姿に、心臓が酷く締め付けられる。人が一人、自分の手で命を絶ったのだ。あの元気なロナウドさんが静かに横たわる姿に私は酷く動揺してしまう。
だが悲しむ間もなく、背後から聞こえた一つの声が私の思考を上塗りした。
「『ロックハンズメン!』」
その声がしたと同時に、私の隣を二つの茶色い物体が横切る。その物体はそう、伸び続ける岩であった。まるで手のような形をした二本の岩はそれぞれタクさんとロナウドさんを掴み、追っ手達から遠ざけるように私達の方向へと戻ってくる。
その二つの岩は、いつの間にか目を覚ましたアガリさんの腕であった。おそらく魔法で腕を岩に変化させたのであろう。彼は岩から戻った両腕でタクさんとロナウドさんを担ぐと、私達に向けて叫んだ。
「逃げるぞッ!俺達の手に負える数ではないッ!」
「…はい!」
ニタニタと笑う怪物、そしてタクさんへの罵倒の言葉を口々にする生徒達に…私達は背を向けた。状況は悪化するばかり。どうすれば円満に終わるかは検討も付かない。
しかし…タクさんが口にした日誌の存在は、行き詰まっていた私達を前へと進ませてくれる。私はそう確信していた。