縋った藁は毒蛇だった
一目で陽気な町である事は理解出来た。小さな石ころで敷き詰められた道。同じ木で作られているのに形や印象が全く違う建造物。家と家を繋ぐロープにぶら下がる明るい色をした多種多様な布。至る所に見える出店と、元気良く通行人達に話しかける店主達。魔法学校というものがあるからか、ムッテはこの世界で王都の次に大きな町である。
何処かで音楽団がコンサートをやっているのか楽しげな音楽が町中に響き渡り、かけっこをする子供達の嬉しそうな声が漏れる。まさに人類のあるべき姿というのはこの町に詰まっていると、そう感じさせた。
「この町の何処かにキャロは…」
「気を付けろよ。殺害予告をされてる以上、いつ襲われるか分かんねぇ」
「うん。分かってる」
キャロを追ってムッテへ到着した私達はとりあえず辺りを見渡してみる。だが敵の気配など無く、あるとすれば人々の笑顔だけだ。もしくは無限にあるように感じさせる木造の民家であろうか。
「思った以上に広い。どうする?」
「こりゃどう足掻いても私達から接触は出来ねぇな。まぁ、放っておけば向こうからやって来るんだ。それまでに私達の当初の予定を果たそうぜ」
「当初の予定…逆さの砂時計探し?」
「そうだ。それに私達は結界を強める為に逆さの砂時計を探しているが、あれは結界魔法以外にも設定した魔法を無条件で強化出来る代物だ。誘拐犯が殺しに来る前に手に入れられれば戦闘面においても優位に立てる」
「じゃあ、ウニストス行く?」
「だな。それしかねぇ」
こうしてキャロの事は放置する方向性で話が纏まった時であった。私とアカマル、二人のお腹が同時に鳴った。あまりにも間抜けな行動の一致に顔を見合せて苦笑いをする。
「何か食いに行くか。幸いにも出店はこんなにもあるんだ、腹が膨れるもんはいくらでもあんだろーよ」
「お金は?」
「最低限あるぜ。とりまたらふく食って力を付けて、砂時計手に入れて、その道中でキャロを助けて、そんでその後に三人で食いに来ようぜ」
「賛成」
仲間が誘拐されている中呑気に私達は良い香りが導くままにこの町を散策する事にした。決して食欲に負けた訳ではない。腹が減っては何とやらだ。決して食欲に負けた訳ではない。決して。
「どの出店の料理も美味しそう。何なら料理だけじゃなくて八百屋さんの売ってるキャベツとかもそのままかぶりつきたいぐらい」
「こんだけ選択肢があって客を奪い合っても店の奴らが苦もなく生活出来てんのは住人の多さ故だろうな。だがそんな中少しでも他と差を付ける為に見栄えや香りに人一倍気を使ってんだ」
「料理をする時の演出も凄い。例えばあのお店とか飴細工を作る為だけに炎魔法や氷魔法を使って温度調節してる。飲み物を中で浮かせてからコップに入れてるお店もあるよ」
「人って生き物は燃え盛る炎、川に流れる水、芸術的な職人芸は一生見てられるからな。料理人は舌だけじゃなく目も満足させなきゃいけねぇ」
「これは悩みすぎて餓死するかも…」
口の中に溢れる涎で溺れてしまいそうな中、私は自分の足がどんどんと早くなっている事に気付いてなかった。これに決めた、と思っても別の屋台からそそられる香りに決意が揺らぐのだ。見れば見る程に食欲が湧き立てられる、それがこの町だ。誰かが魔法の町だとか何とかほざいていたがどう考えても食欲の町だろう。
そうして一人で舞い上がっていた私はふと気が付いた。アカマルが静かだという事に。
「アカマ…」
ちゃんとついて来ているかどうかを確認する為、私は振り返る。そして見える光景に私は目を細めた。先程まで私と一緒に屋台を見てはしゃいでいたアカマルが、曲がり角の向こう側を見たまま固まっているのだ。
「…どうしたの?」
私はとたたっと彼女の元へ駆け寄る。そして、そこでようやく気が付いたのだ。彼女が冷や汗をかきながら歯を食いしばっている事に。
そんな彼女は私の頭に手を乗せた。
「すまねぇ、リィハー」
「え?」
次の瞬間…アカマルは走り出した。誰にも追い付けないような、本気の速度で。そんなアカマルの速さに当然ついていける筈もなく、彼女の姿が人混みの中に消えるまで私はぽかーんと立ち尽くしていた。
「アカマル?…え?何で?どういうつもり?」
何の説明もなく保護者が消えてしまった。何だか捨てられたような気分になりながら、混乱し続ける頭でアカマルが去った方角を呆然と見つめるしか出来なかった。ただでさえ曖昧だったプランがもういよいよ完全に崩壊してしまっているのを感じる。
「…これ、どうするの?」
思考は止まるが、飢えは止まらない。せめてお金だけでも残しておいて欲しかったと思いながら、私は空腹を誤魔化すように目的もなく歩き始めた。
「これって…もしかして私一人で何とかしろって事?嘘?」
キャロは誘拐され、アカマルは気が狂ったのか突然立ち去る。そんな中一人で空腹を何とかし、逆さの砂時計を手に入れ、殺害予告してきた人からキャロを取り返し、アカマルを連れ戻す。…ただの子供に要求するにはあまりにも厳しすぎる。
「なんてこった。この世の終わりだ」
今、この現状今起こっている様々な事象を考察せねばならぬ。しかし、やはり何と言ってもお腹が空いた。今、私の頭の支配権は腹の虫が持っている。あちこちから良い匂いはするのに食べれないなど、きっと神様があまりにも良い子すぎる私に嫉妬して意地悪しているに違いない。
そしてそんな状態で町を闊歩する私に限界が訪れるのも当然の事であった。育ち盛りには残酷すぎる仕打ちに段々と足取りが重くなり、視界に入る情報を処理出来なくなる。何が屋台で、何が人で、何が道で、何が建物か。そんな事すら分からないまま私はゾンビのようにウロウロと目的もなく彷徨っていた。
そんな中、思考停止した私の頭に一つの命令が流れ込んできた。『口を開け。何でもいいから食ってしまえ』と。そしてどうしようもなくなった私はその通りに事を進めたのであった。あぁ、空気が美味しい。この空気を食べているだけでお腹が膨れ…膨れ……
「膨れないぃ…」
そう、嘆いた瞬間であった。開いた私の口に何かが押し込まれる。それが何なのか理解する前に歯を立ててみると、ジュワッと甘塩っぱい果汁が口の中にあふれ込んでくる。その味に、そしてようやくありつけた食事に涙さえ出てくる。
そうして夢中になってがぶがぶとそれを食べていると、私の前からある声が聞こえた。
「美味しいよね。私も好きなんだ、この町の焼きとうもろこし!」
話しかけられた事により私は視線を上へと上げる。するとそこには私ににっこりと笑顔を向ける銀髪の女性の姿があった。そんな彼女が羽織る、灰色のローブ。そのローブにはウニストスを象徴するシンボルである、龍のマークが刺繍で入れられている。年齢的に恐らくウニストスに通う学生であろうか。
「美味しい。ありがとう、この御恩は生涯をかけて返す」
「大袈裟だなぁ。そんな大した事してないって!」
「いや、命を救われた。これから私の子孫は末代まで貴女様の一族に仕えます」
「とうもろこしの一本で…!?」
「私は仕えない」
「子孫だけに恩を返させようとしないで?」
そんな話をしていると、彼女の背後に立つ一人の人物と目が合った。短い青色のツーブロックの彼は眼鏡越しに私と銀髪の女性をじぃっと見ている。
「グレー」
「はいはい、行くってば会長」
銀髪の女性、グレーは私から離れて同じくウニストスの生徒である事を表す灰色のローブを着た青髪の彼の方へと向かう。そして別れ際にニコッとこちらに笑顔を向けた。
「それじゃあばいばい!」
「………」
無口な彼と一緒に彼女は立ち去ろうとする。確かに、出会ったばかりの人ならば当然の反応だ。食事を与えてくれた時点でかなりの善人である。なのでこれ以上高望みをするのは欲張りすぎなのではあるが…正直、殺人者が潜んでいるこの町で孤独に時間を過ごすのは心細い。厚かましいがそれでも何とか彼女と行動を共にしたいのだ。
だが、馬鹿正直に想いを伝えても相手がまともな一般人なら一瞬で断られるであろう。何か良い策はないものかと頭を悩ませていた時、二人の会話が耳に入ってきた。
「会長、いよいよあの計画の実行は今日ですね」
「………」
「いやぁ、いけるかなぁ…!緊張するね!会長!」
「………」
「このままだと遅刻だよねぇ…ちょっとペース上げよう」
「………」
計画やら何やら、気になる発言こそあるがそれ以上に私の意識は会長と呼ばれる男子生徒に向けられていた。彼はグレーの事を意図的に無視している訳ではなく、相当な無口なのだと見た。その証拠に彼は開きかけた口を閉ざし、こくこくと代わりに頷いている。
それこそが、この大天才リィハーによる作戦の要であった。名案を思い付いた私は二人の後をつける。
「待って!」
「ん?」
私の呼び声に二人は振り返る。そして、そんな彼らの目線を一身に受けつつ私は会長に抱きついた。その行動に会長は無表情に私を受け止め、グレーは驚いたように目を見開いている。そんな彼らに私は必殺の一言を食らわせた。
「いとこー!」
「従兄弟…?会長の従兄弟!?はえー…たまたまとうもろこしをご馳走した子が会長の身内だったとは…世界は狭いねぇ」
「………」
動じていないのか、会長は一言も話さない。…いや、頬を流れる冷や汗を見るに動揺はしている筈なのだ。しかし一向に否定しないのは彼が無口である故であろう。話したがらないのではなく、上手く話せないのだ。
しめたと言わんばかりに私は上目遣いで追い打ちをかける。
「会長、お願いがあるんだ」
「会長って従兄弟の子に会長呼びされてるんだね」
「夜までお母さん居なくて…だからそれまで連れてってくれる?」
「………」
「む…」
流石に怪しかったのか、会長が力で私を引き剥がそうとしているのを感じる。しかしここで引けばただの孤独な不審者として彼らとの関係が終わってしまう。耐えねばと必死にしがみついていた時、突然後ろからひょいっと持ち上げられた。
「会長、この子連れてこう!ぷにぷにしてて可愛いし、張り詰めてる生徒会の空気も和らぐよ!」
「………」
「決まり!それじゃ、レッツゴー!」
思わぬ増援、グレーによって何とか修羅場をくぐり抜ける事には成功した。何か言いたげなジト目の会長を他所に、彼女は私をぬいぐるみのように抱き抱えて上機嫌で歩き始める。
これにて一人にならない、そしてウニストスにも侵入出来るとまさに一石二鳥だ。あまりにも完璧すぎる私という存在があまりにも誇らしく、つい笑いが込み上げてきてしまいそうだ。
だがそんな完璧な私に、会長はグレーに聞こえないような声量で耳打ちしてきた。
「忠告」
「ん?」
「…グレーは幼女好き」
「え」
不吉な一文を言い終え、会長は私から離れる。そして何事も無かったかのようにグレーの横を歩き始めた。
冷や汗をかく私に頭上のグレーが話しかけてくる。
「可愛いね〜。…本当に、可愛い」
その一言に、ゾクッと背筋が凍った。
第一話の彼女とは無関係な回想から始まり、第二話では虫テロに遭った上にキャロが連れ去られ、第三話でアカマルがどっか行って更に怖い人について行く事となる。まだ始まったばかりでしかないというのに散々な目に遭ってるリィハーなのでした。