野菜だろう!
コツンコツンと廊下に自分の足音が静かに響く。質のいいインテリア、十分に手入れされた廊下、窓から見えるこの国の全体図、余計な騒音の無い静けさ。プルアとして生まれてから初めて過ごす朝という時間にワシは心底満足していた。
「上品な朝じゃ…」
こうして一人きりで過ごす静かな時間も悪くはない。昨夜もウェハヤの人格が混じっていたからか、イヴはワシの好みを把握していた様子で様々な興味深い書物を寝室へと持ってきてくれた。寝るという概念はワシには無いが、バッテリー充電の為に機能を停止させるまでじっくりと読書を嗜んでいた。
「そうだ、イヴの奴に今度美味い紅茶でもせびるとするかのう。…いや、精密機械じゃから飲み食いは禁止されておるんじゃったな。むぅ、そこら辺改善して欲しいが…」
やる事も無いのでとりあえずイヴを探そうと、そう心に決めた時であった。窓辺を歩いていたワシは外が何やら騒がしい事に気付く。
「もっとだ!気合い入れてけよ、キャロ!」
「いぇあ!」
「…何やっとるんじゃアイツら」
腕を組んで仁王立ちするアカマル、そして彼女の視線の先には右半身をアカマルの生み出したであろう巨大な水の玉の中に漬けているキャロの姿があった。キャロは目を閉じ、両手を広げて微動だにしない。
「自分の身体をホースだと思え!水の中に居る感覚を覚え、右手から左手に水を移動させて出してみようと思うんだ!」
「いぇあ!」
「これはまだまだ初期段階だぞ。その感覚に慣れたら次は自分の体内の水分を意識しろ!唾液でもなんでもいい。最も身近な水はお前の体内にある!」
「いぇあ!」
「…精神科医でも呼ぶしかないか」
可哀想な二人を放置し、ワシはそのまま廊下を再び歩き始める事にした。きっと奴らも疲れているのだろう。死ぬかもしれない環境で戦っていたのだ、心の一つや二つ壊れてもおかしくはない。
自身のメンテナンスに加え、良い精神科医の相談をする為に尚更イヴが必要だと探し始めようとした時であった。目の前から妙なシルエットの少女がやって来る。
「む、リィハーか。おはようさん」
「プルプル。おはよう」
「…で、その頭はどうしたんじゃ?」
ワシはリィハーの頭に乗っているものを指差す。そこには森で出会った熊に寄生していた筈のキノコが生えていた。さも当たり前かのような顔をしてリィハーは答える。
「お洒落でしょ?」
「いやぁ…?お洒落か…?」
「プルプルは元おじさんだもんね。お洒落あんまり分からないか」
「馬鹿にするなよ?少なくともそれが変である事ぐらいは分かるぞ」
「………」
「リィハー?」
「…あっ、何?聞いてなかった」
珍しく上の空な彼女にワシは首を傾げた。そして、そのまま思った通りの疑問を口に出す。
「どうした?何かあったなら話聞くぞ」
「違う。何かあった訳じゃない」
「む、なら何を考えていたんじゃ?」
少し言いにくそうに目を逸らし、彼女は口を開いた。
「このキノコ、あるでしょ?彼…彼女?分かんない。彼に私の脳を寄生させててさ」
「…乗っ取られかけてたから上の空だったのか?」
「違う違う。今、キノコは私の脳と自分の脳を接続して自分の記憶を見せてるの。この国を束ねる王として国民が何者なのかぐらいは知っておかないといけないから」
「ふーん…思っていたより真面目じゃないか。それで、何が分かったんじゃ?」
「このキノコの名前はゲンキ。クママルと同じ森に住むキノコの魔物。どうやら力を分け与える性質を活かして元々森では何でも屋のようにかわりばんこで色んな生物に寄生していたんだと」
「ほう。魔族の世界にも色々あるもんじゃのう」
「そしてクママルがやって来て、元々彼と仲の良かったゲンキはクママルと一緒に危険な戦場へと行く事に決めた。そして騒動が終わり、クママルが行くなら自分もという気持ちで着いてきたみたい」
「熊とキノコが仲良いなんて話は想像しにくいが…そういった経緯だったんじゃなぁ」
「二人が仲良しになったのはゲンキが魔族になった事と関係してるみたい」
「何じゃと?」
リィハーは頷き、話を続ける。
「元々ゲンキは普通の毒キノコだった。だからキノコ狩りに来る人達をよく見る事はあっても、決して収穫はされない。そんな毎日を送っているから他の食べれるキノコ達よりも人間を観察する機会が多かった」
「確かにそうなるじゃろうな」
「そんな中、いつものようにキノコ狩りへ来た人間達の観察していたゲンキは彼らが興味深い事を話しているのに気が付いた」
「興味深い事?何じゃ、それは」
「ずばり、キノコは野菜なのかどうか」
「…は?」
「キノコは他の野菜みたいに生えてるし、実に美味しい。だけど野菜達とは栄養を摂取するシステム自体が違う。光合成をする植物達と違って、キノコは光合成をする事が出来ない。だからキノコは植物じゃなくて菌類なんだよ」
「…はぁ。それがどうした?」
「当然、ゲンキはそんな事を考えた事すらない。けどたまたまキノコ狩りに来ていた二人の人間がキノコは野菜なのか違うのかどうかで議論を交わしてたんだ。その結果…」
「その結果…?」
「自分が野菜なのかどうかが気になったゲンキはその事実をどうしても確かめたくなって魔族となった。そしてその後クママルと出会い…」
「待て待て待て待て!?」
さらっと重要な事を口にした彼女の肩をワシは思わず掴んだ。するとリィハーは怪訝な顔で焦りに焦ったこちらの姿を冷ややかに見る。
「何?」
「いや…魔族になったと言うがその過程はどうした!?そこが一番大事じゃろうが!」
「そんなに声を荒らげなくても。別によくない?」
「良かないわい!こちとら息子が魔族になっておるんじゃ!魔族になる条件を知っておかねばならん!」
「まぁまぁ落ち着いて」
リィハーはコホンと小さく咳をすると、静かに話し始めた。
「『石風』だよ」
「せきふう?」
「時折、吹いている風が一点に集中する事がある。そして全方位からやって来る風がぶつかり…いつの間にかそこに一つの石が生成される。それが石風という現象」
「どういう原理で…」
「風によって生み出される訳じゃないよ。私達がポケットから物を取り出す時に手をつかうみたいに、別空間にある石を複数の風が協力して取り出しているの」
「まるで風に意志があるとでも言いたげじゃな?…石だけに」
「五月蝿い」
「すまん」
「でもその考えは合ってるよ。風は決してただの自然現象何かじゃない」
「それはつまり…どういう…?」
「話が逸れた。魔族になる条件の話に戻ろうか」
ワシは彼女に疑問を投げかけたが、それを躱すように彼女は話題を元に戻した。その様子に納得こそ出来なかったが、彼女が話すのを拒んでいるように感じそれ以上深くは追求しなかった。
彼女は条件について語り始める。
「石風が生み出した石、それは魔石なの。他の魔石とは違って色の無い、硝子のように透明な魔石。その魔石に触れると魔石は分解し、触れた者の体内へと吸い込まれる。その結果取り込んだ者は魔族となる」
「じゃが…その魔石は何なんじゃ?魔石の定義は魔鋼から採る事の出来る特別な力を持った石。話には魔鋼など関係はない。更に言うと魔族になる為に魔鋼が必要なら原初の魔族は何処から来た?」
「起源については心当たりこそあれど、根拠は無い。下手に混乱させるぐらいなら私は黙る」
「…?」
そう言う彼女は、何やら達観したような目をしていた。まるでワシ、いや自分以外の全ての者を上から見下ろしているかのような、そんな目だ。まだ齢十歳にも満たない子供の言う事なのに、それは何故だか真に迫るようだ。
そんな彼女は左手を振りながら足を再び動かした。
「それじゃ、私はゲンキをクママルの所に返してくるから。ばいばい」
「お、おう。また後でな」
そう言い残して彼女はこの場を去った。とてとてと小さな歩幅で歩く少女の背中を見送りながら、ワシは一人呟いた。
「風…か」
人生経験の多い、ミチバとウェハヤの知識と知能を元にワシという人格は存在している。だからこそワシは生まれたばかりでも、随分とこの世界については詳しい筈なのだ。
だが、今自分が抱いているもやもやとした気持ちは何なのだろう。自分が知り尽くしたと思っていた世界の知らない面に、怯えているのだろうか。自分が今まで蓄えていた常識が崩れてしまう事を、恐れているのだろうか。
「…ま、深く考えても仕方あるまい。本当に大事な事ならいずれ知る事もあるじゃろう」
リィハーの背中から視線を外し、改めて自分の進行方向へと向き直る。そして何事も無かったかのようにワシは足を動かした。窓の外を眺めながらゆったりと長い廊下を進む。
「今日の風は穏やかじゃな」
ネタバレにならない程度に話していい没設定は意外にもそこまで多くなかった。という事で伝え忘れがなければユウド編の設定集最後のお時間です。
『グロテスク』。キャロが来る前から魔族の国に居た初期メンバーです。彼が魔族となった経緯に関してはもう書いてしまうかそれとも謎に包んだままにしておくかは悩みました。そして魔族になった経緯を描写した場合…彼はユウドで命を落とすという展開にしようともしていました。
これは決してキャラクターに思い入れが無いという訳ではなく、読者に安心して欲しくないという作者の思いです。メインキャラだから死なない、どうせ何も起こらないという考えを早いうちから否定しておきたかったのです。でなければ緊迫感が生まれません。ですが結果としてグロテスクさんは生き残る事となりました。理由として彼にはまだやれる事が沢山あるという事、そしてサエルさんがプルアに吸収されない方向性で話が固まった事です。
という事で、何とか生き残ってくれたグロテスクさんでした。彼が退場してしまえば生活能力の無い人達が残されてしまうので危なかったですね。




