魔族の国
「あの、いつまでここに…?」
気まずい沈黙を破り私は目の前の骸骨に話しかける。今、私達は村近くの森の中へとやって来ていた。だが森に入るや否や彼は倒れた木の上に座り込み、一向にそこから動こうとしない。長い間何も言わずに私も傍に居たが、とうとう静寂に耐えられず聞いてしまった。
私の言葉を聞き、骸骨の彼は不満そうに顔を歪ませる。
「お前、民間人用馬車も待てないタイプだな。規定の時間に来るっつってんのにグチグチ抜かす奴だ」
「王都では主流の移動手段らしいね。乗った事無いからいつか乗ってみたい」
「あー、そうだったな。世間知らずの芋野郎が…」
相変わらず彼は私に対して辛辣な言葉を吐く。多少は慣れてきたと言えども、やはりその高圧的な態度には一瞬びくりと反応してしまう。仲間になった以上、いちいち気にしてはいられないのだが。
「それで、どうしてここで何もせずに待機してるの?さっきの話から察するに、何かを待ってるとか?」
「そうだ。…お前、一日何時間かぐらいは知ってるよな?」
「うん。二十時間だよね?」
「芋野郎でもそれぐらいは知ってたか。そんじゃ、この時計を見ろ」
そう言って彼は乱雑に小さな物体を投げ付ける。何とかその金縁の時計をキャッチし、現在の時刻を確認してみると時刻は十一時六分を指していた。
「うちの国は行く方法が特殊でな。決められた時間にしか入れないんだ」
「決められた時間…」
「同じ数字が羅列されている状態、言わばゾロ目だな。一部の地域ではゾロ目は縁起のいい数字だと言われてるんだ」
「…その縁起のいい時に、国へ入れるようになるの?」
「話が早くていいな。とは言っても全部を合わせる必要は無い。最初の数字は度外視して、最後の三桁が同じなら入る事が出来る。例えば十二時二十二分でも入れるってこったな。俺達は今、十一時十一分を狙っている」
「魔族なのに、縁起の良さに拘るんだね」
「まァ、俺達の王の趣味だ」
「王…そっか。国である以上、王様は居るもんね。どんな人なの?」
「あー…」
言葉を選んでいるのか、彼は唸る。真面目に悩んでいるのか彼は目を細め、顎に手を添えている。
「そうだな…一言で言やぁまだまだ未熟な餓鬼だ。我儘放題のロクデナシだな」
「あんまり良い人じゃないの?」
「それとこれとは話が別だ。まァ、なんて言うかな。少なくとも俺を含めた三人はアイツという存在に惹かれて仕える事にしたんだ。他の二人と比べりゃあ俺が一番古株だがな」
「へぇー…会ってみたいな、その王様に」
「心配しなくてもすぐ会える。もうすぐ来るぞ、時間が」
ハッとして手元の時計を見てみると、長針は十を指していた。あと一分で魔族の国へ行ける。恐ろしい反面、何だかドキドキしている自分も居た。そんな心境を見透かしたかのように骸骨は鼻で笑う。
「そんなに楽しみか?魔族の巣窟へ行くのが」
「うん。村を出るのは初めてだから」
「大した胆力だ」
そうぼやきながら、骸骨はポケットに手を突っ込む。そして再び露わにしたその手には小さな紫色の宝石が握られていた。まるで夜空を閉じ込めたようなその宝石に、私は興味が湧く。
「それ何?」
「こいつは俺達の国に行く為に必要な物、まァ平たく言やぁ鍵って所か」
「それが必要なの…?」
「ウダウダ言ってねぇで見とけ。…時間だ」
彼はそう言い、自身の視線を宝石に向ける。そこで私もようやく気が付いた。その紫色の宝石は徐々に、明度を増していっている事を。段々と白くなっていくその宝石を骸骨は地面に捨てた。
すると突然、捨てられた宝石は消えた。いや、消えたのではない。その宝石としての姿はまるで霧のように宙で分散し、やがて別の姿へ形作っていく。まるで生きているかのような霧の動きに私は思わず驚きの声を漏らしてしまった。
「凄い…まるで龍みたい…」
雲で出来た龍のような存在は辺りを飛び回り、私達二人を包む。夢と見間違えるようなそんな状況。異世界に来てしまったのだと錯覚してしまうような幻想。先程から鳴り響いていた鼓動は更に煩くなっていく。
私達を包んでいた、雲の龍。そんな龍の夜空を思わせる瞳のような光と、目が合う。
「触れてみろ」
「えっ。噛んだりしない?」
「噛むか。良いから触れてみろ臆病者」
龍は私の行動を静かに待っている。何が起こるのかは分からないが、とにかく言われた通りにしてみようと決めた。恐る恐る手を伸ばし、龍の額に触れる。
すると、意識が朦朧としてきた。視界は歪に歪み、全身に強風を受けているかのような感覚に陥る。まるで自分の身体が消えていくような不思議な気分だ。その未知の感覚に私は思わず目を閉じた。
そして、その感覚が消えたと同時に私は瞼を開く。
「ここは…」
目を開いた時、真っ先に視界に映ったのは異質な空だった。私の知る青い空とは程遠い、落ち着いた濃い色の黄色い空。今まで当たり前に認識していた空の変貌に普通ならば慌てふためくべきなんだろうが、あの黄色い空を見ていると妙に心の底から安心感が湧き出てくる。
「…空ばっかり見やがって。今自分が居るのは何処か確認したのか?」
「今居る場所…?」
そこで私は自分が置かれた状況を理解した。赤黒い石造の民家が並び、灰色の石造りの地面の合間からは不自然な程に青い植物が生えている。どう見たってそこは私が先程まで居た場所ではなかった。
「ここが…魔族の国?」
「まぁまぁの広さだろ。つってもこんなに家はあるが、まだ入居者は居ねぇ。国民が不足しているからな。今この国に居る奴は皆んな城に住んでるよ」
「城?」
「その目は節穴か?空見る前にあれを見やがれ」
そう言うと彼はその白く細い指で遠方を指差す。そこには確かに、吸血鬼でも住んでいそうな程の禍々しさを放つ黒いお城があった。まるで全ての者を威圧するかのような、入れば二度と生きては帰れぬと錯覚を受けるような、悪の帝王に相応しいお城だ。
「お望みの王はあそこに居る。後は勝手に自分の足で行け」
「えっ、来てくれないの?」
「当たり前だ。見ず知らずの餓鬼の世話をいちいち焼くほど俺は暇じゃない。調べ物があるんだ」
「そっか…分かった。けど他の魔族の人と会っちゃったらどうすればいいの?」
「俺の名前でも出しときゃ信用するさ。あいつらは馬鹿だからな」
「名前…貴方の名前って何?」
その言葉が意外だったのか、彼は目を丸める。
「…そう言やぁまだ名前も教えてねぇのか」
「そうだね。私の名前はキャロ」
「俺はプラントだ。…じゃ、後は勝手に頑張れ」
名前を教えると、彼は半分投げやりにその場を立ち去ろうとする。彼の言う通り、いつまでも甘えてはいられない。だが懲りない私はもう一度彼の手を引っ張った。
「何だ?いい加減に…」
「あの…ありがとう。私を助けて、ここまで案内してくれて」
「あ?」
「プラントさんが居なかったら、私は絶望したまま命を落としてた。本当に、ありがとう」
「馬鹿が、思い上がるなよ。お前みたいな人間の子供には利用価値がある。使えねぇと分かりゃ直ぐに殺してやるさ。精々足掻けよ?」
「頑張る!」
「…調子狂うな」
プラントさんは袖を掴む私の手を無理矢理引き剥がす。彼は相変わらずの無愛想な態度でそのまま家と家の間の小道へと入って行く。別れの言葉が無いのはまたすぐに会えるから。魔物ではあるが恩人である以上、感情を持った私にとってそれはとても有難い事である。
「またね、プラントさん。…よしっ!それじゃあお城に行こう!」
遠くに見える城への第一歩。きっと何とかなる、勇気を出すんだ私。そう思いながら大きな一歩を踏みしめようとした瞬間、異変が起きた。
『ドガァァァァァアン!!!』
「…え?」
遠くに見える魔王の城。その一室が…突如爆発したのだ。何が起こったのかは分からないが、異常な量の黒い煙は明らかな非常事態を意味していた。
「誰か今の爆発に巻き込まれてるかも…!は、早く行かなくちゃ!」
硬い石の道を踏みしめ、私は全力で目的地へと走り出した。