バトンタッチ
「ありがとうございます…!貴女様は命の恩人でございます…!」
そう言って老婆は私に何度も頭を下げる。あまりにも仰々しい行動に苦笑いが溢れる中、私は一歩後ろへ下がった。
「気にしないで下さい。それが私達騎士の役目ですから」
「騎士様…もし仕事を終えたら是非私の元へいらして下さい。出来る限りのおもてなしはさせてもらいます」
「あはは…町があんな無茶苦茶になってたらこの後の生活が大変ですし自分の事だけに専念して下さいよ。御礼の事は本当に気にしないで下さい。では」
足の悪い老婆をユウドの町の正門まで送り届けた私は再び町の中へと駆け出す。もう今日で何往復したか分からない。だがその甲斐もあってか、町に取り残された町民の数はもうほぼ残されてはいないだろう。ユウドの町の人口は二千人程。町の外に佇む避難民達の数を見てみれば大半の者は避難済なのだ。後はあのナルシスト野郎と合流して魔鋼の殲滅をすればいい。
そう思い、どんどんと数を増やす怪物達を横目にシャンさんを探していた時であった。私は道の真ん中にて大の字で寝転がる成人男性の姿を目にする。
「…シャンさん、何してるんですか?」
私の声に気付いたのか、少年のように純粋な瞳で彼は私を見上げた。
「おや、我が有能なる子猫ちゃんのシャドじゃないか」
「新人騎士の私によく言いますよ…それで、シャンさんはこんな所で何してるんですか?」
「そうだねぇ、一杯食わせられたって感じかな☆」
「…誰にですか?」
「詳しい事は帰り道で話すよ。とりあえず今言える事は、いずれ強大になりそうな魔族の集まりがあったって事かな。僕ちんは彼女らに完敗してきた所さ☆」
「はぁ…シャンさん、その言い方からして女の人が相手だったでしょう?手加減しましたね?」
「いや?十割の力を出し切ったよ。尤も男が相手だと僕ちんは二十割の力を出すけどね」
「それを世間では五割と言うんですよ」
「そうかもねっ」
魔族を取り逃したというのに変わらず能天気に彼は立ち上がった。そして冷たい目で見る私の手を握る。
「それじゃっ、ちゃっちゃと仕事終わらせちゃおっか!魔鋼を殲滅したら何か奢ってあげるよ」
「…あの」
「ん?どうしたのかな?見蕩れた?」
「違います。…えっと、何でまだまだ騎士としてひよっこの私を気にかけてくれるんですか?実力で言えばもっと有能な人は何人も…いえ私より下を探す方が難しい筈です。何故ですか?」
「そうだねぇ」
彼は適当に足を伸ばして数歩歩くと、私の方を振り向いて言った。
「僕ちんと君、名前が似てるから☆」
「それだけの理由で…!?」
「悪いかい?」
「いえ…もっと大それた理由があるのかと…」
相変わらず、この人は何を考えているか分からない。私が選ばれたのには別になんの理由も無かったんだなと考えると…少し寂しい気持ちもある。ずっと疑問に思っていたのだ。何故私なんかが騎士団長様と同行出来ているのかを。その理由が判明して納得するべきだ。自分が特別だから、なんて思い上がった考え方をしてはいけない。
モヤモヤしながらそれを誤魔化そうと思考を回す私だったが、彼の一言は私の頭を空っぽにした。
「大それた理由だよ。僕ちんは運命を信じる質でね。僕の前に現れた可愛い子が似た名前だなんて、運命感じないかい?僕ちんは一目見て気付いたよ。この人は運命の人だって」
「はぁ!?えっ…え?運命の人…って…」
「顔が赤いよ子猫ちゃん☆」
「五月蝿いですよ…!」
「さぁーて。無駄話もこれぐらいにしていい加減片付けちゃおう。破壊音が耳障りだ」
そう言って彼は私に背を向ける。つくづく…何処まで本気か分からない人だ。
〜〜〜〜〜〜〜
プルアが出て行ってどれくらいの時間が経っただろうか。あれからというもの僕達は何も言わずにただただ同じ空間で窓の外を見ていた。町はやはり、僕の想像していた以上の地獄絵図と化していた。そんな光景を遠い目で眺めながら兄さんは煙草を吸っている。
そんな彼は突然口を開いた。
「なぁ、イヴ」
「どうしたの?兄さん」
「お前…これからどうする気だ」
僕は少し黙り、彼の問いに答えた。
「仲間達と一緒に国へ帰るよ。今の僕はイヴじゃなくてグロテスクだ。人間としての生き方は捨てる」
「そうか」
「反対しないの?」
「俺はお前を信頼している。お前がそう決めたならそれは正しい事だ」
そう言って彼は煙草の煙を吐く。そんな彼に、僕は聞いた。
「兄さんはこれからどうするの?」
「町の崩壊に巻き込まれてもまだ生きていたなら…自首しようと思う。俺はあまりにも他者の命を奪いすぎた。もう清廉潔白でもないんだ、今更みっともなく足掻く事はしない」
「でも…もし自首すれば…」
「間違いなく、死刑だろうな。しでかしてしまった事を思えば当然の報いだ」
「………」
これは彼が納得した事であり、世間的に見れば彼が死を持って償うのは正しい事だ。しかし…この感情はそんな簡単に割り切れるものじゃない。たった一人の兄なのだ。そんな彼が死に向かう事に…僕は内心酷く心が締め付けられた。きっと僕が彼を無理やり逃がそうとも、恐らく兄さんは死を選ぶ筈だ。もう、僕にはどうしようもない。
だが僕のそんな心境を一蹴するかのように兄さんは鼻で笑った。
「俺はお前にそんな顔をさせる為に打ち明けたんじゃないぞ」
「でも…」
「俺はこの結果に満足している。拠り所を失い…いや、サエルという拠り所に気付けなかった俺は迷走していた。そして、愛していた筈の人間を理想の世界を創る為の礎にした。そんな極悪人にしては幸福すぎる末路だ」
「幸福…?」
「想いを託せる者が居るからだ。イヴ、お前は歪んでいた俺とは違って純粋な善人だ。そして、俺の自慢の弟でもある。俺が成し遂げられなかった世界平和を…お前なら俺が目指していたのとは違う方法で叶えてくれる気がするんだ」
「………」
「身勝手な兄ですまない。どうか俺の願いを継いでくれないか?」
こちらを真っ直ぐ見つめるその瞳に対する答えは、もう決まっていた。
「叶えてみせるよ。だって僕は不可能を可能に変えてきた天才だから。そして…アダム・ヴゥイムの弟だから」
「…男の目をするようになったな、イヴ」
「いつまでも子供扱いしないでよ」
「あぁ…そうだな」
彼は最後の煙草を吸い終わると、僅かに口角を上げた。
「頼んだぞ。俺が愛し、憎んだこの世界を…救ってやってくれ」
「任せて。兄さんが死以外の方法で罪を償えた時…きっと世界は良い方に動いているよ」
「夢の見すぎだ。甘い事を言っている暇があったらそろそろ行け。もうとっくにプルア達が地下の動力を破壊している頃だろう。いずれこの町は崩壊する」
僕は少し俯き、そして兄さんに背を向けた。そのままコツンコツンと足音だけが部屋に響く中…彼のぶっきらぼうな言葉が僕の背中を押した。
「達者でな」
「うん。今までありがとう、本当に」
過去に別れを告げ、僕は再び魔族として生きる為の扉を開いた。
〜〜〜〜〜〜〜
「見えたぞ、正門じゃ」
全身をどっと襲う疲れにうとうととしていた私だったが、その言葉に脳を覚醒させた。目を覚まして前も見てみると確かにすぐ近くには町の外へと通ずる正門がある。シャンさんとの戦いの後、彼女は私を背負ったままここまで走ってくれたのだ。
「やっと…終わりだね。何日もこの町に居たような気がするよ…」
「とんだ観光じゃったな。何はともあれ、これでもう安全じゃ」
「うん。皆んな…ちゃんと避難してるといいけど…」
安堵と心配を胸に、私達は正門を抜けた。するとそこに広がる平原には人がびっしりと埋め尽くされていた。その光景はユウドの町とは違い、安全そのものである事を意味していた。ここでリィちゃんと一緒にかけっこをしたのも最早懐かしく感じる。
そうして人の中から他の皆んなを見つけ出そうとした時であった。私とプルアさんの姿を見るなり、人々はどよどよと突然騒がしくなる。
「あ、アイツは…」
「嘘…!」
揃いも揃って青冷めた表情をする町民達に私は首を傾げた。そんな中、全てを悟ったような表情のプルアさんが私に小声で教えてくれる。
「こいつらは皆、ワシを知っとるんじゃ。その昔…イヴがワシを使った実験に失敗して人を殺めたのを見ておるからな」
「って事は…ミチバさんも知ってたの?」
「知っていたが、イヴの人望故にあの事件は無かった事にされた。あんな悲惨な結果を思い出さないように皆んな知らないふりを続けていたんじゃ。しかし、今となってはもうそんな事言っていられないじゃろうな」
その言葉の意味が分からなかったが、私はすぐにその真意を思い知らされる事となった。プルアさんを指差しながら一人の男性が立ち上がったのだ。
「こいつだ!こいつがこの町を滅茶苦茶にしやがったんだ!そうに違いない!」
「イヴ様が作った町をイヴ様の作った失敗作が暴走させたという事か…!?」
「お前…いい加減にしろよ!何処までもイヴ様の想いを踏みにじるような真似しやがって…!あの人は命を奪いたくてお前みたいな殺戮兵器を造ったんじゃねぇんだぞ!」
「そうだ、アダム様の姿が見えないと思ったが…お前が何かしたんじゃないだろうな!?」
「悪夢はまだ…終わってなかったのね…」
一人、また一人と立ち上がり…プルアを責め立てる声は徐々に大きくなっていった。彼らは今ここで何が起こったのかを把握していないのだ。だからこそ、過去に自分達が思い出の中に閉じ込めた忌むべき存在を前に怒りと悲しみをぶつけているのだ。でも…プルアさんは何もしていない。
向けられる悪意に身を震わせながら、私は何とかプルアさんに話しかける。
「プルアさんは何もしてないよ!あの人達だって、本当の事を知れば…」
「子供が変に励まそうとするんじゃない。キャロ、降ろすぞ」
そう言って彼女は私を地面に座らせる。そしてゆっくりと群衆の元へと歩み始めた。その行動に最前列に佇む人達は冷や汗を流しながら彼女を睨む。
「な、何だよ…」
怯える彼らを前に、プルアさんは声を張り上げた。
「この中にクルミという男は居らんか!」
「は…?」
突然に指名に人々は困惑したように黙り込んだ。そして彼らの怒号や責め立てる声が止んだ時、人混みを掻き分けながら二人の人物が私達の前に姿を現した。
緑色の髭をした初老の男性、そして彼に支えられながら歩く目から光の消えた生気の無い男性。それは…アカマルと話していたラッソーさんとミチバさんの義理の息子、クルミさんであった。
ラッソーさんは怯えた目をしながらプルアさんの方を見る。
「私はこのクルミの上司、ラッソーだ。我が部下に何の用だ」
「そんな顔するんじゃないわい。安心せい、お前の可愛い部下には手を出さん。少し話があるだけじゃ」
「…約束を破ってみろ。お前をスクラップにしてやるからな」
「足が震えておるぞ。いいから肩の力抜け」
彼らがそんなやり取りをしていると、その暗い闇を宿した瞳をクルミさんは上げる。
「私に…何か御用ですか…」
「こっちへ来い」
「………」
「噛みはせんからはよせい」
クルミさんとラッソーさんは互いに顔を見合わせる。しばらく見つめ合っていた彼らだったが、やがてラッソーさんは覚悟を決めたようにクルミさんを支えていた手を離した。そしてクルミさんはプルアさんに一歩近付く。
その瞬間、プルアさんはクルミさんを抱き締めた。
「何を…」
「何をもあれよもあるかい。…最後に息子の顔を拝めたんじゃ。せめて一度ぐらい、抱き締めさせてくれ」
「え…!」
彼女の言葉に、クルミさんは先程のやつれていた姿からは想像も出来ない程に大きく目を見開いた。彼の目に映るプルアさんの姿は彼のお義父さんとは似ても似つかない。しかし、クルミさんは何かを察したように震える唇を動かした。
「おとう…さん…?お義父さんなのか!?本当に…!」
「あぁ。お主の父、ミチバじゃ」
「お義父さんッ…!」
彼はまるで幼児のように、プルアさんの胸の中で泣きじゃくる。
「良かったぁ…!せめてお義父さんは生きててくれて…!本当に…良かったぁ…」
「生きておるかは微妙じゃろう。見てみろこの姿」
「どんな姿になってもお義父さんはお義父さんだ…!あのさ、お義父さん…ヌイ、ヌイは死んだって…もうどうしたらいいか…」
「落ち着け」
彼を力強く抱き締めると、彼女は優しく言葉を連ねる。
「この世は誰が死ぬか分からない、そういう場所じゃ。実の娘を失って辛いのは分かる。じゃがな…ワシはヌイが死ぬその瞬間を見ていた」
「何だって…!?」
「ユウドで起こった失踪事件、それは魔法を扱える者をこの機械人形が襲い、魂ごと魔力を奪い取っていたというものじゃった。じゃからワシは…この機械人形の身体を得た時、今まで起こっていた惨劇の全てを知った」
「………」
「ヌイがこの事件の真相を知った時…彼女は笑っておったよ。『良かった、魔法が使えない私の家族は狙われないんだ』と。そしてそのまま、あの世へ逝った。実に満足そうにな」
「ヌイ…」
「…預かり物じゃ」
プルアさんが小さく何かを呟くと、彼女の手に突然何かが出現する。それは白と灰色の布で作られた…可愛らしいネズミのぬいぐるみであった。彼女はそのぬいぐるみをクルミさんに渡す。
「懐かしいのう。ヌイが初めて魔法を使えるようになったのは…あやつの五歳の誕生日にお主がネズミを捕まえてきた時じゃったか。結局ネズミは長生きせんかったが…あの時のヌイの喜びようといったらまるで天使のようじゃった。名前は『メイ』じゃったかのう」
「灰色の毛並みに白い毛が混じってて可愛かった…そっくりだよ…!このぬいぐるみは…メイに…!」
「ヌイが死んだ時、最期に魔法でメイのぬいぐるみを作ったんじゃ。その時のぬいぐるみはもう無いが…ヌイの意思を継いでワシが魔法で作った。我ながら再現度は高いぞ」
「ウ…ウゥ……」
言葉にならず、クルミさんはただ嗚咽を漏らしていた。そんな中人混みを掻き分けて一人の人物が走ってくる。その泣き腫らしたように真っ赤な目をした女性はプルアさんとクルミさんに抱きついた。
「あなた…!お父さん…!」
「キシヤ!お前…!」
「心配してたのよ…!お父さんもあなたもヌイを探しに行ったっきり帰って来ないから…私一人で心細くて…皆んな死んじゃったんじゃないかって…!」
「キシヤ…でもヌイは…」
「家族皆んなが死んだと思ってもう涙が枯れる程泣いたわ…だから、せめて二人が生きてて嬉しいかった…正直ヌイの事を乗り越えられるとは思えない。だから、私一人残されなくて…良かった…」
「一人にさせてごめん。心配させてごめん…!私が悪かった…!辛いのは私だけじゃなかったというのに…」
「いいの。こうしてあなたと再会出来たのだから…」
「キシヤ…」
そうして感情的に声が震える彼らを、プルアさんは優しい目で見ていた。そしてふふっと小さく笑うと、抱き締めていた腕を離して彼らの頭を撫でる。
「もう、お主らに対する心残りはすっかり消えたわい。傍に誰かが居るなら互いに寄り添いあえ。この事件の黒幕のように、一人で抱え込むな」
「お義父さん…」
「二人の幸せを願っておるぞ。ワシはもう、魔族としてここから立ち去らなければならん」
「待って、行かないで…!お父さん…!」
名残惜しそうにプルアさんを見つめる二人に、彼女は言った。
「お主らに、ワシが一番好きな言葉を送ろう」
「………」
「『過去を喰らい尽くす創造者となれ』。いつの世も新しい時代を創るのは過去を我が物とした者だけじゃ。ヌイを失った最悪の過去は呪いではない。ヌイはその人生をかけて、お主らに大切な何かを残した。それが何なのかを噛み締めながら、お主らは自分の人生を生きろ」
「…はい!私は、お義父さんのように聡く強い男になってみせます!ヌイの想いも…未来へと連れて行きます!」
「お父さん…今まで育ててくれてありがとう。ずっと言えずにいたけど…大好きだよ」
「二人とも元気でな。幸せに暮らすんじゃぞ」
二人の頭からプルアさんの手が離れる。その様子を二人は涙を堪えるように歯を食いしばり、希望に光るその目で彼女の後ろ姿を黙って見ていた。これ以上、父との別れに口を挟むのは野暮だから。
私の元へ戻ってきたプルアさんは私の事を再び背負う。
「待たせてすまんかったな。恐らく奴らは例の馬車に乗っておるんじゃろう。行くぞ」
「…プルアさん、良い仕事したね!」
「ん?あぁ…大した事じゃない。ワシはプルアであって、ミチバではない。奴らなど本来放っておいても良かったんじゃが…」
プルアさんはチラリとクルミさんとキシヤさんを見る。そこには互いを抱きしめ合いながら涙を流す夫婦の姿があった。そんな彼らを見て、プルアさんは笑う。
「ミチバの想いを伝えてやるべきだと思ったんでな」
「ふふっ。二人には伝わってたよ。ミチバさんの想い」
「そうじゃな。随分と家族を気にかけておった老人じゃった」
「だね」
プルアさんへの罵倒は完全に消え去り、一同は傷を慰め合う夫婦の抱擁を静かに眺めていた。そんな中、私とプルアさんは彼らの視界からゆっくりと消え去った。
作中でシャンさんが運命を信じると発言していましたが…作者である私も運命論を信じています。誰の元に生まれ、どういう環境で育ち、いつ死ぬか。それらの事全てに理由があり、必ず自分や誰かに影響を与えて人生の幕を閉じるんだと思います。自分の役目を終えて死に、そしてまた新しい使命を果たす為に生まれ変わる。それが真実であれ、ただの想像であれ…そう思った方が前を向けるような気がします。