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少女は魔族となった  作者: 不定期便
機械は人間となった
28/123

何があっても永久に…

コツンコツンと、硬い床を鳴らす音がこの空間を支配する。屋敷の外からは硬いものが壊れる音や、爆発音といった轟音がうっすらと響いている。きっと外は僕の想像する以上の地獄絵図と化しているのだろう。それでも、僕の足はとある一室の机に向かって歩みを止めない。


机の上に置いてある日記に触れ、そして同時に机にある染みにも気が付いた。


「血…」


思えばサエルさんの腕にはいくつもの切り傷があった。記憶を失った自分が易々と触れるべきではないと、そう判断して見て見ぬふりをしていた。けど、今は知りたい。あの人は何者だったのか。死んだ筈の僕が目を見開いた時…どうしてあんなにも満足そうな顔をして消えていったのか。


そんな疑問を胸に、僕は日記を開く。


『この気持ちを忘れないように、今まで手付かずだった日記を始めます。今日、私はイヴ様とお友達になりました。誰かと遊び、お友達になるなんて経験は初めてで…何だか妙に胸騒ぎが落ち着きません…』


『一日だけの気の迷いかと心配していましたが、イヴ様は今日も私の元へとやって来てくれました。昨日御父様に怒られた後なので落ち着いた遊びをしようと、彼は自室へ私を招待して様々な興味深い発明品を見せてくれました』


『今日もイヴ様と遊びました。彼は私が悲しそうな顔をすると決まって突拍子もない行動をし、私を笑わせてくれます。ごっこ遊びの時も私の気持ちを第一に考えてくれていて、胸が暖かくなりました』


『今日のイヴ様は私を連れて町を案内してくれました。普段屋敷内でしか行動出来ない私にとって外の世界は興味深く、イヴ様と一緒ならばどんなものでも見てて面白かったです。今度は町の外もイヴ様と一緒に行ってみたいです』


『いつも通りイヴ様と遊んでいると、今日はアダム様もやってきました。彼は私にも優しく接してくれ、イヴ様とアダム様が仲良く話しているのを見ると何だかドキドキしてしまいます。男性同士の恋愛、というものを本で読んだ事がありますが…御二人はお似合いに思えます!』


『今日もイヴ様は私を連れ…』


『イヴ様がびっくりするような事をしました。なんとイヴ様は…』


『今でも顔が緩んでしまいます。イヴ様は…』


『イヴ様…』


『イヴ様は…』


途中まで読んで、僕は日記を閉じた。これ以上…読めなかったのだ。日記に僕の名前が出てくる度に酷く胸が締め付けられるからだ。毎日のように僕と遊んだ彼女の記録を見て、僕は頭を抱える。


「何で…何で忘れてるんだよ…!僕は…!」


どう足掻いても、サエルさんとの思い出を取り戻す事は出来ない。今の僕にとって、彼女は会ったばかりの他人なのだ。だが…彼女にとっては、僕はかけがえのない友人であった。僕のとった行動の一つ一つが、彼女を苦しめていたであろう。


「何となく分かる…この誰かが自分の中に居るような感覚は多分…サエルさんだ。サエルさんが命を託してくれたんだ…!何も覚えてない…僕に…」


後悔とも違う、どうしようもなくやるせない気持ちが僕の中に溢れる。記憶を失ったのも、彼女を庇って死んだのも仕方の無い事だ。それでもこんな結末を…本当に変えられなかったのだろうか?僕は彼女に何かしてあげれなかったのだろうか?


そう言った自負の念に陥った僕を、ガチャリという扉の音が現実に引き戻す。


「イヴ…?」


「…兄さん」


「本当にイヴなのか…!?何故生きて…!いや待て…」


「………」


「イヴ…サエルはどうした…!?」


彼の問いに、僕は答えなかった。それを答えとしたのか兄さんは絶望したようにあんぐりと口を開いたまま、言葉を発した。


「まさか…お前の身代わりに…」


「………」


「ふざけるな…!二人共生きていなくては…意味が無いんだ…!二人共俺にとっては大事な家族だった…!ふざけやがって…くそ…!」


「…兄さん、聞いて」


頭を抱える兄さんに、僕は言った。


「今から僕は、兄さんを殴る」


「………」


「いや、少し違うな。殴ってでも止めるって言った方が正しい。…生まれて初めての兄弟喧嘩だ。さっきは出来なかったけど、買ってくれるね?」


「俺は…」


「兄さんが勝ったら、兄さんのやる事に口出しはしない。けど僕が勝ったら…こっちの言う事を一つだけ聞いてもらう」


「…分かった」


「決まりだね」


拳を強く握り、喧嘩に向けて構えをとる。それに対して兄さんも光を失った目をこちらに向けながら拳を握った。


互いの大きく吐いた息を合図に、僕達はお互いに向かって走り出す。兄さんは何でも出来る完璧超人だ。そんな彼は当然、喧嘩も強かった。僕の拳が届くより先に届いた兄さんの拳は僕を地面に叩き付ける。


「その程度か…イヴ!」


「まさか。…ここからだ!」


這いつくばっていた床から立ち上がり、兄さんの顎に向けて拳を突き上げる。しかしそれを読んでいたのか兄さんは半身を後方に下げ、がら空きとなった僕の腹部に蹴りを入れる。その衝撃に思わずよろけていると、右頬に彼の鋭い拳が入った。


吹っ飛んで壁にぶつかる僕を前に、兄さんは怒鳴った。


「発明以外で俺に…勝った事がないだろう…!俺はお前をこれ以上傷付けたくはない…!だから…もう諦めろ…!」


「嫌だ…諦めない!」


「っ…!お前は昔から…聞き分けが悪かった!」


追い打ちに僕を踏みつけようと、彼は右足で壁際に座り込む僕へと蹴りを入れようとする。そんな彼の蹴りに両手を十字に構える事で何とか受けると、腕の間から兄さんをギロリと睨みつける。


「その点…兄さんは優秀だった…!言われた事は何でも完璧にこなして、誰かに弱みを見せるような事もせず…!」


「………」


「誰にも相談しなかったから…今こうなってるんだよ!ずっと一人で全部抱えて…!」


「っ!?」


両手を使って兄さんの足を振り払う。その結果体勢を崩した彼の懐に、僕は蹴りを入れた。


「…っ兄弟だろうが!!!」


初めて言う筈の言葉。しかし何処か懐かしい感覚に、僕の目からは涙が溢れていた。ここまで全力で叫ぶ弟の姿に驚いたのか、兄さんも目を見開いている。


足を引っ込めた後、彼は放心したようにその場へ座り込んだ。


「兄さん…僕の望みは一つだ。どうか、どうかこれ以上間違った方へ進まないで欲しい。確かに兄さんは許されない程の悪人だし、この世界がそう簡単に救えないぐらい腐っているのも分かる。けど…それを全部自分だけで処理する前に、誰かと話してみても良かったんじゃないのか…?」


「………」


「正義だ悪だの言う前に…兄さんは人間だろう…?辛い事や叶えたい夢があるなら誰かに相談してみろよ…!僕が死んだ後もサエルさんはずっと傍に居たし、こうして僕だって生き返ってるんだ!世界を正す完璧超人なアダム・ヴゥイムじゃなくて…かけがえのない家族である兄さんを求めているんだよ…!」


「イヴ…」


兄さんは人間として極めて完璧に近い。だがその実、彼は弱い人間だ。人に頼る事を知らず、それでも人を愛してしまう彼は…自分のすべき行動を、知らぬのだ。…彼の流す涙がそれを物語っている。


その時、兄さんの涙に反応したかのように部屋の扉が開いた。


「やるべ…き…事…が……ワシ…に…は…」


「プルア…!?お前、まだ動くのか…!」


原型が無いぐらい、破壊され尽くしたプルアは不安定ながらも着実に一歩ずつこちらへと向かっていた。耳障りな機械音が鳴る中、プルアはその口を開く。


「アダム…お前、は…」


「………」


「ワ、たシ…の……自慢の…むす…こだ…」


そう言い残し、プルアは兄さんの胸に倒れる。完全に壊れた機械人形はそれ以上動きはしなかった。


「…自立思考機能を設ける為、父さんの脳をプルアに取り付けたんだろう?」


「あぁ…勝手な行動をしないように脳機能は制限していたがな……どうやら外部で脳を食した事により、人格が混ざりつつも完全な思考能力を得たようだ」


「父さん、僕の事は嫌ってたけど…兄さんの事は確かに愛してたよ。最期の言葉を聞けば分かる」


「命令は聞かなかったが、俺の望みを叶える為にサエルを犠牲にして更なる力を得ようともしていたな…俺の手で命を失ったというのに…」


「羨ましいよ。実を言うと僕も父さんに愛されたかった」


「俺は兄として、お前の父の代わりを勤めていたつもりだったがな…」


「ふふっ…そうだね。今までずっと面倒見てくれて感謝してるよ」


僕はそう言うと、兄さんの元へと歩む。そして兄さんの抱き締めていたプルアに触れ、彼女を床に倒す。その行動を見て兄さんは眉をひそめていた。


「何をする気だ?」


「記憶も失ってるし、こんなにボロボロだから成功するかは分からない。けどプルアの事を直してみる」


「待て。この町はもうじき崩壊する。俺でもプルアの改造には一ヶ月以上の月日を費やしたんだ。そんな暇など…」


「やる。だってプルアは僕の娘だもの。…生み出した親として、絶対に直す」


「イヴ…」


「兄さん、手伝ってくれる?甥っ子を助けると思って」


そう言って兄さんに手を伸ばす。差し伸べられたその手を前に兄さんは悩んだ素振りを見せ…笑った。


「…あんなに小さかったお前の手も、いつの間にか男の手になっていたんだな」


「何だよ…三歳しか変わらないくせに」


「ははっ、違いないな」


その時の彼はまるで憑き物が晴れたかのような笑顔を浮かべていた。兄さんの体温が僕の手に伝わり、がっちりと固く握られたその手はもう離さないという強い意志が込められていたのだった。彼は、誰かに頼る方法を知らなかった。自分の心は…自分では治せないというのに。


兄さんは名残惜しそうに繋いだ手を離すと、ゆっくりと立ち上がる。


「直すにせよ備品が無ければ直せないだろう。自分の命令を聞かせる為にプルアを自分の手で改造したんだ、必要な物ぐらい分かる。お前の自室から色々取ってきてやる、そこで待ってろ」


「分かった。ありがとう、兄さん」


「今は元凶ではなくお前の兄として、出来る限りの事はする。だが…それでも俺は最悪の犯罪者だ。この件が終わっても、俺の事は絶対に許すな」


「自分の言葉忘れたの?…僕達は何があっても永久に兄弟なんだよ。兄さんのした事は絶対に償うべきだとは思う。それでも兄さん自体を憎めないよ」


「…俺のした事が、サエルを殺す結果になっていたのにか?」


「それは…僕じゃなくてサエルさんが決める事だ。サエルさんが恨んでると決め付けて怒りに身を任せればそれこそサエルさんは悲しむよ。色々複雑な気持ちはある。でもサエルさんが『仇を取れ』って言うまでは…僕は兄さんに何もしない」


「…そうか」


兄さんは深い溜め息をつくと、おもむろに語り始めた。


「俺は幼い頃…とある本を読んだんだ」


「本…?」


「大半の者が知っているようなおとぎ話の本だ。端的に言えば四つの精霊が世界を創り、誕生した人類と精霊の関係性に焦点を当てた物語。精霊達はそれぞれ不思議な力を持ち、その力を人類の為に役立てた」


「それで…そのお話がどうしたの?」


「俺は精霊の中の一人に憧れた。その精霊の名はミィ。彼女は人々の病や不安を癒し、人をその者が望む姿に変貌させる事が出来たという。そんな彼女の姿に憧れ、俺は全人類を支える存在になりたかったんだ。だが、結果として俺は神の力を持った精霊でも何でもない、ただの人間だった」


「………」


「プルアはな…お前が精霊ミィを模して作り上げたものだ。人々の身体を蝕む魔力を奪い、それを必要としている誰かに分け与える力。そうする必要も無いのにわざわざ女性型の機械人形にしたのは俺の憧れを実現させてやろうというお前の粋な計らいだったんだ」


「そうだったのか…でもその話を何でしたの?」


「…今度こそ、精霊を造るんだ。お前の仲間達はこの町の崩壊を防ぐと言っていたが…奴らの体力が尽きるのが先だ。せいぜい町民を避難させる時間稼ぎにしかならないだろう。だがこんな状況をひっくり返せる者が居るとすれば、それはプルアの存在に他ならない」


「うん、そうだね。絶対に間に合わせてみせる」


「…頼もしいな、イヴ」


「魔族になってから社会不適合者達の面倒を見てきたからね…嫌でも頼もしくもなるさ」


「ほう、そいつらに弟が世話になった…いや弟の世話になってくれてありがとうと感謝の意を伝えるべきか?」


「感謝される前にせめて洗濯と自室のお掃除とベッドメイキングぐらいは覚えて欲しいかな…」


「…苦労しているんだな」


「まぁね…」


一刻を争う状況にて僕達は悠長にどうでもいいような話をする。本来ならば何も言わず黙々と作業を進めるのが先であろう。だが…僕達は理解していた。だからこそ、他愛も無い兄弟と過ごす無駄な時間を楽しんでいたのだ。


きっともうこの先、彼と言葉を交わす時間は来ないのだから。

サリエルという悪魔に唆され、イヴは林檎を食べた。その結果ヤハウェという神の逆鱗に触れ、アダムと共に楽園から追放されてしまう。地上は辛く苦しく、それでも彼らは罰としてその地での暮らしを余儀なくされ…というお話があったと記憶しています。

サエルという忌み子と出会い、イヴは彼女の為にアップル…いやプルアを作り出します。しかし元々イヴを畏れていた彼の父、ウェハヤはプルアを作り出す人智を超えた才能を見て、つまりはプルアが切っ掛けでイヴを殺害してしまいます。原因こそ明かしていませんがその結果としてイヴは魔族となり、アダムは世界を呪って修羅の道を進み始めます。プルアに手を出さなければ、彼らの楽園とも言える幸せな時間は終わりを告げなかったのです。

元々の話で林檎は知恵の果実とされていました。自身の知恵を全て注ぎ込んで作った叡智の結晶とも言えるプルアこそ、彼らにとっての神であった父が最も怒りを覚えたものでした。

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