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少女は魔族となった  作者: 不定期便
機械は人間となった
26/123

桜色の魔石

イヴさんと友達になってから、五年の月日が流れた頃の出来事であった。いつものように黙々と家事をこなしていると、聞こえてくる足音に私は気が付いた。この五年でその足音のリズムが誰のものかを知っていた私は持っていた枝鋏を置くと、向かってくる足音に向かって笑顔を向けた。


『イヴさん、おはようございます!』


足音の主、イヴさんは微笑みながら手を振った。そんな彼は今執事服を着ている。


『おはよう。…いつも言ってるけど、敬語は外していいからね?』


『いえ…今の私にはせいぜいさん付けが精一杯なんです…!あと三十年は待ってください…』


『三十年後急に話し方変わったら違和感しかないよ?』


『大丈夫です。その時はイヴさんが敬語になれば空気感は変わりません』


『もしかして三十年で下克上する宣言された…?』


『イヴさん…土を食べた事はありますか…?』


『しかも結構貧しい暮らしさせられそう…』


いつからだっただろうか。最初はあんなに緊張していた私も、いつしか冗談を言うようになったのは。こんな不敬な事を言っても、彼は笑ってくれる。主と使用人という立場でありながら私達は本当の友達となれたのだ。


何だか感慨深いなぁと考えていると、イヴさんは伸びをする。


『さて…それじゃあ今日もお仕事終わらせちゃおうか』


『いつもすみません、手伝って貰ってしまい…』


『早くサエルと遊びたいだけだから気にしないで。あ、そうそう。昨日町で流行ってるらしい遊びを教えてもらったんだよ。終わったらやってみない?』


『是非やりたいです!』


『決まりだね。じゃあ早い所終わらせちゃおっか』


そう言うとイヴさんは私の横に移動し、庭に生えた木々の世話をし始めた。イヴさんは発明の天才とも呼ばれる御方だが、執事としての才能もかなりある。最初はダメダメだったものの、こうして一緒に作業をするにつれその技術は発達しており、とうとう私以上に上手く…いや、これ以上は悲しくなるだけなので考えないようにしよう。


そんな事を考えていた時、私に一つの疑問が過ぎった。


『そういえば今更なんですが…イヴさんは貴族としてのお勉強はしなくてもよろしいのですか?』


『本当に今更だね…五年経った今聞かれるとは思わなかったよ』


『今気付いたんですもん』


『お勉強はしてないよ。アダム兄さんは全てにおいて完璧超人だし、兄さんを次期領主にすべく兄さんに全ての力を費やしてるんだ。…まぁ、僕が多分父さんに嫌われてるのもあるんだろうけどね』


『嫌われている…?』


『どうしてかな。一度も父さんと目が合った事がないんだ。表面上は普通に接してくれているけど…何だか距離を置こうとしている風に感じる』


『………』


そう言うイヴさんの表情は暗いでもなく、悲しむでもなく、ただただ平常であった。まるで遠い昔に全てを諦めたかのような、そんな顔。私はそれに対し…気の利いた言葉の一つも送れはしなかった。


そんな私に気を使ったのか、イヴさんは話題を変えた。


『…そうだ。一つ、大事な話があるんだ』


『大事な話?』


『うん。サエルの人生が変わるかもしれない、そんな話』


何だろうと目をぱちくりさせていると、イヴさんは話を続ける。


『サエルはさ、自分が呪われた血統って事で色々縛られて生きてきたよね。現にこうして一生誰かに仕えてなくちゃならなくて、最初に会った時も暗い顔してた』


『…そう、ですね』


『その呪縛から解放出来るかもしれないんだ』


『え?それってどういう…』


彼はニッと笑った。


『サエルの一族に巣食う呪いごと、体内の魔力を消し去っちゃえばいい。シュトラールの血は特殊な存在だから畏怖されている。ならその魔力が無くなれば…皆んなと同じになれる筈なんだ』


『でも…そんなの…』


『…僕は研究を重ねた。そして、ようやく解き明かした。魔力の動きを、魔力の正体を、そしてそれを物理的な実体に変化させる術を』


『えぇ…!?』


驚いて、つい手に持っていた枝鋏を地面に落としてしまう。確かにイヴさんは今までも常識を覆すような驚くべき発明をしてきた。だが魔力が何なのかを解き明かすなんて、誰が予想しただろうか。きっと魔力が解明される事によって世界は大きく変化する。そんな時代を変えるような事を、彼はさらっと言い放ったのだ。


『そんな事可能なんですか…!?』


『あぁ、でもまだ僕の理論は完璧じゃない。そこで明後日…試運転をする事になったんだ』


『試運転…』


『兄さんが支援している人達のうちの一人で、ネブーさんっていう人が居るでしょ?ほら、あの恰幅のいい人』


『覚えてます。確か生まれついての魔力過多により手足が勝手に動くんだとか…』


『そう。自身の魔力による障害はこの世に溢れている。だからこそ、魔力を体内から取り出す方法が成功すればサエルだけじゃなくて、医学にも貢献出来る。…その話を聞いて、ネブーさんと同じ症状のカヘプッドさんが自分で試していいと、協力を持ちかけてきてくれたんだ』


『凄い…凄いですよイヴさん…!』


『失敗するかもしれないからまだ何とも言えないけどね。けどさ、もしこの実験が成功したら…』


『成功したら…?』


『…サエルはもう、自由になるんだ。好きな所に住んで、好きな事をして、好きなように生きる。誰にも後ろ指を差されるような事もない。敬語で話す必要もない。サエルはサエルで居られるようになるんだよ』


『………』


従者ではない自分、そんなもの今まで考える余裕すらなかった。確かに生まれた瞬間から誰かの所有物であった私にとって、自分の好きなように生きれる人生というものは中々想像できやしない。けどそれはきっと、今より素晴らしい人生な筈だ。


しかし…もし本当に魔力を取り除く事に成功して、私達一族の枷が外れたのなら…イヴさんはどうするのだろうか。もしそうなれば、私はこの屋敷に居る理由が無くなる。イヴさんとの日々も、終わってしまうのではないだろうか。そう考えると少し…胸が締め付けられる。


『…サエル?どうしたの?』


心配そうに彼は私の顔を覗き込む。私は言おうとしていた本心を胸の底にしまい込み、出来る限り自然な笑みを向けた。


『とても、良いと思います』


『…?』


私なんかの為に、イヴさんは頑張ってくれている。不可能を可能にしようとしてくれている。そんな彼に…私の邪な想いを、伝える事はしなかった。


…………………


『イヴさん…?あの…』


鍵のかかった扉を前に、私はどうする事も出来ずにただただ立ち尽くす。部屋の中からは荒い呼吸音。いつもの優しい声色が荒んでいる事に、私は言い様の無い恐怖を感じていた。


『お願いです…部屋から出てきてください…!』


私がそう言うと、少し間が空いて返事が帰ってくる。


『ごめん、サエル。お願い…今はそっとしてくれないかな…』


震える声でそう言う彼はまるで別人のようで、死に行く老人のように生気が無かった。そんなイヴさんを放っておける筈もなく、従者である私は不敬にも反発した。


『嫌です…!お願いです、鍵を開けてお傍に居させて下さい…!今のイヴさんの精神状態じゃ…取り返しのつかない事になるかもしれません…!』


『………』


『イヴさん…!』


私が言葉を口にすればする程、扉の向こうの呼吸音は勢いを強める。


『僕は…僕はッ…!』


『イヴさん…』


『…僕は他人の人生を、奪ったんだ』


余っ程情緒が不安定になっているのか、彼は子供のように叫んだ。


『計算不足だったんだ…!確かにプルアはカヘプッドさんの魔力を全て自分のものにした…けど、それが間違いだったんだ…!』


『………』


『人体で最も魔力が溜まる場所…まさかそれが…魂だったなんて…!』


『そんなの…誰にも想像出来ませんでした。どんな方法にせよいずれは必ず生まれる犠牲でした。それに…カヘプッドさんも死に行く瞬間は、イヴさんを許してくれていました…』


『何でッ…カヘプッドさんは障害で生活もままならない中頑張ってた、ただの罪なき優しい人だったんだ…!あの人は僕に期待して、自ら危ない橋を渡ってくれたんだよ…!それを…僕は…』


『………』


『僕は…最低の…殺人鬼っ…!』


『違います』


今まで出した事のないような、強い言葉だった。聞いた事のない私の声にイヴさんが困惑している中、私は開かぬ扉に身体を預ける。まるで子供に寄り添うかのように。


『確かに人の命は軽くない。そう簡単に失っていい筈がないんです。でも…カヘプッドさんが何でイヴさんを許したか、分かりますか?』


『…分からない』


『それはイヴさんが誰よりも人の幸せを考えてくれる御方だったからですよ。イヴさんが誰かを想って発明したものが、この町の人間の生活を支えている。知っていますか?人生の幕切れを予期して永眠を待っていた老夫婦の方達はイヴさんの発明品を楽しみに今日を生きているようです。何もかもが上手くいかずに廃人と化していた人達も、不可能を可能にするイヴさんの姿を見て励まされたといいます』


『………』


『そして…人生を救われたのは、私も同じです。イヴさんが居なかったら、私はきっとただの生まれついての罪人として生きていました。ですが今は、イヴさんの友人のサエル・シュトラールとして生きています。イヴさんが思っている以上に…イヴさんの存在は大事なんです…』


『サエル…』


イヴさんに釣られたからか、紡ぐ言葉に熱が乗っているからか、私の頬を一筋の涙が伝った。その小さな涙がどんどんと溢れ出る中、私は叫ぶ。


『お願いです…一人で苦しまないで下さい…!苦しいなら、その気持ちを私にも分けて下さい…!』


『………』


『…っ友達でしょうが!!!』


ガチャリ


鍵の開く音が、廊下に響いた。それと同時に開いた扉から見えた影に私は言葉を投げかけようとするが…柔らかい感触が私の言葉を阻む。私はそれが何なのか、今の状況はどうなっているのかを必死に理解しようとし…それを理解した時、私の心臓はきゅっと締まった。


何と…イヴさんが私を抱き締めていたのだ。急に…!?どうして…!?という気持ちもありつつ、今は純粋にひたすら全身をかちんこちんに固めるしかなかった。夢かと思うような信じられない状況に混乱する私の耳元に、イヴさんの吐息混じりの震えた声が囁く。


『サエル…ありがとう…』


『…イヴさん』


『ごめんね…もう少し、このままでいいかな…誰かの温もりが欲しい…』


『…好きなだけそうしていて下さい。涙が枯れるまで、辛い気持ちが消えるまで。私は逃げませんから、好きなだけ泣いてください』


『うん…本当に、サエルが友達で良かった…』


そう言って彼は口を閉ざし、ひたすらに私の身体を抱き締め続けた。…思わず強がってしまったが、正直この時間が長引けば長引く程私の心臓が限界を迎えてしまう。あまりに五月蝿い鼓動は、彼に伝わってはないだろうか。今私はちゃんと普通の表情を浮かべているだろうか。この固まった身体はどう動かせばいいのか。


泣きじゃくるイヴさんと慌てまくる私。真面目な状況だというのに…まるで私は馬鹿みたいだ。けど…イヴさんが頼ってくれて、素直に嬉しかった。その気持ちは本物だ。


この瞬間、今までイヴさんに与えられてばかりだった私に…初めて存在価値が生まれたような気がした。


…………………


『どういう…意味ですか…』


いつも通り、朝のお仕事である庭の御手入れをしている時の事であった。イヴさんの足音を楽しみに仕事をしていると、珍しくアダム様が姿を現した。しかし彼の様子は妙で、いつも感じる覇気のようなものを感じられなかったのだ。


そんな彼が発した言葉に、私の頭は真っ白になった。


『嘘ですよね…?まさかそんな事…!』


『…いや、嘘ではない』


『嘘ですよ!そんな…』


アダム様の前だというのに、取り乱して私は叫んだ。


『イヴさんが…失踪したなんて…!!!』


『サエル…落ち着け』


『イヴさんが居なかったら…私は…私はッ…!』


『サエル!』


アダム様の大声に、私は我に帰った。


『申し訳ございません…』


『…お前の気持ちは痛い程分かる。だが少し落ち着け。お父様も全力を挙げて捜索している。死んだとは限らないだろう』


『そう…ですよね…』


『お前にとっても、俺にとってもイヴは大切な存在だ。…そしてそれは、逆もまた然りだ。イヴが戻ってきた時、俺達が暗い顔をしていたらどうする』


『………』


『…いや、すまない。俺が出しゃばるのはお門違いだったかもしれないな』


『いえ…』


『俺にとって、お前も長年を共にした大切な存在だ。…だから辛い時は頼ってくれ。イヴが戻ってくるまで、俺がいる』


『ありがとうございます…』


『俺はやるべき事があるからそろそろ立ち去る。…大丈夫だ。イヴは必ず戻ってくる。だから、心配するな』


『…はい。お仕事、頑張って下さい』


気遣うような目を向けながら、アダム様は立ち去った。彼は私を確かに心配していた。だがそれと同時に…何だか彼の瞳の奥に黒いものが見えたような気がした。それが殺意に似た感情だったという事を、私は気付かない振りしていただけなのかもしれない。


「………」


私はしばらく黙ったまま俯く。すると突然、脳裏に懐かしい声が響いた。


《何故お前はのうのうと生きている?呪われた存在が、大層なご身分だな。何を勘違いしていたんだ?お前が友人にしてやれた事とはなんだ?》


『…っ』


《さぁ、思い出せ。お前の本来の役目を。嫌な声が聞こえてきた時、お前はどうしたんだったかな》


まるでその声に導かれるように…私は持っていた枝鋏を自分の左腕に突き刺した。


〜〜〜〜〜〜〜


「イヴさんとぶつかった時…本当に驚いたんですよ。一年も経って諦めていましたから…心の底から嬉しかった」


「………」


「それと同時に、悲しい気持ちもありました。イヴさんは私の事を全部忘れちゃってて…いつもみたいにサエルって呼んでくれなくて…泣くの、必死に我慢してたんですから…」


「………」


何を言っても、抱き抱えられた青年は返事をしてくれない。ずっと黙ったまま、その瞳を閉じているだけだ。その冷たい体温も相まって、人形になってしまったのでは無いかと思ってしまう。


そんな動かない彼を抱えて歩く私は…目的地へと辿り着いた。ディンガを建材として使うようになって、当時とは随分見てくれが変わったが…ここは確かに、初めてイヴさんと出会ったあの時の廊下だ。私の人生は、ここから始まったのだ。


そんな廊下にて、私はイヴさんを床に寝かせる。


「イヴさん、本当に…本当に本当に本当に…!今まで…ありがとうございました…!!!」


「………」


「私の人生は、イヴさんそのものでした。生きるのも嫌だった私だったけど…イヴさんのお陰で、毎日が楽しかった。今日も頑張ろうって思えた。寝る前には明日が楽しみって想いがあった。私の全部が…イヴさんに照らされていたんです…!」


「………」


「だから…今度は私がイヴさんを支える番です。私の全部を、イヴさんに…」


両手を合わせ、自分の胸に押し当てる。目を閉じて魔力の動きを感じ取ると、私はそれらの動きをコントロールしようと全神経を集中させる。魔法もろくに使えない私だが、イヴさんの言っていた理論を元に何とか魔力を形にする。


「人体で最も魔力が溜まる場所、それは魂ですもんね。イヴさんの魂は消えたかもしれませんが…私のなら…」


そしてやがて、合わせていた掌に重い感触が来た。ゆっくりと掌を開くと…そこには桃色がかった白い宝石が握られていた。まるで真珠みたいだなぁと思いながら、私はその魔石をイヴさんの胸に押し当てる。


「私の命を、イヴさんにあげます。例え私が死ぬとしても…イヴさんが死ぬのはもっと嫌だから…」


「………」


魔石は輝きを放ちながら、まるで沼に沈みゆくかのようにゆっくりとイヴさんの胸の中へと消えていく。そしてとうとう…魔石は完全にイヴさんの身体に混ざり、消えた。


それと同時に全身の感覚が無くなるのが分かる。きっとこのまま私は消えるんだと身体中の細胞が理解している中、私は最後の時間を使ってイヴさんの顔を見つめる。


「イヴさんが起きた時…私はもう既に居ないでしょう。ですから…最後の我儘、聞いてくれますか?」


「………」


「…聞いてもらいますよ」


四つん這いとなり、動かないイヴさんに顔を近付ける。今まで近付いた事のないような距離。恥じらいが最高潮に達する中、私は覚悟を決めた。彼の唇に自身の唇を近付け…


…そこまでいって、私は顔を引っ込めた。


「…なんてね。イヴさんはきっと、好きな人に初めてをあげたいから。私の好きを、イヴさんに押し付けちゃいけない」


「………」


「心残りはあります。だからせめて…」


イヴさんに抱き締められた日のように、私は彼の胸に顔をうずめる。


「せめて…最期の瞬間は、イヴさんに触れていたいです…」


「………」


「さよなら…私の…」


「………サ……エ…?」


「私の、大好きな人」


ゆっくりと開かれるその白い瞳には、光と化して消えていく私の姿が映った。

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