白の騎士と地上の流星
「…間違い無い、やっぱり来ているな」
そう言って双眼鏡を覗き込む人物、ホワイトさんの頬には汗が伝っていた。彼らが護衛に来てから早五日。毎日のように私達子供の面倒を見ていたホワイトさんは今日、普段話しかけて来ない部下の騎士さんに呼ばれたのだ。そうしてついて行った私とテトは彼と一緒に騎士団がこの五日で急遽作り上げた物見櫓の上から広がる草原の向こう側を見ていた。
「どうしよう、ホワイトさん!」
すっかり彼に懐いてしまったテトは不安そうな顔をする。そんな少年にいつもの笑顔を向けるホワイトさんであったが、それは普段程柔らかい笑みではない。慣れているとは言っても、死が伴う仕事なのだ。緊張しない方がおかしい。
「大丈夫だよ。魔鋼の軍勢が村へ攻めてくる前に、僕達が迎え撃つ。けどもし仮に僕らが負けるような事があれば直ぐに村を捨てて逃げるんだ」
「負けないよ!ホワイトさんは絶対死なねぇ!俺はそう信じてる!」
「ははっ。…そう言われちゃあ、負ける訳にはいかないね」
ホワイトさんは笑いながら、いつものように私達の頭に手を乗せる。そして真っ直ぐな瞳で私達を見ると、優しい笑顔を見せる。それはいつも通りの笑顔、けどいつ見ても安心するような、心強さを感じるものだ。
「それじゃあ、行ってくる。君達は家に帰って万が一の逃亡の準備をしていてね。まだ生きてる親御さんも心配してるよ。行っておいで」
「…あぁ。キャロ、行こうぜ」
「うん…」
戦場に赴く為、ホワイトさんは櫓から飛び降りる。加勢も何も出来やしないただの子供である私達は彼の言う通り大人しく家へと帰る事にした。二人で梯子を降り、柔らかい地面に足を付ける。
「じゃあ俺、帰る。こっちの荷物整理が終わったらキャロんとこも手伝うぜ。…つってももう先に始めてるニオンとロコが先着かもしれねぇけどな」
「手際の良いニオンはともかく、最年少のロコは多分手間取ってるよ。私より先にロコの方手伝ってあげて」
「ん、でも多分大丈夫だろ。ニオンとロコは馬鹿同士気が合うのかいつも一緒だし、ニオンが手伝ってるだろ」
「それもそっか」
「うし、じゃあまた後でな!…の前に」
そこまで言い、テトの声色が変わる。彼はいつになく真面目な表情を浮かべると、真剣な眼差しで私を見た。
「この五日間、俺はホワイトさんの凄さを見てきた。だから負けるなんて信じてないけど、もしもよ。この村が滅ぼされるような事があったらの話なんだけどな…」
「うん…」
「…俺は一人で王都へと行く。絶対に一流の騎士になって、誰にも負けない強い男になるんだ。両親とも死んでるしさ、心配するような人も居ない。だから自分一人の力で頑張ってみるよ」
「大変だよ…?大丈夫なの…?」
「へへっ、避難した後で暇になったら王都に来いよな!ニオンも騎士になるのが夢だったし、二人で最強の騎士になってやるぜ!それが…『人間として』の最高の人生だろ?」
「テトとニオンならなれるよ!応援してる!」
「おう!…ってそんな話してる場合じゃねぇか。じゃあな!」
「また後でね!」
手を振り、爽やかに彼は帰路へとついた。夢を持つ彼の姿は眩しくて、何も考えずに日々を過ごしていた私とは大違いだと思い知らされた。テトを見ていると彼が何にだってなれるような人間に思えてくる。
「凄いなぁ。…ん?何か落ちてる」
テトから視線を外し、私も帰ろうとしたその時であった。私はそこで櫓の前に小さな白い宝石のペンダントが落ちている事に気が付いた。白く高貴な物。それだけで持ち主が誰なのかを特定する事が出来る。
「ホワイトさんの持ち物かな。…戦闘において、魔鋼から作ったペンダントは持ち主をサポートするとか聞いた事ある。ホワイトさん、困ってるかも」
ペンダントを拾い上げ、草原の方に目をやる。気が付けば騎士団の面々は皆かなり遠くへと行っているみたいだった。このまま届けに行くのは危険。そんな事を理解していても尚、私の足はその方向へと動いた。
これを届けなければ、ホワイトさんは死んでしまう。目の光を失い動かなくなるホワイトさんの姿が鮮明に浮かび上がり、怖くなったのだ。もしこのまま家に帰ればきっと一生後悔するんだと、そんな想いが胸に湧いた。
「大丈夫。…届けるだけだから」
自分をなだめ、私は全速力で駆け出した。
〜〜〜〜〜〜〜
「これが、『パールマッド』か…」
僕は目の前に立つ巨人の軍勢を見ながら、そう呟いた。こちらへゆっくりと歩いてくるデカブツ達はパールマッドと呼ばれる魔鋼。簡単に言えば土と真珠よ融合体だ。土で作られた人型の土台に埋め込まれた大きな真珠達は美しい光を放ち、見る者を虜にしてしまうであろう。かく言う僕だってその夜空に浮かぶ星のような輝きに目を奪われている訳だが。
「隊長、まさかあいつら倒して真珠がっぽり…とか考えてます?」
そう話しかけて来るのは部下の一人、ガーターだ。普段からお喋りな彼は非常時にのみ僕が意思疎通を図るのを知っていたからこそ、毎回ここぞとばかりに声をかけるのだ。戦場では連携が取れなければ死んでしまう。その心得があるからこそ、ここでは人見知りは一時的に無くなるのだ。
「まさかまさか。…それより、覚悟は出来たか?」
「覚悟が無い奴はホワイトさんの隊に入りませんよ」
「ふっ、それもそうか」
僕は鞘から剣を抜き取り、目の前の土巨人達へと向ける。それが合図かのように背後から部下達が剣を抜く音がいくつも聞こえてきた。つくづくやる気のある部下達だと思うが、直ぐに頭を戦闘脳に切り替える。
「行くぞぉぉぉぉお!!!ナイトステップ!!!」
自分の影へと入り込み、パールマッドの影へと移動する。そし最後尾のパールマッドの背後へと飛び出した。パールマッドの数は十一。せめて一体でも不意打ちで持って行ければ楽だと踏んだが、その考えは甘かったと直ぐに思い知らされた。
「剣が弾かれた…!?こいつら、体内にも真珠がびっしり詰まってるのか…!」
攻撃された事に反応し、最後尾のパールマッドはこちらを振り向く。まるで虫を叩き潰すかのように、そいつは振り上げた拳を僕に向かって振り下ろす。もし仮に僕がナイトステップを思い付いていなければ今頃ぺしゃんこになっていただろう。そう思いながら僕は影の中を移動していた。
「剣が効かないとなれば…」
影の中から飛び上がり、僕は宙を舞う。その事に気付いたのか三体のパールマッドがこちらを見上げ、落ちてくる僕に鉄拳を食らわせようと構えていた。だが彼らが僕に拳を浴びせられる瞬間はもう来ないであろう。
「攻撃魔法…!」
「…!」
「『ヘルフレイムッ!!!』」
そう叫んだ僕の掌から、青と黒が混じり合うどす黒い色の炎が放たれる。その炎をモロに浴びせられた三体のパールマッドはやがて原型を失い、そこに残されたのは真っ黒となった土と価値を失う程に溶けた無数の真珠達であった。
「よっし、魔法は効く!これが通らなかったら詰んでた…!」
炎を放った僕は華麗に黒い土の上へと着地する。そしてそのまま残りのパールマッドを…と考えていた。だが、そこで僕は気が付いた。事の深刻さに、目の前の地獄絵図に。
「お前ら…」
「ホワ…さ…」
「…っ!何でッ…!どうしてだよ!」
そこで見たのは、部下達が蹂躙される光景。ある者は下半身を失い、ある者は真珠に潰され、ある者は食い千切られる。少し目を離した隙に大事な仲間達の命は、失われていた。
そして、また二人の部下がパールマッドの手に握られる。
「そいつらを離せ化け物!今まで寄り添ってきた、大事な仲間なんだ!見てろよ、そいつらを離した瞬間ヘルフレイムをぶち込んで…!」
「隊…長……俺達はもう死にます…だから……俺達ごと…」
「でも…!」
「リーダー!…村、守るんすよね?後は…任せました……」
「…畜生!」
隊を率いる者、そして人を守る者。…それらの立場上の人間は時に、残酷な決断をしなければならない。目から溢れ出る熱い物が零れる中、僕は震える掌をパールマッドに向けた。
「ヘル…フレ……ヘルフ……フレイ…!」
「「隊長!最期に見せて下さい!」」
「…ッヘルフレイムゥ!!!」
炎は、全てを焼き払った。人間の脅威を。…仲間達の命を。解っていたのだ。いつ死んでもおかしくない仕事だと。だけど…こんな別れは、あまりにも突然だ。
「…皆んな、今まで身勝手な隊長で…ごめんな。慕われていたのに、ろくに口もきけないようなヘタレで…お別れの言葉さえ、言えなかった」
今まで、こんなにも涙を流した事はあっただろうか。子供の時虐められて泣いていた時でも、きっとここまで辛くはなかった。失った仲間の命は…重い。
「皆んなの頑張りは僕が引き継ぐ。…確か、皆んな趣味で演奏会してたよね?葬式では盛大に、国一番の音楽家を呼んでさ…天国まで響かせるから。今まで、ありがとう」
僕は何かを考えるよりも先に、獄炎へと敬礼をしていた。仲間達は皆んな、偉大だった。その偉大な魂を見送るのは隊長の責務だ。
そうして感傷に浸っていた時、獄炎の中から一つの物体が姿を現した。
「パールマッド。…他のパールマッドの陰に隠れて助かったんだな。最後の一体もヘルフレイムで…」
「………」
「…待て!?お前、何をしようと…!」
パールマッドは僕から視線を外し、村の方を見る。村へ掌を向けるその行動に嫌な予感がした僕は急いでヘルフレイムの構えをとる。
「ヘルフレイ…」
…とどめを刺す、寸前であった。巨人の掌から放たれた光線は嫌に幻想的で、まるで流星のように美しかった。まるで、僕の事を嘲笑うかのように。その光線は最後に残された心の拠り所さえも奪ったのだ。
光線が放たれた村は、クレーターを残して跡形もなく消え去った。
「そんな…!僕達が守るべきだった村が…!」
糸が切れ、その場へ座り込む。僕の目線は塵と化した村の方へと向けられていた。こちらへ歩み寄る巨人など、思考の外だった。
「何の罪も無い村人達が…平和に暮らしてたんだぞ…!?いたいけな子供達だって居た…!それが…一瞬で…」
「………」
「じゃあ…僕の仲間達は何の為に死んだんだ!?皆んなあの村を守る為に命を捨てたんじゃないか…!無駄死だと!?ふざけるな!ふざけるなよ…!畜生…!」
座り込む僕の頭上に影が出来る。きっとこれは、最後のパールマッドが僕に拳を振り下ろしている最中なのであろう。だが、避けようにも身体は動かない。それにもう、避ける気さえ起きないのだ。
そうして自分の人生を諦めた、その時であった。
「ホワイトさんっ…!」
一人の少女の声が聞こえた。その少女は泣き腫らしたような顔で、一生懸命こちらへと向かってくる。良かった、せめてキャロは無事だった。そう安堵した瞬間、自然と口角が上がった。
「生きて。キャロ」
「死なな…!」
最期に聞いたのは、そこまでだった。自分が死ぬ間際に、少女は『死なないで』と叫ぼうとしていたのだ。何も成し遂げられなかった自分にしては、あまりにも幸福な最期だろう。
あぁ、つくづく…この世界は残酷だ。