上半身
世界が真っ赤に染まると同時に、故障したかのように脳の働きが鈍る。毒と甘味を混ぜたような匂いが鼻をつんざく中、反射的に触った顔にはハッキリとした切り傷があり、どくどくと血が溢れ出る。
「…ってぇな!私が鬼じゃなかったら失明どころじゃ済まなかったぞ!」
怒りを露にし、私は叫ぶ。背後には無事なのが信じられないのか開いた口が塞がらないジジイ。そして目の前にはただただ無表情に私を見つめる一人の人物が居た。…いや、そもそも人物と呼んで良いのかも分からないが。
継ぎ接ぎだらけの黒と灰色の肌。リィハーの無表情な顔とは違い感情一つも感じさせない表情、真珠を埋め込んだかのように淡い桃色がかった白く煌めく瞳、髪を模した赤と青のケーブル、歪だが女性として余りにも理想的な体格や顔。…その人物はどう見ても、女性形の機械人形であった。
「ハッ…優れた技術力をお持ちのようだなぁ?この町の奴らはよ」
「機械人形などワシは見た事ないぞ!そんな話聞いた事も…!」
「わぁーってら。さしずめ、こいつが神隠しの犯人ってとこだろ」
「な、何を根拠に…」
「今に分かるさ!ジジイは巻き込まれないようにだけ気を付けな!」
機械人形を前に戦闘の構えをとる。機械人形は相手が素手なのもお構い無しに空を切る音を立てながら無慈悲な斬撃を食らわせようとする。その攻撃を躱しながら観察するが、どうやら彼女の背後から何かが私に斬撃を浴びせている事が分かった。
「ヒヒッ!連撃を躱され続けているにも関わらず顔色一つ変えねぇなぁ!そりゃ機械だから当然かぁ!?」
「………」
「このまま押し切れると思うなよ。顔面が潰れねェように気を付けな!」
降り注ぐ斬撃の隙を突き、姿勢を低くして機械人形の顔に蹴りを入れた。我ながら鋭い蹴りだ。力といい勢いといい完璧であった筈だ。だからこそ、信じられなかった。それは後ろに立つジジイも同じようで、彼は信じられないような声を出す。
「嘘じゃろ…?あの放たれた矢のような速度の蹴りを顔で受けておきながら…微動だにしておらん!」
「…実力差や耐久性がある訳じゃねぇ。物理法則を無視したかって具合に衝撃が不自然に返ってきたぜ畜生…!」
反動で痛む足を急いで引っ込める。だがそんなのを見過ごす筈もなく、機械人形は私の足を掴んだ。そして片手で足を自分の方へと引っ張ると、寄せられた私の腹にその拳を打ち込む。
「ごほぉっ…!?」
その小さな拳は、まるで大岩サイズの鋼の塊のように重かった。その衝撃に意識が飛びかけると同時に、私は体内の空気を全て吐いた。
白目を剥けかけた瞳で私の上に居る機械人形を見る。
「ハハッ…やっぱりな…」
光無く私を見つめる機械人形。そんな彼女の後ろには宙に浮く二つの氷柱があった。大型の獣でさえも貫通出来るであろうその鋭利な氷柱の先端は死を与えようと私に向いている。
「まさか…機械人形が…魔法じゃと…!?」
魔法、それは生物が持つ魔力という未知のエネルギーを利用して放つ不可思議な技だ。魔法を使う事が出来るのは人間と魔族のみであり、普通の獣や無機物には使用する事が出来ない。元が何であれ、魔族になった瞬間魔法が使えるようになるのも何故なのか解明されていない。
だからこそ、目の前の機械人形が魔法を使うなど有り得ないのだ。つまり人工的に魔法を造る事が出来たと同義。どういう方法を使ったのかまでは分からない。だがこれでまた私の考えていた仮説へと近付いた。
「…っ先ずはこの手を退けろ!」
彼女の腕を掴み、隣の地に叩き付ける。しかし隙を見せたなと言わんばかりに浮いていた氷柱が私へ向かって飛んできた。全力で逃げようにも、思っていた以上の速度で飛んでくる氷柱は私の両足を地に固定する。
「クソッ!足が動かねぇ…」
じたばたとする私を前に、立ち上がった機械人形は私に掌を向ける。その掌の前で突如出現した炎の塊はめらめらと徐々に勢いを強め、近くに居るだけで顔が火傷しそうな程の高温を放っていた。
彼女は炎の魔法でそのまま私を焼き尽くすつもりなのだろう。そう理解した瞬間、ジジイは護光砲を構えた。
「やめろ!…う、撃つぞ!」
「………」
「ジジイ!止めとけ!」
「孫と同年代の娘を…放ってたまるか!撃つ!」
「ジジイ!」
護光砲に光が集まり、それを光線として放出する。野生の熊型魔族の肩を一瞬にして焼き払う程高火力な光線。その光線は…ジジイと機械人形の間に突如として現れたある物体に遮られる。その物体はそう、人以上の巨体を持った兎のぬいぐるみだ。ぬいぐるみは光線を受けても穴一つ空かないどころか、吸収したようにその巨体を更に大きくさせた。
そのぬいぐるみを前に、ジジイは力無くその場へ座り込む。
「お、お主…その魔法はッ…!」
「………」
「その魔法は…ワシの孫の…!」
目障りだと言わんばかりに、機械人形の背後から斬撃が飛ばされる。そう、その斬撃とは風を固めた魔法だ。風の魔法はぬいぐるみを五つに切り裂くと、その奥に座り込むジジイの元へと飛んでいく。
「何故…お前がヌイの魔法を…」
放心したように抵抗しないジジイを、風の刃が襲う。だが刃がジジイの肉体へ触れる寸前、強風により風の刃は形を崩した。その風に意識を取り戻したジジイは私の方を見て目を見開く。
「アカマル!?お主…」
「狙われるから余計な事すんなっつってんだよ!ったく、そこで大人しくしてろよ?」
這ったままの私は足に力を込める。激痛と血が溢れて止まない中、地深くへと突き刺さっていた氷柱を無理やり引っこ抜く事に成功する。足に刺さったままの氷塊を腕力で砕くと、その血塗れの二本足で私は立ち上がる。
「疑問だった。一年間ずっと失踪事件があるような町で…何で護光砲なんて護衛アイテムが流行っているんだと。そんな道具を持ってんのに誘拐されてんなら意味ねーって事だろ?だが、真相は逆だった」
「………」
「護光砲を買ってない奴だけが失踪してんだ。失踪事件の相次ぐ危険な町で護光砲を買わない奴と言やぁ誰だ?…そりゃ当然、そんな道具を買わなくても魔法を使える奴らだわな」
「そうなると…もしや…」
「…方法は分からん。だがこの機械人形は何らかの技術を使い、襲った相手の魔法を奪っていた。ジジイの孫とやらの魔法を使えるのも、誘拐して魔法を奪い取ったからだろうな。意思が欠如した機械人形が魔法を使えるとしたら、他人のを使うしか方法がねぇ」
肯定も否定もせず、機械人形は私に風の刃を放つ。距離がある事から楽に避け続ける私の頭上に、影が出来る。
頭上に出来た影の正体、それは二羽の鷹であった。五月蝿い鳴き声と共に私の方へと急降下するが、私の拳圧で生み出した風の動きに魔力で作られた鷹達は消え去る。
無事鷹を処理した私は視線を機械人形の方へと戻す。すると機械人形はいつの間にか私の方へと跳びかかっており、その拳を私に振るっていた。反射で構えた左腕にて受け止めるが、彼女の足が私の顎を下から蹴り上げる。
「ちっ。機械人形も格闘技を学ぶ時代なんだな…動きに無駄がねぇ」
蹴り上げられた頭を振ってヘッドバットを機械人形にお見舞いしてやる。しかし先程と同じようにその衝撃は全て私の方へと戻ってきた。ジーンと頭痛が襲う中、ジジイは叫ぶ。
「駄目じゃ、物理攻撃が効いとらん!」
「どうやらそうみてぇだな…!打撃が跳ね返ってきてめちゃくちゃ痛ぇ!」
泣き言を漏らす私の両腕を硬い機械人形の指ががっちりと掴む。しまったと思ってももう遅い。機械人形の指から棘の付いた根が私に絡み付いてくるのだ。
「あがががが…旧時代の拷問かよ…!」
「アカマル!大丈夫か!?」
「痛ぇ上にどんどん伸びてきてやがる!放置したら死ぬなこりゃ!」
「…任せろ!物理攻撃が効かんのならワシの護光砲で…!」
「いや、その必要は無いぜ」
「は…?」
困惑するジジイにニッと笑みを浮かべてやる。意味が分からない顔をした彼を余所目に、私は全身に力を入れる。血管が浮き出し、棘が深く深く突き刺さる中、私は両腕と両足を広げようと藻がく。普通ならば脱せる筈の無い拘束。そんな拘束も私の前には無力であった。
信じられないような痛みと共に、根を引きちぎる。そして両腕を掴んでいた機械人形の手さえもそのまま引き剥がした。流石に高性能の機械でも鬼の腕力と私の根性を計算に入れる事は出来なかったようだ。ふらふらと後退する機械人形を前に、私は掌を向けた。
「お前、私の事を鬼だと思ってないか?」
「………」
「残念。鬼じゃねぇ、マジックオーガだ!!!」
掌に魔力が集まるのを感じる。動く魔力達が自分のするべき事を知覚する為に、私は魔法名を叫んだ。
「『デスエレクトロ!!!』」
「………」
次の瞬間、雷鳴が響いた。掌から放たれた電撃はまるで槍のような形を形成し、機械人形の下半身を貫いたのだ。様々な備品が地面に撒き散らされる中、下半身を失った機械人形は力無く地に倒れる。
「ったく、最初からさっさとこうしときゃ良かったぜ」
一仕事を終えて溜め息を付くと、私を見ながらジジイが震えているのを視界の端で捉えた。
「ん?どうしたんだよ」
「アカマル…お主…」
「あ?言いたい事あんならハッキリ言え」
「お主…魔族、なのか…?」
恐る恐る言うジジイに、私は思わず目を逸らす。
「いや?違うぜ?」
「…鬼という単語は時折出ていた。何かの冗談かと思ったが、今の戦いを見て確信した。お主は…人間じゃない。であればもう今頃は死んでいる筈だ」
「あー…」
図星を付かれて後頭部を掻く。しかしジジイの目が本気である事を察し、どうしようもなくなり私は漏らした。
「そうだ。私達は人間じゃない。驚いたか?」
「…アカマル、お前が魔族であるならば…ワシは人間としてお前を討たねばならん」
「まぁ、そうなるよな」
「ただ…少しだけ時間をくれ。魔族について、考えさせる時間を…」
「賢明だな。お前にこの私様は倒せねぇよ」
思い詰めたような表情でジジイは黙り込む。ハァと溜め息をつきながら、私は周りを見渡した。
「さて、そんじゃ待つか」
「待つ…?何をだ?」
「空気の匂いを嗅いでみろ」
「…妙な匂いがするな」
「とある魔法学校の教師が生み出した魔法だ。この匂いを嗅いだ者は自分の存在を正しく認識する事が出来なくなり、周りの者から認識されなくなり、する事も出来ない。匂いの発生源である機械人形が壊れたからそのうち元に戻る筈だ」
「よくそんな事を知っておるな。それに死にかけていたというのに匂いにまで気を配り…」
「魔法を使う戦いにおいて、何が起こるか分からない。五感は常に研ぎ澄ましとくのが魔法戦の基本だ」
そう言って適当にその場へ座り込む。するとまるで不思議な物を見るかのようにジジイはこちらへ視線を向ける。
「…なぁ、アカマル」
「ん?」
「ワシの知っている鬼は…欲望のままに暴れ回る粗暴な魔族だ。知性は人より劣り、魔法を使う事例など聞いた事がない。何故お主は鬼なのに魔法を使えるのじゃ?」
「ん〜…魔法を使える鬼ってのは私様ぐらいだろうな。マジックオーガなんて種族名も私様が考えた」
「どうしてなんじゃ?」
「詮索すんなよ。訳ありってこった」
「………」
素直に言葉を聞き入れたのか、ジジイはそれ以上追求しなかった。彼は代わりにこちらへ背を向け、互いに顔が見えない状況で語り始める。
「決めた」
「何がだよ?」
「アカマル、お主についてだ」
「ん…?」
「魔族は害虫のようなものだ。いや、より害あるもの。人の生活を脅かす絶滅して当然の存在だ。この先一生、ワシは魔族を恨み続ける」
「へぇ、じゃあ…」
「…だから教えろ。魔族には他に、お前のような者も居るのか?」
彼の口から発せられた言葉は、意外であった。一瞬ぽかんとするが直ぐに平常心を取り戻す。
「どうだろな。少なくとも…全員がお前らの考えているような奴らじゃない」
「そうか。ワシの老い先短い寿命でも、やるべき事が出来たな」
「あ?なんだよ」
「ワシは…アカマルに触れた。魔族に触れた。だからこそ、人間に伝えられる事があると思う。この広い世界の中で、ワシだけが魔族の真の姿に触れたんじゃ」
「………」
「きっと…失踪者は命を落としている。あんな殺戮兵器とも言える機械人形を造るような奴の事だ。わざわざ生かしてるとは思えん。人間も魔族も、善悪の入り交じった同じ存在なのだ」
「…へっ、頭が硬ぇかと思ってたが意外と考えられるじゃねぇか」
「ふん」
ジジイは大きく息を吐くと、落ち着いた声色で話し始めた。
「アカマルよ…」
「んだよ」
「お前に、ワシの好きな言葉を贈ろう」
「老人のそういう言葉はよく分かんねぇからいいよ。どうせすぐ忘れる」
「………」
「ま、聞くだけ聞いてやるよ。その言葉とやらは?」
「………」
「…ジジイ?」
ぽとりと、老人の上半身は落ちた。