彼女にとって彼は誰?
「ったく、アイツら何処行きやがった…」
機嫌が悪そうにアカマルは言う。僕達より先にユウドの町へと入ったリィハーちゃんとキャロちゃんだったが、遊び回っているのか一向にその姿を捉える事は出来なかった。三人で探しながら歩いている中、ミチバさんが申し訳なさそうに言った。
「すまん…引き留めたんじゃが、言う事を聞かんでな…」
「ミチバさんのせいじゃないよ。後で二人には僕から言っとく」
「グロテスクの説教は別に怖くねぇからなぁ。あんまし効果ないんじゃねーの?」
「…!」
「そう睨んでも怖くねぇもんは怖くねぇよ。怒れない性格なのが出てるぞ」
「そっかぁ…」
彼女にそう言われしょんぼりしながら歩く。怖さは確かにプラントの方が幾らかあるし、何なら女性のアカマルの方が迫力がある。しかも二人と違って戦闘能力は低いし、つくづく頼りないなぁと何だか涙さえ出てきた。
そうして上の空になって歩いていたからだろうか、前方に気付かずに誰かとぶつかってしまう。
「きゃっ」
「わっ」
「おいグロテスクー、ちゃんと前見て歩けよ」
「全くじゃ。これだから近頃の若いもんは…」
座り込む僕を囲って二人は小言を漏らす。僕は慌てて落とした眼鏡を掛け直すと、僕と同じように尻餅をついた通行人へ手を伸ばす。彼女は鼻を押さえ、その長い袖から細い手をこちらに伸ばした。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみま…」
ぶつかってしまった通行人、長い黒髪の女の人はそこまで言うと固まった。彼女の青い瞳は大きく見開かれ、言葉を失ったように口を開けたままにしている。
「どうかしましたか?」
「…イヴさん?」
「えっ」
「イヴさんですよね…!?」
イヴ。記憶は曖昧だが、魔族になる以前の名だ。その言葉を聞いてミチバさんが眉をひそめているように、この変装では普通僕がそうなんだと見破る事は出来ない。彼女の目は確かだな…と思っていると、彼女は僕の返事も待たずに身を近付ける。
「イヴさん…良かったぁ……本当に…」
「あ、あの?」
「私…ずっと不安だったんですよ…!イヴさんが突然居なくなって…死んじゃったんじゃないかって…思ってぇ…!」
震えた声でそう言うと、彼女は僕の胸の中に顔をうずめる。道端で突然泣き出す女性と頼られる男性に通行人達は優しい目を向けているが、アカマルだけは別だ。彼女は僕の動向を伺うようにジッと見つめる。彼女が今抱いている懸念点、それを理解しながら僕は口を開いた。
「…その、ごめん。人違いじゃないかな?」
「え?…いえ、貴方様は間違いなくイヴさんです。私には分かります」
何か確信があるのか、彼女の目はその真っ直ぐな光を失わなかった。何て言葉をかけようかと迷っていると、それを見かねたアカマルが代わりに口を開いた。
「そのさ…言い難いんだけどよ。そいつ、記憶があんまりねぇんだ。そうだろ?」
「うん…本当にごめん。君の事は覚えてないんだ」
「…本当、ですか?」
「過去の事、朧気にしか覚えてないんだ。だからもし良かったら、もう一度自己紹介をしてくれないかな…?」
「………」
驚きと困惑を隠せないような顔で彼女は黙り込む。状況が飲み込めないような、現実から目を逸らしているような、そんな表情だ。彼女は目に涙を貯め、小さく口を開いた。
「嘘だと…言ってください…」
「…嘘じゃないよ」
「そう…ですか」
そう言うと彼女は涙を拭き、その場に立ち上がった。そして軽くお辞儀をすると、そのまま言葉を続ける。
「すみません、申し遅れました。私はサエルと申します。領主様に雇ってもらっている、しがない使用人でございます」
「領主…って事は…」
「はい。私は以前、イヴさんの元で働いておりました」
サエルさんがそう言うと、頷きながらミチバさんが補足をする。
「うむ、そやつは幼少の頃からイヴ様の付き人として働いておった。よく二人で街中を歩いていたのを覚えとる」
「…そんな身近な人を忘れるなんて最低だね、僕は」
「いえ、事情は知りませんが仕方の無い事です。それに私の事を覚えて頂くなどおこがましい申し出でございます」
「………」
口ではそう言うものの、何処か寂しそうな目をした彼女に何を言うべきか分からなくなった。幼少の頃から付き人をしていたと言うが、見た所彼女は僕と同じ年代に生まれた子だろう。幼い頃から尽くしてきた相手に忘れられるのだ。抱いた恩を忘れられるような状況に悲しくなるのも当然だろう。
自分が今、何をするべきなのかは分からない。だからこそ自分の直感を信じるしかなかった。僕は彼女の手を取る。
「イヴさん…?」
「身勝手な申し出だけど、僕に関するお話を聞かせてくれないかな?君が誰だったのかを、思い出したいんだ」
「…よろしいのですか?」
「うん、お願いするよ」
「私で良ければ…是非!」
先程までの憂鬱としたような顔から一変し、彼女は涙を浮かべながらも初めて笑った。彼女にとって自分はどんな存在なのかを知る。そうする事で見えてくるものもきっとある筈なのだ。そして何より…このままサエルさんと赤の他人という関係で終わらせたら、後悔するような気がする。
そうして真面目に色々考えていると背後でアカマルが茶々を入れてきた。
「はー…とうとうグロテスクにも春が来たって訳か。おめでとさんー」
「主と使用人の恋…何だか切ないのぉ…」
「二人とも…昔僕らが恋人だったって決めつけてない?」
「もし違くても無理矢理くっ付けるぜ。こう見えても恋愛ものは好きだ!」
「そんなそんな…私なんかよりもイヴさんとアダム様の組み合わせの方が…」
「サエルさん…?」
「失礼しました」
サエルさんは恥ずかしそうに顔を赤らめ、誤魔化すように小さく咳をした。そして思わず出た本性を隠すように話題をすり替える。
「ところで、イヴさんについてのお話を致す前にアダム様とお会いになりますか?」
「そうだね。アダム兄さんの事はうっすらと覚えてる、会ってみたいよ」
「ではこんな所で立ち話もなんですし、御案内します。私に着いてきて下さい」
僕は頷き、素直に彼女の後を追おうとする。しかしアカマルの方は一向に動こうとはしなかった。
「あー…私様はパスで良いか?ほら、キャロとリィハーを探さないといけないしよ」
「そうか。じゃあワシは屋敷について行くとするかのう」
「部外者のジジイが立ち入る所じゃねぇよ。お前も待機しとけ!」
「なんじゃい、自然な流れで行けると思っとったのに…」
「てめぇ面の皮が厚いな」
そんなやり取りに苦笑いしながらも、サエルさんは頷く。
「探し人ですか。イヴさんはどうしますか?」
「うーん…確かに心配だし僕も…」
「いや、お前は屋敷に行けよ。大事な話するんだろ?二人の事は任せておけって」
「…ありがとう。そうするね」
「そうですか。ではイヴさん、こちらへ」
サエルさんに手を引かれ、僕はなすがまま一緒に歩き始めた。
〜〜〜〜〜〜〜
「…なぁ、何だか警戒しとらんかったか?」
グロテスクとサエルを見送ると、隣に立つジジイが話しかけてくる。
「何だ、勘が冴えてるじゃねぇか!」
「どうしてじゃ?」
「サエルとかいう奴、長袖の服を着てやがったよな?けどぶつかって転んだ時に袖が捲れて一瞬中身が見えたんだ」
「ふむ、まさか腕フェチだったとでも言うんじゃないだろうな?」
「もし私様が腕フェチなら発狂もんだろうな。…アイツの腕、切り傷だらけだった」
私がそう言うと、ジジイの顔が険しくなる。
「まさか…ヴゥイム家から虐待を受けているのか…?」
「いや、切り傷の角度からして他人がやったものではないな。それに均等な幅で綺麗に傷がある事から抵抗せずに刃を受け入れている事になる。恐らく、自分で付けた傷だ」
「何故そんな事を…?」
「分からねぇ。けど精神状態がマトモな人間のやる行為じゃないだろ?アイツが何なのかはまだ分からねぇが、安心するにはまだ早すぎる」
「…意外じゃな、何も考えてなさそうな顔しとるのに」
「あ?私程スマートな奴中々居ねぇぞごら」
「それで、スママルはこれからどうするんじゃ?少女らの捜索か?」
「こんな広ぇ町で探し回るのは非現実的だ。だから代わりに行きたい場所がある」
「む…?」
私はジジイの方を見ると、ニヤリと笑った。
「ここは化学の町だろ?じゃ、研究所の一つや二つあるよな?」
「…お主、何をする気じゃ?」
「決まってんだろ」
「…?」
両手の拳と拳をガンッとぶつける。
「研究所、今のうちに全部潰しとく」
「は!!??」
最近ずっと後書きに出没しております、お喋りな作者でございます。前話と前前話にてシンシャというキャラクターが登場したのですが…それを読んだ友人から連絡が来ました。『シンシャって宝石がモデル?』と。
当然そんなお洒落な知識を持ち合わせていない私は急いでシンシャという単語を検索する事にしました。するとどうでしょう、確かに同名の宝石が出て参りました。軽く情報を読んだ結果、どうやら毒素のある宝石だそうで…アダムさんに倒される前の彼は『ポイズ…』と言いかけております。…宝石のシンシャは毒がある?ポイズンに関する魔法を使用しようとしていた?妙だな…
『そ、そうだよ。宝石のシンシャが元ネタだよ』と言い張りたい気持ちもありましたが…結局本当の事を話してしまいました。深い意味はなく、ただ不審者から取ってシンシャにしたと。自称神という事で神者と書いてシンシャであるという事を。友人が真面目に考察してくれていたのにネーミングが適当で申し訳なかったです。これからも適当名前決め作者をよろしくお願いいたします。