恐怖の象徴
最初にその魔法を見た時こそ腰を抜かして恐怖を感じたが、それ以降は彼女がいくら闇魔法を使ったとしても特に何も感じる事はなかった。きっとそれはリィちゃんが友達だったから。友達の扱う魔法だったから、怖がる必要がなかったのだ。それに確かにリィちゃんは最初、『魔法の組み方はまだまだ未熟』と言っていた。
私は…闇魔法というものを知らなかった。今、目の前の景色全てを飲み込んだ先の見えない暗闇は静かに私を包み込んでいる。自分の身体さえ見えない程の闇に私は言い表せぬような不安と恐怖を感じていた。
闇、それは…未知とも言い換えられる。人は闇の中に何がいるのか想像する事が出来ないから闇を怖がる。私達が魔法を使ったり科学を進歩させてきたのも人が偉大な想像を続けてきたからだ。だからこそ闇の中から怪物が現れたら、猛獣が現れたら、殺人鬼が出てきたから、幽霊が現れたら、そんな想像は私達の精神を簡単に蝕むのだ。
そう、未知こそが闇の真髄。そしてそんな未知の中に引きずり込まれた者はきっと…息絶えるその直前まで怯えきるのだろう。現に、私は今身体の震えを止められない。
「ひひっ…良いねぇその表情!堪らなくそそるぅ…!」
「キッズさん…!」
「闇はな…恐怖の象徴だ。自然界でも獣は闇の中に潜み、哀れな獲物を狩るんだ。闇魔法ってのはな、ぼくみたいに他者の命を狩る為のものとして認識している者の魔法なんだよ」
「違う!」
「違くないね!クソガキ、お前の友達もぼくと同類なんだよ。お前があのリィハーとかいう奴をどう思ってるかは知らないが、アイツはお前の思っているような奴じゃない。そうだろ?」
「リィちゃんを…馬鹿にするなぁ!」
思わず私は我武者羅に前方へと走り出した。親友を侮辱された事、そして…そう言われてリィちゃんが闇魔法を使える理由を探し始める私自身に嫌気が差し、何も見えない中その一歩を踏み出してしまったのだ。それが無意味であるとも知らずに。
おかしいのだ。この踏み出した筈の一歩はいつまで経っても地面に付かない。落下している感覚も、沈んでいく感覚もない。ただただ、一向に足が付かないだけだ。
「闇の中というものは観測してみなければ何があるか分からない。闇は未知であり、即ち無限の可能性を秘めているんだ。この闇に包まれた空間じゃお前は何も出来ないぜ」
「なら…闇を光で照らすまで!『ロブ!』」
確かに体内の魔力を使った感覚はある。だが…何も起こらなかった。意味が分からずに見えない手を疑うように見つめていると、キッズさんの笑い声が聞こえてくる。
「お前さっき母親の最期を見なかったのかな?光さえも飲み込むんだよねぇ、真の闇は」
「まだだ…!『ナイトステップ!』」
「無駄だよ。…闇に飲み込まれるだけだ」
ナイトステップを使ったその直後、足先から徐々に感覚が無くなっていく事に気が付いた。それにより慌ててナイトステップを解除したのだが…どうやらもう手遅れであったようだ。下半身の感覚が丸々無くなっている。
「ふひひっ…あっはっは!なーんて顔だよ!くくく…」
「………」
「あぁ、気分がいい!上質な肉体を手に入れた上、裏切ったアセツは今もまだ死に続けて、生意気な侵入者の片方は死に、被検体六十六号は消え去り、クソ精霊も再び空気になった。なんて素晴らしいんだろうか!」
「…クリさんはどうなったの?」
「クリ?あぁ…あの蛸の化け物か。そんなに会いたいなら会わせてやるよ」
ドサッと、地面も何も無い闇の中にも関わらず何かが地面に落ちる音がした。そしてその音に続いてドサッ、ドサドサッといくつもの同じような音がする。
暗闇ではそれが何なのか理解する事も出来ず、私は確認の為にその物体へと手を伸ばした。触れた時に感じるヌルッとした感触、ぶにぶにとした柔らかいその物体が何なのか…気付きたくもない事実に気付いてしまう。
「…クリさん?」
そう呟いたその時、私は更に気付いてしまう。先程の何かが落ちてきたような音、その音は複数回聞こえてきた。その理由から目を背けようとすると…嘲笑うような声が私の考えを代弁した。
「そのゴミは君の言うクリじゃないよ。…元々はそうだったかもしれないが、今はただのバラバラ死体さ」
「っ…」
「空気になっている最中、ぼくは君の動向や発言を監視してたんだが…あまりにも的外れすぎてつい鼻で笑っちゃったよ。ぼくは確かにあの捕らえられた魔族達に『キッズを殺せ』と命じたよ?ただ…中にはあの蛸がぼくであるという認識を持っている者も当然居る。そりゃそうさ。だってずっとあの便利な蛸の肉体で活動してたんだもの」
「それじゃあ…狙いはクリさんを殺す事だったの!?」
「そういう事。まぁ、あの精霊の方を仕留めてくれるのが一番理想的だが、恐らく勝てないだろうと思ってね。人間体をキッズだと認識している者があの精霊を倒せたらラッキー、そうでなくてもきっと蛸野郎を殺せはするだろう。あの蛸は他者を傷付ける事の出来ない臆病者なのだから」
「じゃあどうして…どうしてクリさんを狙ったの!?何の意味があって…!」
「チッ、うるせぇなぁ…仕方ないから教えてやるよ」
彼は深い溜息を吐くと、遠い過去を思い返すように語り始めた。
「ある理由で国を追われたぼくは聖域と呼ばれるこの地底に研究所を作る事にした。人々は精霊の暮らす聖域に手を出してこないからね。そして研究の為に大量のモルモットが必要だったぼくとアセツは罠を張り、通りがかった魔族を捕まえるシステムを生み出した」
「弱い魔族をゾンビさん達が、強い魔族はチャシさんが捕まえるっていうあれだよね?」
「その通り。弱い者は実験体の養分に、強い者は肉体改造をするという目的で分別しようと思い作ったこのシステムはチャシが強いのもあって上手く機能したよ。しかし…ある日、イレギュラーが起きた。蛸の魔獣…クリとか言ったかな?そいつはゾンビを撃退する力があるのにも関わらず、その性格上反撃する事もせず素直に連行されていった。その結果…弱き者を閉じ込める為の簡易的な檻から脱走し、奴は研究所内を動き回った」
「そして、その時にクリさんの身体を奪った…」
「勘がいいね。奴がアセツとチャシを相手に戦っている最中にタグの魔法で入れ替えさせてもらった。そして優秀な耐性を持つ蛸の身体を気に入り、ぼくは彼の肉体を貰うこととした。その時にクリを始末しても良かったが、ぼくの元の身体を持つ者として何かに使えるかもしれないと、念の為残しておいたんだ。だが…今となっては奴はぼくの身体の脳を使いぼくの過去を知った者として、邪魔になった。だから殺したんだよ」
「つまり…今あなたの身体を使ってる私も殺すって事だよね?」
「当たり前だろ。脳の使い方に手間取ってまだ過去を見ていないうちに、殺す」
「残念だけど、それは無理だよ」
「あ?」
彼が一体何処に居るのか、この深い闇の中では分からない。だが私は怒りを含ませた眼差しで辺り一帯を見渡した。
「散々皆んなを利用して、好き勝手に命を奪って…もうあなたを許す事は出来ない」
「へぇーえ?別にお前なんかに許されなくてもいいけどな?どうせ死ぬんだから」
「死なない。そして、キッズさんには償ってもらう。…いつまでも他の人を思いやれない子供のままじゃいけないんだよ」
「は?餓鬼はお前だろ」
「キッズさんの記憶を見て思ったよ。誰も、キッズさんに寄り添おうとしなかったから…間違ってるよって、誰も教えてくれなかったんだよね。その結果、変わることなく子供のまま大人になった」
「チッ…」
「キッズさんの使う魔法も、憧れなんだよね?…鬼ごっこなんてしたことなかったから、タグの魔法で役を入れ替える事で再現しようとした」
「…うるさい」
「分かるよ、鬼ごっこって楽しいもんね。私ももう、鬼ごっこをする相手が居ないから…だから…」
『はい〜!タッチしたからキャロが鬼な!』
今や懐かしく感じる、村でテトと戯れていたあの頃を思い返す。あの頃はお母さんからの行き過ぎた愛も普通の事だと思っていたし、友達も居たから毎日が充実していた。意味もなくふざける時間が尊いものであると気付けなかった。けど…今はひたすらに思う。
もう一度…皆んなと遊びたい。
「『タグ』」
友達と一緒に遊びたいという、子供なら誰しもが抱くような単純な願い。大人になっていくにつれ消えていく願いだからこそ誰も鬼ごっこの魔法なんて考えもしなかった。ただ一人、成長出来ていないキッズさんを除けば。
そして、成長していないのは私もそうだ。村が滅んだあの時からいくらか精神的に成長したと感じてはいるものの、私はまだまだ幼い。過ぎ去ったあの日を求める甘さが残っているのだ。よって…私も彼と同じく、タグの魔法を使えるようになった。
習得したタグの魔法で入れ替わる先は…
「…ふぁーあ。案外空気でいる時間も短かったピヨ」
「ピヨ…?そうかっ…!あの餓鬼、精霊と入れ替わりやがったな…!」
「そういう事だメ〜」
「だがこの精霊野郎と入れ替わった所で何を…」
キッズさんがそう呟いた次の瞬間、彼はその紅い瞳を大きく見開いた。そう、彼は見たのだ。先程ナイトステップのせいで下半身が闇に飲まれ、上半身だけとなってしまった自身の肉体を。そして四肢がバラバラになって床に転がるクリさんの姿を。
『見えてしまっている』。それはつまり…闇が晴れた事を意味する。彼は困惑しながら目の前に佇む巨体の怪物に目を向けた。
「なんだ…こいつは…」
確かに竜のような姿なのに、輪郭も何も影のようでありハッキリと見えない。そんな未知の生命体を前にキッズさんは固唾を飲み込んだ。対する影のような竜は落ち着いた様子で無い筈の瞳をキッズさんに向けている。
「その子の名前はダークネス。キッズさんの生み出した闇魔法に、空気となった私が明澄の魔石を取り込ませた結果生まれた魔物」
「魔法に魔石を…!?そんな事が可能なのか…!?」
「闇は未知であり、無限の可能性を秘めているっていうのはあなたの言葉だよ。無限の可能性、即ち闇自体が生物であるという可能性も秘めているの」
「…くっ、あははははは!面白い!興味深い!こんな事象が起こり得るとは…!」
「口を閉じた方がいい。舌を噛むよ」
「はっ…」
キッズさんは目を丸くさせながら笑うのを止めた。そんな彼の瞳には先程までそこに居た筈の竜の巨体が一瞬にして凝縮され、小さな女の子の姿になる光景が映っていた。その女の子は…まるで影で出来た、この私、キャロのような姿をしている。
そして油断していた彼はその影のような私によって顎を蹴り上げられた。
「がふっ…!?」
「タグの魔法でダークネスちゃんと入れ替わった。今はこの私自身が闇だよ」
「き、貴様…!」
顎を摩りながらキッズさんは私らしからぬ鬼のような形相でこちらを睨んだ。だがそんな彼に怯む事なく私もじっと睨み返す。
「ここに捕らえられたパニさんを始めとした人達、実験の犠牲になった人達、都合のいい材料として利用されている地底人達、散々酷い目に遭わされたじゃらもんちゃん、殺された…クリさんと、お母さん」
「っ…」
「闇が恐怖の象徴なら、私は今恐怖そのものだ。キッズさん…私は今、物凄く怒ってるよ。皆んなの仇を、討つ」
「ふ…はは…!」
彼は痰を吐き捨てると、口角を不気味に上げながら目をひん剥いた。
「やってみろよ!この肉体は不完全な状態でもユウドにてあのシャンとやり合えたものだぞ!そしてそんな肉体が完全に獣人化する事で更なる力が解放されたんだ!光の速さで動くお前の母親が敵わなかったこのぼくを前に、ただの闇の塊であるお前が勝てる訳ないだろう!!!」
彼は余裕そうにケタケタと大笑いする。だがその言葉に、私は短く返した。
「勝つよ。これは強がりでもなんでもない、ただの確信」
魔族として産まれ自我を得たその瞬間に空気と入れ替わるという謎の体験をするダークネスさんなのでした。