終焉
『ねぇねぇ見て、あの子』
『あらぁ、ノマルさんのお子さんじゃないの』
『嫌だわぁ…気色悪い。あんな頭のおかしい子供を持ってノマルさんは可哀想ねぇ』
『でもその分利点もあるんじゃない?見てご覧なさいよ、あの包帯』
『確かにサンドバッグにするには爽快でしょうねぇ。私は愛する子供達にそんな事出来ないけど、あの出来損ないだったら話は別だものね』
『あんな子供誰も愛さないわよ。ほんと、あの子が私の息子じゃなくて助かったわ』
〜〜〜〜〜〜〜
「きゃろぉ…にげないでぇ?」
じりじりとじゃらもんちゃんはその箒のように細長い二本の足でこちらへとにじみよる。その威圧感や目に宿る殺意に臆した私は下がる事で一定の距離を保とうとするが、しかし彼女は止まらない。
「きゃろもおなじになっちゃおうよ〜。そしたらもうくるしくないよ〜」
「ダメ。私にはやらなきゃいけない事があるの」
「わたしはりょうり、そうじ、せんたく、くさむしり、まっさーじ、おふろ、だんろ、おかねのけいさん、そのほかにもいーっぱいしなきゃいけないことがあったよ。でももうこうなったから、しなくていいの。だからきゃろもおいで」
「私は…ようやく手に入れた居場所に戻って仲間の皆んなを助けなきゃいけないの。そして関わった以上この研究所に居る皆んなの役にも立ちたい。だから途中で投げ出す訳にはいかないんだよ」
「なんで?おとうさんも、きっずも、きゃろも、わたしも、みんなぼうりょくにたよるようなわるいひと。ほんとうにしんじられるあいてなんかいないのにどうしてほかのひとのためになにかをしようとするの?」
「じゃあじゃらもんちゃんは今何をしてるの…?」
「んー?」
「それが正しいとは思わないけど、ユメツレソウで傷を治しながら思考を奪って誰も傷付かない世界を作ろうとしてるんでしょ?ならそれはじゃらもんちゃんだって皆んなの為に行動してるんじゃないの?」
「………」
じゃらもんちゃんは軽く上を見上げると、『あー』という声を漏らしながら口を大きく開けた。
「たしかに。ろんぱされた、きゃろあたまいいね」
「そ、それでいいんだ」
「ん〜、はんぶんはたしかにそう。わたしもみんなのためになにかしたい!でもぉ…はんぶんはちがうんだ」
「半分は違う…?どういう意味?」
「しょうじきにねぇ、わたしのきもちをいうよ〜」
その瞬間、じゃらもんちゃんの頭が首から外れた。なんの前触れもなくまるで木から落ちるリンゴのようにボトッと音を立ててじゃらもんちゃんの頭部は床に転がるが、残された首から下の胴体はまるでその事に気が付いていないかのようにこちらへと歩み寄った。
すると、頭を失った首から一瞬にして頭が生えた。だが今現在床に転がっているあの頭とは違い、目と口はまるで穴が空いているかのように真っ黒だ。あまりにも生物らしさを感じさせないその姿に恐怖を感じていると、彼女は真顔でぽつりと呟いた。
「嫌い。この世界が嫌い。皆んなが嫌い。許さない。許したくない。散々私の気持ちを押し潰してきた癖に大団円だなんて認められない」
「じゃらもん…ちゃん…」
その声色はあの可愛らしいじゃらもんちゃんのものではない。人の不幸を願う、どす黒い感情に支配された復讐者の声だ。呂律の回らない彼女らしからぬ流暢な言葉からするときっと、彼女の心底で揺るがない本当の願いなのだろう。
今までとは違う。私は今、不純なものなど一つもない純粋な悪意に触れている。
「じゃらもんちゃん…私はじゃらもんちゃんと争いたくないよ。だって、『必ず守る』って約束したんだもん…」
「やくそく?…やくそく」
彼女は眉間に皺を寄せて難しい顔をする。
「わたし…やくそくなんてまもられたことない。みんなわたしをだましてばかにするし、きゃろだってわたしをまもれなかったし…それに、おかあさんも…」
泣きそうになりながら彼女がそう呟くと、ニョキっと彼女の肩から頭が生えてくる。
「こりゃじゃらもん!ばかいっちゃいけねぇで!わちゃのかあちゃんはうそなんかつかにゅ!おかあちゃんののこしたおてがみには『絶対会いに来る』ってかいてあったんだべや!わちゃそれをしんじるんだびゃあ!」
昔のじゃらもんちゃんのような口調でまくし立てる肩の頭に対し、同じように突然お腹から生えてきた頭が唸りながら言葉を発する。
「いやー、しんじられませんなぁ。げんにははうえさまはこないではないか!あれはきっとうそだったんですよ」
すると、今度は床に転がる頭から新たな頭が生えてきた。
「どーでもいい!もう、どーでもいい!!!ぎゃー!いやー!もうききたくない!もうかんがえたくな〜い!しらないしらないしらない!おぎゃあ!」
今の状況を一言で表すならば…悪夢でしかない。本当に今目の前で起きているのは現実なのか?それぞれで意志を持って言い争うじゃらもんちゃんの頭達を見ているとどうにも不安になってくる。あまりにも好ましくない光景だ。
だがそんな騒音を終わらせるかのように、彼女は自身の身体から生えてきた頭を引っこ抜いて地面に投げ捨てた。
「はぁ…わたしってうるさいね」
「じゃらもんちゃん…もしかして自分で自分の感情が分からなくなってるの?さっきのも全部じゃらもんちゃんな筈なのに意見がちぐはぐだったし、まだ感情をコントロール出来ない子供であるのに加えてユメツレソウの毒が回ってよく分からなくなってるんじゃ…」
「あ〜…あ〜…」
彼女は唸りながら頭を揺らした。すると彼女の代わりに、私の背後からした声が答えた。
「それも魔族としての一つの形だメェー。混沌、この苦しく悪が支配する世界じゃ思考能力を失うのも一つの救いの道だモー」
振り返るとそこにはキッズさんが立っていた。いや違う、キッズさんの姿をしたミィさんだ。彼はキッズさんとは程遠い落ち着いた表情で私達の事を見ていた。
「ミィさん…あなたの事もロディさんから聞いたよ」
「ロディに会ったガウ?ミレファなる少年にしか心を開かなかったのに、珍しい事もあるもんだパオン」
「ミレファの事を知ってるの?」
「ミィは空気だピヨ。この大陸で起きた事なら何でも知ってるにゃあ」
「それもそっか」
その答えを聞いた私は彼の事を睨み付ける。
「それじゃあ…魔族の皆んなの苦しみ、それと魔族によって苦しめられた人達の事も知ってる?」
「何が言いたいコケ?」
「かつてこの地を支配してた吾郎さんって人に対抗する為にあなたは皆んなを魔族に変えた。けどそのせいで今も不幸な人は増え続けてる。何でミィさんはこんな事を続けてるの?」
「不幸?違う、これは救いだヒヒーン」
救い。理解の出来ないその一言を言った彼は両手を合わせて言葉を続ける。
「どうにもならない現実を前にした者、どうしても叶えたい願いがあった者、死を目前にした者、死を受け入れられない者。ミィはそんな彼らに力を与えてやってるんだミン。魔族としての生は言わば延長戦、成し遂げられなかった事を成し遂げる為の時間だカー」
「そのせいで…別の誰かが犠牲になっても良いというの?魔族に襲われて命を落とした人は数え切れない程居るんだよ…!?」
「ミィは魔族だけでなく、人間にも力を与えてるキュン。魔法というものは空気中に含まれるミィ、つまり魔力を使って発動するもの。そしてそれでもどうにもならなかった者には魔族になるチャンスを与える。ミィは平等だワン」
「言ってる意味が分からないよ。ミィさんの目的は何なの?」
「目的?そんなの、決まってるキュウ」
彼は遠くに見える何かを睨むように目を細め、拳を握り締めた。その人間的な悪意に満ちた様は今までの飄々とした彼の姿とは大きくかけ離れていた。
「君は魔族さえ居なければこの世界は平和だとでも思うチュー?」
「それは分からないけど…でも今よりもずっと良い筈だよ!」
「否。この世界には終わりが訪れようとしている」
「え…?」
「魔族と人々が争えば、自然と強き者が生き延びる。だからミィは皆に力を与えて傍観するんだアウ。直に来る終焉に抵抗出来るようなそんな強者だけの世界となり、このファーラの星を守ってくれると信じて」
「終焉…?それってどういう意味?」
「…吾郎はまだ死んでいない」
「え?」
ロディさんの話によれば吾郎さんは遥か昔、この星が誕生して間もない時に腹を貫かれて命を落とした筈だ。仮にロディさんの一撃で死んでいなかったにせよ、寿命がある以上そんな大昔から今まで生きられている訳がない。それに、たかだか一人の人間が終焉などと大袈裟な…
そんな考えが困惑として顔に出ていたのか、ミィさんは心を見透かしたような目でこちらを見た。
「詳しい話をする気は無いニャア。だが…いつか必ず来る悲劇を前には、今の世界の惨状は仕方の無いものなんだピャア。この星の行く末を最も案じているのはそう…君の前に立つ精霊だ」
彼のその言葉には感情が乗っていた。ただ一人、未来が見えているような、そんな口振りの彼は今や冷静ではなかった。彼は私に向かって大きな一歩を踏み出す。そして…その手には見覚えのある魔石が握られていた。
「さぁ…君は獣人だろ?なら明澄の魔石を受け取って、完全なる魔族となるんだメェー。今は力無きちっぽけな少女だけど、力があれば何でも出来る。何でも守れる。君にはこの力を得る権利がある」
「私は…」
その言葉を拒否しようとした、その瞬間であった。ドスンという音と共に目の前で突然起こった惨状に私は反応が追い付かず、ぽかんとしながらただ立つ事しか出来なかった。
「うぇへへぇ…」
突然背後から伸びてきた大きな白い腕はミィさんを上から殴り付けて彼の事を押し潰した。潰された彼の姿は彼女の手に遮られて見えないが…あまりにも突然すぎる事態に私は動揺を隠せずにいた。
「じゃらもん…ちゃん…」
その白い腕の主、じゃらもんちゃんは愉悦の笑みを浮かべていた。
「わたし、このひときらぁい。ちからなんかなくていい。このひとがみんなにだれかをきずつけるためのちからをあげるなら、このひとがしねばいい」
そう言うとじゃらもんちゃんはギロリと、何も無い虚空を睨み付けた。
「そしてそれはきっず、おまえもだ。みんなをくるしめて、へんなちからをあたえて、もうゆるさないもん」
じゃらもんちゃんの目が赤く光る。するとそれと同時に、室内であるにも関わらず突然強風が吹いた。空気が震えるような感覚、そして体内の魔力が乱れるのを感じる。だが…そんな事今はどうでもよかった。
「い、息が…!苦し…い…!」
そう、満足に呼吸をする事が出来なくなった。まるで水中に居るかのような感覚に私は必死になって呼吸を試みるが、私の肺は空気を吸い込んではくれない。酸素が無くなって思考が回らなくなっていたその時、何者かの声が脳裏に響いた。
『大変な事になった』
「あな…たは…?」
『もうぼくが誰なのか、薄々想像が付いているんじゃないかい?被検体六十六号の発言を思い出してみなよ』
「キッズ…さん…!」
『単刀直入に言う。ぼくは今、被検体六十六号によって殺されそうだ。何がどうなって空気である筈のぼくが死ぬのかは見当が付かないが、生命活動が終わりつつあるのを感じる。そして当然、空気が消えれば君達も皆んな死ぬ。あぁ、なんて興味深いんだろう…!』
「そん…な…」
『この近くには暴走する被検体六十六号を止めてくれる都合のいい味方なんて者は居ない。けれどたった一つ、空気が無くならずこの星に生きる者達が助かる方法がある』
「信用…でき…ない…!」
『まぁ待てよ、馬鹿が。どの道君にはそれ以外の方法が残されてないんだぜ?』
「………」
『その方法とは、至ってシンプルだ』
彼はねっとりとした邪悪に満ちた声で、楽しそうに呟いた。
『お前のその肉体を寄越せ』
前回からかなり間が空いてしまいました…!友人達への誕生プレゼントとして小説を書いていたらこうなってしまいました、てへぺろでございます。
さて、話を本編に戻すとミィさんは当然この世界の全てを監視する事が出来る訳です。つまり彼はこの世界について最も詳しい存在と言えるでしょう。
ですが…もう一人、この世界を知り尽くした人物が居る筈です。