やさしいせかい
「うーん…」
困り果ててしまい思わずその場で情けない声を出してしまう。先程研究所全体が揺れたのを確認した私はパニさんと別れ轟音のした方へと向かっていたのだが…迷宮のような研究所では到底思うように進む事は出来なかった。確かじゃらもんちゃんが地図を持っていた筈だが、あの時に地図を回収する余裕などなかった。
守れなかった彼女の事を思い出して悔しさが蘇ってくる。確かに私は少女一人も守れない程に弱かった。けど、いつまでも弱いままではいられないのだ。私の事毛むくじゃらの腕はその為の第一歩だ。
そうして決意を胸に先へと進む私であったが、前方にいくつかの影が見えた。
「グギ…ギ…」
「あれは…パニさんの所に捕まってた魔族の人達?」
定期的に遭遇するが、やはりパニさん以外は皆様子がおかしい。前方には四匹の犬の魔族が見えるが彼らも狂気と殺意に満ちた理性の消え去ったような表情をしている。
そんな彼らはある部屋の中へと消えていった。
「ラッキー。皆んな部屋に入ったし、これで見つかることなく安心して先へ進める」
しめたと言わんばかりに早足で進む。どうやら扉を開きっぱなしにしたみたいだが、音を立てなければ見つかる事はないだろう。それに部屋の中からガチャガチャと何かを弄るような音が聞こえる、つまりは作業中という訳だ。
つまり、余計な事さえしなければ安全だった筈なのだ。だが部屋の前を通るその時、私はつい見てしまった。機械の並ぶ研究室にて、異質に佇む二つの培養液。その両方に体毛や皺、凹みが一切無い人間の姿があった。それらの人間の肌は片や白、片や紫色に変色していた。
「…そういえばじゃらもんちゃんと探索してた時、同じように水槽に入れられた変な色の赤ちゃんが居たなぁ。この人達と似てるけど…この二人は大人だし、一色だ」
あの時じゃらもんちゃんと見た被検体は紫と黒の色をしていた。対して目の前の彼らは気持ち悪い程に一色である。やっぱり何だか不気味だなぁと考えていると…私は例の犬型の魔獣達へと視線を落とした。
「グゥ…!ガッウ!が…」
先程から聞こえるガチャガチャという音、それはどうやら犬の彼らが機械に歯を立てている音のようだ。そして彼らが噛み付いているその機械というのはそう、まさに例の培養液に繋がった操作盤である。一体操作盤の何が彼らの興味を引くのだろう。
そう思った時、私は思い出した。今現在キッズさんは空気となっており、キッズさんの生み出した魔石を取り込んだ事で彼らは暴走し始めたと。ならば、魔石の成分によってはキッズさんの意思介入も可能ではないか?
何か嫌な予感がする。そう思って急いで部屋に一歩足を踏み入れた私であったが…どうやら遅すぎたようだ。
吸引する音と共に培養液が徐々に減っていく。そして培養液で満たされていた硝子のケースはウィーンという機械音と共に床の中へと消えていった。そうしてその場に残された二体の被検体は眠るように動かずその場に立ち尽くしていたが…突然、目が開かれる。
それを認識した次の瞬間、四匹の犬の魔獣は全員壁に叩き付けられていた。先程まで彼らが居た場所には代わりに例の二人の被検体が立っている。
「は、早い…!それに見境無く襲う凶暴性…!」
「「………」」
二人は私の事をギロリと睨む。それにより思わず反射で構えるが、遅すぎたようだ。紫色の足が私の腹に蹴りを入れ、その衝撃で足が地から離れた瞬間に白色の手が私の首を掴んだ。
「な、なんて力なの…!く、首が…折れちゃう…!」
じたばたと抵抗するが、白色の彼は顔色一つ変えずにただ指に力を込め続けている。このままでは首の骨が折れるか窒息死かだ。このままやられる訳にはいかないと毛むくじゃらの左手で彼の腕を掴む。
「可哀想だけど…ごめん…!」
力を入れると、ボキィという鈍い音と共に彼の腕はまるで木の枝のように折れ曲がった。だが…腕が折れたというのに彼は呻き声一つあげない。それどころか力を強めるばかりでちっとも首を掴む手が緩むことはなかった。
魔法も使えない今ではどうする事も出来ない。まだ想定より早すぎるが、獣人化を進めるしかない。そんな覚悟を決めたその時であった。
私達の隣に何かが投げ捨てられた。視線をそちらに移してみると、そこには紫色の大きな何かが落ちていた。…いや、違う。紙のようにクシャクシャに丸められているが、あれは先程培養液から出てきた紫色の被検体だ。ピクピクと動いてはいるが、あの状態ならば全身の骨はとうに砕け散っているだろう。
私と白色の彼は何が起こったのか分からずにぽかんとする。するとその時、突然彼の背後から伸びてきた大きな白い手が彼の頭を掴んだ。その細長い指は実に簡単に彼の頭蓋骨を握り潰し、その結果私の首を握っていた彼の手は力を失ってたらんと落ちる。ようやく自由になれた私だが、ゴミのように投げ捨てられる白色の彼の遺体に居た堪れない気持ちになった。
「君、は…」
目の前に居る怪物と目が合う。それは三メートル程の大きさをした背の高い女の人であった。血の気が引いたように青ざめた血色の悪い顔、老化かストレスで鼠色になってしまっているぼさぼさのおさげ、研究所内を侵食している緑色の植物が大量に巻き付いた胴体、白い包帯が巻き付けられた手足、出血して赤く染まった頬、狂気に呑まれたような不気味な笑顔。その姿はまるで、死神のようだ。そしてそれでいて同時に…私は過去に、ある人物をこう形容した。
彼女は子供である私のお腹程度までの身長しかない、小さな子であった。真ん丸な青色の頭、真ん丸な銀色のおさげ、真ん丸な緑色の身体、真ん丸な白色の手足、ピンク色のぷにぷにとしたほっぺた、ニコニコと可愛らしいひまわりのような眩しい笑顔。その姿は本当に妖精さんのように素敵であった。
…そう。認めたくはないが…目の前に居る怪物はどことなく、じゃらもんちゃんに似ていた。しかしどう考えてもあの明るく可愛らしいじゃらもんちゃんとは程遠いのだ。決して目の前に居るような恐怖を具現化したような存在ではない。
だが…疑おうにも、この妙な胸騒ぎに私は口を開いた。
「じゃらもんちゃん…なの…?」
「………」
彼女はニタァと薄気味悪い笑みを浮かべ、言葉を発した。
「きゃろ。もどってきたんだね」
「じゃらもんちゃん…その姿は一体…?それにどうして生きてるの…?じゃらもんちゃんはあの時、キッズさんに刺されて…」
「わたしはふじみなの。しにたくてもしねない、ばけものなんだ」
彼女はそう言うと、その大きな手を自身の胸に当てた。その指は身体に巻き付いた植物をすり潰している。
「わたしにはね、なまえがないんだ。でもよびなはあった」
「…じゃらもんっていう呼び名?」
「ううん。じゃまもん」
邪魔者。そう呼ばれていたと淡々と告げる彼女の目に光はなかった。
「わたしがうまれたときにおかあさんはしんじゃった。そのせいでおとうさんはおこってた。わたしみたいなやくたたずをうんだせいで、おかあさんはしんじゃったって。ごはんはたべるくせにないたりはなしかけたりしてうっとおしいわたしを、おとうさんはじゃまもんってよんでた」
「じゃらもんちゃんは何も悪い事してないでしょ…?それなのに邪魔者って呼ぶなんて…酷いよ」
「でもおとうさんはやくたたずのわたしにもつかいみちがあることにきづいたの。それはひびのうっぷんをぶつけること。おとうさんはかえってくるといつも、わたしのことをなぐった。わたしがなくと、けった。おとなしくなるまで」
「………」
「そんなひびがつづいて、わたしはからだがだんだんうまくうごかなくなるのをかんじてた。けどおくすりをかうおかねなんておとうさんはだしてくれないから、やまにやくそうをもとめていってみた。そしたらそこで『ゆめつれそう』をみつけた」
「ユメツレソウ…聞いた事あるかも。高い治癒力があるけど、その代わりに神経毒があるって。もしかしてこの研究所に生えてるのがユメツレソウ?」
「そう。ためしにおとうさんになぐられたところにゆめつれそうをぬりこんでみたら、きずがなおったの。それによろこんだわたしはまいにちきずをなおすためにやまにいった。けど…どくのことをしらないわたしはゆめつれそうをつかってるうちにだんだんうまくものごとをかんがえられなくなった」
「じゃあ、今までの独特な言葉遣いももしかして…ユメツレソウで思考が上手く回らなかったから…?」
「へんなはなしかたのわたしに、おとうさんはもっとおこった。けどおとうさんがおこるとわたしはもっとゆめつれそうをつかった。それをくりかえしてるうちにおとうさんはいかりくるってわたしのことをはものでさした」
「刃物っ…!?」
「わたしはしにかけた。けど、とつぜんあらわれたとうめいないしがきずぐちにはいりこんだ。するとわたしはいまのすがたにかわって、まぞくになったんだ。それをみておびえるおとうさんをなぐさめようとさわったら…おとうさんはすなになってきえた。わたしにはいのちをうばうちからがあるみたい」
「………」
「わたしはちからをおさえるために、こどものすがたになった。けどこどもになったからのうみそもおさなくなって、にんげんだったときみたいにうまくしこうがまわらなくなってた。そのせいでわたしはきっずのわなにかかってつかまっちゃったの。そのあいだわたしはむかしのことをわすれてたけど…だんだんとおもいだせた」
「じゃらもんちゃんは何がしたいの…?」
「みんなをたすけて、ここをでて、きゃろといっしょにくらしたかった。でも…きゃろのことをしんじられなくなったの。だって、きゃろは…」
彼女は悲しそうに目を伏せると、小さく言葉を零した。
「きゃろは…おとうさんとおなじで、ぼうりょくをつかってきっずをころそうとしてた」
「っ…!」
「きゃろはたよれるおねえさんだとしんじてた。でも、おとうさんとかわらなかった。わたしはもう、なにをしんじればいいのかわからない…」
「じゃらもんちゃん、聞いて…!あれは…!ッ…!」
声が出なくなった事に気が付き、ハッとして自身の腕を見てみる。そこにはアセツさんに付けられた三つのミサンガのうちの一つ、唯一切れずに残った青いミサンガが付いていた。
そのミサンガによる契約の内容は『契約の内容を誰にも話してはいけない』というもの。つまり…契約に従ってキッズさんの命を狙ったという事実も彼女に知らせる事が出来ないのだ。最早ミサンガによる弊害は無いと思っていたばかりに、誤算だった。
そのせいで…じゃらもんちゃんは不信感を抱いてしまった。信じていた人を自身に暴力を振るう父と重ねてしまった。そのせいで彼女は…
「わたしはもうなにもしんじられない。だから…みんなのいのちをすいとって、たくさんたくさんたーくさんゆめつれそうをさかせる。そしたらだれもきずつかない、やさしいせかいになるの」
「違う…!そんなの…!」
否定しようと声を張り上げるが、彼女はその長い背中を曲げて私に顔を近付けた。その顔は恐ろしく無表情で、瞳の奥に見えるドス黒い殺意が私に向けられている。
「うらぎったのはきゃろだよ。わたしはきゃろをしんじない」
「じゃらもん…ちゃん…」
「みんなみんなわたしのことをおかしいっていうなら…」
彼女はニィと口角を上げた。
「みんなみんなユメツレソウのお陰で死ぬ事のない世界で、ユメツレソウの毒でおかしくなっちゃえばいいんだ」
99話の『最終兵器始動』にて、キッズさん側の最終兵器であるアセツさんが初登場しました。そして…決して解き放ってはいけなかった、世界を終わりに導く最終兵器であるじゃらもんの初登場もこの回でした。




