吸血鬼
『…何だこれ、中毒性の物質でも入ってる?』
遠い昔に言われたなんてことの無い一言。その一言が妙に懐かしくって、暖かくて…叶うなら、もう一度その優しい声が聞きたい。
あの静かな時間を、また過ごしたい。少しだけでもいいから、支えが欲しい。とにかく…心細い。
まるでそんな私の心を見通すかのように、目の前の白い犬はニヤニヤと笑っていた。彼は私の魔法によって生み出された氷柱を手首と足首に突き立てられながらも口を開く。
「相手の事を求めちゃう気持ち…尊いねぇ〜」
「氷柱達よ、より深く食い込め」
「あうっ」
「…結局君は何がしたいの?私達をおちょくるつもり?」
「いやぁ、違くてぇ〜」
「そうやって私達を馬鹿にして!私達だってもっと自由に恋愛したいよ!それなのに…それなのにチャシはッ!!!」
反響する自分の怒号に、自分が今冷静ではなかったと察知して黙り込んだ。やはり…チャシの話をしているとどうしても冷静さを欠いてしまう。それだけ、私の中では大きすぎる過去の悲しい記憶なのだ。
胸の中で交差してぐちゃぐちゃになった感情を胸に、私は目を伏せる。しかしそんな私に白犬は変わらず笑いかけた。
「ロディは君達の事を馬鹿になんかしてないよぉ〜。ただぁ、手伝ってあげようかなって思ってるだけなんだぁ〜」
「…手伝う?君が?」
「そう〜」
「何のメリットがあって?それを聞かないことには信用なんて出来ない」
そう言って私は目線を上げるが…そこで私は気が付いた。目の前の白犬はうっすらと閉じていた紫の瞳を開き、どこか遠くを見つめるような切ない表情を浮かべていた事に。
「ロディはねぇ、恋の精霊なのぉ。命と命が繋がって、また新しい命が生まれて、それが続いてく。そうした過程で命は愛を知って、何にも変え難い満足感を得る。ロディは愛というものを何よりも尊重してるのぉ」
「だから私の味方をすると?」
「ううん、違う」
「違う…?じゃあ何が理由で…」
「ロディはねぇ、愛を知らないの」
その一言に、私は目を丸めた。そんな私の視線を気にも留めずに彼は続けた。
「ロディにだって好き嫌いはある。幸せを感じる事だってあるよぉ。けど恋に落ちる事、相手を愛する事、子孫を残す事、そして命を託して老化していく事が理解出来ないんだぁ。皆んなの喜ぶ顔を見るのは幸せだけど…どうしてそれで喜ぶのかは分からないんだぁ」
「わんちゃん…」
「ロディは君達の喜ぶ顔が見たいから、手伝う。それでいいんじゃない〜?」
理解は出来ないが、力になりたい。他者の為に何かをしてあげたいという優しい願いだが…しかし、そう言う彼はまるで生物らしさを感じさせなかった。恐らく…私達人間とは違う次元の生き物なのだろう。
だが、私にとっては都合のいい存在だ。
「分かった。じゃあ、私の計画を手伝って」
「良いよぉ〜」
「私の目的は…チャシを人間に戻す事」
首を傾げる白犬に、私は続ける。
「チャシは…魔族なんだ。元は人間だったんだけど…」
「魔族!という事はぁ、その人も明澄の魔石を〜?」
「ううん、違う。チャシは…」
「お、居たぞ居たぜ。見ろビレッジ、あれがアセツ・ラピスラズリだ」
突然聞こえた男性の声に私と白犬は気を引き締める。あまり聞き馴染みのない声、しかし…何処かで聞いた記憶はある。どうにも記憶の奥に引っかかると困惑していると、その声の主が姿を現した事で全てを思い出した。
その人物は、首から下が殻で覆われた人型のカタツムリ。そしてそんな彼と同行するのは見覚えの無い人間の形をした光。光の方は知らないが、カタツムリの方はよーく覚えている。
「見ろと言われても、そもそも私はキャロを通して彼女の事を既に知っているのよ」
「おっと、そうだったな」
「それより、貴方は顔馴染みなのでしょう?挨拶でもしたらどう?」
「それもそうだ」
カタツムリは手を広げ、私の方へ向けて一歩踏み出す。
「やぁやぁアセツ・ラピスラズリ。久しぶりだなぁ。俺だよ俺、チネチだよ!いやぁ、あの時は世話に…」
彼が文章を言い終わる前に、私は発動した氷の魔法で彼を一瞬にして氷像へと変えた。固まったまま動かなくなるチネチを見て、同行者の光人間はやれやれと言わんばかりに手を額に当てた。
「瞬殺とは、使えないわね」
「こう見えても私は優秀な魔法使いでね。凍りたければ貴女もどうぞ?」
「あら素敵な提案ね。けど、生憎そうもいかないのよ」
彼女は凍り付いたチネチに手を当てる。すると彼女の発する光による熱か、チネチを覆う氷はみるみるうちに溶けていった。それにより彼は意識を取り戻し、両手を膝に乗せて疲れきったような仕草で天井を見上げた。
「ふう…命拾いしたぜ」
「いくら雑魚とは言えど、もう少し働いて貰わないと困るの。しっかりして頂戴」
「目覚め早々ひでぇよ!ありがとうではあるけどよ!」
チネチは視線を下ろし、私の方を見た。
「てか、俺に八つ当たりすんなよ!俺は確かにあの場に居たけどさぁ、直接的には関係ないだろうが!」
「なら貴様のボスが何処に居るのか、さっさと吐いたらどう?さもないと今度こそ死ぬかもね」
「いやぁ…へっへっへ」
「…何を気持ち悪い顔で笑ってるの?」
「うちらのボスは今なぁ…王都に居るんだよ。それもベビールームに」
「ふざけないで」
「俺も当時それを聞いた時は馬鹿げた冗談かと思ったよ!けどガセでもなんでもなかったらしい。へへ…」
「ならとにかく準備が整い次第王都へ出向いてその王を始末する。そしてチャシを元の姿へと戻してもらう」
「まぁそりゃそうだよなぁ。なんたって、お前のボーイフレンドは『吸血鬼』に変えられたんだもんなぁ」
「………」
「あら、噂をすれば御登場みたいよ?」
ビレッジの一言に、一同の視線は全て同じ方向へと向けられた。
そこに居たのはチャシ。いや…チャシのような形をした、悍ましい姿の怪物であった。腕、指、爪が常人の倍程の長さとなり、青白い肌は体内から染み出す血液によって赤くなっている。彼の持つ鷹のような鋭い瞳は黒目が肥大化したかのように真っ黒に染まり、小さく赤色の光が煌めいている。鋭い歯を見せながら舌をたらぁと垂らすその姿はまるで狂人だ。
認めたくはないが、あれは…チャシだ。悔しさで拳を握り締めていると、チネチが憐れむように言う。
「チャシだっけか?あいつも昔は有能な男だったよなぁ…けど、過去に起きた『王都襲撃事件』の最中に俺達のボスと出会っちまった」
「あの時の事は忘れもしない。私はチャシを元に戻す為、そして…貴方達ネバーランドへ復讐する為に今まで生きてきた。その両方が、もうすぐ叶う」
「悪ぃがうちのボスは最強だ。お前が復讐を果たす事もないだろうよ」
「試してみる?」
「やめとけ。…今は自分の心配をしろ」
チネチが目を細めたその瞬間、私の腹に激痛が走った。目の前にはまるで悪霊のような不気味な笑みを浮かべる青年の姿。そして視線を下に下ろせば、青年の指が私の体内の奥深くまで突き刺さっていた。
内蔵を傷付けられ、爪が体を貫通した事により私の身体は生命活動を停止した。その結果彼が指を引き抜くと同時に私は力無くその場へと倒れ込む。
「最愛の人に殺されるとは、浮かばれねぇな」
「…チネチ、チャシは何故私達を無視してアセツを狙ったの?」
「そうだな…ほれ、アイツの腕にミサンガが付いてるだろ」
チネチはチャシの腕を指さす。そこには赤、赤、青の三つのミサンガが巻きついていた。
「本来チャシは吸血鬼になった時点で全ての記憶を失った筈だ。だが…アセツはそれを良しとしなかった。永続的な命令を与えるミサンガを使い、アセツはチャシにとある命令を与えた」
「それは?」
「『アセツ・ラピスラズリの事を忘れるな』という命令だ。そしてアセツは毎日特殊な配合で作られた自作の薬を注射する事で可能な限り吸血鬼の姿から遠ざけていたんだよ。もし人間に戻ったとしても自分の事を覚えてくれるだろうという、淡い願いを込めてな」
「…チャシが唯一持っている記憶、アセツ・ラピスラズリ。恋人を求める心と、吸血鬼として獲物を求める心が錯綜しているのね?」
「そういう事だ。吸血鬼にゃ愛と食欲の区別も付かねぇのよ」
「…ふざけんな」
持てる限りの怒りを込めた一言であった。好き放題言われて、思い出したくもない現実をつらつらと並べて…もう我慢の限界であったのだ。私は拳で地面を殴ると、ゆっくりと立ち上がる。
「お前…死んでねぇのかよ!?」
「あぁ…これのお陰でね」
私は手に握っていた緑色の植物を彼らに見せびらかした。この植物は突如、『化け物』の出現と同時に研究所を埋めつくしたものだ。
「これは『ユメツレソウ』っていう植物だよ。そこらの薬品では比較にならない程の即効性を持った薬草なんだ。この草から出る花粉はどんなに深い傷口であろうとたちまち塞ぐんだ」
「へぇ…そいつはすげぇな」
「けど、ユメツレソウの花粉には毒の成分も含まれている。何度も何度も使用すると肉や神経が毒され、正常な思考能力を失ってしまう。薬物中毒者のような姿に成り果てることから夢の中へと連れていく草、ユメツレソウと呼ばれているんだ」
「ふぅん。おっかねぇなぁ」
「だから…」
私は振り向き、白犬の方を見た。今までずっと静観していた彼の閉じた瞳を覗き込みながら、私は笑う。
「どうして突然ユメツレソウが研究所に生えたのかは分からないけど…好都合かな」
「何する気ぃー?」
「白犬さん、お願い」
私は彼のぷにぷにの肉球を握る。
「私はここでチャシに殺され続ける。だから…」
「………」
「私の代わりに…白髪ちゃんと合流してあの二人を倒して」
チャシが人間に戻る事。そしてチャシをこんな目に遇わせたネバーランドの住人達への復讐を果たす事。それが…今の私の夢なのだ。その為ならばこの激痛も、ユメツレソウによる神経毒だって怖くはない。
私の人生はチャシの為にある。その為ならば、これぐらい…
「…仕方ないなぁ。でもぉ、無理しちゃ駄目だよぉ〜?」
「ありがとう、白犬さん」
私はチネチとビレッジの方を向き、そちらへ向かって手を伸ばした。
「『アイシクルウォール』」
魔法によりネバーランドの彼らと私達を分つ氷の壁が生成される。あの光線の塊のようなビレッジが居る以上いずれ溶かされてしまうが…少なくとも、白犬の彼を逃がすぐらいの時間は作れるだろう。
そんな事を考える私の頭に、チャシの大きな腕が振り下ろされた。
「チャシ…君の痛みも全部、私が引き受けるよ」
ぐちゃりと、頭が割れる音がした。
私の事を忘れないでという純粋な願いの込められた青いミサンガ。そしてチャシともう一度昔のような時間を過ごしたいという想い。そんな彼女の願いはいつの間にか復讐という怒りの感情によって上塗りされていました。
自分が救おうとしている、愛してくれた彼に殺され続ける今の彼女の心境は一体如何程のものなのでしょうか。そして復讐を他人に預けなければならない苦痛はどれ程のものなのでしょうか。