赤い糸
「思ったより静かだなぁ」
廊下を進む私はそんな事を考える。例のゾンビの発言からしててっきり化け物が雄叫びを上げながら暴れ回ってるであろうとざっくり考えていた。だが実際は生物の動く気配もなく、そこら中から生えた植物が静かに揺れているだけ。…いや、私の認識は間違ってるだろう。前回徘徊していたゾンビ達の気配も無いという事は、きっとそれだけ化け物にやられたという事だ。
そもそも植物に侵食されている時点で、研究所側は対処しきれていないのが目に見えて分かる。そうでなければこんな惨事を放置しておく訳がないからだ。アセツさんがこの自然味溢れる内装を気に入ったという可能性もあるが、流石に無いだろう。
そうしていつ来るか分からない化け物に身構えながら歩いていると、またもや前方から誰かがやってきた。全身が紫色の毛で覆われた、たわしのような姿の子供。私はその人物に見覚えがあった。
「あ、君は…パニさんの隣の牢に居た…」
以前パニさんと会話した時、紫毛の魔人の彼は生気が抜かれたかのように微動だにしていなかった。そんな彼の目は赤紫色に輝き、その二本の足で立派に歩いている。
「というか、脱出出来たの!?良かった…他の人達は?」
「ア…ぎ…」
「あぎ」
「だ…」
「だ?」
「だすゲ…テ……」
彼がそう、掠れるような小さな声で呟いたその瞬間、彼の全身を纏う髪の毛が急成長し、私の方へと伸びてくる。そして油断しきった私の左腕へと絡みつき、強く拘束した。
そんな彼の焦点の合っていない目からは苦しみが滲み出ていた。
「チ、力が…!溢れ…テ……!ガギャ…!」
「力が制御しきれてない…?ねぇ、何があったの?」
「グガ…逃げ…」
話している間にも腕に巻き付いた紙の束はどんどんとキツく締まっていく。このままだと骨が折れるどころか、最悪切断までされてしまうかもしれない。何としてでもそれは避けなければならない。
だが、魔法を使えば獣人化は進む。制御出来るかもしれないとは言ったが、何が起こるか分からない以上可能であれば大事な局面で使うのが好ましい。こんな所で一か八かの賭けに出るのはあまりにもリスキーすぎるのだ。
しかし、魔法を使わなければこの拘束は解けない。不本意ではあるが魔法を使わねばならない、そう思った時であった。
「ひでぶっ!」
「…あれ?」
髪の毛を振りほどこうと力を込めて腕を振るうと…その遠心力によって魔人は壁に叩き付けられる。結果力強く絡み付いていた髪の毛はパラパラっと抜け落ち、先程まで様子のおかしかった魔人さんも気を失って動かなくなった。
少し困惑しながら自身の左腕を見る。
「凄い力…やっぱりもう、この腕だけは魔族のものになってるんだ。魔法が使えない今は助かるけど、魔人さんには悪い事しちゃったかな…」
私は倒れる彼に近付き、大きなたんこぶの出来た頭を優しく撫でた。そんな一向に起きる様子の無い彼を見て、呟く。
「それにしても…どうしちゃったんだろ。力に溺れて制御が効かなくなったように見えたけど…他の捕まってた人達も同じようになってるのかな」
そんな疑問に答えるかのように、廊下の奥から複数の生物が草を踏む音が聞こえてきた。その音に気絶した魔人から目を離し、その足音の主を見てみると…やはり様子のおかしい魔族が三人、こちらへと向かってきていた。
「アグァ…ァァァァア」
「キッズ…キッズに復讐を…!」
「あれは女の子…うぐっ、頭が…!あ、アレハ…キッズ…!」
「コロセ!!!」
「コロセ!!!」
異常者のように破綻した言動の彼らは皆、どうやら私を敵視しているようだ。話の内容からして私がキッズんに見えているようだが…あの様子じゃ誤解を解こうにも聞く耳を持たないだろう。みすみすやられるぐらいなら防御をと、立ち上がろうとしたその時であった。
「あれ?」
壁に叩き付けられ気絶した魔人さん。その人の頭には大きなたんこぶがあった筈だったのだが…いつの間にかたんこぶは消えていたのだ。ついさっきまで触れていた筈なのにと疑問に思い、首を傾げる。
だが今はそんな事を気にしている場合では無い。魔人さんの方を見ている間も、魔族の三人組はこちらへと近寄って来ているのだ。今は自身の左腕しか頼れない状況、油断は出来ない。
「おいで。とりあえず、気絶させて落ち着かせるから」
「ぐ…ギ…!キ…」
「ふー…よし!不完全でも何とかし…」
「助け…て」
一瞬、彼らの目に涙が浮かんだ。一秒にも満たない、見間違いかもしれない程の短い時間。だがそれでも私は確かに…彼らの助けを求めるような目を見逃さなかった。
そんな彼らの瞳に困惑していると、彼らは直ぐに再び理性を失ったような様子で私の方へと襲いかかってきた。動揺で反応が遅れた私は慌てて戦闘態勢に入るが…
三人の魔族は飛びかかった姿勢のまま、動かなくなった。ころんと無機物のように転がる魔族達。冷気を放ちながら動かない魔族に、そしてその奥から落ち着いた歩幅で向かってくる人物に、私は状況を理解する。
「あなたは…」
「間に合ったみたいね、白髪ちゃん」
「…アセツさん」
思わぬ遭遇に私は身構える。まさかこんなにも早く、彼女と合流する事になるとは思わなかった。彼女は現時点で最も警戒すべき人物のうちの一人。今の私どころか…以前の私でも勝てなかった相手だ。
だがそんな私に、彼女は安心させるような笑みを浮かべた。
「そんなに怖い顔しないで。『今は』敵じゃないよ」
「今は…?」
「今、研究所内は私の手には負えない状況に陥っている。だから協力者が欲しかったのだけれど…まさか白髪ちゃんが戻ってくるだなんてね」
「つまり、一時的な協力関係を結びたいって事?」
「その通り。もし全てが終わったらまた私達は敵同士。けど、今はお互いにとっての共通の敵が居る」
「共通の敵って…」
「キッズの身体を借りたミィ。そして…突如として現れた、怪物」
「…怪物」
息絶えたゾンビさんの言っていた化け物と、恐らく同一人物だ。だが…私はてっきりそれがミィさんなのだと思っていた。しかし、彼女の話を真に受けるならばミィさんとは別の存在である筈だ。
「どういう事?怪物っていうのは一体何者なの?」
「結論から言うと…分からない。最初はキッズの研究体かと思ったんだけど、別存在みたい。突如現れた『アレ』が何者なのかも想像付かない…」
「この際何でも良いから情報が欲しいし聞くけど、キッズさんの目的って何だったの?結局、アセツさんとミィさんに阻止されちゃったけど…」
「そうだね…念の為、君にも共有しておこっか」
「お願いします」
「先ず結論から言うと、彼の目的は『究極生命体の作成』だった」
「究極生命体?」
眉間に皺を寄せる私に、彼女は面白くなさそうに続ける。
「キッズは探究心の強い男よ。…それも、狂気と呼べる程度には。そんな世界に魅せられた彼は考えたの。どんな環境にも耐えられ、決して寿命で衰える事がなく、誰にも命を脅かされることのない肉体。それさえあればこの星から抜け出して、自分達が生きるこの世界そのもののメカニズムを解明出来ると」
「そっか、キッズさんは自分の魔法で他人と身体を入れ替えられるから…」
「そういう事。実験体を改造して完璧な肉体を作り、その肉体を自分のものにする。その完璧な肉体の為に白の魔石が必要だったっていう話」
「じゃあ…明澄の魔石じゃ駄目だったの?あれは確か自分の願いを反映させる力があるって…」
「…世間には公表されていないけど、それは事実。そして明澄の魔石についてキッズは知ってる。わざわざ白の魔石を選んだ理由としてはね…明澄の魔石じゃ不完全だったから」
「不完全?」
「実験体は当然キッズに恨みを持ってる。そんな連中に明澄の魔石なんてものを与えてしまえば…反撃されかねない。身体を入れ替えた後に取り込むにせよ、肉体の耐久性からキッズは魔族のみを被検体として利用している。明澄の魔石を取り込めば魔族になるけど、魔族がもう一度明澄の魔石を取り込めばどうなるかは分からないから」
「言いたくないけど…キッズさんなら抵抗されないように身体を入れ替える前に被検体を殺すんじゃ?じゃらもんちゃんの死体と入れ替わってたし、生者じゃなくても魔法は発動する筈だよ」
「それも賭けになるからキッズは認めなかった。キッズの魂が入っていたとしても、身体は死体。もし『地縛霊の魔族』になんてなってしまえば彼の願いは永遠に叶えられなくなってしまうもの。検証しようにも、明澄の魔石をそう何個も手に入れられる訳ないし」
確かに…死人が魔族になれば地縛霊になってしまうのはシラツラさんとシークイさん、そしてウェルフルさんに会って既に経験している。この星から抜け出して世界を解明するという夢ならば彼にとって地縛霊になるのは最も避けたい事柄であろう。
「だから特にデメリットもなく、魔力を通しやすい体質へと変化させられる白の魔石を求めてたの?」
「その通り。それが、キッズの目的。一応未完成ではあるものの例の究極生命体は仮で出来ていたんだけどね。ただキッズが居なくなった以上、それを使って何かをするという事は出来なくなった筈」
「そっか…なるほどね」
キッズさんの目的については納得した。だが、まだ不明な点はある。その点を解明する為、私はアセツさんの方を見た。
「それじゃあ、アセツさんの目的って何?」
「………」
「チャシさんって誰?あの人は今何処に居るの?」
「…君には関係の無い事だよ。前にも言ったよね?あんまり人の過去を検索するなって」
「やっぱり…教えてくれないんだね」
「うん、教えない。…けどそうだね、一つ共有しなくちゃいけない情報はある」
「それは?」
「チャシと出会ったら、逃げろ。今のあの子は私達の敵だ」
「…アセツさんの仲間じゃなかったの?」
「訳あってね。これも全部、ミィのせいだ。だからミィを倒せばチャシは戻ってくる」
「協力関係を結ぶならちゃんと話してよ!そんなんじゃ信用なんて…!」
ピトッという感触と共に、首の一部分が冷たくなる。その理由は私の首に突き立てられたその物体、浮遊する氷柱が触れているからだ。ほんの少しだけでも呼吸をすれば尖端が突き刺さってしまう程の距離。それはつまり、彼女が私の命を握っている事を意味する。
冷や汗が頬を伝う中、アセツさんの顔色を伺おうと目線を上げる。するとそこには…いつもの飄々としたアセツさんの姿は無かった。代わりにそこに居たのは、怒りと殺意に満ちた瞳を浮かべた不気味な大人の姿であった。
「白髪ちゃん。私は何度も忠告したよ、触れるなって」
「っ…」
「子供の命を奪う趣味はないけどね、あまり苛立たせるようなら話は別だ。今すぐに息の根を止めてその小さな身体を切開してやる。それが嫌ならもう口を開くな」
「………」
喋れない私は目線で彼女に敵意が無い事を伝える。するとアセツさんは貼り付けられたような笑顔を見せ、指をパチンと鳴らす。すると例の氷柱は一瞬にして水となって溶けたのであった。
「よろしい!いやー、流石白髪ちゃんだね!ちゃんと言う事を聞いてくれる良い子だね〜」
「………」
「よし、それじゃあお姉さんと一緒に行こうか。討つべきは怪物とミィとして、先に狙うべきなのは…」
「分かるよぉ。それ、愛だよねぇ〜」
聞き馴染んだおっとりした甘ったるい声。その声の主が誰なのか気が付いた私は思わずそちらの方を見る。するとそこには全身白の体毛で包まれた獣、すなわちロディさんの姿があった。
しかしロディさんと合流出来た安心感と同時に…私の中に不安の渦が生まれた。恐る恐るアセツさんの表情を窺ってみると…彼女は頭に青筋を浮かべていた。
「…何しにきたのかな?犬の魔獣が」
「ロディは魔獣じゃないよぉ〜」
「何しにきたか聞いてんだよ。答えないと今すぐ四肢を切断する」
「いやぁ〜。ロディはそこのキャロちゃんの友達だから来たんだよぉ〜」
「ならいちいちムカつく事言うな。的外れな事ほざくな」
「ん〜、的外れかなぁ」
ロディさんは閉じていた紫色の瞳をほのかに開き、動揺を含んだようなアセツさんの顔を見る。
「ロディ、人と人を繋ぐ役割を持ってるからさぁ〜。分かるんだよねぇ」
「…何が」
「運命の赤い糸。…君ぃ、さっき話に出てきたチャシって人と恋仲でしょお〜」
ロディさんがそう言ったその瞬間、彼の周りを五つの氷柱が囲った。両足、両腕、そして首。先程までの私のような状況、つまりは危機に晒されているというのにロディさんは涼しい顔をしている。
「いや、少し違うかぁ。想い人ではあるけど、まだ結ばれてないねぇ〜」
彼が話し始めると、氷柱から赤い血液が滴った。だが彼は口を閉ざす様子を見せない。
「赤い糸は相手を想えば想う程ハッキリ見えるものなんだぁ〜。君の小指に絡まってる赤い糸は鮮明に見えるけどぉ、お相手さんから伸びてきてる赤い糸は『消えかけてる』ねぇ。脈ナシならそもそも赤い糸は存在出来ないんだけどぉ、消えかける現象っていうのは見た事があるよぉ〜」
「………」
「あれはそう…熟年の老夫婦だったなぁ〜。片方は愛しているけど、もう片方の指からは赤い糸が消えた。…認知症でお相手さんの事を忘れちゃったんだよ」
「っ…!」
「お相手さん、君の事を忘れかけてるね?」
「あーもう分かった。本っ当に死にたいみたいだね」
ドスッと重い音がすると同時に、ロディさんの足元は赤一色に染まる。両足の足首、そして両腕の手首が氷柱によって突き刺されたのだ。入れ物が壊れたかのように勢いよく流れる血液に、息が詰まりそうになる。
だが、当の本人であるロディさんは顔色を変えなかった。
「気に入ったよ。ロディとしばらく恋愛トークでもしようか」
いつもの調子でそう言うと、彼は私の方を向く。大量に出血しているのにも関わらず、今の状況を意に介さないような様子で微笑む彼に私は少し恐怖を覚える。
「キャロちゃん、先に行きなよぉ〜。ロディはここでこの人と仲良くしてるからぁ〜」
「いや、でも…」
「ロディなら大丈夫〜。それにミレファも『やるべき事を終えたら応援に来る』って言ってたしぃ…今のうちに情報を集めてミレファと共有した方が良いよぉ〜」
「やるべき事…それって?」
「後のお楽しみだよぉ〜。それにぃ…」
落ち着いた紫の瞳のロディさん、そして殺意に満ちた藍色の瞳のアセツさんの目が合う。両者を空気が凍り付くような殺気が包む中、ロディさんは言った。
「今はこの人とお話しなくちゃねぇ〜」
「私は君の口を閉ざさないとね、犬っころ」
「てな訳でキャロちゃんは先へ進みな〜」
少し思案し、私は首を縦に振る。あのロディさんの見せる余裕が嘘だとはとても思えないからだ。自身の命を犠牲にして私を逃がそうとしている者の眼ではない。『生き残る算段』がある筈だ。
そうして素直に首を振った私に対し、彼は満足そうに笑みを浮かべる。
「じゃあねぇ〜。また後でぇ〜」
「うん、ロディさんありがとう!」
私は彼らに背を向けると、全速力で駆け出した。するとそんな私の背中に向けて、ロディさんの甘ったるい声が声をかけた。
「あぁ、そうだぁ言い忘れてたぁ〜」
「ん…?」
ロディさんは楽しそうにケラケラと笑い、言った。
「ミィの事ぉ〜、よろしくぅ〜」
「うん、任せて」
「へへっ」
ミィさんも含めて、皆んなを助けなくちゃ。その想いを乗せた私の足は軽やかであった。ただ…一つだけ、懸念があるとするならば。
ミィさんは…きっと、私と同じだ。もしそうであるとするならば、彼は…
「…いや、絶対に…止めてみせる」
最悪の結末を思い描いていた私は、思考を決意で上書きした。
諸事情により一ヶ月も更新が滞っておりました…!申し訳ございません、大変お待たせ致しました…!