精霊と人間
ファーラ。
それは宇宙の何処かに存在する、小さな星の名である。その星は自然豊かな平和な星で、人工物が一つも無いような、文明の発達していないのどかな場所であった。そこに暮らす生物達は皆、何かに悲しむ事も絶望する事もなく何不自由無い生活を送っていたのであった。
その大きな要因の一つとして…その星に住む、四匹の精霊と呼ばれる存在が大きかった。ファーラの生物達、その全ての生みの親とも言える彼らは不思議な力で生きとし生けるものの願いを叶え、時には彼らの経験から来る教えを説き、いつも皆の傍に居た。そんな母なる存在である精霊達を全生物が愛すのも当然であった。
そして今日も、一匹の狼の背中に乗った白い肌の男女が精霊の元にやってきた。目的地へと辿り着いた男女は褒めるように狼の顎を撫でると、目の前の大木に向かって叫ぶ。
『ロディさん!居ますかー!』
青年がそう叫ぶと、空を覆うような大木の葉の一部分が少し揺れた。すると葉っぱを掻き分けて一つの小さな白い物体が彼らの元へと落ちてくる。その物体とは…彼らの求めた人物、優しそうな表情の白犬だ。
『ふぁあ〜。ラシミ、呼んだぁ〜?』
『あ…ごめんなさい、お昼寝中でした…?』
『まぁねぇ〜』
『すみません、すぐに帰ります!』
『別に気にしないでよぉ〜。それでぇ、どうしたのぉ〜?』
白犬が問うと、男女は頬を赤らめる。その様子に白犬が首を傾げていると、狼の傍に居た女性が白犬の方へと一歩踏み出した。そんな彼女がお腹を摩っているのを見て、ロディは全てを理解する。
『あらぁ〜、子供が出来たんだぁ〜。これはおめでたいねぇ〜』
『先月ロディさんに子供が欲しいと願った、その御礼をしに来たんです。本当にありがとうございました』
『いやぁ、そんな畏まる必要も無いでしょ〜。親にお願い事をするのなんて当たり前だよぉ〜』
そう言うと、ロディは男性と女性の肩に飛び乗った。そのあまりにも自由かつフレンドリーな仕草に、狼を含めた一同は笑う。そしてその笑顔を見て、ロディも笑みを浮かべた。
『それじゃ、妊娠祝いにうちに上がってくぅ〜?美味しい木の実が採れたんだぁ〜』
『え、良いんですか!』
『勿論〜。ささ、レミシもファソもおいでぇ〜』
『ありがとうございます!』
『アウッ!アウッ!』
人の縁を繋ぎ、命を繋ぎ、その輪をどんどんと広げて行く。それが性の神、アフロディーテの仕事であった。命の尊さを知った生物達は、アフロディーテという存在に憧れと感謝を抱いていた。
〜〜〜〜〜〜〜
『ミィちゃんミィちゃん!』
『ん〜?どうしたんだパオン?』
透明な球体ミィが目的の無い散歩をしていると、小さな子供達の集団に話しかけられる。そんな子供達は皆他の人間と同じような姿だが…少し違う。その子供達は皆、鳥のような大きな翼をその背に生やしているのだ。事情を知らぬ者がそれを見れば天使だと思うだろう。
そんな子供達はニコニコと笑いながら話を続ける。
『この前ミィちゃんに生やして貰ったこの羽、凄く楽しいよ!ありがとう!』
『ミィに出来る事はこれぐらいだコケ。だから喜んで貰えて嬉しいニャオーン』
『それでね!ミィちゃんに見せたいものがあるの!』
『んー?』
『皆んな!いくよ!』
子供達が頷き合うと、彼らは一斉にその羽を使って空へと飛び上がった。以前と比べると随分と飛ぶのが上手くなったなぁとミィは感心するが、彼は更に度肝を抜かされる事となった。
空を飛ぶ子供達は闇雲に飛んでいるのではない。弧を描きながら当たりそうで当たらない、計算され尽くした絶妙な距離感で飛び回っているのだ。近くの鳥達が飛び入り参加をする中、ここまで美しく舞うように飛べるものなのかとミィは感動した。
『凄いブヒ…!それじゃ、ミィも行くッピ!』
透明な球体、ミィは何の前触れもなく突然一羽の鷲へと姿を変える。そして彼は飛び回る子供達の輪の中へと飛んで行くのだ。
『わ!ミィちゃん空飛ぶの上手!』
『ふふっ、君達生物の親としてかっこ悪い所は見せないゲコ!』
『よーし!私も負けてられないや!』
全ての存在をその者が望む姿へと変える、精霊ミィ。彼の力によって人は鳥になり、鳥は獣となり、獣は雲となる。生まれついた差などミィの前では些細なものでしかなかった。どんな存在であろうと、どんな存在にでも変化させられるのだから。
〜〜〜〜〜〜〜
『紅茶をどうぞ、ラファソ』
『あぁ…頂くよ。いつもありがとう』
目の前の男に対し、竜はハエトリソウのような形をした植物を差し出す。その中を覗き込んでみると、中にはブルーベリーのような色をした液体が入っていた。ラファソと呼ばれた男は何の抵抗もなく、すぐさま受け取った飲み物を口にする。
『美味いよ、シュトラール…!これはどうやって作ったんだ?』
人型の竜、シュトラールはテキパキと洗練された動きで再び紅茶を注ぐと、抑揚の無い声で答えた。
『個人的に育ててる草花で作ったのよ。色々と試行錯誤はしたけど、これが今までで一番美味しいと思う』
『最高だよ。無くなっちゃう前に、シュトラールも飲んだ方がいい。さもないと人が集まって直ぐに飲み干されてしまう』
『無くなれば新しく作ればいいのよ。私の事は気にしなくてもいいわ』
『すまないね。何か、御礼が出来れば良いんだが…』
『そんなの要らないわよ。ま、あなたも子供が出来たら分かるかもね』
『子供…?』
『私達精霊にとって、貴方達は皆んな自分の子供よ。子供の喜ぶ顔が見たいのが親心よ』
『フッ…そうか、そういうものなんだな。勉強になるよ』
男は楽しそうに笑うと、再び紅茶を飲み始めた。そんな彼を静かに見守っていたシュトラールであったが、そんな彼女を突然何者かが背後から引っ張る。それはまだまだ幼い小さな子供であった。
『あら、ソレミ』
『シュトラール様!その…忙しくなかったらお願いが…』
『大丈夫よ。何?』
『お洋服の作り方…教えて欲しいの。前にシュトラール様が作ってたのを見て、凄いって思ったから…』
『何だ、そんな事。いいわ、みっちり教えてあげる』
『やった!』
『けど他の人が知りたがってたら今度はソレミが教えてあげるのよ。分かった?』
『うん!』
『良い子ね。それじゃ、材料を取りに行かなくっちゃ』
従者として生まれ、人間に尽くす為の存在として造られた竜、シュトラール。彼女は人の生活や願い事の手助けをして回る、優しき竜。それが純粋な願いだろうと、悪しき願いであろうと。
だが、彼女はようやく…純粋な者達に出会えたのだ。邪悪な願いを叶え続けた彼女にとって、これ以上の安息は無かった。
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『わあぁ…』
一人の少年は目の前の圧巻な光景に空いた口が塞がらなかった。ファーラは精霊の創った星ではあるものの、完璧ではない。時には今少年が覗き込んでいるような、深い亀裂が大地に入っている事もあるのだ。その壮大な渓谷に、少年は感動を覚える。
だが…初めて見るからこそ、少年は渓谷の危険性を知らなかった。まじまじと渓谷の奥底を見つめ続けていた彼だったが…突然、足元の土が崩れた。
『はっ…!?や、やばい…!』
今まで、ファーラにおいて死人が出た事は無い。しかしそれでも少年は本能で自分が今危機的状況に置かれている事を理解した。信頼しきっていた、本来すぐそこにある筈だった母なる大地が無いのだから。
『誰か…!』
力の限り叫びながら少年は落下し続ける。彼は必死に手を伸ばすが、それも虚しく宙を掴むだけ。徐々に迫り来る地面を前にし、少年は今までの人生を思い返していた。
『皆んな…今まで…あり…』
そう、最期の言葉を残そうとしたその時であった。
『あれ…?落ちない…』
少年の身体は突然、空中にてピタリと静止したのだ。起こり得ない筈の状況に困惑していた少年であったが、彼は自身の目の前に黒い影が浮かんでいる事に気が付いた。
『あ…!』
それは…少年の四倍はあるであろう大きさの黒い鎧であった。その鎧は少年に掌を向けており、その掌から発せられる光が少年の身体を丸ごと包んでいた。
鎧は無機質に言葉を放つ。
『ダイジョウブ?』
『う…ブリックさんありがとうー!オレ…怖くて仕方なかったよ〜!』
鎧は光を解除すると、少年を優しく抱き抱える。すると少年も彼を抱き返し、ブリックの胸を涙で濡らしていた。そんな少年の頭を、ブリックは不器用に撫でた。
『アブナクナッテモ、オレガタスケル。ナカナイデ』
『ありがとう…ありがとう…!ブリックさぁん…』
『イインダヨ。コドモハヤンチャ、ソンナコトモアル』
鎧は少年を抱き抱えたまま空を飛び、そして渓谷の中から脱出した。彼はそのまま少年を柔らかい草に覆われた大地に降ろそうとするが、少年は抱きついたまま離れない。余程怖かったのだろう。
『うう…ブリックさん…』
『コマッタ。チョット、ハズカシイ。テレル』
生命の守護者、ブリック。兵器の飛び交うヒートナルにおいて彼は人々の盾として生きた。故に…安全を得た人々は更なる兵器を作り、戦いを加速させていく。ブリックは戦争を続ける為に守った訳ではないのに。
しかし、心優しいブリックは考える。全生命体は等しく尊く、生きるべきであると。自分の力ではヒートナルの人間を変える事は出来なかったが、自分のした事は決して間違いではないと。そして…今度も同じ事を続けるだけだ。
この純粋で美しい楽園を…守るのだ。
〜〜〜〜〜〜〜
『船長!大変です、異常事態です!』
『あぁ…?』
ゆったりとソファーに腰掛けていた一人の男は、飲んでいた酒瓶を床に投げ捨てる。程よく焼けた筋肉質な肉体に、闇を連想させるような真っ黒の瞳。毛量の多い茶色の髪や髭はまるで熊のようだ。しかしその顔は勇ましくもあり、冷酷さを感じさせるような知性に溢れていた。
その男は自身を船長と呼んだ者に向かって叫ぶ。
『んだぁ!?異常事態だぁ…?』
『は、はい!我々が拠点にしていた…ヒートナルがありません!』
『はぁ…?ありませんって、どういう事だよ』
『ざ、座標は確かに合っている筈です!しかし…か、影も形も…』
『退けよ。俺が見る』
彼らの乗る宇宙船、その操縦席に座る男を船長は蹴飛ばした。すると男は力無く床を転がり、バチバチと電気を帯びる。更に蹴られた頭部からは機械のような基盤が剥き出しとなっていた。
自身が壊した人型のロボットを気にする様子も見せず、船長は硝子越しに宇宙空間を見た。
『…あァ、確かにそうだなぁ。何処を見てもヒートナルがねェ』
そんな独り言を漏らしながら、彼はニヤリと口角を上げる。
『けどよ、何だか面白そうな星が出来てんなァ。ヒートナルを失ったのは痛手だが、こりゃ楽しめそうだ』
彼の目には緑色に輝く未知の星、ファーラが映っていた。
 




