少年
集落での騒ぎから、体感十五分程経った。私は助けに現れた名もしれぬ男の子に手を引かれるまま薄暗い洞窟を進み、例の集落から遠ざかるように移動していた。
キッズさん達の研究所から逃げ出した時にも見た通り、この洞窟は植物が豊かに群生している。この洞窟は先も見えないような暗い場所ではあるものの、時々壁や床から生えている宝石によってその周囲は不思議な光で照らされ、そうした時に一部だけではあるものの洞窟の真の姿が見える。
そんな洞窟にて、視界が悪いというのにも関わらず少年は迷いを見せずに先へ先へと進む。あまり見えないものの、確かに曲がっているような感覚もある為推測だが分岐点もあったのであろう。だがそれでも、慣れ親しんだ道だったのか少年は不安を持たぬ様子だ。
しかし、彼は突然立ち止まった。あまりにも急に止まったので彼の背に鼻をぶつけてしまい悶える私に、彼は振り返って言う。
「ラミドファ、ミミ」
当然、彼が何を言っているのかは理解出来ない。何を伝えたいのだろうと困惑していたその時、足元で重い物体が這うような音が聞こえた。
するとその瞬間、地面から溢れる僅かな光が私達を照らした。何が起こったのかと思い光源が何かを確認しようとすると…その光は地面に空いた一つの穴の中から溢れている事に気が付いた。その穴は私達子供ならばギリギリ通れるような大きさであり、隣にその穴を覆えるような規模の岩が置いてある事から、少年が足でその岩を退かしたのだと理解する。
「レミレミ、ラファレ」
そう言い残し、彼は穴の中に飛び込む。恐らく、ついてこいとでも言っていたのであろう。しかし怪我人である私が飛び込んでも良いものなのか…と躊躇うような気持ちも出てくる。
「…ま、まぁあの人も飛び込んだし、大丈夫かな」
そう自分に言い聞かせ、私は穴の中へと飛び込んだ。溢れ出る光によって穴の中を視認する事は出来なかったのだが…私の想像よりも穴は浅く、直ぐに地面にぶつかった。いや、落下地点に敷き詰められた藁のような草によって受け止められたと言った方が良いであろう。何事も無く無事に済んだ私は辺りを見渡した。
一言で言うならば、そこは大人一人ぐらいならギリギリ暮らせるような小さな部屋であった。稀にしか生えない筈の輝く宝石を何個も照明代わりに使い、部屋の中央には手作りなのか粗の目立つ木製のテーブルと四つの椅子がポツンと置かれている。壁には無数にある手作業で削り取ったと思われるような穴が空いており、そこにも手作りと思われる引き出しが入れられている。時折引き出しの代わりに、土偶やら花やらが飾られてはいるが。
私の傍に立つ例の少年に私は顔を向けた。
「凄い…この部屋、自分で作ったの?」
感心のあまり思わず反射でその疑問を口に出す。だがしかし、少年は首を傾げた。それはそうだ。向こうの言葉が分からないと同時に、向こうも私の言葉は理解出来ないのだから。彼もその事を痛感しているのか、何処か申し訳無さそうに口を開く。
「シ…ソラドラ」
彼はそう言って、藁の上に座り込む私の手を取って立ち上がらせる。そしてそのまま手を引くと、今度は椅子の上に座らせた。彼は目線で『じっとして』と私に伝えると、壁際まで移動して無数にあるうちの引き出しを開けて回る。
そして暫くすると、彼は腕一杯に十種類はありそうな複数の植物を抱えて戻ってきた。彼は持ってきたそれらのものをテーブルに置くと、その中からベリーのような橙色のものを四粒程自身の掌に乗せる。
「それは…?」
彼はさも当たり前かのようにベリーを持っていた手を握る。ぐしゃっとベリーの潰れる音が彼の手から聞こえ、その手が開かれた時にはもう、黄色い果汁でベトベトになった掌しか残されていなかった。
そんなベトベトの手を、彼は私に伸ばした。
「痛っ…」
身体の傷に触れられ、反射でビクッと反応してしまう。地底人達に付けられた傷から、ウニストスでの傷まで、ありとあらゆる傷に彼は触れる。しかし…痛いというのに、何だか悪い気はしない。寧ろ痛みが和らぐような気もしてきた。その事実に、彼が今傷に塗りたくっているベリーの効能なのだろうと私は理解した。
そうして露出した部分の傷全てに果汁を塗り込んだ彼は自身の腕でベトベトになった手を拭くと、今度はテーブルからツタのような長い植物を掴んだ。それで何をするのだろうと考えていると、彼は私の左腕を持ち上げる。
そう。獣のような白い毛の生えた、例の左腕だ。彼はその腕を持ち上げ、ツタのような植物を手にぐるぐると巻き付ける。その後彼はピンク色の花を三本テーブルから取ると、その花を腕の上で上下に振る。その結果、花粉のようなものが私の左腕に注がれた。
「ソファ。ミレドレド…ラド。ファラミ…」
その真剣そうな眼差しに、私は理解した。彼はこの左腕を何らかの病気と考え、治そうとしてくれているのだろう。この腕が何なのかはまだ私にも分からない。だが、少なくとも村で見た地底人達はこの腕を見て驚いた様子を見せていた。あの反応から察するに、未だこちらでも確認されていない現象なのであろう。
だがそれでも少年は出来る限りの事をしたいのか、次々に持ってきた植物を私の左腕に使用する。初めて会った赤の他人であるというのに、ここまで懸命に処置をしてくれる様に感動の気持ちが溢れ出してくる。
「…ミラ?」
「…ううん。何でもないよ、大丈夫」
私の顔を見て、彼は心配そうに眉を顰める。自然と涙を流す私を見て驚いたのだろう。私はこれ以上心配させまいと右手で涙を拭き取る。
「嬉しくて。…それでいて、怖くて。ちょっとだけ…また不安になっちゃったんだ」
「ファラミ?」
彼の視線故か、言葉が通じないという状況からか、私は吐き出すように自身の心内を明かす。
「…私はね、ある日突然、家族や友達が皆んな奪われちゃったんだ。そこでプラントさんっていう人に拾われて…今こうして、新しい人生を歩んでるの。色々あったけど、満足はしてたんだ」
「………」
「けど…また、居場所が奪われちゃった。その時も私は何も出来ずに、プラントさんに助けられて、逃げるしかなかったんだよ。皆んなを置いて逃げ出したんだ。それで逃げた先でキッズさん達に捕まっちゃって…守る筈だったじゃらもんちゃんは死んで、あの子の鍵でクリさんを置いてまた逃げ出して…そしてそのまま、殺されかけたのを君に助けられて…」
「………」
「分からないんだよ…私は色んな人に助けられて今ここに居るけど、本当に私にそんな価値はあるのかな…?ユウドでも、ムッテでも、私は何も出来なかった。村が襲われた時も私以外が助かれば良かったって何度も思ったよ。…私の存在をリィちゃんは肯定してくれたけど、他ならない私自身がまだ、認められてないんだ…」
「………」
「…ごめん、伝わらないのに長話しちゃったね。ありがとう、聞いてくれて」
私は彼から目を逸らす。彼の事も考えないまま、私は自分の感情のままに気持ちの良くない話をしてしまった。彼には迷惑をかけてしまったな…と、一人で反省をしていたその時だった。
彼は突然私の両肩をガシッと掴む。その様子に驚いて目を丸くしていると、彼は淀みの無い綺麗な目でこちらを見つめてきた。
「ファラソレミドソ、ファラドラミ」
その言葉の持つ意味を、私は知らない。ただ…その言葉の持つ熱量だけは、理解する事が出来た。彼は腕を治療しようとしてた時のように、必死に言葉を投げかけてくる。
「ラファソラ。レミファラドミレソ、ドラソファラミ。ドミ…ソラシファドレ」
「………」
「ソファラミド、レミドミラ?ドレ、ファラシドレファラドミ!シレドミ?ソラレミ?ミレシ!」
「………」
「ラファ、ラソドラファ…!ミレソドラミシ、ファラミレド!ソラソレファ…ドラ、レドレミソラ…!!!」
感情が入り、彼の肩を握る手の力はグッと強まる。しかし、優しくて暖かい手だ。彼はそのまま…言い放つ。
「ソラファレファド…!!!」
読み取れたのは言葉ではなく、彼の感情のみだ。だが…その必死で、不器用な、優しい声は…私の胸に深く刺さった。彼は私の事を何も知らない。それでも、助けたいという気持ちに全力なのだ。その証拠に、余程自身の感情を出し切ったのか、彼の目にも私と同じように涙がうっすらと浮かんでいた。
「…ありがとう」
「ミレ…?」
「私も…頑張らなくちゃ。いつまでも弱いままの自分じゃいけない。君みたいに、人を救う事に全力な…そんな、凄い人になりたい」
私は小さく微笑み、自身の左腕を見る。彼が様々な治療を施してくれた毛むくじゃらの腕だ。それを見て、私は小さく頷く。
「クリさんが言ってた。この腕にはきっと、意味があるんだって。私が希望かもしれないって」
「ラミラ、ソドレファミ…」
「私はこれから…村に戻って、精霊の遺跡へ行く。そして精霊とお話をして、自分が何者なのかを確かめるんだ。…きっとそれが、大きな前進になるから」
今私が出来る事はきっと、それぐらいだ。戻るのは少し怖いが…それでも、今はやれる事をやるべきだ。いつまでも弱いままじゃいけないんだと、自身を鼓舞して椅子から立ち上がったその時であった。
少年は私の肩を持つその手に力を込め、再び座らせる。
「ラドラドラ!シラミラドレミソ!」
「…もしかして、怪我人なんだから休め!って言ってる?」
「ラファファ、ミレソ!」
「あはは…じゃあ、もう少しだけお邪魔してようかな」
覚悟を決めた私であったが、子供医師からドクターストップを食らったのであった。
キャロの中にはまだ、自己否定と後悔が残っています。ですが彼女の出会った少年は人の幸せをただ願うだけの、純粋で眩しい存在でした。彼の優しさを感じ取り、キャロは自分がどうしたいのかを思い出します。彼女は目の前の少年と同じように、誰かの幸せを願っていたのです。自分を見失っていた彼女は彼の熱意に動かされます。