じゃらもんとクリ
例の出来事から数十分経ち、私は冷静さを取り戻せていた。じゃらもんちゃんとまるで姉妹かのように手を繋ぎ、静かに歩く。見回りの為に徘徊するゾンビ達はいるものの、あまりにも動きが鈍い。大抵の場合逃げ切れるか、気絶させられるかの二択となり、差程脅威ではなかった。
私達は今、この研究所を出ようとしている。どうやら離れている間にじゃらもんちゃんが鍵を入手したらしく、一度外へ出て態勢を立て直そうというのだ。キッズさんが負傷している今こそチャンスではあるものの…この研究所にはまだ警戒すべき存在が残されているのだ。
そう、その存在とはアセツさんとチャシさんの事である。本来、契約を交わした私は彼女らと協力関係である筈だ。だが…この腕には三つあった筈のミサンガは一つしか残されていない。つまり、今が唯一のチャンスなのだ。向こうも私のミサンガの数を視認すればその事を理解するであろう。
今私の腕に残されたミサンガ、それは『契約内容を誰にも話してはならない』という旨のものだ。『実験に協力しなければならない』と『命令を遂行せねばならない』の二つが千切れた以上、このミサンガだけが残っても別に構わない。強いて言うならば先程の殺意の弁解をじゃらもんちゃんに出来ないという事だけだ。
しかし、そこも問題なさそうだ。横目でチラッとじゃらもんちゃんの顔を見てみると…
「ん!にこ!」
そう、笑顔を返してくれる。その純粋な行動に癒されながらも何とか私達は研究所内を彷徨い続けた。似たような景色、そして地図の無いこの広大な施設において脱出口を見つけるというのは至難の技であった。
「じゃらもんちゃん、疲れてない?少し休む?」
「うんにゃ!ぜんぜんまだまだだいじょうぶじゃ!」
「そう。それじゃあもうちょっと頑張ろっか」
「おー!」
相変わらず元気な子だ。ずっと閉じ込められていた反動からなのだろうか、彼女は一向に疲れを見せない。子供は風の子というのも本当らしい。かく言う私も子供ではあるが…
そうして平和に二人で歩いていると、前方に何かが見える事に気が付いた。
「あれは…ゾンビ?」
「ぞんびなんてきゃろのてきじゃないぜ!」
「いや違う…何かが…変」
見た目は今まで通り、顔色が悪く白衣を着たゾンビだ。だが…彼の動きが妙だ。彼は足を開いて閉じてを繰り返し、腕を左右に振っている。頭も脳が揺れる程激しく上下に振り続けている。その様子は…ダンスをしているとしか形容しようがない。
「今までのゾンビさん達とは動きが全く違うけど…何であんなに楽しそうなんだろ」
「ねぇねぇきゃろ!わっちらもいっしょにまいをひろうするのはどうでらん!?」
「うーん…害は無さそうだけど…」
そうして遠目に観察をしていると、例のゾンビと目が合った。すると彼は両足と両手をそれぞれクロスさせ、円を描くような軌道で頭を振り回しながら、ゆっくりとこちらへと近付いてきた。
「あ…えっと…初めまして…?」
あまりにもノリノリすぎる彼に困惑していると、彼は突然逆立ちを始めた。そして、ゾンビらしいしゃがれた声を張り上げる。
「初めまして!!!」
「はちゃも!わちゃはじゃらもん!」
「俺っちの名前はダンサーゾンビ!略してダンーンと呼んでくれい!」
「だ、ダンーンさん、よろしくお願いします…?」
困惑したような私の顔を見て、ダンーンさんは逆立ちしながら足をパンパンと叩く。
「どうした!?何かあったのか!?」
「いや…他のゾンビさん達とは全く違うなーって…」
「いやー!はっはっは!そうだろうそうだろう!俺っちはここのゾンビの中で一番の古株だからなぁ!」
「古株…ダンーンさんはどうしてそんなに流暢に言葉を話せるんですか?どうしてそんなに楽しそうなんですか?」
「んー?それはだな…」
彼は笑みを浮かべると、腕の力のみで宙へと飛び上がる。そしてそのまま私の方へと飛びかかった。
「終わりだからだよ!!!」
「危ない!」
反射で避けようとした瞬間、何者かが叫ぶ。そしてそれと同時に飛び上がったダンーンさんの頬に鋭い蹴りが入り、ダンーンさんは横からの衝撃に軌道が逸れ、そのまま壁にぶつかった。
ドガンと、小規模な爆発と共に。爆風が収まった頃にはもうそこにダンーンさんの姿はなかった。
「危ないところだったね。大丈夫だった?」
ダンーンさんを蹴った人物、黒いオールバックの男性はこちらを見ながらそう聞いた。そんな彼の姿を見て私は驚く。
「クリさん!?どうしてここに?」
「くりー!」
「アセツが俺を牢から出したんだ。『もう必要無い』って言ってね…」
となると…ミサンガにより口には出せないが、恐らくアセツさんは約束を守ってくれたのだろう。従順な奴隷としての契約を交わした事により、不要な存在を逃がしているのだ。そうなると一方的に約束を破っている現状に心苦しいが…仕方あるまい。
「というか、さっきの爆発は何?ダンーンさんは何だったの…?」
「あぁ、あれは…ここのゾンビにはよくある事なんだ」
「よくある事?」
「ここのゾンビは全員元々は人間だった。けど、今はロクな思考能力を持たないゾンビと化している。ただ…そんなゾンビ達にも寿命があるんだ。寿命を迎える直前、彼らは自分が人間だった頃の事を思い出す」
「それは…一体どういう…?」
「彼らはゾンビであって、魔族ではない。あくまでもキッズの薬品によって人間ではなくなった哀れな存在でしかないんだ。だがその効果も永続ではない、時間が経つにつれて元に戻ってしまうんだよ」
「記憶が戻るのは人間に戻りかけてるからって事?」
「その通り。けど、キッズは予めゾンビ達の身体に爆弾を仕掛けている。自我を取り戻せば色々と面倒くさくなるからね、概ね薬の効果が切れるであろう時間に自爆するようにしているんだ」
「そんな…命がそんなに簡単に失われていいの!?」
「少なくとも向こうはそう思ってなかったからこそ、キャロに飛びかかってきたんだよ。…どうせ助からないのなら、せめてもの道ずれにしようと」
「………」
もう助からない事を知っているが故の諦め、狂気。それを知っていると…彼があそこまでおどけていた理由が分かったような気がして、少し嫌な気分になる。キッズさんは尽く、人の人生を奪うつもりだ。彼は自分の為ならば他人の事などどうでも良いのだ。
これ以上の犠牲者は生み出したくない。しかし、かと言って今の私達に出来る事は限られている。だが研究所から出れた暁には…必ず、皆んなを救いに戻ってくる。改めて私は心の中でそう強く誓った。
そんな話をクリさんとしていると、じゃらもんちゃんが足元で騒ぐ。彼女は手に何やら妙な紙を持っている。
「ねねねねね!みてみてー、ちずー」
「地図!?じゃらもんちゃん、どうしたのそれ!?」
「くりのずぼんにはいってたー」
「さっき道中で見つけてきたんだ。役立つだろうと思って持ってきた」
「わちゃがくりのずぼんからみつけたの!わちゃのてがらやにょん」
「え…いや俺の…」
「きゃろ!わちゃをほめて!」
「えっと…偉いね、じゃらもんちゃん」
「わ〜」
クリさんは手柄を完全に奪われ、やるせないような表情でじゃらもんちゃんの方を見る。しかしそんな事もお構い無しにじゃらもんちゃんは頭を撫でて欲しそうに私の腕に頭頂部を擦り付けた。撫でてやると彼女の顔が蕩ける。
「と、とにかく!この地図さえあれば後は出るだけだね!出入口の鍵はじゃらもんちゃんが持ってる訳だし、クリさんもじゃらもんちゃんも二人ともお手柄だよ!」
「えっへん!」
「あ…鍵あるんだ。じゃあもう本当に出るだけか」
「そうそう。えっと、出入口は…」
じゃらもんちゃんから貰った地図を広げ、全体図をよく見てみる。見たところ、この研究所はまるで迷路のように複雑な構造で出来ているようだ。通りでいくら歩いても出口が見つからない訳だと内心納得する。
「出口…あ、あった!でも現在地が分からないなぁ」
「わちゃにまかせんしゃい!」
「じゃらもんちゃん、分かるの?」
「うみゃ!ここをよーくみてにょ!」
彼女はどんぐりのような小さな指で地図のある地点を指差す。そこは何の変哲もない、十字路だ。地図を見るにこの施設に十字路はいくつもあるが…と、思っていた私の予想を超えた回答をじゃらもんちゃんはする。
「ここ!さっきとおった!まえにさんへや、うしろににへや、ひだりはすぐにまがりかど、みぎもにへやなのさっきみたもん!」
「あ、本当だ。…というかじゃらもんちゃん、よくそんなの覚えてるね!?」
「えへへ、すまーとぶれいんさんでぬ!」
「えっと、じゃあじゃらもんちゃんの言う通りにこの廊下を先に進むと…確かにここと形が同じ廊下に出る!凄いよ、じゃらもんちゃん!」
「いぇいいぇい!」
口調と危機感こそ無いが、彼女は天才だった。私でも覚えていないような事をしっかりと記憶し、周りの景色に対する注意力もある。今はまだ子供だが、彼女の将来が楽しみである。
「それじゃ、現在地も出口も分かった事だし行こっか?じゃらもんちゃん、手を繋ご」
「うん!」
「クリさんも一緒に行こう?」
「あ…うん」
地図を片手に、改めてじゃらもんちゃんと手を繋ぐ。そして歩き始める私達の後をクリさんが続く。二人が居なければ、こうして脱出の為の手掛かりを得る事もなかったであろう。キッズさんが負傷しており、残された弊害はアセツさんとチャシさんのみ。その二人にさえ遭遇しなければ後はこの地図の通りに進むだけだ。
そして外界にて仲間を増やし、キッズさんの傷が癒える前にここに閉じ込められている皆んなを逃がす。じゃらもんちゃんの懸念通り、全員を逃がしたとしてもキッズさんは同じ事を繰り返すであろう。だが、彼が負傷している以上捕らえるのも簡単な筈だ。希望が湧いてきたと、私は心の中でガッツポーズをする。
そんな考え事をしている私に、小さな声が話しかけた。
「ねーねー、きゃろ」
「どうしたの?じゃらもんちゃん」
「へんじゃない?」
「変って…何が?」
「んー、なんかねー」
その彼女の言葉が続く事はなかった。突然、真横にて聞こえた空気を切るような音、そしてぐちゃりと何かが潰れたような音に私は目を見開いた。
「え…」
「ふー…」
握っていた暖かい感触が消え…その少女の腕は力無く床に触れた。少女はもう、動かない。キラキラと輝くぱっちりとした瞳はその瞼によって閉ざされているのだ。そんな彼女は壁にもたれかかり、彼女の風穴の開いた胸からは血に染った壁が見える。
そして…そんな彼女の横には、赤色のナイフを持って佇む、黒いオールバックの男性の姿があった。
「なん…え……どう…え…?」
あまりにも突然の出来事に、言葉が出てこない。意味が分からないのだ。こんなにも急に…どうして、じゃらもんちゃんは死んだ?クリさんは何をしているのだ?私は…じゃらもんちゃんを、守れなかった?
全身を襲う寒気にガタガタと震える唇で、私は何とか言葉を紡ぐ。
「じゃら、もんちゃん…は…」
「っく、くくく…」
クリさんはナイフを地面に投げ捨てると、目元を隠した。
「くぁーっはっはっはっはっは!そうだよ、それが見たかったんだぜぇ!?なぁ!良い様だよ!」
「っ…!あなたは…!」
彼は手を退け、隠していた真っ赤な瞳でこちらを見る。その瞳はまるで小馬鹿にするような、下等な存在を見下すようなものであった。
「もう怯えた子羊を演じる必要も無い!あぁ…随分とこいつには計画を狂わされた!」
「この人…クリさんじゃない…!」
「そうさぁ?じゃ、改めて自己紹介させてもらおうかぁ!」
彼は可能な限り口角を上げ、喉の奥まで見えるぐらいに大きく口を開いて叫んだ。
「ぼくの名前はキッズ!さっきぶりだなぁ!?キャロォ!」
「キッズさん…!?その姿は一体…!?それに、重傷な筈じゃ…!」
「『魔法』だよォ」
「魔法…?」
「昔から鬼ごっこが好きでねぇ…ぼくの魔法、『タグ』は触れた人物と魂を入れ替える事が出来るんだ。確かにぼくは君によって重傷を負わされたが、君の言うクリって奴と身体を入れ替えたんだぜ。そうする事で、ほら」
そう言いながらキッズさんはじゃらもんちゃんに触れる。すると、触れた瞬間キッズさんは床に倒れ込んだ。だがその代わり…胸に穴の空いた筈のじゃらもんちゃんが立ち上がる。
じゃらもんちゃんはその可愛らしい天使のような声で言う。
「こーんなふうにふれるだけですきなからだがてにはいるんだぜぇ!?われながらさいこうのまほうだ…!やはりぼくはだいてんさいすぎる!」
「…その姿で喋らないで、ください」
「おっと、そうだね。こんなしんぞうにあなのあいたようなからだをつかってたらぼくまでしんじゃう」
じゃらもんちゃんがキッズさんの身体に触れると、今度は先程とは打って変わってじゃらもんちゃんが倒れ、キッズさんが起き上がる。彼はじゃらもんちゃんの身体を労るでもなく足で壁際に退かし、自身のオールバックを撫でながらこちらを見た。
「さて…説明は済んだね」
「…もう一つ聞かせて。クリさんは、どうなったの?」
「さぁね?少なくとも…生かしておく必要はないよね」
「…分かりました」
いつの間にか、私は自分でも気付かないうちに拳を強く握り締めていたようだ。爪が手に食い込んで、痛い。ぽたぽたと血も溢れ出ている。
『人間らしく』
その言葉は、おじいちゃんから言われ続けた言葉。その言葉は…私の脳裏から消えた。
「キッズさん」
「なんだい?」
「私は…あなたが許せない。これ以上、誰かの命を奪わせはしない」
「じゃ、どうするのかな?」
「自分でも分からない。けどそのぐらい…私は今、荒ぶってるんだ。だから、逃げて」
プルプルと震える左腕でキッズさんに掌を向けたその瞬間…
私の左の腕から、白い体毛がブワッと生え揃った。
クリさんの一人称は『おれ』であり、オドオドとした口調で話します。ですが今回のお話にてキッズさんは一人称を『俺』、そして一度も言い淀む事無く会話を続けていました。最後にじゃらもんちゃんが違和感を感じていたのはその事ですね。
そして、じゃらもんちゃんは以前蛸の姿であるキッズさんをキッズさんだと気付きませんでした。ですがその代わり、以前彼女は人間の姿であるクリさんを見て『見覚えのあるような…』と話しています(口調が変なので分かりにくいですが)。実際何となくでしか見た目を覚えてない子供は居ますからね。
少なくとも、じゃらもんちゃんが捕らえられた時はキッズさんの姿は人間であったという事です。