二度目の契約
「契約…?」
「そう、契約」
「でも、そっちに利が無いんじゃ…?」
「拘束するだけならそうだよ。けどついでにお仕事を手伝ってくれるなら、そっちの望みを聞いたっていい。さっきも言ったように全員解放は無理にせよ、全員揃ってなくちゃいけない理由はないから」
彼女は妖しい笑みを浮かべてこちらの返事を待つ。可能なのであれば捕らえられている人達全員を逃がしてあげたいが…今この状況において、誰か一人でも逃がせる時点で奇跡のようなものだ。お仕事とやらの内容にもよるが、どうせ拘束されるのであれば素直に従って被検体達を半数だけでも逃がしてあげた方が良いだろう。
「分かりました。けど、お仕事って何?その内容を聞かないと取引のしようがないよ」
「うーん…まぁ、仕方ないか。良いよ。教えてあげる」
彼女はそう言うと三本の指を上げた。
「一つ。以後、被検体として私の研究に身を委ねる事。とは言っても捕まえた以上これは当たり前の事だけど」
「はい、そうですよね」
「二つ。以後、私の命令を全て忠実に聞き入れる事。要するに奴隷だね」
「…はい」
「三つ。この取引に関しては誰にも伝えてはならない。話すのは勿論、文面や暗号。ほんの少しでも自分の状況を仄めかすような事は言ってはならない。良いね?」
「理解しました」
「以上!ね、簡単でしょ?」
今の話を聞いて、私は意地悪だと感じた。私は取引をした後、何をすればいいのかを聞いた。だが彼女は『命令を全て忠実に聞き入れる事』と濁した事により、結局私に何をさせたいのかを隠しているのだ。事前に言ってしまえば間違いなく断られるであろうと、そう理解しているからこその行動である。
この様子だと追求したとしても彼女はきっと何も教えてはくれない。そう察した私は首を縦に振った。
「分かった。その契約、飲むよ」
「良かった。じゃ、これを着けてね」
彼女は安心したように笑うと私の腕を持ち上げる。そしてそのまま、私の小さな腕に青のミサンガを三つ巻き付けた。
その瞬間、腕に何やら静電気のようなビリッとした感覚が通る。これが恐らく、契約成功の合図なのであろう。いくら腕を振り回そうともミサンガは外れる気配もなく、試しに取り外そうとしても何故だかミサンガに触る気が起きなかった。脳が外すのを嫌がっているのだ。
所有物になってしまったかのような嫌な感覚を覚えながら、私は顔を上げる。
「それで、私は何を…」
「命令。キッズを殺せ」
思わぬ言葉に心臓が跳ね上がる。いとも容易く発せられるその一言に、私は目を見開きながら彼女の顔を見返した。その顔は実に愉快そうに見える。
「殺せ、って…キッズさんは仲間じゃないんですか?」
「協力者であって、仲間ではないよ。いずれ用済みになったら消そうと思ってた。まだ利用価値があるとは思ってたけど、白の魔石を取り込んだ君を手に入れた以上、変に介入されても邪魔なだけ。だからもう消す」
「でも…目的は同じなんですよね?」
「白の魔石を手に入れる、って所までは同じ。ただ『その後』に関しては全く違う。白の魔石の取り合いにでもなったら面倒だし…今のうちに殺しておいた方がいい」
「そもそも真っ向勝負ならアセツさんとチャシさんの二人がかりで挑めば勝てるんじゃ…?」
「そうもいかないんだよねぇ…確かに戦力で言えば勝てるだろうけど、向こうの契約魔法で逆らう事は出来ないようにされてる。だから私達は誰かに託すしかないんだよ」
彼女は私の肩に手を乗せる。
「という事で、頼んだよ」
「頼んだよって…殺人なんてした事…!」
「私の忠実な下僕、白髪ちゃん?」
圧力をかけるような声色。反論をしようとするが、私の腕に巻き付いたミサンガは…静かに揺れていた。
〜〜〜〜〜〜〜
「あるけばこつこつ、きんにくそだつ〜。さんぽはさいこうみんなもあるこ〜」
この施設に似つかわしくないような、間抜けな歌声。危機感の欠片も抱いていないのかと思ってしまう程にその少女、じゃらもんは腕と足を大きく動かしながら元気に進んでいた。
「しかしこまっちゃぬ。きゃろがにげろともうしたからわちゃにげたが…どこまでいけばいいぽ?かえろうにもきゃろのいばしょがわからぬ…」
困った困ったと、呑気に彼女は考える。幼子である事を加味したとしても、この状況にてここまで動じない胆力を持つとは、ある意味において大物である。そんな大物のじゃらもんは引き続き適当に気の向くまま足を動かした。
そしてようやく、彼女はある者の元へとたどり着いた。
「む?おみゃーはなんじゃかみたことあるよなん…?」
硝子で区別された部屋が無数に並ぶ廊下。そんな廊下を歩いていた彼女はふと一つの部屋から物音が聞こえてくる事に気付き、その部屋の内部を観察する事にしたのだ。そしてそこで、部屋の隅で縮こまっている一人の人間の姿を見つけたのだ。
「ひっ…お、おれ…わ……う…」
幼女相手にも情けなく縮こまる大人の男性。幼子が見るには教育に悪すぎるその男の名は、クリ。彼は興味深そうにこちらを見つめる眩しい瞳に、心底怯えきっていた。
怯える様に余計興味を持ったのか、じゃらもんは口を開く。
「はじゃみ!わちゃのなはじゃらもん!そちゃはなにものなん?」
「お、おれ…く、クリ…」
「くり!おみゃーきゃろみてないん?わちゃきゃろとあわねばならんのよん」
「キャロ…?キャロのし、知り合い…?」
「めいゆうだびゃ!おみゃーはきゃろのなんにゃんにゃー?」
「おれ…さっき知り合った…」
「そか!ほなびゃおみゃーもめいゆうだにゃ!ところでそこでなにしとるん?」
「つ、捕まって…」
「なんぎなもんじゃ。わちゃがどうにかこうにかたすけてやろう!」
「どう、どうやって…?」
「どっかにかぎでもあるとおもうん。わちゃかぎをさがしてくるばい、そこでまっとれ!ついでにきゃろもみつけてくる!」
胸を張って自信満々にそう言うが、結局何か当てがある訳でもない。やる事は依然変わらず歩き回る事だけなのだ。にも関わらず少女は『任せろ』と言わんばかりの誇ったような表情を浮かべる。
そうして走り去ろうとする彼女を、クリは言葉で制止した。
「ま、待って」
「ん?なんじゃらほい」
「鍵…を取りに行くのはあぶ、ないよ。か、鍵が保管してあるキッズの部屋に…わ、罠が沢山仕掛けられてるし…そ、それに本人が帰ってくる…かも…」
「まかせりょい!わちゃみなのことをにがしてあげるとちかったんのんのん!おにもつじゃないってことみせたるんご!」
「じゃ、じゃらもん…!危な…!」
「へ?」
突然血の気が引いたように青ざめるクリに、じゃらもんは間の抜けた声を漏らすしかなかった。彼は一体何をそんなに慌てているのだろうと思いながらも少女が振り返ると、ほんの少しだけだが彼の行動の意味を理解したようだ。
「はにゃ?おみゃーだれだや?」
「………」
少女が見る先に立っていたのは、病人のような血色の悪さをした眼帯の男であった。その男、チャシは緑色の前髪越しに少女の事を光無き眼で見つめる。一体いつの間に、どうやって音も立てずにここまで接近したのか、二人は疑問に抱いていた。
だがそれ以上に、クリは焦りを見せていた。そう、青年はじゃらもんに人差し指を向けていたのだ。果実でさえ貫けそうな長く鋭利な肉食獣のような爪は…少女の頭部を貫通させる事ぐらい難しくはないのだ。
「じゃらもん!早く逃げ…!」
そう叫んだクリは、動きを止めた。今起きている状況を理解出来ていないのだ。自分が想像していた最悪の状況とは似つかない、起こり得る筈のない現実。
クリは先程焦りから見落としていたが、チャシの人差し指には一つの金色に煌めく鍵がぶら下がっていた。彼はそのまま金の鍵をじゃらもんの前にぽとりと落とす。それ以上何かをする様子も無い、それだけだ。
「くれるの?おみゃーいいやつべな!あんがとね!」
疑問を抱く事もなく、幼い少女はこれ幸いと鍵を拾い上げる。困惑するクリと、感情の無いチャシの視線を向けられている事すら思考の中には存在せず、ただ『運が良い』と思っているのだ。彼女は金の鍵を手にすると、クリの閉じ込められている部屋の扉を見てみる。
「んあー、かぎあながちがうのなー。まだくりのことだせぬ…ごめんなさい」
「ちょ、ちょっと待って…!その鍵は…!」
「んみゃ?」
柄にもなく身を乗り出すクリに、じゃらもんは自身の鍵を見せびらかす。すると開いた口が塞がらないと言わんばかりにあんぐりとしながら彼は叫んだ。
「そっ、それ…この研究所から出る為の鍵だよ!」
「お、ほんまか!やったで!」
「で、でも…どうしてチャシがその鍵を…」
クリは頭を悩ませる。確かに、チャシの身体能力を考えれば罠を掻い潜ってキッズの部屋の鍵を手に入れる事も出来るであろう。だが、それをして何になる?どうして彼は今、わざわざ手に入れた鍵をじゃらもんに差し出した?いくら考えようと、クリの中に答えは出なかった。
だがしかし、そんな千載一遇の好機を得たにも関わらず、じゃらもんは浮かない顔をしていた。
「んー、でもわちゃだけにげちゃうのはのう…」
「そ、そんな事言ってもここに居れば居るほどきけ、危険だよ。は、はや、早く逃げた、方が…」
「はんぶんことわる!」
「は、半分…?」
少女は覚悟を決めたように目を光らせた。
「きゃろといっしょにここをでる!で、じゅんびさしたらもっかいくるのん!なかまをふやすのにゃ!」
「仲間…?で、でも外には地底人ぐらいしか…」
「あってはなしてみるしかねぇべ!そうときまりゃわちゃいく!」
「あ…」
「またにゃ、くり!」
クリに何かを言わせる間もなく、彼女は別れを告げる。そして次に背後に立つ青年の方を見た。
「あんがとな!がんたいまん!」
「………」
「よーし!まっとれきゃろ!わちゃがいくけんな!」
そう叫び、少女は再び走り出す。幼さ故の真っ直ぐさ、つまりはその純心故に彼女は止まらない。ただひたすら目標の為に走るのだ。
彼女の求める人物が、アセツと契約を交わした事さえ知らずに。
この物語において初めて語りがそのキャラ視点ではありませんでした。仮にじゃらもんを語り手にした場合…お察しですよね。わざわざ地獄を作る必要はないのです。