一流
居ない。何処にも居ない。この広く彩りの無い研究所を走り回るも、じゃらもんちゃんの姿は何処にもなかった。
そしてそれと同時に、研究所内を駆け回った結果私は何となくキッズさんが何の分野を研究しているのかを理解した。ここにあるのは薬品を調合する部屋、何かを閉じ込める為の部屋、そして奇妙な存在が保管された部屋の三種類のみだ。その奇妙な存在というのは先程じゃらもんちゃんと見たあの人物を思わせるような、不完全な存在。恐らく、キッズさんは人体実験をしている。
大量に捕らえられたパニさん達、そしてじゃらもんちゃんを探している最中に見かけた気分を害するような実験体達に、私の背筋は凍った。
「早く…じゃらもんちゃんを見つけないと…」
焦燥感に駆られながら必死に目を凝らしていたその時であった。前方に居る見覚えのある人影に、私は青ざめた。
「ミハルヨミハルヨ」
「ドコダヨドコダヨ」
「ダッソウダッソウ」
そう、地上で見たゾンビ達が徘徊していたのだ。その事実に、防衛手段を持たぬじゃらもんちゃんは大丈夫なのかと不安になる。
「じゃらもんちゃん…」
「あの子の事がそんなに心配?」
「っ!?」
コツン、コツンと背後から足音が忍び寄る。驚いた私は急いで声の主を確認しようと振り返った。
そこに居たのは、足元まで伸ばした青いポニーテールの女性であった。彼女は氷で作られたのかと思う程に冷淡な表情を浮かべ、着ている白衣をひらひらと揺らしながらハイヒールを鳴らす。自信に満ちたような佇まいにただならぬ気配を感じ、思わず固唾を飲み込んだ。
「あなたがクリさんの言ってた…アセツさん?」
「そうだよ。初めまして、白髪ちゃん」
「っ!」
首を傾けながら挨拶を交わす彼女を前に、私は急いでゾンビさん達の居る方向へと逃げ出した。クリさんの話によるとアセツさんはあのキッズさんよりも強いらしい。先程は彼の焦りにより運良く逃げ仰せたが、それでも私はキッズさんには敵わない。そんな彼よりも格上であると、既にハッキリ言われているのだ。そんな人物を正面から相手にしてはならない。
そんな彼女は逃げ出す私を見て、ほのかに笑みを浮かべた。
「良い判断だけど、無駄かな」
アセツさんは指をパチンと鳴らす。するとその瞬間、私の前方方向に居たゾンビ達は一瞬にして凍り付いた。しかも、その氷は越えられないほどに大きく、そのまま廊下を封鎖してしまった。
逃げ場の無くなった私に、アセツさんはゆっくりと近付いてくる。
「悪いけど、ここで捕まえさせてもらうよ」
彼女がこちらへと手を翳すと、彼女の腕を囲うように三本の氷柱が浮かび上がる。私は魔法に精通している訳でもなければ、白の魔石のお陰で魔法が使えるようになっただけの存在だ。ただそれでも…彼女の魔法から漏れる圧倒的な魔力だけは感じ取る事が出来た。アカマルの魔法を力と表現するなら、彼女の魔法はまさに技巧の極地である。極限まで無駄を削ぎ落とした先にある究極の形だ。
まだ彼女の魔法を少ししか見ていないのにも関わらず、『勝てない』という事を理解するのには十分すぎる程であった。今まで見てきた中で最も強い魔法使い。シャンさんの手加減してくれていたであろう魔法よりもずっと上だ。
そんな彼女が捕らえると言った以上、私はきっとどう足掻いても逃げられない。だが…私は諦めの悪さだけは一丁前であった。
「アセツさん」
「ん、なに?」
「緑髪のあの人…どうしたんですか?」
賭けであった。あの緑髪の青年はボロボロで治療の跡があった事、ミサンガが切れた瞬間に襲いかかってきたという魔法が絡んでいそうな事象、そして治療もミサンガ作りも人間性からしてキッズさんはやらなそうだという勝手な偏見。わざわざそこまで手を焼いている以上、明らかに普通ではないあの青年と訳ありの何かがあるのではないかというただの望みに近いような希望であった。
だが、私の勘は正しかった。私がその言葉を口に出した瞬間、アセツさんの顔は不機嫌そうに歪む。その状態に、しめたと内心ガッツポーズをした。
私は続ける。
「他のゾンビさん達は治療をされてもない上にミサンガなんてものも着けてない。アセツさんにとってあの人は特別なんじゃないですか?」
「…何が言いたいの?それに、チャシはゾンビなんかじゃないよ」
何を言いたいでもない。現時点でどう足掻いても勝つ事も逃げる事も叶わないのならと、相手の思考を掻き乱しているに過ぎない。相手が冷静でなくなれば、いずれ突ける隙も生まれてくる筈だ。
「えっと、チャシさん?はゾンビじゃないなら何なんですか?」
「あんまり人の過去に踏み込むものじゃないよ。いい加減口を閉じないと、その舌を凍らせる」
予想以上にこの話題は地雷であったようで、彼女は眉間に皺を寄せながら宙に浮かせる氷柱の数を四つ増やした。だだ漏れとなる殺意を前に足が竦むが、今怯めば全てが終わる。
「わざわざキッズさんに加担している理由は何なんですか?それも、チャシさんと関係があるんですか?」
「『アイス』」
その小さく発せられた言葉に、私はニヤリと悪い笑みを浮かべた。そう、彼女は今、浮かんでいた氷柱を一斉に私に放ったのだ。それはつまり、先手を取った事により隙を晒したという事。あのまま膠着状態であればこちらに勝機は無かったが、これならばいける。
私は魔力を全て捨て、紅に染まった瞳で飛んでくる氷柱の動きをよく見る。そしてそのまま氷柱の合間を掻い潜ってアセツさんの方へと駆け出した。この速度で行けば油断している彼女の横を通り抜ける事など造作もない。
そう…思っていた。私は突如襲い来る激痛に、思わずアセツさんの目の前であるというのにも関わらず倒れ込む。
「な、何が…」
そうして顔を見上げた私はじっくりと目を凝らす。すると、空中でキラリと光るとあるものがある事に気がついた。
「糸…?」
「残念だったね。上手く挑発出来てたけど、一流の魔法使いを前に隙なんてものは存在しない。君が動いた瞬間、目で見るのが困難な程に細い糸を魔法で張り巡らせておいたんだよ」
「あの一瞬で…!?」
改めて激痛のする箇所を見てみる。足首、手首、肩。その全てに小さな切り傷があり、鮮血がどくどくと流れている。あんなに小さな糸であっても、刃物と遜色ない程に鋭利になっているのは彼女の熟練された魔法の賜物である。
そうして地に伏せる私を見下ろし、彼女は言った。
「いい?真の魔法使いは一つの魔法でどの程度の利を生み出せるか、それを考えながら戦ってる。氷柱の魔法は当たれば良し、当たらなくとも相手を動かせるから良し。そして相手を動かした後はどうするか、その後は何の魔法を使って追い詰めていくか。それが大事なんだよ」
「はぁ…はぁ…め、目眩が…」
「糸の魔法には毒薬が塗り込んである。医学には詳しくてね、致死量じゃないから安心しなよ。精々しばらく動けなくなる程度だから」
彼女はにっこりと笑うと、屈んで私に顔を近付けた。
「さて、それじゃあ決着もついた事だし、私の質問に答えてもらおうかな」
「質問…?」
「もしかして君、白の魔石を取り込んだ?」
その疑問に、私は目を見開いた。それを見て満足したのかアセツさんは笑みを浮かべる。
「その反応、やっぱりそうみたいだね。どうやって手に入れたのかな?」
「それは…騎士さんが持ってたのを拾って…」
「そっか。じゃあ、君はあんまりよく知らないのかな?白の魔石が何なのか」
私は戸惑いながらもその問いに対して小さく頷いた。それを見てふふっと彼女は笑う。
「白の魔石はね、取り込めば身体の構造が極めて魔族に近付くという代物。魔族は身体が魔力で出来てるけど、白の魔石を取り込んだ人物は魔力を通しやすくなる体質に変化する。要するに、身体が魔力を摂取しやすくなるんだ」
「それは…仲間から聞いてる」
「じゃあ、これは知ってる?魔石は魔鉱と呼ばれる魔族からしか得る事が出来ない。じゃあ、白の魔石は誰から取れると思う?」
「誰から…?えっと…」
「『精霊』からだよ」
その言葉に、私は眉をひそめた。
「どういう意味ですか…?」
「そのままの意味だよ。精霊はまだ、生きてる。とは言っても、現時点では四つの精霊のうちの一つしか発見されてないけどね。あとは精霊の血を引いている子孫達も確認されてるけども」
「その精霊は、今何処に…!?」
「さぁね。精霊の居場所は王様と一部の騎士だけが知ってる。でも中々討伐する事が出来ないみたいでね、戦利品として白の魔石を手に入れる事はあっても、中々本体を倒す事は出来ない」
「精霊って一体何なんですか…?どうして人間と敵対しているんですか…!?」
「詳しい事は知らないよ。前に王様の元で働いてた事があって、その過程でたまたま知った程度の情報でしかないから。ただそんな事はどうでもいい」
彼女はゆっくりと立ち上がる。そしてこちらに背を向け、天に向かって両手を広げた。
「大事なのはここに『精霊の遺跡』があるって事。ただその遺跡は地底人達に守られている上、どんな方法を用いても中に侵入する事は出来なかった。未知の物質で作られてるんだ」
「中に入れたとして、目的は何…?」
「私もキッズも目的は同じだよ。…恐らく、遺跡の中には精霊のうちの一人が眠っている。今王が追っている精霊と性質が全くの同じかどうかは分からないけど…でも、試してみる価値はある。私達は…」
彼女はくるりとこちらへと顔を向けた。
「私達は、白の魔石を手に入れようとしている。その為に、ここでずっと研究を続けているんだ。貴女がたまたま手に入れた白の魔石だけど、人生を費やしてまで手に入れようとする者がここに二人も居る。その意味が分かる?」
「意味…」
「白の魔石を取り込んだという貴重なサンプルだけは、絶対に逃がす訳にはいかない。この世界において白の魔石を得た者は数えられる程度にしか存在していない。君の身体を使って色々と確かめさせてもらうね」
「………」
まだ真相は見えないが、現時点での彼らの目標は理解した。白の魔石どころか、魔石について解明した者など存在していない。だがもし構造や性質を理解する事さえ出来れば大きな一歩となるであろう。場合によっては私の体内の魔石を取り出す事すら可能かもしれない。それ程までに、私という存在は彼らにとって貴重だ。
その事を理解した私は彼女に苦し紛れの提案をすることにした。
「分かりました。けど、その代わり…ここに閉じ込められた他の皆んなを逃がして欲しい」
「取引が成立するような状況じゃないのはそっちが一番よく理解してるでしょ?もう君は捕まってるのに、わざわざ他の被検体を逃がす必要も無いよね」
「けどもし、すぐに逃げ出せるとしたら?」
アセツさんは言われた事の意味が分からないかのように怪訝な顔をする。そんな彼女に、私は説明を始めた。
「私の身体を研究したとして、一日や二日で終わるようなものじゃない…よね?」
「そうね。最低でも半年はかかるかな」
「実は私、お母さ…ある人物に追われてるの。そして、あの人は私が何処で何をしているのか全て把握してる。もしこのまま私を置いておけば攻め込んで来るよ」
「それで?ここには私、チャシ、あとついでにキッズも居る。全員を相手にして勝てるような人だと言いたいのかな?」
「その人には仲間が…」
「君がどういう境遇なのかは知らないけど、一人の小娘を捕まえる為に総出で出動すると思う?私達のようにどうしても白の魔石が欲しい、そんな状況でもない限りここへ総力は費やさないでしょ。もし仮にそうなのであれば組織として破綻している」
確かに、私を仲間に引き入れたいというのはお母さんの願いであって、ネバーランド全体の本願ではない。彼女の言う通り来るとしてもお母さん一人、もしくは私の代わりに契約を結んだプラントさんを引き連れるぐらいか。確かにプラントさんは強いが、それでもここの三人組に勝てるイメージは湧かない。
正論に言い淀む私を見て、アセツさんはケラケラと笑った。
「残念だったね?必死の弁解も無駄だったみたい」
「う…」
「でもまぁ、取引っていうのは面白いね。気に入ったよ」
「え?」
彼女はニヤリと悪い笑みを浮かべると、懐をまさぐる。そして何処かで見たような青色のミサンガと赤色のミサンガの二つを取り出し、私の顔の前に見せびらかした。
「このミサンガは着けた者と強制的に契約をさせる事が出来る、私お手製の魔道具だよ。チャシの腕に付いてたの見たでしょ?」
「は、はい…」
「全員とはいかないけど、一部の者なら逃がしても良いよ。ただ、その代わり…」
彼女は口角を上げ、まるで肉食獣かのようなその鋭い歯を見せた。
「私と契約をしよう」
アセツ「契約して魔法少女になってよ。きっと似合うよ」
キャロ「私が…魔法少女に…!?」
アセツ「ちなみに既にミサンガ着けてるチャシも魔法少女だよ」
キャロ「………」