日曜日、朝、曇り (青春小説)
日曜日、朝、曇り
雲ひとつない蒼空を白い雲が流れていく。
パーフェクト・スカイ
青春は過ぎ去っていく…
緑の大草原を雲の大きな影が
ゆっくりと横切っていく
すべてのものは過ぎ去っていく。
***
十一月のある日、東京都池袋区西池袋にある某大学のキャンパスで{日曜日の大学構内というのは、一種独特の雰囲気感があるだが。。。}二人の若者が、スマホ画面をスマホで撮影したとき生じるモワレ模様のようにとりとめもなく、うつろい消えゆく会話を交わしていた、コンクリートの床から冷たい冷気が僕の足に伝わってきたけれど、僕は特に気にしていなかった。昔は僕も今ほどにはおなかがゆるくはなかったのだ。やれやれ。
「シミヤマくんはさっきからずうっと、何を読んでいるのかな?。」
僕の読んでいる本の表紙を人差しゆびで軽くつつきながら、フサエさんが聞いた。
本には書店のカバー(白色地に紫色のロゴ・マークがちりばめられたカバーだ。)がかけられているので、フサエさん(大学七回生でサークルの先輩である…あれれ、大学に7年生なんてあったっけ?。)には僕の読んでいる本が何なのかはわからない。やや分厚い文庫本である、ということしか。
「当ててみてください。」
と僕は言った。
「うーむ。」
フサエさんは親指と人差し指を顎のところに持っていき、「うーむ。」というポーズをした。
大学のカフェテリアには僕たちの他には数人の学生がまばらに座っているだけで、天井の高いホールはしんと静まりかえっていた。外では物憂げな六月の雨が音もなく、まるで牛の胃の中でルーメン微生物がセルロースをグルコースに分解するように粛々と休みなく降り続いていた。
フサエさん: 天がアンカット、かつスピンがついてることから、おそらくこれは新潮文庫です。
僕: なるほど。でも、岩波文庫とか河出文庫かも知れないですよ。
フサエさん: それにしては小口が綺麗すぎる。これは、ほぼ新品の文庫本です。岩波文庫や河出文庫にスピンがついていたのは、もうずっと昔のはなし。
僕: 新潮文庫というのは正解です。では、ずばり、タイトルは?。
「うーむ。」
フサエさんはまた唸り、首をこころもちかしげながら、スプーンでゆっくりとコーヒーをかき混ぜた。金色のコーヒー・スプーンがコーヒー・カップに当たる音が、やけにあたりに響いて聞こえた。キンキンキンキンキン。
「むむ、今ちょっと何かが見えたかもです。」
フサエさんが言った。
「何が見えました?。」
カバーがほんの少しだけずれて、背の青色が見えていた。
「青かあ、、、。フサエさんはティー・スプーンを咥えたまま上目遣いに天井の上を見上げながら悩ましげな表情を浮かべているのだった、青色の作家で僕が読みそうなものを色々思い浮かべ検討しているのであろう………。何かなあ…。」
フサエさんはコーヒー・スプーンを咥えたまま腕を組み、まるで小説の地の文みたいな喋り方をした。
こういう喋り方をするときのフサエさんは、かなりごきげんなのだ。フサエさんがゴキゲンなのは、第一に本の話をしているときで、2番めが猫の話をしているときなのである。
「シミヤマくんは、いつも難しい本を読んでいるよね?、今どきの大学生にあるまじき…。」
「そうかな。よくわからないな。」
僕は言った。今どきの大学生?。
でも確かに、そうかもしれない。
そうではないかも知れないけど。
あの頃僕は、難しい本ばかりを好んで読んでいたような気がする。本というのは、とにかく難しければ難しいほど魅力的であると感じていたのだ。僕のお気に入りはある時はあの煉瓦の塊のようなレヴィ・ストロースの神話論理であり、ある時は熱力学であり、量子力学であり、またある時はアラビア語の深くほろ苦い低音の響きであった。
季節外れのカナブンが、目の前を飛び去っていく
いくつもの懐かしい背表紙が通り過ぎていく
本棚のおなじ場所にお気に入りの同じ本がずっとささっているように、僕の思い出の片隅に、僕の人生の片隅にーーーそう、決して中心ではなく…しかし、とても重要な片隅に、フサエさんの華奢で骨太な姿が、いつもお決まりの心地よく秘密めいたカフェテリアのその片隅に、座っていたのだ。
あるいは…
フサエさんが今どこで何をしているか、フサエさんと僕が今どのような関係なのかとか、…そういうことは書かずにおいておこう。全ては読者のみなさんに委ねておいたほうがよい気がするのだ、ともかくも。。。
もうずっと昔のはなし。
日曜日、朝、曇り。