異世界最強の暗殺者が俺ん家に居候しているんだが……。のプロローグ4
魔法学発祥の地であるアルストゥリア王国。
その首都であり、魔法学の研究拠点である学術都市ツイ・ド・ルーザを見下ろす小高い丘の上に建つ白亜のメルヴィング宮殿は、魔王四将軍の一人メルヌリスの襲撃を受け、今、まさに落城しようとしていた。
「たあッ!」
宮殿の中庭では、白銀の鎧に身を包んだ騎士ゼノンがメルヌリス配下の兵と戦っていた。彼の背後には第一王女ミトゥルスレーヌと従者のクロウが身を寄せ合っていた。
「はぁぁッ!」
ゼノンの威勢の良い掛け声と共に振り下ろされた剣が、兵士の身体を鎧ごと袈裟がけに切り裂く。
「ぎぇ……」
兵士は、傷口から緑色の液体を噴き出しながら倒れると、切り裂かれた鎧と手にしていた剣だけを残して跡形もなく消えた。
「へぇ、なかなかやるじゃん……。流石は剣聖って感じだね。そこでお姫様にべったりの従者とは大違いだよ」
金の刺繍が施された黒衣を身に纏ったメルヌリスは、感心したようにそう言いながらせせら笑った。見た目はあどけなさを残した少年といった印象だった。「その強さ、殺すにはあまりにも惜しいな。どう?僕の下に来る気はない?」
「ふん……」
ゼノンは、あからさまに不快そうな表情を浮かべながら剣に付いた液体を振り払った。「……気でも触れたか」
「はは、いやいや、これでも頭は正気だよ。正気、」
メルヌリスは、そう言うと破顔の笑みを浮かべた。それは、見るものに生理的な嫌悪感を感じさせた。
「あー、でも、やっぱり、恋人の仇の味方は出来ないかな?」
「……何?」
メルヌリスの言葉にゼノンの顔が強張る。
「……ま、まさか。アーシェルもお前が殺したの、か?」
ゼノンの脳裏に恋人であり、仲間であったアーシェルの壮絶な最期が蘇る。彼女は、ゼノン達の前で爆死していた。
「うん。清純そうな割にはいい身体してたからさ、囲ってあげようと思ったんだけど、犯すたびにゼノン、ゼノンってうるさかったから……」
メルヌリスは、そう言うと口角を僅かに上げ、不気味な笑みを浮かべた。「殺しちゃった。えへ」
「なっ、」
「まあ、今思うと少し勿体なかったけど、綺麗な花火が楽しめたし、良かったかな?なーんて……」
メルヌリスは、そう言うと不気味な笑みを浮かべた。
「貴様ッ!」
「やめなさいッ、ゼノンッ!」
ミトゥルスレーヌが止めに入るも間に合わず、ゼノンは跳躍すると獣のような唸り声を上げながらメルヌリス目掛けて剣を振り下ろした。
「ウォォッ!」
しかし、ゼノンの剣はメルヌリスを切り裂く事なく、カン、という乾いた音を立てて弾かれ、虚空を舞って地面に突き刺さった。
「何ッ⁉︎」
何が起きたのかわからないゼノンにゆっくりとメルヌリスの手が向けられる。
「ばーか」
メルヌリスの手が激しく光るとゼノンの身体は、ピュン、と音を立てて飛んでいき、フレスコ画が描かれた回廊の壁に凄まじい轟音を立てながら激突した。
「ガハッ……」
ゼノンの口から血と唾液と嘔吐物が入り混じったものが吐き出され、回廊の床に飛び散った。
「「ゼノンッ!」」
ミトゥルスレーヌとクロウは、声を重ね合わせながらゼノンの下に駆け寄った。
「大丈夫?」
ミトゥルスレーヌは、慌てながらゼノンの下に駆け寄ると心配そうな表情を浮かべながらそう言った。
「はい、なんとか……」
「ねえねえ、ゼノン……」
そんな二人を見ながらメルヌリスは、そう言った。頭の中に響いて来るような玄妙な声だった。
「僕の下に来なよ。来れば、君の好きなものをなーんでも与えるよ?地位でも金でも女でも、君の望む全てを」
メルヌリスは、そう言うと軽く笑った。
「……もちろん、僕が殺したアーシェルってお姉さんを蘇らせる事も可能だよ?さあ、どうする?」
「アーシェルを……?」
ゼノンの心は、さざ波のように揺らいでいた。
最愛の彼女にもう一度会うためにこの男の軍門に下るか、それとも最愛の彼女を奪った男を討つか、その相反する思いの狭間でゼノンは悩んだ。
「ほ、ほんと……」
ゼノンの心が、僅かに傾き掛ける。
「ゼノン、惑わされないで……」
ミトゥルスレーヌが、ゼノンに剣を手渡しながらそう言った。その声にゼノンは、ハッと我に返った。
「わかっています」
ゼノンは、そう言いながら剣を手に取り、冷たい眼差しをメルヌリスに向けた。その目にはもう、迷いはなかった。
「クロウ、ミトゥルスレーヌ様を連れて逃げろ……」
「えっ⁉︎ゼノン、貴方……、何を言って……?」
「こいつは俺が足止めする……」
ゼノンは、そう言うとメルヌリスに向かって剣を構えた。
「……わかった」
クロウは、軽く頷くとミトゥルスレーヌの手を取り、「さ、ミトゥルスレーヌ様。こちらへ……」と優しい笑みを浮かべながらそう言った。
「嫌よッ!ゼノンと……」
「クロウッ!」
ゼノンがそう叫ぶとクロウは、ミトゥルスレーヌを優しく抱きかかえた。
「きゃっ、」
従者の突然の行動にミトゥルスレーヌは、驚きの声を上げた。
「……ちょ、ちょっと、降ろしなさい……」
クロウはミトゥルスレーヌの命令に従わずに静かに息を整えた後「しっかり捕まっていてください」と優しい笑みを浮かべながらそう言うと地面を勢いよく蹴り上げて高く跳躍した。
「ちょ、えぇぇ……ッ!」
驚くミトゥルスレーヌに対して「舌を噛みます。口を閉じていてください」と言うとクロウは、屋根から屋根へと飛び移りながらツイ・ド・ルーザの街に降りていき、職人通りの一角に降り立った。
「ひどい……」
ミトゥルスレーヌは、破壊された街を見ながらそう呟いた。建物は破壊され、通りのあちこちに無残に殺された市民や兵士の亡骸が転がっていた。
クロウは、顔をこわばらせながら辺りを見回した。
「……ここは危険です。別の場所へと参りましょう」
クロウは、そう言うとミトゥルスレーヌを抱きかかえたまま市街地を駆け抜けていった。途中、敵に見つかりそうになるも物陰に隠れながら上手くやり過ごし、気がつけば港の側にある歓楽街の入り口までやって来た。市街地と比べてこの辺りは損傷が少なかった。
「ここまで来れば、大丈夫です」
建物の陰に入るとクロウは、ミトゥルスレーヌを丁寧な手つきで下ろした。
ーードンッ!
突然、爆発音が静かな街に響いた。
見るとメルヴィング宮殿が派手な音を立てながら燃えているのが見えた。
「大変、宮殿がッ!」
ミトゥルスレーヌは、宮殿を見ながらそう叫んだ。「クロウ、今すぐ戻ってッ!ゼノンを助けなきゃ……」
「ダメです……」
「これは命令よッ!」
ミトゥルスレーヌは、強い口調でそう言った。しかし、クロウが彼女の命令に従う事はなかった。「なんでよ……。従いなさいよ……」
ミトゥルスレーヌは、悔しさのあまり涙を浮かべながらそう呟いた。
クロウは、それをただ黙って見つめていた。彼もゼノンを助けたいと思っていた。しかし、身体を張って自分達を逃してくれたゼノンを思うと、助けに向かう事ができないでいた。
ふと、鳥の声が聞こえた。見上げると白い鳥が鳴きながら上空を旋回していた。
「あれは、クレアのシキか……」
そう呟きながら口笛を吹くと、白い鳥はクロウに向かって急降下してきた。そして、クロウの懐にすっぽりと入ると一枚の紙になった。
「なるほど、」
紙には乱雑な字で《港で待つ。クレア》と走り書きされていた。クロウは読み終えると紙を丸めて口の中に入れ、飲み込んだ。「さあ、参りましょう。港に……」
クロウは、そう言いながらミトゥルスレーヌに手を差し伸べた。
「……嫌ッ!」
クロウの言葉を遮るようにミトゥルスレーヌは、そう言った。
「……ミトゥルスレーヌ様?」
「クロウ、貴方だけでも逃げなさいッ!」
ミトゥルスレーヌは、クロウの顔を見ながらそう言った。「敵の狙いは私だからッ。私が攫われれば敵も撤退するはずだからッ!」
「何を言っているんですかッ⁉︎貴女様は生きて……」
「もう、嫌なのッ!私のせいで誰かが死ぬのがッ」
ミトゥルスレーヌがそう叫ぶと同時に、クロウが彼女の頰を軽く叩いた。
ーーパシ……。乾いた音が響いた。
「え……?」
「……なら、逃げ延びてください。どんな事をしても……」
戸惑うミトゥルスレーヌを優しい眼差しで見つめながらクロウは、優しく諭すように言った。その眼差しは、主人を見つめる目というよりは、兄弟や友人を見つめるような親密な眼差しだった。「それが、死んでいった者達への弔いになるのですから」
「クロウ……」
ミトゥルスレーヌは、大粒の涙を浮かべながらそう呟いた。
「ふふ、みーつけた……」
ふと、メルヌリスの声がした。声のする方を見ると屋根の上に腰を下ろしながらこちらを見下ろすメルヌリスの姿があった。
「……ッ!」
同時にメルヌリスの兵がクロウ達の前に現れる。逃げ道は港に通じる道だけだった。
「もう逃がさないよ?」
メルヌリスは、不気味な笑みを浮かべながらそう言った。
「そ、そんな……。ゼノン……」
ミトゥルスレーヌの瞳から大粒の涙が流れ落ちた。
「ミトゥルスレーヌ様、お逃げください」
クロウは、メルヌリスを見ながらそう言った。「そこを真っ直ぐ行けばすぐに港です。そこでクレアが待っています」
「でも……」
「大丈夫。このような輩に遅れは取りませんよ……」
クロウは、そう言うと優しい笑みを浮かべた。
「本当だね?必ず死なないで帰ってきてよッ!クロウッ」
ミトゥルスレーヌは、そう言うと港に向かって走っていった。
「逃すかッ!」
メルヌリスがそう叫ぶと彼の配下の兵士がミトゥルスレーヌを追って一斉に走り出した。
「お前たちの相手はこの俺だ……」
迫り来る兵士達の前へと躍り出るとクロウは、そう言った。
「はん、単なる従者のおまえに何が出来るんってんだよ。おまえら、そいつを殺せ!」
メルヌリスがそう言うと、兵士達が一斉にクロウに襲いかかった。
クロウは、不敵な笑みを浮かべると短く息を吸いこみ、地面を強く蹴って跳躍した。懐から丸い球を幾つか取り出しすと、それを眼下に群がる兵士達に向かって投げつけた。
ーーダァァンッ!
轟音と共に爆炎が上がり、舞い上がった土埃と白煙が辺りを包み込む。視界が遮られて何も見えない中、辺りには衣擦れの音とタンッ!という軽く短い音、それに兵士達の断末魔だけが響いていた。
「……けほ、……な、何が起こって、」
むせながらメルヌリスが、指で宙に魔法陣を一筆書きに描くと、強風が吹きすさび視界を遮っていた白煙混じりの土埃が徐々に消えていく。その中心には、兵士達の残骸と赤い衣装に身を包み、長い襟巻きを風に靡かせながら片刃の長剣を握りしめて立つクロウの姿があった。
その眼差しはミトゥルスレーヌに見せた優しく親密なものとは対照的で、まるで氷で出来た刃のように冷たく、そして鋭かった。
「……その目、スッゲェ、ムカつく」
メルヌリスは、あからさまに嫌そうな表情を浮かべながらそう言った。「本当は、あの王女様を掻っ攫って終わりにしようと思ったけど、気が変わった。お前、ムカつくから殺してやるよ」
クロウは、目を瞑り息を整えるとゆっくりとした動作で剣を構えた。
「ふざけやがってッ!やれッ!めちゃめちゃにしてやれッ!ぶっ殺せッ!」
兵士達がメルヌリスの声と共に一斉に襲いかかる。
「キェィィィッ‼︎」
クロウが耳をつんざくような雄叫びと共にブゥン、と剣を振るうと、しばらく間を空けてから突風が吹き荒れ、兵士達の身体を次々と切り裂いていった。
「な、な……」
一瞬で、半分以上の兵士が消えたその光景を見たメルヌリスは、不安と恐怖が入り混じったような表情を浮かべながら、魚のように口をパクパクとさせていた。
気がつくと兵士達は、数分も経たないうちに全滅していた。クロウは、メルヌリスを見つめると地面を強く蹴り上げて跳躍した。
「なっ、き、消え……」
メルヌリスの目には、クロウの姿が一瞬で消えたように映ったのだろう。キョロキョロと辺りを見回していた。
クロウは、空中で体を回転させるとメルヌリス目掛けて急降下し、剣を勢いよく振り下ろした。
ーードンッ!
強く地面を踏みしめる音がして、メルヌリスの左腕が地面に落ちる。遅れて金切り声のようなメルヌリスの悲鳴が聞こえて来た。
「ぴぎぃぃッ!」
「チッ、避けられたか……」
クロウは、そう吐き捨て剣に付いた血を振り払った。
「ぼ、僕のう、腕がぁぁッ!」
うずくまり、流れ出る血をローブで押さえながらメルヌリスは、そう叫んでいた。痛みに歪む顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「安心しろ。すぐに楽にしてやる……」
「許さない……」
傷口に治癒魔法をかけながらメルヌリスがそう呟くとメルヌリスの周囲に魔法陣が現れ、風が巻き起こった。
「くっ、」
クロウは、素早い動きで後ろに飛び退いた。続けて氷の刃がクロウ目掛け飛んでくる。クロウは、タン、タン、タンっと跳ねるような身軽な動きでそれをひらりと躱していった。動くたびに長い襟巻きが宙をひらひらと舞った。
「お前だけは絶対に許さないッ!」
メルヌリスの周囲に禍々しい魔力に満ちた黒い魔法陣が展開される。「僕も本気でいかせてもらうよ……」
「禁呪か……」
クロウは、そう呟くと剣を構えた。
「よく知ってるね」
メルヌリスは、そう言うと不敵な笑みを浮かべて右腕を天高く掲げた。黒い魔力が渦を描いて手のひらの中心にに集まっていく。
「……死ねっ!」そう叫びながら放たれた魔力の塊は、無数の矢となってクロウに襲いかかった。
「……ふん、」
クロウは、巧みな剣裁きで魔力の矢を尽く撃ち落としていった。
「なっ、」
矢を全て撃ち落とすとクロウは、地面を蹴って素早く間合いを詰め、メルヌリスの懐に切り込んでいった。
「させるかッ!」
クロウの剣がメルヌリスを切り裂く寸前で、魔力壁が発動してクロウの剣を受け止めた。
甲高い金属音が辺りに響き渡る。
「ふぅ、危ない、危ない……。展開が遅けりゃ死んでたよ」
メルヌリスは、ホッと胸を撫で下ろしながらそう言った。「へへーん、これでお前は手が出せない」
「……魔力壁か、」
そう呟くとクロウは、腕を鞭のようにしならせながら素早い斬撃を打ち込んでいった。
「ふん、無駄無駄……」
メルヌリスがそう言うとクロウは、不敵な笑みを浮かべた。「何がおかしいんだよ?」
メルヌリスが首を傾げながらそう言うとピシッと小さな音が聞こえてきた。見ると、魔力壁の一部に亀裂が生じていた。
「なっ、あ、ありえない……。魔力壁を壊すなんて」
信じられないといった表情を浮かべていたメルヌリスだったが、気を取り直して呪文を詠唱し始めた。メルヌリスの周囲に黒い魔法陣が展開される。「こうなったら、この呪文を使うしかないな……」
魔法陣が黒く光り、周囲の空間がぐらりと歪んでいく。
「「……死ねッ!」」
二人の声が重なる。
攻撃はほぼ同時だった。しかし、クロウの方が僅かに早く、魔法を発動する瞬間にメルヌリスの身体をクロウの剣が袈裟懸けに切り裂いていた。
「……ぐあっ‼︎」
血を流しながらよろめくメルヌリスにトドメを刺そうとクロウが近寄った瞬間、大地が激しく揺れた。
「な、なんだ⁉︎」
「しまったッ!魔力がッ⁉︎」
メルヌリスがそう呟くと突如、地面に巨大な穴がぽっかりと空き、二人はなす術なく穴の中に落ちていった。
ふわふわとした浮遊感に包まれながらゆっくりと落ちていきながらクロウは、空を見上げた。
(申し訳ありません。ミトゥルスレーヌ様。俺は貴女との約束を果たせそうにありません……)
クロウは、心の中でそう呟くと静かに目を閉じた。
ーー
……チチチ。
「ん……」
鳥のさえずりで目を覚ます。
「……生きている……のか?」
辺りを見回すが、暗くてよくわからなかった。探ってみると、どうやら洞窟の中にいるようだとわかった。
ふと、入口から光が漏れているのが見えた。慎重に歩いていき、洞窟を出ると、そこは鬱蒼とした森の中だった。
「ここは……?」
洞窟の周囲は、木製の高い柵で囲われていてその真ん中に木製の小屋が一軒建っていた。周囲に生えている草木には、見覚えの無いものがいくつかあり、空気も違っているように感じた。
「何処だ?ここは……」
クロウは、そう呟いた。
「暑いな……」
襟巻きを外し、汗を拭った。上を見上げると木々の隙間から太陽が眩しく輝いているのが見えた。
「高い柵だな……」
クロウは、柵を見ながらそう呟くと助走を付けて、柵の手前で勢いよく踏み切って高く跳躍すると空中で身体を捻りながら柵を乗り越えた。
(この格好だと目立つな)
「ふんッ!」
そう小さく叫ぶと、クロウの服が粗末な麻の服に変わった。
(これなら大丈夫だろう。さて、まだ、日が高い。今、行動するのは危険だな……)
そう判断したクロウは、近くの木に登るとその上に隠れて日が暮れるのを待つことにした。




