異世界最強の暗殺者が俺ん家に居候しているんだが……。のプロローグ3
魔法学発祥の地であるアルストゥリア王国。
その首都であり、魔法学の研究拠点である学術都市ツイ・ド・ルーザは、世界征服を目論む暗黒魔導師メルヌリスの奇襲を受け、今、まさに陥落しようとしていた。
燃え上がる街を見下ろす小高い丘の上に建つ白亜のメルヴィング宮殿。
かつて、アルストゥリア大陸一美しいと称えられた宮殿の中庭では、白銀の鎧に身を包んだ騎士ゼノンがメルヌリス配下の兵と戦っていた。
「はぁぁッ!」
ゼノンの威勢の良い掛け声と共に振り下ろされた剣は、兵士の身体を鎧ごと袈裟がけに切り裂いた。
「ぎぇ……」
兵士は、傷口から緑色の液体を噴き出しながら倒れると、切り裂かれた鎧と手にしていた剣だけを残して跡形もなく消えてしまった。
「ほお。なかなかやるな……。流石は、剣聖、か」
金の刺繍が施された黒衣を身に纏った暗黒魔導士メルヌリスは、感心したようにそう言うと、くくっ、と小さな声で笑った。
「ふん……」
ゼノンは、あからさまに不快そうな表情を浮かべながら剣に付いた液体を振り払った。「さあ、観念しろ。メルヌリス」
ゼノンがそう言うと、メルヌリスは不気味に笑った。
「……気でも触れたか?」
「いや、頭はいたって正常だよ」
「ならば、何がおかしい。お前の配下は、全て倒した。後はお前だけだ」
「……クク、さあて、どうかな?」
「何?」
「余力は最後まで残しておくものだよ?」
「何?」
メルヌリスが、不気味に笑いながら指をパチンと鳴らすと、不意にゼノンの背後に何者かの気配がした。振り向くと、隠れていた兵士がゼノン目掛けて剣を振り下ろそうとしていた。
「しまっ……」
「さらばだ。剣聖……」
ゼノンは、死を覚悟した。
しかし、魔族の剣が、ゼノンに振り下ろされる事はなかった。
「うぐ……」
呻き声を上げながら倒れる魔族。その後ろには、赤く染め上げられた東方の山岳民族ウユシハキアの伝統装束に身を包み、長い襟巻きを風になびかせる小柄な男が一人、立っていた。
「ったく、剣聖が聞いて呆れるよ……」
男は、ガシガシと頭を掻きながらそう言った。手には血がこびり付いた小剣が握られていた。
「クロウッ!」
「俺が来なけりゃ、死んでたよ?」
クロウと呼ばれた男は、そう言いながら口元を覆っていた襟巻きを下にずらした。女性的で、端正な顔が現れる。
彼の名前は、クロウ・アキハール。
アルストゥリア国王コルネリウス五世の第一王女ミトゥルスレーヌの警護を務めるウユシハキアの暗殺者で、表向きは従者という事になっていた。
ウユシハキアとは、日陰の者という意味で、彼らは古来より王侯貴族に仕えながら諜報や破壊工作、暗殺などといった裏の仕事を担っていた。
「……ありがとう、助かった」
ゼノンは、乾いた笑みを浮かべながらそう言った。
「うわ、気持ち悪……」
クロウは、そう言うと苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。「いつもは、礼なんて言わないのにさ、」
「それで、ミトゥルスレーヌ様は?」
「安心して。ミトなら他の皆んなと一緒に港まで送り届けたよ。今頃は、エラローリアの連中と共に出港したんじゃないかな?」
「……なぜ、戻ってきた?」
「アンタを助けに行けって、ミトに言われたからね」
「ふん。人が増えたところで貴様達が不利な事に変わりはない……」
メルヌリスは、そう言った。
「ライトン。まさか、アンタが裏切るとは、ね。驚いたよ」
「クロウ、こいつはライトンじゃない。メルヌリスという魔王の手下だ」
「……成りすましてるってこと?」
クロウは、怪訝な顔をしながらそう言った。
「いや、身体はライトンだ。しかし、意識が……」
「……助けるの?」
「いや、ライトンの意識はもうない。そして、奴は俺に自分を討つように言ってきた……。だから、」
ゼノンは、そう言うと剣を構えた。
「……ふーん。そっか、」
クロウは、そう言うと小剣を構えた。「メルヌリスだっけ?アンタさ、俺の大事な人達に手を出したんだ。もちろん、覚悟は出来てるよな?」
クロウは、冷たい眼差しをメルヌリスに向けながらそう言った。
「ふふ、覚悟するのは貴様らの方だと言っただろう?小僧……」
メルヌリスは、そう言うと指をパチン、と鳴らした。「さぁ、出て来るがよいッ!」
「クロウッ、気をつけろッ!」
ゼノンは、剣を構えながらそう叫んだ。しかし、魔族が出て来る気配はなかった。
「な、何をしているッ!早く、こいつらを……」
「無駄だよ」
焦るメルヌリスに向かってクロウは、冷たくそう言った。
「何ッ⁉︎」
「隠れてたアンタの手下は、俺が全て仕留めた。だから、いくら呼んでも誰も来ないよ」
「馬鹿な……。あの人数を、一人で……」
メルヌリスは、一瞬、信じられないというような表情を浮かべた。
「勝負あったな、メルヌリス」
ゼノンが剣の切っ先をメルヌリスに向けながらそう言った。
「さあ、どうかな?」
ライトンは、勝ち誇ったようにそう言った。
「二対一で、アンタの味方は誰も居ない。明らかに不利だと思うけど?」
メルヌリスが不気味に笑うと、彼の周囲に黒い魔法陣が現れた。
「黒い魔法陣ッ……禁呪かッ⁉︎」
魔法陣は、回復系なら白、攻撃系なら赤というように効果によって色が分けられていた。
中でも、黒い魔法陣は、禁呪と呼ばれる超高等魔法のものであった。
「味方が居なければ作ればいいだけのことッ!」
「させるかッ!」
クロウは、メルヌリスに向かって小剣を投げた。
「……愚かな」
しかし、小剣はメルヌリスに届く事なく魔力壁に阻まれ、地面に落ちた。
「チッ、魔力壁か」
クロウは、舌打ちをしながらそう言った。
「……いざ、死の淵より甦らんッ!スタカネーノッ!」
メルヌリスがそう言うと、中庭に転がっていた魔族達や城の兵士達の遺骸に光が宿り、ゆっくりと動き出した。
「……さあ、行けッ!我が兵達よッ!」
メルヌリスがそう言うと、動く屍が、ゼノンとクロウに襲いかかってきた。
「来るぞッ!」
「わかってるよッ!」
二人は瞬時に反応し、敵の攻撃を素早く避けた。
クロウは、さらに半歩後ろに跳んで間合いを取ると、金属製の筒が付いたナイフを何処からともなく取り出した。
「まとめてくたばれッ!」
クロウは、そう叫びながらナイフを敵に向かって投げつけた。
ナイフは、敵の頭に次々と突き刺さった。そして、数秒置いて、彼らの頭が次々と爆発していった。
しかし、彼らは首を失っても動き続け、クロウの方に向かってきた。
「嘘だろッ⁉︎頭やられたら、普通、動かなくなるもんじゃないのかよッ⁉︎」
クロウは、そう言いながら次々とナイフを迫り来る敵に向かって投げていった。
「クロウッ!こいつらは、禁呪で操られた屍だ。おそらく、まともに戦っても勝ち目はない」
「じゃあ、どうするんだよッ⁉︎」
「術者であるメルヌリスを叩くッ!」
ゼノンは、敵を斬り伏せながらそう言った。
「でもさ、魔力壁が邪魔で近づけないじゃん」
「策はあるッ」
「策?」
「魔力壁は、同等の魔力をぶつければ消すことが出来る」
「知ってるよ。でもさ、その魔力が……」
「これを使う」
ゼノンは、そう言うと懐からペンダントを取り出した。
「え、でもこれって……」
「ああ、さっきは弾き返されたが、それは俺が身に……」
「違うよ。これってアーシェルの形見なんだろ?」
「ああ、だが、今はそんな事を言っている場合じゃない」
ゼノンは、そう言った。「時間がない。いいか?俺がこれを投げて魔力壁を無力化する。お前はその隙にメルヌリスを仕留めろ。わかったな?」
ゼノンがそう言うと、クロウは軽く頷いた。
「何を企んでいるかわからんが、所詮は無駄な足掻きよ……」
禍々しい気が渦を巻きながらメルヌリスの周りに集まっていく。「二人仲良く燃え尽きるがいい……」
「喰らえッ!」
ゼノンは、メルヌリス目掛けてペンダントを投げつけた。
「ふん、無駄な事を……。魔力壁は、如何なる攻撃も受け付けない鉄壁の守り。そのようなもので……」
メルヌリスが、余裕そうな笑みを浮かべながらそう言いかけた、その時だった。
ーーバチッ!
ゼノンの投げたペンダントが魔力壁にぶつかると同時に、雷のような音と共にメルヌリスを守っていた魔力壁が消えた。
「なっ、ま、魔力壁が……」
メルヌリスは、そう言った。その表情には、焦りの色が見えていた。
「今だッ!行けッ」
ゼノンがそう叫ぶ。
ーータンッ!
クロウは、地面を力強く蹴って高く跳躍すると空中で身体を回転させ、メルヌリスに狙いを定めた。手にはナイフが握られていた。
「喰らえッ!」
クロウは、腕を鞭のようにしならせながらナイフをメルヌリス目掛けて勢いよく投げつけていった。
「チッ!こざかしい真似をッ!」
メルヌリスは、そう言いながら魔導弾を打ち出して、雨のように自分目掛けて飛んでくるナイフを次々と撃ち落としていった。
次々と爆発が起き、辺りが煙で包まれる。
「くそ、どこに……」
「……ここだよ」
クロウの冷たい声と共にメルヌリスの左胸から鈍い銀色の刃が飛び出した。
「……お、お、わ、私の身体が……」
メルヌリスは、自らの左胸を貫く刃を見ながらそう言った。
「……そういや、エルフィス人は心臓が右側についてるんだったけな」
クロウは冷たい声でそう言うと小剣を引き抜いた。その反動で、メルヌリスの口から大量の血が溢れ出した。
「悪りぃな。一発で仕留めてやれなくって」
クロウは、血に濡れた小剣を構えながらそう言った。「でも、安心しろよ。次はしっかり仕留めてやるからさ……」
「お、のれ……」
メルヌリスが、よろめき、口から大量の血を流しながら絞り出すような弱々しい声でそう言うと、彼の背後の空間に人一人が通れるほどの大きさの穴が空いた。「ふ、ふふ……。今回は、いっ、たん……退却さ、せてもら、う……。傷が癒えてからまた、相手をしてやろう……」
メルヌリスがそう言いながら穴の中に消えていこうとすると、クロウが「させるかッ!」と言ってメルヌリスに掴みかかった。
「な、なに……ッ!」
「今度こそは、外さねぇッ!」
クロウは、手にした小剣をメルヌリスの首筋に突き立てようと狙いを定めた。
「く、は、はなせ……ッ」
メルヌリスは、クロウを力任せに引き剥がそうとした。
「へへ、観念しな……ッ」
クロウは、笑いながら手にした小剣をメルヌリスの首筋に突き立てようとした……、その時だった。
突然、軋むような音を立てながら穴が大きく広がり始めた。
「な、なんだッ⁉︎」
「しまっ、魔力がッ……」
次の瞬間、穴はゴー、ゴーという大きな音を立てながら周囲のものをすさまじい力で吸い込み始め、次に気がついた時には、虹色に光る不思議な空間の中にいた。天地はなく、身体はふわふわと水の中を漂うような浮遊感に包まれていた。
「は、はなせ……ッ!」
メルヌリスは、しがみつくクロウの顔を何度も殴りつけた。
「死んでも離すかよッ」
「……ふん、ならば、死ねッ!」
メルヌリスは、そう言いながら右手を天高く掲げた。
「させるかッ!」
クロウは、その隙を突いてメルヌリスの喉に小剣を突き刺した。
メルヌリスの口から大量の血が噴き出した。
「じゃあな」
クロウは、そう言うとメルヌリスの身体を思いっきり蹴り飛ばした。メルヌリスの身体は、そのまま何処かに消えていった。
「やった……」
不意にクロウの身体を包み込んでいた浮遊感が消え、そのまま下に落ちていった。
「うわッ!」
咄嗟に受け身を取って、地面への激突を避けると、クロウは辺りを見渡した。
どうやら洞窟の入り口辺りにいるようで、奥の方には入口らしきものが見えていた。入り口を目指して慎重に歩いていく。洞窟から出た先は、暗い鬱蒼とした木々が生い茂る山の中だった。
「ここは……?」
洞窟の周囲は、木製の高い柵で囲われていてその真ん中に木製の小屋が一軒建っていた。周囲に生えている草木も見覚えの無いものがいくつかあり、空気も違っていた。
「まさか……、異世界に飛ばされたってこと……なのか?」
クロウは、そう呟いた。「まだ、日が高い。今、行動するのは危険だな……」
そう判断したクロウは、目の前の小屋の中に隠れて日が暮れるのを待つことにした。