異世界最強の暗殺者が俺ん家に居候しているんだが……。のプロローグ
魔法学発祥の地であるアルストゥリア王国。
その首都であり、魔法学の研究拠点でもある学術都市ツイ・ド・ルーザを見下ろす小高い丘に建つ白亜のメルヴィング宮殿は、燃え盛る紅蓮の炎に包まれていた。
「やあッ!」
かつて、アルストゥリア大陸一美しいと称えられた宮殿の中庭では、燃え盛る炎の中、鎧を着た金髪碧眼の男が一人で宮殿を襲撃してきた敵と戦っていた。
「はぁッ!」
男の威勢の良い掛け声と共に白銀に輝く剣が敵兵の身体を袈裟がけに切り裂く。
「ぐぁっ……」
敵兵は、短い断末魔を上げると鮮血を噴き出しながら地面に倒れた。
「何故だッ!ライトンッ。何故、王を裏切り、オルキス将軍側についたッ⁈」
男は、肩で息をしながら鋭い目つきで目の前にいる眼鏡を掛けた男を睨みつけた。
男の名は、ゼノン・アルフレート。
剣聖の称号を持つアルストゥリア王国の騎士であり、第一王女ルーゼリア姫の護衛を務めるプリンセス・ガードの一人であった。
「……単に優秀だったからですよ。オルキス将軍の方が上に立つ者として、ね」ライトンと呼ばれた男は、そう言った。「あんな愚鈍な王の下では、滅んでしまいますからね。国が、」
彼の名は、ライトン・ヨーデルヘルム。
大魔導の異名を持つ天才魔術師で、プリンセス・ガードの一人、そして、宮殿を襲撃した犯人であった。
「ああ、それと、私は、初めから誰の味方でもありませんでしたから」
ライトンは、そう言うとにやりと笑った。
「俺は、お前を信じていたッ!」
「やれやれ、アーシェルもそうでしたが、あなたもなかなかの馬鹿ですね」
「なんだと?」
「アーシェルも最後まで私の事を仲間だとか言って説得しようとしていましたよ。流石、聖女と呼ばれていただけの事はありましたね」
「……アーシェルもお前が殺したのか?」
ゼノンの声は、震えていた。
「はい。本当は、性奴隷にするつもりでしたが、あなたの名前ばかり叫ぶので死んでもらいました。中々、綺麗だったでしょ?花火、」
ライトンは、そう言うと不気味な笑みを浮かべた。
「貴様……ッ」
「ゼノン。私達の元に来なさい。オルキス将軍には、私や貴方のような優秀な者が必要なのです」
「ふざけるなッ!」
ゼノンは、そう叫ぶと鬼のような形相でライトンを睨みつけた。
「よくも、アーシェルを……。許さんぞッ!」
ゼノンは、そう言うと剣の切先をライトンに向けた。「大魔導……いや、王国に仇なす裏切り者よッ!剣聖の名に賭け、貴様を成敗するッ!覚悟しろッ」
「やれやれ……。前々から思ってましたが、頑固ですよね。正直、貴方のそういうところが嫌いでした……」
ライトンは、ため息混じりにそう言うと「やれ、」と呟きながら指をパチンと鳴らした。
すると、それを合図とばかりに城のあちこちに隠れていた敵兵が一斉にゼノンに襲いかかった。
「舐められたものだな……」
ゼノンは、そう呟くと剣を強く握り、襲いくる敵を迎え撃った。
そこからは、まさに虐殺だった。
ゼノンは、勇ましい掛け声と共に襲いくる敵兵を次々と斬っていった。そこに慈悲は微塵も無く、命乞いをする者や逃げていく者さえ容赦なく斬り捨てていった。その攻撃は凄まじく、まさに鬼人と呼ぶにふさわしい戦い方だった。
「せいッ!」
ゼノンは、掛け声と共に剣を一閃させ、最後に残った敵兵の首を跳ね飛ばした。鮮血を噴き出しながら倒れる敵兵を虚な眼差しで見つめながら、ゼノンは粗く呼吸をしていた。
「戦意を無くした者まで手にかけるとは……。剣聖の名が泣きますよ?」
ライトンは、笑いながらそう言った。
「黙れ」
ゼノンは、そう言うとライトンに剣を向けた。「覚悟しろ……。ライトン」
「覚悟するのは、あなたの方ですよ。ゼノン」
ライトンは、そう言うと不敵に笑った。
「何?」
不意にゼノンの背後に何者かの気配がした。振り向くと、隠れていた敵兵がゼノン目掛けて剣を振り下ろそうとしていた。
「しまっ……」
「死になさいッ!」
ゼノンは、死を覚悟した。
しかし、敵兵の剣が、ゼノンに振り下ろされる事はなかった。
「うぐ……」
呻き声を上げながら倒れる敵兵。その後ろには、赤く染め上げられた東方の山岳民族の伝統装束に身を包み、長い襟巻きを風になびかせる小柄な男が一人、立っていた。
「ったく、剣聖が聞いて呆れるよ……」
男は、ガシガシと頭を掻きながらそう言った。手には、血がこびり付いた小剣が握られていた。
「クロウッ!」
「俺が来なけりゃ、死んでたよ?」
クロウと呼ばれた男は、そう言いながら口元を覆っていた襟巻きを下にずらした。女性的で、端正な顔が姿を表した。
彼の名前は、クロウ・アキハール。
彼は、かつて、アルストゥリア王の命を狙っていた暗殺者だった。
しかし、ゼノンによって深傷を負わされ、生死の境を彷徨っていた所をルーゼリアに助けられた事で改心し、以降は、彼女に絶対の忠誠を誓いプリンセス・ガードの一人として彼女の従者兼護衛として活動していた。
「……ありがとう、助かった」
ゼノンは、乾いた笑みを浮かべながらそう言った。
「うわ、気持ち悪……」
クロウは、そう言うと苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。「いつもは、礼なんて言わないのにさ、」
「それで、姫様は?」
「安心して。ルーなら無事に送り届けたよ。今頃は、エラローリアの連中と共に出港したんじゃないかな?」
「……なぜ、戻ってきた?」
「さあね、」クロウは、そう言うと小剣を構えた。「そんなことよりこいつをさっさと片付けよう?」
「ふん。人が増えたところで貴方達が不利な事に変わりはありませんよ……」
ライトンは、そう言うと指をパチン、と鳴らした。「さぁ、出て来なさいッ!」
「くそッ!まだいるのかッ」
「ふふ、こうなる事も見越していましたからね」
「チッ、クロウッ、気をつけろッ!」
ゼノンが舌打ちをしながら剣を構えた。しかし、敵兵が飛び出して来る気配はなかった。
「な、何をしているッ!早く、こいつらを……」
「無駄だよ」
焦るライトンに向かってクロウは、冷たくそう言った。
「何ッ⁉︎」
「アンタの手下は、ここに来る前に俺が残らず殺したよ。だから、いくら呼んでも誰も来ない」
「馬鹿な……。あの人数を、一人で……」
ライトンは、一瞬、信じられないというような表情を浮かべながらそう言った。
「いや、アンタの部下達が隙だらけだったってだけだから」
クロウは、笑いながらそう言った。「馬鹿だよね。敵地であんなに油断してちゃ。多分、何人かは死んだ事に気が付いてないんじゃない?わかんないけど、」
「勝負あったな」
「さあ、どうでしょうかね?」
ライトンは、勝ち誇ったようにそう言った。
「なに?」
「常に二重、三重と手は打っておくものです。ふふふ、クロウ。貴方、失敗をしましたね?姫を置いて戻るなど……」
「ま、まさかッ!」
ライトンの言葉にゼノンが蒼白の表情を浮かべた、まさにその時だった。
ーードンッ!
港の方で大きな爆発音がした。
「姫ッ!」
「ハハハッ!」
ライトンは、焦るゼノンを見ながら笑った。「さて、これでルーゼリアも死にました。本当は、殺すなと閣下から言われていたんですよ。おそらく、御子息の正妻か、ご自分の側室にでもするおつもりだったのでしょう。しかし、優秀な統治者である閣下の血筋にあんな能無し共の血を入れる訳にはいかなかったので、死んで貰いました。将軍には、悪いですがね……」
「将軍が聞いたら怒るよ?」
クロウは、のんびりとした口調でそう言った。
「ご安心を。すでに手は打ってあります。名誉の自害……。アルストゥリア最後の王女に相応しい死に方だとは思いませんか?」
「……貴様ッ!」
ゼノンは、怒りに任せてライトンに斬り掛かった。しかし、魔力で作られた魔力壁に阻まれてしまい、ライトンに近づく事すら出来なかった。
「そう、慌てないでください。ゼノン」
ライトンがそう言うと、彼の周囲に赤い魔法陣が現れた。「ちゃんと、あの世にいるルーゼリア姫の元に送ってあげますから……」
そう言うと、ライトンは右手を高く掲げた。黒い炎が手のひらに集まっていく。
「残念。ルーは生きてるよ」
「何ッ⁉︎」
クロウの言葉にゼノンとライトンの声が重なった。
「そんな、馬鹿なッ!だって、さっき……」
「爆発があったから、でしょ?でもさ、爆発した場所にルーが居るとは限らないでしょ?」
「な、なんだとッ⁉︎」
「侍女の中に紛れ込んでたアンタの仲間が全部教えてくれたよ」
「なッ……」
「おしゃべりで助かったよ。まあ、聞いてもいない事もべらべらとしゃべってうるさかったけど……」
クロウは、そう言うと軽く笑った。「ルーが乗る船が港を出たら砲撃する予定だったらしいね。でも、残念。砲台は全部制圧させてもらった。さっき打ったのもアンタの部下じゃない」
「くッ……」
「さ、覚悟は、いい?」
「ふ、ふん、覚悟するのはあなた達の方ですよ」
「何?」
「二対一。アンタの方が不利だと思うけど?」
「そうでしょうか?さっきも言ったでしょ?常に手は二重、三重に打つべきだと、ね……」
ライトンがそう言うと、彼の周囲に黒い魔法陣が現れた。
「黒い魔法陣ッ……禁呪かッ⁉︎」
魔法陣は、回復系なら白、攻撃系なら赤というように効果によって色が分けられていた。
中でも、黒い魔法陣は、禁呪と呼ばれる超高等魔法のものであった。
「兵が居ないのなら作ればいいのですよッ!」
「させるかッ!」
クロウは、ライトンに向かって小剣を投げた。おそらく一発では仕留められないだろう。しかし、術式の展開を止める事は出来る、そう思ったからだった。
「無駄ですッ!」
しかし、小剣はライトンに届く事なく魔力壁に阻まれ、地面に落ちた。
「チッ、やっぱ無理か」
クロウは、舌打ちをしながらそう言った。
「……いざ、死の淵より甦らんッ!スタカネーノッ!」
ライトンがそう言うと、中庭に転がっていた兵士達の遺骸に光が宿り、ゆっくりと動き出した。
「死霊術か……。人の道を外したな、ライトン」
「ハハ、踏み外すも何も元々、人間じゃありませんから。……さあ、行きなさい、我が兵達よッ!」
ライトンがそう言うと、動く屍と化した兵士達が、ゼノンとクロウに襲いかかった。
二人は瞬時に反応し、兵士達の攻撃を素早く避けた。
クロウは、さらに半歩後ろに跳んで間合いを取ると、金属製の筒が付いたナイフを何処からともなく取り出した。
「まとめてくたばれッ!」
クロウは、そう叫びながらナイフを兵士達に投げつけた。ナイフは、真っ直ぐに飛んでいき、兵士達の額に深々と突き刺さった。そして、数秒置いて、兵士達の頭が次々と爆発していった。
しかし、兵士達は首を失っても動き続け、クロウの方に向かってきた。
「嘘でしょッ⁉︎頭やられたら、動かなくなるもんじゃないのッ⁉︎」
クロウは、そう言いながら次々とナイフを兵士達に向かって投げていった。
「クロウッ!こいつらは、死霊術で操られた屍だ。まともに戦っても勝ち目はない」
「じゃあ、どうするんだよッ⁉︎」
「術者であるライトンを叩くッ!」
ゼノンは、兵士を斬り伏せながらそう言った。
「でもさ、魔力壁が邪魔で近づけないじゃん」
「策はあるッ」
「策?」
「魔力壁は、同等の魔力をぶつければ消すことが出来る」
「知ってるよ。でもさ、その魔力が……」
「これを使う」
ゼノンは、そう言うと懐からペンダントを取り出した。
「え、でもこれって……」
「ああ、さっきは弾き返されたが、それは俺が身に……」
「違うよ。これってアーシェルの形見なんだろ?」
「ああ、だが、アーシェルなら許してくれるだろう」
ゼノンは、そう言った。「さあ、時間がない。いいか?俺がこれを投げて魔力壁を無力化する。お前はその隙にライトンを仕留めろ。わかったな?」
ゼノンがそう言うと、クロウは軽く頷いた。
「ふん、何を企んでいるのかわかりませんが、これで終わりですッ!」
禍々しい気が渦を巻きながらライトンの周りに集まっていく。「その木偶人形達と一緒に燃え尽きなさい……」
「喰らえッ!」
ゼノンは、ライトン目掛けてペンダントを投げつけた。
「何かと思えば、愚かな……」
ライトンは、余裕そうな笑みを浮かべながらそう言った。
「ふん、無駄な事を……。魔力壁は、如何なる攻撃も受け付けない鉄壁の守り。ナイフ如きでは……」
ライトンが、余裕そうな笑みを浮かべながらそう言いかけた、その時だった。
ーーバチッ!
ゼノンの投げたペンダントが魔力壁にぶつかると同時に、雷のような音と共にライトンを守っていた魔力壁が消えた。
「なっ、ま、魔力壁が……」
ライトンは、そう言った。その表情には、焦りの色が見えていた。
「今だッ!行けッ」
ゼノンがそう叫ぶ。
ーーダンッ!
クロウは、地面を力強く蹴って高く跳躍すると空中で身体を回転させ、ライトンに狙いを定めた。手にはナイフが握られていた。
「喰らえッ!」
クロウは、腕を鞭のようにしならせながらナイフをライトン目掛けて勢いよく投げつけていった。
「チッ!こざかしい真似をッ!」
ライトンは、そう言いながら魔導弾を打ち出して、雨のように自分目掛けて飛んでくるナイフを次々と撃ち落としていった。
「ふん、所詮は、無駄なあ……」
ライトンが、勝ち誇ったようにそう言ったのと同時に彼の左胸から鈍い銀色の刃が突き出した。
「……へ?」
ライトンが、間抜けな声を上げながら背後を振り向くとクロウが、ライトンの背中に小剣を突き刺していた。
「いつも思ってたんだけどさ、アンタってツメが甘いよね」
クロウが、軽い口調でそう言うとライトンは、口から血を噴き出しながらそのまま力なく地面に倒れ、事切れた。
クロウは、ライトンの亡骸を冷たい目で見つめながら小剣に付いた血を振り払って、鞘に収めた。
「大丈夫かッ!」
ゼノンがそう言いながらクロウの元に駆け寄ってくる。先程まで、動いていた兵士達は、いつの間にか物言わぬ骸に戻っていた。
「なんとか、ね」
クロウは、そう言うと軽く笑った。「で、これからどうするの?」
「ん、ああ。そうだな、とりあえずひ……」
ゼノンがそう言いかけると、クロウの背後に巨大な魔力の渦が現れた。
「あぶない!」
ゼノンが、そう叫ぶと同時に魔力の渦は凄まじい力で周囲のものを吸い込み始めた。
「うわッ!お、おいッ。な、なんだよ、これッ!」
クロウの身体が宙に浮く。必死に手足をばたつかせてもがくが、無情にも身体は渦の方に吸い寄せられていった。
「術者が死んだ事で魔力が暴走したかッ⁉︎」
ゼノンは、地面に剣を突き刺すとそれを支えにしながらクロウに手を差しのべた。「掴まれッ!」
クロウは、必死にゼノンの手を掴もうとした。
しかし、掴む事は出来ず、クロウの身体はそのまま渦の中へと吸い込まれていった。
「クロウッ!」
ゼノンがそう叫ぶと同時に、魔力の渦は消えた。後に残ったのは、燃える王宮と地面に転がる無数の物言わぬ骸だけだった。