2.白いTシャツの女性
早朝から電車に乗った僕は、目的地が書かれた一枚紙をポケットから取り出した。
念のため乗り換えや経路を、もう一度調べるためだ。
たったこれだけの作業だが、僕を憂鬱な世界へ呼び戻すには充分すぎた。
東京メトロの✕✕駅で地上へ上がった僕の呼吸は、重い荷物のせいもあってかとても乱れていた。
そんな僕に、追い討ちをかけるかのようにやたらと犬が僕に吠える。
「ごめんごめん。君に危害は加えないよ?」
一方で、優しくそびえ立つ銀杏と仄かに射す木漏れ日が、僕を落ち着かせてくれた。
東京都千代田区◯◯ビル
ここだ。
取り繕った身なりと身分を携えて、
あって無いような警備を越えて僕はビルに入る。
目的のフロアは8階。
決して強心臓ではない僕のそれは、あからまさに心拍数をあげた。
動悸が始まる。目眩すらする。脇汗がTシャツの吸水性を越えて、僕の脇腹を滴る。
明らかに違う類いの滴が、僕の左手の中を満たす。
手には、一枚の写真。
「加奈子…」
僕は目的地の前にいる。
「お忙しいところ失礼します。少しばかり聞いてほしいお話があります。」
全員の視線が僕に集まった。ざっと40人はいるだろうか。
奥には課長らしき人もいて、業務用の顔つきで僕を見ている。
僕はそんなことより、一ヶ所の空席に釘付けになった。
どこなく懐かしい雰囲気、匂い、色。
僕は頭が真っ白になった。
そこから先は覚えていない。
僕がビルを出る時、警備員は血相変えて誰かとやりとりしていて、僕に見向きもしてくれなかった。
心地よい風を感じる。
銀杏並木が、日の光を浴びて黄金に輝いている。
突然、左手に痛みが走った。
開くと、赤いTシャツを着た女性が頬を赤らめて僕を見つめていた。