石と油
そのまま、インペルと、ゼラスの間に暫く沈黙があった後、インペルは自らの膝をパシリと叩いた。
「それで? 君も何か相談事でもあったんじゃないのか?」
そう言って、インペルはゼラスの顔を見て、にやりと笑った。
「……まあ、そのつもりだったんだがな。」
ゼラスは難しそうに首を傾げた。
「疲れているんだろう? そう、簡単な話でもない。休んだ方がいいだろう。」
そういうゼラスを、インペルは笑った。
「大丈夫だ。死にはしない。クックック。」
ゼラスは呆れた様に、首を振った。
「笑えんぞ? 似合わない事をするな。」
吸血鬼は、種別上アンデットに分類される。
インペルの言った事は、”そういう”類のジョークであった。
「似合わない事は無いだろう。あの堅物と一緒にされては困る。」
インペルは、心外そうなふりをした。
それから、
「まあ、真面目な話。内政の話であれば、ユリンに話を回すのが筋という物なんだがね。彼女は、私なんかよりもさらに忙しいからね……。」
そこまで話して、意味深に言葉を切った。
それから、すっと腰を正した。
「私が一度預かろうというだけだよ。執政官であり、師団長様であらされる君の悩みだ。解決できれば、確実に国民の為になるであろう案件だ。……そうだろう?」
言い終わるとインペルはにっと笑った。
調子が出て来たのか、足を組んで、膝の上でさらに手を組み、ゼラスの顔を覗き込む。
ゼラスは、先ほどと打って変わって、元気を出し始めたインペルに薄気味悪さを覚えて、顔を顰めた。
「いやに、やる気じゃないか。」
訝し気なゼラスを見て、インペルは再び笑った。
「ククク。いや、何、気にするな。……ただ、一つ君に言える事は、私はこれでも、今の生活を楽しんでいるのだよ。筋とは言ったが、情報連携さえ怠らなければ、別に口出しするなと言われている訳ではないしね。」
ゼラスには、解る様な解らない様な、おかしな感覚を与えながら、インペルは手を広げて見せた。
その妙な仕草にも、意味があるのか、無いのか、ゼラスは気になって、
しかし、ああ、インペルの術中だと、首を振って考えるのを諦めた。
ゼラスは肩を竦めて、インペルを見返した。
「……。」
「……。」
「はあ、要点は二つだ。」
結局、ゼラスが折れた。
此処まで粘られて、話さず置くのもおかしな話に思えた。
別に、インペルは敵という訳では無いし、もともと、彼はこういう男なのだ。
彼の仕草や行動は、いちいち人を不安にさせ、正常な判断を誤らせる。
何故このような男を外交の責任者に置いたのか、ゼラスにはアニムの考えが解らなかった。
「一つは、溶石と呼ばれている石は解るか?」
ゼラスが問うと、インペルは首を傾げ、それからゼラスと目を合わせ、顎を上げた。
「見た目は、ただの黒い石だな。火をつけると勢いよく燃えて、水のようなにドロドロ溶ける変な石だ。」
ゼラスの説明を、インペルは左手を顎に当て、興味深そうに聞いていた。
「珍妙だな。」
「ああ、調べてみたが、スカリオン地方では豊富に取れるらしい。燃料として使われるのが一般的だが、溶けた後の炭液の処理が面倒なのと、スカリオンでは、集落単位でも植物油を取ってるからな。まったくといっていい程、使用されている形跡はなかった。」
インペルは頷いた。
スカリオンの熱資源の主が、植物油である事は、以前より知識として知っていた。
「まあ、その溶石なんだが、スカリオンでは其処等中の坑道で取れる。鉱夫の死亡原因の殆どが、落盤じゃなくて誤発火による焼死や窒息っていうくらいにはな。」
インペルは、眉を顰めた。
「そんなにか?」
「ああ。鶴嘴で叩いた火花でも発火するからな。かなりの危険物だ。ただ、ベンデル王家はこれを大量に採掘して、北のサルファディアに輸出していたらしい。これを一つの産業にして……相当、儲けていたようだよ。」
インペルは、眉をぴくりと上げた。
報告では、ベンデルには、首都ゴルドにおける武器等の鍛冶製品以外に、然したる産業は無いという事であった。
「実際は、他の金属の鉱夫とは違って、特別危険だからな。採取しているのは、別職種の専門鉱夫だったんだが、一括りで鉱夫として認識していたらしい。今は、もっと細かく調査して、今度まとめて報告するから、今日は勘弁してくれ。」
インペルは頷く。
「ふむ。君が部下をどう叱るかは、君しだいだ。まあ、プロセンは煩かろうがな。」
ゼラスはインペルの言葉を聞いて、肩を落としたが、すぐに気を取り直した。
それは、今、問題では無い。
プロセンから責められたならば、ただでさえ問題の多い地域なのだから、もっと人手を寄越せと、逆に詰め寄ってやる位の事はしてやるつもりであった。
「ああ、解っている。……でだ、肝心の売り先であるサルファディアとの交易が途絶えているだろう? あの扱いにくい溶石が、数年分は売りに出せるほど、倉庫にパンパンだ。サルファディアが溶石を何に使っていたかは解らんが、危なくてしょうがない。ちなみに、溶石はあくまで売り物であって、ベンデルも、主な燃料は動物油だ。最近は、中央からの魔石もあって、溶石の使い道は全くない。」
そう言うと、ゼラスは嘴を閉じた
インペルは懐から、紙束を取り出すと、そこへ何か書き付けている。
「単純に捨てるという訳にはいかんのだな?」
「ああ、危険だな。もしもが怖い。魔法で砂に混ぜて、埋め直そうかという案もあったんだが、魔法は雑だからな。ガチャガチャと混ぜる時の摩擦で発火したらしい。……爆発はしなかったが、半日程燃え続けた上に、大量の炭液塗れになって、掃除が最悪だった。」
ゼラスは忌々しく首を振った。
「その炭液という物に使い道は無いのか?」
「鍛治師が少量使うようだが、そんなに大量には使わないそうだ。」
インペルは数秒一人で考えて、眉を顰める。
一瞬、闇に紛れて、オリエテムの首都に降らしてやろうか、とも考えた。
しかし、炭液という証拠が残るし、交易に使っていたくらいだから、どうとでも足が付きそうである。
プロセンとユリンも黙っていないだろう事が予想できた。
「すぐには解決しないな。ユリン達にも話を伝えておく。」
「ああ、助かる。一応、こちらでも考えているが、何か思いついたら連絡を飛ばしてくれ。」
ゼラスがそう言うと、インペルもうなずいた。
「それと、もう一点の方だが……。」
そう話し出すゼラスに、一瞬、インペルが眉を上げた。
(そう言えば、相談は2件であったな……。)
「こちらは、黒油の話だ。
一瞬、穀油? と、何の話か分からなかったインペル。
しかし、すぐに思い当たるものを思い出した。
「こくゆというと……ああ、あれか。陛下が原油と呼んでいる奴だな? 食用には使えないとの事だが、随分ご執心らしいな。ベンデル地方は戦略資源まみれだと……。陛下の個人資産で研究の奨励がなされているとか聞いたが、厄介なのか?」
原油の有用性を知らないインペルは、肩を竦めて見せた。
「いや、厄介という事は無い。いろいろ手を加える必要はあるが、魔石と違って扱いやすく、色々な物に化けると、アルケミスト達も、随分楽しそうではあるよ。」
ミコ・サルウェには、他国には無い非常に有用な熱資源として、魔石が存在している。
ただ、魔石にも問題点という物があって、作り手によって安定しないのだ。
最近、ようやくサイズだけでも、一定にしようという動きはあるが、石と余剰魔力で出来ている以上、一つとして同じものが無いのだ。
電圧と容量とサイズが全てバラバラな電池というのが魔石であった。
「ほう。」
インペルは眉を上げた。
彼にしても、良く分からない、汚らしく見える粘度の高いヘドロの様な油の塊に、有用性があるという情報は、非常に朗報であった。
原油に関して、ミコ・サルウェでは、錬金術によって、早くから石油分離などに成功したようである。
地球文明に沿った、本来の文明段階で言えば、焼夷弾に似た兵器か、接着剤の様に利用されていた程度であって、本格的な油や化学繊維、プラスチックの発明となると19世紀に入ってからであった。
「それで、何が問題なんだ? 順調そうじゃないか。」
インペルの言葉に、ゼラスは何故か、言いずらそうに頭を掻いた。
「順調は、順調なんだがな……。ウチとしては、これを何とかして、商品化、産業化したいと思っているんだよ。お前も知っている様に、研究費用は陛下の個人資産から出ているんだ。……だから、定期的に自分が金の無心に来ているんだけどな? 恐れ多いだろ? 私にも立場があるしだな……陛下もその為に、色々と切り詰めていると聞く。何とかしたい。」
ゼラスは心底、困っている様に肩を落とした。
なお、アニムがカードパックを購入するためのゴールドは、アニムが召喚した土地から、自然発生している。
しかし、これはクニシラセ上にのみ存在している、 空想上のお金である事は、建国して早々に解った事であった。
パックに使用したゴールドは、何処へも廻らず消える。
毎日の様に土地から産まれるゴールドに、アニムは自分が使わなければ、どんどんと国内の貨幣量が増えてしまうのでは無いか。
国内のインフレ、デフレを自分が制御しなくてはならないのかと、戦々恐々としていたのであったが、実際は完全な杞憂であった。
ミコ・サルウェ国内には、多少の金山と、充分な鉄鉱山。
それから、アニムから見ればファンタジー鉱石が取れる地域がいくつか存在していた。
ゆえに、現在は造幣局もあって、一般取引に使われている貨幣を鉄貨として、国からの贈答、および大口の取引に於いてのみ使われる金判が存在していた。
その見た目、鉄貨の方は、アニムが口頭で伝えたために、穴は開いていないが、農業を表す稲穂と、水産業を表す水に、工業を表す歯車の絵が描かれており、日本の五円玉を意識したものとなっていた。
金判の方は、贈答用という事もあって、四角い金板合金に、桜花紋とソール・オムナス城が彫り込まれた、如何にもという豪華な作りであって、一生に一度は手に入れたい芸術品と言われていた。
インペルはゼラスの話を聞くと、足を組み替えて、また数秒思案した。
「……なるほどな。それは、そうか。……でも、ただ油のまんまじゃあ、値はつかないよな。」
この国には魔石という物がある為に、原油から燃料が取れたからといって、第2次産業革命の様には行かないだろう。
恐らく、選択肢が広がる事による、既存資源の値下がりが起こる位の影響でしかない。
「そうだろうな。インペルの言う通りだ。最大出力では、どう考えても魔石には劣る。魔石では難しい繊細な……何かを探しているんだがなァ……。」
インペルは頷いた。
「いっそ……。鍛治町は、残念だが、人間よりもっと優秀な連中が中央に居るからな。黒油製品を燃料に動く工業製品を作る街に、方向性を動かしていった方が、長い目で見れば街の為になるかも知れんよ?」
ゼラスは嘴をなでた。
「むう……。だが、工業製品といっても、それを作る技術者はどうする?」
「人手不足は、何処も同じだよ。一から育てるしかあるまい?」
インペルの言葉にゼラスは、目を瞑り黙り込んだ。
そして、その内に光明が見えたのか、深く頷いて目を開けた。
「それが……良いかも知れんな。幸い、国の一生は、我々の努力次第で、ヒトよりも幾らでも長く続く。陛下には申し訳ないが、どっしりとした土台を築くための時間を頂けるよう、私も頭を下げ続けようではないか。」
そう言うとゼラスは、世話になったとインペルに頭を下げて、部屋を出て行こうとした。
それをインペルが呼び止める。
「ゼラス。」
ゼラスが振り向くと、インペルが人差し指を立てて、それをゼラスに向けていた。
「一つ、いい情報がある。もし君が、これを上手く使えれば、きっと助けになるだろう。」
「なんだ?」
「実はな。……。」
インペルが話し始めた、その瞬間、二人は互いに動きを止めた。
二人に対して、アニムから呼び出しがかかったのだ。
肝心な話の途中である。
しかし、ただ連絡を飛ばす訳ではなく、呼びつけるとなると、少なくとも平時の話ではない事は確かであった。
二人は視線を合わせると、心当たりはあるか? と、お互いに探りを入れた。
しかし、互いに心辺りは無く、ゼラス、インペルの順に首を振った。
「陛下を待たせるわけにはいかない。急ごう。」
ゼラスが扉を開いて、インペルを急かした。
「ああ。先ほどの続きは後でいいか?」
「道すがらは、話せんのか?」
二人はそう、話しながら、扉から出て行った。