コペレティオ2
シンクはオルガ達と食を囲う。
中央に置かれた鍋には、スノーロアと呼ばれる、雪の中を泳ぐ小さなサメを、山羊の親戚の様な動物から揺れる乳で煮込んだものだ。
見た目はサメなのだが、蛇に近い生き物なのだろう。
スノーロアの肉には麻痺毒があり、そのまま食べると、数時間は四肢が力まず、随分と苦労する事になる。
しかし、その毒性は乳で煮込む事で、無害水準に緩和する事ができた。
そして、その毒はピリピリと辛く、香辛料いらずの貴重なタンパク源として、言うなれば、精のつく、ちょっとしたご馳走の様な物として親しまれていた。
辛みの苦手なシンクも、乳で煮込まれているため、辛みが飛ぶことはないが、少しまろやかに食べれるため、好きな部類に入る料理であった。
「おう! オルガ。」
一人の男が現れた。
40後半ごろの年配で、黄色と黒の布を縞々に織り込んだ独特な布で全身を包んでおり、雪の中でも大変よく目立った。
彼は何か目印のつもりなのだろうか、冠の様に、頭にも黄色と黒の布塊を乗せていた。
「キヤか。全員着いたか。」
キヤと呼ばれた男は、人好きのする顔をくしゃりと笑顔の形に歪めた。
「ああ、今回はツイてるぞ。まだ、誰もやられてないし、アーリヨンまで現れた!きっと今回は上手く行く!」
実際は、まだまだ、山越えはこれからと言う所。
上手く行くかは分からない。
しかし、この男はそう敢えて口に出すことで、皆に言霊をかけて回っているのだ。
オルガとキヤが話している間、シンクはターナにキヤの事を聞いていた。
「知り合いなの?」
良い関係なのだろう、ターナはにこやかに答える。
「ええ、彼は連絡隊の常連で、……確か、今回で十……何回目になるのかしら。」
「そんなに?」
シンクは眉を上げて、キヤの事を見つめる。
「私たちも、前回、初めての時は、色々と教えてもらったわ。」
シンクは、口の端に笑みを湛えて談笑しているオルガの姿を見た。
何時もむっつりとした彼には珍しい事だ。
「勝手な想像だけど、商人同士って、競争でもっとギスギスしているものだと思っていたわ。」
ターナは少し、困ったような笑みを浮かべる。
「勿論、そうなってしまう相手もいるけれど……そればっかりではないわ。特に、このコペレティオはね。」
そこで一度、言葉を切り、ターナもキヤの方を見る。
「それにね。キヤさんは、私たちみたいな、街に溶石を持ち帰る商人じゃないのよ。」
シンクは首を傾げる。
「コペレティオで生き延びるのは、けして楽ではないわ。でも、例えば、私たちが帰れなかったとしたら、オリムとその周辺の村落は溶石が無くなって困るでしょ?」
シンクは口をへの字に曲げて、難しい顔をする。
「それは……そうね。」
「だから、そういう事に備えて、タルカス将軍が個人的に、何人か商人をお抱えになっていて、予備の石を買い付けているのよ。キヤさんは、その中でも一番大きな組を率いているわ。」
シンクは予想外にタルカスの名前を聞いて、顔を強張らせる。
タルカス・アラベッラはシンクを王宮から放逐した男だ。
(……タルカス。)
シンクの中で黒い何かがざわざわと蠢いた。
「……? どうしたの? 何か、恐い顔をしているわよ?」
ターナに言われてはっとする。
そして、取り繕うように笑った。
「あ~……ハハハ。なんでもないわ……ごめんなさい。」
ターナは訝し気な表情をシンクに向けた。
「随分前……先生の所に住み込む前にちょっと……あってね。」
ターナは眉を上げた。
「え?……それは、タルカス将軍と?」
「ええ。」
シンクは苦い笑みを浮かべている。
「……そう。……まあ、貴方は王都から来たんですものね? そういう事もあるのね……。」
オルガとのやり取りで、良いとこの出である、とは聞いている。
それであれば、彼女と将軍が何かの機会に会う事もあるのかもしれない。
そして、ターナにとって良い人が、常に、だれに対しても、良い人であるとは限らない事は彼女も骨身に染みて、十分理解していた。
気まずい空気が流れる。
「嫌な事を思い出させて、ごめんなさいね。」
少し遠慮がちにターナが謝罪する。
「いいのよ。こちらこそ、ごめんなさい。もう、昔の話だと思っていたんだけど、まだ……ダメ見たい。」
そう言って儚げに笑って見せた。
その時だった。
「ん……オルガ?……お前。」
ターナにも挨拶をするつもりだったのだろう。
キヤが此方に歩いてきて、シンクを見つけるとオルガの方へと振りかえった。
「お前! この山脈に娘を連れて来たのか!?」
キヤの声には怒りが滲んでいた。
身長のせいで、年齢よりも随分幼く見えるシンク。
キヤは、オルガが自分の娘を、危険な山脈につれて来たのかと、勘違いしたのだ。
「まて! 違う! 留学生をターナが留め措いてるだけだ!」
オルガがいつもの仏頂面を顰めて、そう返す。
「留学生?」
キヤはゆっくりと、見定める様にシンクを見る。
タルカスの配下であると聞いている上に、それが無くても気の強いシンクである。
そのようにじろじろと、不躾な真似をされれば、どうするか。
先程を知るターナは、嫌な予感を感じた。
シンクは、すっと立ち上がると、眉を吊り上げた。
「ちょっと貴方! 私はもう18よ! 文句があるなら行って御覧なさいな!」
他のサルファディア人同様、大柄なキヤに対して、一歩もひるまず、それどころか腰に手を当てて睨みつけると、片方の手指を突き付けて、威圧して見せた。
「な!?……。」
子供だと思っていたキヤは、あまりの反応に、思わず絶句してしまった。
キヤはターナに視線だけ移した。
「……本当なのか?」
なんとか、それだけを絞り出した。
ただ、貴族でも無ければ、戸籍も無いこの国で、身分を証明するものなどほとんど無い。
「だから、文句があるなら言いなさいと言っているでしょう?背が低かったら、貴方はいつまでも子供扱いするつもり!?」
シンクは畳みかける様に、噛みつくと、焦ったターナが前から抱きしめる様に、シンクを抑える。
「ちょっと、ちょっと、その辺りで、ね? キヤさんも悪意があっての事ではないと思うわ。」
「んー……。」
それでも、シンクはキヤを睨みつけている。
「……。」
「……。」
睨みつけるシンクと、呆気にとられるキヤ。
しばらく、沈黙するが、急にキヤが笑いだした。
「はっはつは!! 嬢ちゃん! 俺が悪かった! 確かに、その性格の強さはターナの娘では無さそうだ!! はっはっは!!」
シンクはむっと、どういう意味か問いただしてやろうか、とも考えた。
しかし、これ以上はターナに悪いと、一瞬むすっとした表情を作るのみで、鉾を収めた。
その後、短絡的ではあるが、タルカスの配下という事もあって、あまり、積極的に交流したいとも思えず、また、関わると余計な事を言いそうだと考えた。
シンクはキヤがいる間、”私に話しかけるな”と言うように、不機嫌そうにむすっとした表情を作っていた。
5分ほど、ターナとも話をして、キヤは去っていった。
そして、その後。
「おい。お前。」
怒気を孕んだ声で、オルガがシンクに呼びかけた。
「なによ?」
シンクが反応する。
しかし、オルガはきつい眼差しで、睨みつける。
シンクは不満そうに口を尖らせた。
「先に礼儀を欠いたのはあちらよ?」
「まあまあ。」
ターナが取りなそうとする。
しかし、オルガは許さなかった。
「ここの連中は、ただの商売敵じゃない! 自然と魔物、まわりを敵に囲まれて、時にキヤの死体を、逆にキヤが俺の死体を乗り越えて、故郷にたどり着かねばならないんだ。俺たちは全員でコペレティオという一つの部隊だ! それが解らんようなら、お前と共に山脈は越えられん。失せろ!」
はっきりとした強い言葉が、シンクの胸に打ち付けられた。
誰かが帰れなければ、その分、国に持ち帰れる溶石の総数は減る。
逆になるべく多ければ、溶石の値段も下がり、国の全員が助かるのだ。
オルガはコペレティオは、商隊ではなく部隊であると言う。
彼らは商売という形で、国の生命線を守る兵士なのだ。
驚きや、怒り、悲しみ、様々な感情がシンクの中を、流れ、現れ、現れ、流れ、去っていった。
そして、最後はしゅんと俯いて
「ごめんなさい……もう、しないわ。」
謝罪した。
オルガはその様子を見届ける。
「ふん。……もうすぐ、暗くなる。風よけを張って、もう休むぞ。お前とカルスは、何処か前登者達が打った杭が残っているはずだ。緩みが無いか確認しろ。ターナとアギミはここらの片づけを頼む。」
皆に指示を出していく。
「わかったわ。」
「ええ。」
そうして、皆、三々五々、己の役割をこなしていく。
山の初日はそうやって過ぎて行くのであった。