オルガとターナ
その場に残されたシンクと中年男。
「私はクレアよ。貴方は?」
シンクは、偽名で男に話しかけた。
「……オルガだ。」
男:オルガは低く静かな声で答えた。
「そう。随分な男に絡まれていたわね。」
そう、シンクが話を続けると、オルガはその話には乗らずに険しい顔でシンクをねめつけた。
「一つ忠告をしておく。……余計な事に首を突っ込むな。ほっておいても、あの程度はどうとでもなる。」
「あら、そう? じゃあ、やっぱりワザとだったのね?」
「……。」
オルガは、シンクの問いかけに、むっつりとしたまま応えない。
それに対して、シンクは周りを見渡した。
「皆、ピリピリしているものね。」
オルガは、ふん、と鼻を鳴らした。
「だから、なんだ?」
シンクは眉を吊り上げて見せる。
「じゃあ、貴方は私の敵ね。あの騒がしい男を意図して放っておいたんだもの。皆が苛立って、あの男が叩きだされるのを画策したんでしょ? そしたら、他の私兵持ちの商人より私が先に口出ししてしまった。私があの男に襲われていたらどうしてくれるの?」
オルガは再び鼻を鳴らす。
そして、面倒くさそうにため息を吐くと、手を払った。
「失せな。商売の邪魔だ。」
「どうせ、お客なんてほとんど残っていないわ。それに貴方は私の敵だって言ったでしょ? ベンデルに着いたら、貴方は他の商人をはめた上に、私を危険な目にあわせた信用できない男だって言いふらしてやるわ。」
シンクは腰に手を当てて、口をへの字に曲げる。
オルガの目が大きく開かれた。
「無茶苦茶だ!! 何なんだお前はさっきから!? ちっ! ……金が欲しいのか?」
オルガは面倒なタカリに絡まれたのかと、忌々しく考えた。
それは、正しく、同時に正しくない。
「いらないわよ。私が求めているのはお金じゃないの。」
「あん?」
シンクは、そこから見える、留学生たちがいるテントを指さした。
「あそこ、居心地悪いのよ。私の足じゃ、思っていたより時間がかかっちゃって。今日ついたんだけど。貴方のアーツを間借りさせて欲しいのよ。」
「……”間に合ってる”。金で納得しろ。」
オルガは眉を上げてから、再び忌々しそうに吐き捨てた。
この時、オルガはシンクの事を娼婦の押し売りか、一夜限りを求めてふらつく、そういう女かと勘違いした。
これはシンクが悪い。
10人単位で利用する大型のテントとは言え、男のテントに押しかけようとする女など、そう思われても仕方がなかった。
「……。」
シンクは不満そうにする。
「……。ターナ!」
口をへの字に曲げて、梃子でも動かない様子のシンクに、オルガはため息を吐き、テントに向かって声を掛けた。
間もなく、奥から大人の女が現れた。
背の低いシンクよりも、頭三つほど大きい。
しかし、この国で言えば標準的な身長だ。
「妻だ。」
オルガの勘違いに気付いたシンクは、氷の様に冷たい視線でオルガを見る。
「あら、そう。言っておくけど、私は娼婦じゃないわ。本当に困っている留学生よ。」
シンクは、そういってターナの方を向く。
「こんにちは。私はクレアよ。 旦那さんのアーツの一部を間借りさせてほしいのよ。」
しかし、呼ばれて急に、その様な事を言われても、ターナとしては困ってしまう。
どういう事なのか、説明してくれと、自らの旦那へと言った。
「こいつが難癖つけて、テントに入れろと言うんだ。」
「何よ!。私が押し込められているアーツが窮屈だから、余裕がありそうな貴方のアーツに入れてって言ってるだけでしょ? サルファディア人の癖に助け合いの精神が無いの?」
『サルファディア人の助け合いの精神』とは、アヴィアがこの二年間、度々、シンクに教え聞かせていたものであった。
時に、夏でも雪が降るサルファディア。
余りに厳しい生活環境が故、世捨て人の様に、一人で生きていく等という事は、不可能である。
そして、サルファディアの国民達は、常々に、困っている人間は助けよと、助け合いの大切さを子供のころから徹底して大人たちに説かれて育つのだ。
故に、助け合いの精神がない、という言葉は、この国においては、言葉以上に重く響き、人の皮を被った畜生、くらいのニュアンスとして相手に伝わった。
当然、オルガは鼻白んだ。
しかし、彼にとっての災難は、妻であるターナが、シンクの事情に理解を示した事だ。
「ああ……確かにあっちは随分と詰め込まれているものね……。若い女の子にはつらいかも知れないわ。」
オルガは妻の裏切りに眉を上げた。
「そうでしょ? 別に明日には出るんだし、今日一日くらい良いじゃない?」
ターナは一瞬考える。
そして、
「ねえ、貴方。別に良いんじゃないかしら? 積み荷もこの子に盗めるような物じゃないし……。」
そう、ターナはオルガに告げる。
シンクはそれを聞いて、興味本位で質問する。
「貴方達は、ベンデルで何を売るつもりなの?」
ターナがちらりとオルガに視線を投げかける。
「……連銀鋼と……受け取ってくれるかは解らんが、クワァムが一匹だ。」
連銀鋼とは、銀に特殊な加工を施したもので、軽く魔力伝達の良いミスリル銀とは、真逆の性質を持たせた物である。
シンクは、オルガが商人にしては、筋肉質な理由を理解した。
魔力をはじき、とにかく重い連銀鋼は、もともとの身体に物理的な力が備わっていなければ盗むことは愚か、動かすことも困難。
王宮に居た頃に比べれば、人並みには筋肉が付いてきたとは言えども、確かにシンクに、これを盗み出すことは無理だろう。
一方、クワァムというのは、雪に埋もれぬ為か、しゅっと足が長く、足先だけが大きめに広がった、サルファディア原産の地竜である。
しっとりと白い体毛は、雪の精霊が乗り移るという伝承がある。
「受け取ってもらえないってどういう事?」
そう聞いたシンクに対して、オルガは諦める様にため息を吐いた、
「あれは、ベンデルのモノ好き商人からの依頼の品だ。……ただ、前回の越境から何年もたっている。多少金は入るだろうが、やっぱりいらんと言われる事は充分考えられるんだ……。」
とはいえ、商売人である以上、約束や依頼は守らねばならない。
なお、こちらはシンクでも盗める。
しかし、山に入る手間を考えなければ、シンクでも見つけられるサルファディアでは普通の生き物だ。
しかも、人懐っこい。
オルガを困らせる以外の理由で、盗む利点は存在しなかった。
「そうなのね。……って、別に私は盗人じゃないわ。失礼ね。」
シンクは口を尖らせた。
「なんなら宿泊費くらいなら払うわ……まあ、そんなに多くは持ってないけど……。」
そういって、始めてシンクは、少し弱った表情を見せた。
そんなシンクをオルガは睨みつける。
オルガの心の本当は、拒絶してやりたいと思っていた。
しかし、先ほどの助け合いの精神と言う言葉、その思想の楔が、重たい鎖となってオルガの胸を後ろめたく、締め付けた。
オルガは、ちらりと自らの妻であるターナを見て、目を細めた。
そして、ふん、と鼻を鳴らす。
「……ふん。いらねえよ。……入れ。」
そう言って、面白くなさげに、顎でアーツを示した。
シンクはそれに対して、美しく微笑んだ。
「ありがとう。」