アルサンテゥスの村
サルファディアの最南にあり、ベンデル王国との国境をわかつ、ベルデルディア山脈の麓。
そこに、アルサンテゥスの村はあった。
雪の中に国ごと置いて行かれたかのようなサルファディアにおいては、この村の特殊性故か、比較的裕福な村であった。
アルサンテゥスにある石作りの家。
家の中は竈と一体化したような暖炉の御蔭で非常に暖かかった。
中には二人の女が居た。
一方は、長い群青髪を頭の後ろで結わえた、美しく若い娘、シンク=レア=クリムガルドだ。
この2年間、シンクはベルデルディア山脈の麓の村、アヴィア・アブカルと名乗る中年過ぎの村女に拾われていた。
アヴィアは、はすっぱな物言いをする女である。
特に、王宮に居たシンクの目には、物ごとに頓着しない、酷くガサツな女にみえた。
ただしその癖、非常に面倒見の良い質で、何もできない、明らかな訳アリのシンクにも、生活の術をイチから仕込んでくれていた、情の熱い女でもあった。
シンクは彼女に、村が廃村化し、住むを追われて流れて来た、と告げている。
しかし、それ以上の何故何は、問われなかった。
何故問われないのかは分からない。
しかし、シンクは好都合に甘え、敢えて藪を突く行いはしなかった。
もしかしたら、シンクの体躯は、サルファディア人としては、非常に小さい。
実は、本当は凄く幼いとか、何か障害でもあって身体が成長しにくいとか、そんな事を思われているのではと、シンクの中では、そんな予想を立てていた。
シンクはアヴィアと二人、夕食の準備をしていた。
シンクが、暖炉竈の上で蒸していた厚めの木で編まれた蒸籠を除けると、アヴィアが代わりにそこへ、鉄でできた鍋を置いた。
「後は、こいつを温めるだけだ。クレア。もう飯だって、クソ爺呼んで来て。」
なお、クレアとは、シンクの偽名である。
名前であるシンクの後ろと、幼名に当たるレアを合わせた物。
そして、クソ爺とは、共に暮らす、アヴィアの父の事である。
アヴィアの、自らの父に対する、あんまりな呼び方に、シンクは始め、唖然とした。
しかし、
「昔、失踪した許嫁の名前を、娘に付けるような奴は、クソ爺で十分だ。」
そう、聞いてしまうと、何を言ったら良いものか。
むしろ、あえて触れない方が良い気がして、そのままにしてしまった。
アヴィアの父の名はアルドーと言い、流石にシンクは、彼を名前で呼んでいる。
シンクは外に出る準備をする。
今は春。
しかし、これが夏であっても、サルファディアにおいて、少し外に出るだけでも、そのままはいけない
シンクは、上に三枚の布を巻き付け、留め金代わりの、皮で出来たズボンをはいた。
熱を逃がさない為に作られた、二重の扉を開けて外に出る。
「アルドー! 夕食が出来たわ。戻ってきて!」
シンクは外に向かって呼びかけた。
サルファディアは、通年を通して、殆どを雪に覆われている様な土地。
しかし幸い、雪下でも育つ作物と言う物があるもので、テテという芋を、この辺りの人間は育てていた。
広大という程もないが、真っ白な畑の中で、一人、シンクの声掛けに反応した男がいる。
防寒の為に、何重にも布を巻き付け、雪だるまの様になっている男。
彼は、シンクの方をじっと見つめ、何も言わない。
理解したという事だろうか。
アルドーは、別に寡黙な老人と言う訳では無かったが、なんだろうか。
シンクは内心では返事くらいしなさいよと思う。
しかし、娘であるアヴィアが、”ああ”なので、自分まで口うるさく、粗雑に扱うのは良くない。
拾ってもらった恩義もある。
まるで、自分たちが、祖父を虐める母娘の様に思え、躊躇われた。
なお、アルドーの妻はすでに他界し、アヴィアも未だ未婚と聞いている。
シンクは再び、家に戻り、防寒用の布を身体から剥いでいく。。
不便ではあるが、サルファディア国民の間では、当たり前に行われている事であった。
これは王宮から市井に下り、シンクが初めて知ったことである。
貴族や都市部の金持ちは、毛の長い動物の毛で、モコモコとした服を着るのが普通であり、それは一枚着れば十分に暖かい物であったし、シンクも以前はそういった服を着ていた。
しかし、それは非常に高価で、お金の無い庶民はこうして、安い麻布を帯状に縫い合わせて、大きな帯び布を作って、それを身体にぴっちりと巻き付けていた。
それが、彼等にとって、もっとも遊びが出ない、布地の無駄ない着こなしであったのだ。
シンクが麻布を片付けたあたりで、再び、入り戸が開かれ、アルドーが入ってきた。
外からの凍てつく寒気にシンクは、そして、中の暖気にアルドーが、僅かに顔を顰める。
家の中では、暖炉が焚かれて暖かい。
長時間、外に居た、いても問題の無い格好のアルドーには、酷く暑く感じたのだろう。
アルドーはいそいそと、身体に巻き付けた布を剥がし始めた。
彼は暖炉を忌々し気に一瞥した。
今も、暖炉の中では、溶石と呼ばれる石が煌々と燃え盛っている。
溶石とは、石炭に近しい鉱石で、火に放つとドロドロと溶けながら、長く強く燃えてくれる物である。
不便な点も多い。
しかし、サルファディアにとっては、貴重な熱量源であった。
なお、自国内では少量しか取れない為、サルファディアは友好国であるベンデルからの輸入に頼っていた。
食卓のある部屋にシンクが戻ると、アヴィアが既に配膳を終えていた。
「呼んできたわ。」
「ああ、そうかい。じゃあ、自分の席に座んな。」
言葉だけでは素っ気ない。
しかし、言いながらの彼女は笑顔であり、シンクの乱れた髪を手櫛で整えてくれた。
「いやだわ。別に誰か居るわけじゃないでしょ?」
不意にそうされたシンクは、恥ずかしそうにむずがる。
「女っていうのは、誰が見てなくても、綺麗で居ようとしなくちゃ駄目さ。」
「それなら、綺麗な女のアヴィアこそ、早くいい人を見つけないさいよ。」
アヴィアは決して美人と言うなりではない。
皮肉を交えた憎まれ口だ。
シンクは頬をぐいっと抓られる。
「そういう可愛くない事ばかり言っていると、アタシみたいに、とうとう貰い手が無くなっちまうよ?」
しかし、シンクは頬を膨らませて、頬を摘まむ指に対抗しようとする。
勿論、アヴィアの指を押し返せるほど、シンクの頬は強くない。
「何をしてるんだい……あんたは……。」
そういって、呆れた様子で、アヴィアは手を離した。
「ふふん。」
シンクは何故か得意げだ。
彼女にとっては、先に頬を解放したアヴィアの負けという事で、話は進んいる様であった。
彼女たちにしか解らないコミュニケーションをしている所へ、アルドーが入ってきて、夕食が始まった。
アルドーとアヴィアは早食いで、対照的にシンクは非常に遅かった。
シンクは、いつもの様に、二人が一息に食べ終わった後も、小さな口でハフハフと、蒸かしたテテを口に押し込んでいく。
王宮であれば、むしろ、ゆっくり食べる方が良いとされていたし、体温を下げない為なのか、調理には辛い香辛料を含むのが、庶民の料理の常であって、それが、彼女にとってはつらい所であった。
香辛料はリーリといって、サルファディア中、何処にでも生えている雑草である。
「ルファに聞いたぞ。」
アルドーは白湯を飲みながら、話始めた。
「?」
「今年の夏は、ついにベンデルへの連絡隊が再開するらしい。」
「……。」
「……。」
本来、それは喜ばしい事。
しかし、二人の表情は深刻めいていて、一瞬、沈黙が訪れた。
アヴィアは一瞬ちらりとシンクに視線を向けて、アルドーの方へ向き直る。
「それは、……助かるね……。上手いってくれないと、もう溶石の値段が限界だよ。」
コペレティオは、およそ100人~130人規模でベルデルディア山脈を越える人の群れだ。
サルファディアと友好国のベンデルの間で、数年前までは定期的に繰り返されてきた。
しかし、政変の混乱から落ち着かず、サルファディアからは停止しており、何故か時を同じくした頃から、ベンデル側からも途絶えていた。
100人の内訳は、留学生がそこそこで、残りはサルファディアの生命線である溶石を扱う商人と、その私兵で構成されていた。
かつては貴族や役人たちもいたが、その危険性から風説書を複数、商人に持たせ、自らは参加しなくなっていった。
「今の王様は、大層立派な角をお持ちな様だけど……なんにも変わらないね……。それどころか、前よりも生活は苦しくなっていってる気がするよ……。」
アヴィアが疲れた声で呟いた。
なお、前王家は倒れたが、王角によって政治の正当性を担保しているために、クリムガルド朝から、アデアス朝に変わっただけで、政変後もサルファディアの名前や、政治体制は残っていた。
アデアスは、現王リシドが王座に就く際、自らにつけた姓である。
「王角煌めき、我等を、豊穣の大地へと誘われるだろう。」
そう、アルドーが呟く。
これは、サルファディアの昔語りに登場する一節で、この国の誕生に深くかかわっている文言である。
当然、シンクも良く知る文言で、王権の根拠ともなっていた。
シンクは、元々好きでもないテテが、更に喉を通らなくなるのを感じた。
「豊穣の大地ってのは、どんな所さ?」
アヴィアは、どこか遠くを眺める様に呟いた。
彼女たちは緑の大地を知らない。
彼女たちにとって、大地とは常に白く、冷たい物であった。
アルドーは首を振る。
「植物豊かで、雪の降らないところだと良いな……。」
アルドーも目をわずかに細め、何処か遠くを、ここのは無い物を見つめる表情をした。
そのアルドーの表情を見る、力無き倒れた王家の姫。
シンクの胸に冷たく生臭い槍が、ザクザクと突き刺さり、喉から飲み込んだばかりのテテが這い上がってきそうになる。
シンクは何とかそれを飲み込んだ。
------悟られてはいけない。
シンクがこの地に来たのは、何れ再開されるコペレティオに紛れ込み、ベンデルへと渡ろうと考えたからだ。
ベンデルは友好国であり、婚姻によるつながりもあった。
シンクの血の中にも、ベンデル王家の血が混ざっているし、今代もシンクの叔母がベンデルに嫁いでいた。
何もできないと言ったタリタスを、何か痛打出来るとしたらと考えた時、シンクには、この叔母の力を借りる以外には思いつく事が無かった。
この村は、ベルデルディア山脈山道の入口の村。
シンクの想定よりも、再開に期間が開いてしまった。
だから、今回の南越には、何としても紛れ込むつもりでいた。
そんなシンクを余所に、またアルドーが口を開く。
「どんな所にせよ。待つしかない。角の無い俺たちは何かを変える事は出来ないんだ。”その時”少しでも多くの人間が残っていられる様に、力を合わせ生きていくしかないんだよ。……無茶は、出来ればするもんじゃない。」
シンクは、目を瞑った。
ここを出ていくときは、誰にも気づかれないよう、”そっと”になる。
何か一つでも恩返しをしておきたい。
そう、シンクは思う。
しかし、結局、その日が来るまで、彼女に出来る恩返しは何一つなかった。