キヤ1
本日投稿分でついに100話到達しました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
夕刻、コペレティオの面々は、オウジェンの谷を抜け、その先にアファカの緑林と呼ばれる森林地帯に固まって、一拍、身体を休めた。
そして現在は、次の難所、アルペザン廃採石場へ進もうとしている。
キヤは昨夜も、相変わらず大きな体、大きな冠を揺らしながら、各商組の所へ、顔を見せに回っていた。
コペレティオ全体のリーダーであるキヤは、50手前の大男である。
彼がコペレティオに参加する様になって20年以上になるが、ここ10年ほどは、山に入ったら必ずこなす、毎日の日課となっていた。
それは、個々の状態を確認して、全体の安全を図るという意味において、非常に役に立つ日課となっていた。
彼の名である「キヤ」は通り名で、本名をキャ二ドルという。
その事は彼の雇い主である将軍と、ごく一部の者しか知らない秘密となっていた。
何故、彼がその名を隠すのかと言えば、その名には「忌」が含まれているからであった。
キャニドルのニドルとは、血壺という意味がある。
血壺は、サルファディアにかつて存在していた奇風であり、肉の保存方法として、だいたい人間大の大きな壺に、動物の血液をなみなみと溜め於いて、そこに肉を沈め置くという物であった。
この風習は、廃れて久しく、忌まわしい過去の蛮行として人々の間に伝わっていた。
では、何故そのような名前が彼につけられたか。
彼は咎人であった。
もともとキヤは、牛の様な家畜:メルシャを育て、その乳の加工品を売って、生計を立てている村の出身であった。
そして、彼自身も村の共有財産であるメルシャを育てる牧農人の一人であった。
決して裕福という訳ではない。
しかし、村に産業があるというだけでも、他の村の事情とは大きく異なる。
普段は、蒸かしたテテで胃を満たしていても、行商が通った後は、少し贅沢な品を村の皆で楽しむ程度には、余裕のある村であった。
しかし、キヤが20代中頃を過ぎたという頃合いだった。
村の子供が目を離したすきに、群れの中でも気性の粗い、一頭のメルシャに悪戯をしかけ、暴れさせてしまった事があった。
幸い、子供の命は助ける事が出来たが、その時に力の加減を誤って、キヤは、そのメルシャを殺してしまうのである。
------仕方が無かった。
------まだまだ、メルシャは居る。
------あいつには手を焼いていたんだ。
キヤをかばう声も村人からは、多く上がった。
しかし、村は牧畜が在るからやっていけるのである。
メルシャは村の生命線。
自らの誤りは、村人全体を危ぶむ大事であったと、キヤは自ら進んで忌み名を受け取り、村より追放されたのである。
彼の子供を村人に託して。
村の子供とは、彼の息子であった。
その半年ほど後、将軍タリタスが、コペレティオの隊員を募集した時、彼はそれに呼応する事になる。
そして、幾度の山脈越えを生き抜いて、前任のリーダーが亡くなり、自らが率いる様になってから、既に5度の山脈越えを経験していた。
コペレティオのリーダーとなる辺りで、流石にリーダーに忌み名持ちというのは都合が悪いと、将軍の要請もあってキャ二ドルを、キヤと改める様になったのであった。
それから10年近く、キャ二ドルの名前は使っておらず、その名を知っている者はごく僅かとなっていた。
コペレティオの進行が、アルペザン廃採石場に近づいてきた。
アルペザン採石場は、もともとはベンデルが使っていた所に、何処から来たのか、小型で繁殖力の高い魔物の群れが住み着いてしまい、使えなくなってしまった場所であった。
ここを越えれば、ひとまず難所と呼ばれる地域は無くなる。
ただし、この領域で戦闘にならなかったことは無く、今日も十中八九戦いを避けられないだろうと、誰もが理解し、準備を整えていた。
山脈の中で、気を緩めてよい所など、一時として在りはしない。
しかし、その上でさらに気を引き締めなくてはならないのが、このアルペザンであった。
オウジェンの谷の様に、運良く襲われなけば、素通りできるようなことは無いのである。
自然と、各商組の周囲を警戒する私兵達の肩には、力が入っていた。
周囲がその様な状況の中、キヤはこの頃になると、いつも、むっと歯を食いしばって、厳めしい顔つきをしたまま地を睨みつけているのであった。
彼は周囲の様子や気配よりも、もっと別の事を考えている。
「……。」
今、キヤの頭の中にあるのは、オルガとターナの事であった。
キヤの目から見て、オルガはまだ経験の浅い商隊でありながら、コペレティオという物がどういう物なのか、早くもしっかりと理解している様に見えていた。
だからこそ、キヤは、彼等が少女のような見た目の娘をつれて山脈に入ったと知って驚いたのだ。
子供が出来たとは、アルサンテゥスの村で挨拶した時、ターナから聞かされていた。
しかし、まさか娘可愛さに山まで連れて来たのかと、キヤは頭が真っ白になる様な思いにかられて、激昂しそうになった。
しかし、正直、今更それが判明した所で、オルガや少女を下山させる事は出来ない。
いや、下山自体は出来ただろうが、彼等も故郷の使命を背負っているのだ。
聞き入れはしないだろうと、思いなおして、一度落ち着いて話を聴くつもりで、彼女の方を訝し気にじろじろ検分したのを、キヤは覚えている。
よくよく思い返せば、挨拶されたの時、子供は故郷に置いてあるから、必ず生きて帰らねばならないと、そんな話をしたのだが。
そんな事も忘れてていた自分が、少々情けなくもある。
ただ、娘がオルガ達の子供で無かったとしても、結局幼い娘を連れて山脈越えをしようとした事の罪は変わらない。
キヤは、彼女が大人の女だと自称することについては、全く信じていなかった。
だから、その後不意を突かれて、逆に少女から恫喝されたのには、余計に驚いたわけだが。
しかし、ここ数年のコペレティオの休止期間。
そのブランクの間に、キヤも、山脈越えの危機感覚が薄れて行ってしまっていたらしい。
今は一先ず良いと、この件は自分の中に預けておいて、ベンデルに着いてから、しっかりと問い詰める事にしようと考えた。
非常に甘い考えだ。
キヤは、シンクが成人しているという事を、まったく信じていなかったし、ベンデルから、帰りの山脈越えには、意地でも参加させる気は無かった。
だが、それでは遅い。
(あの娘が死んだらしいな……。)
昨夜、シンクが、アングーに羽交い絞めにされたオルガを助けるために飛び込んで、そのまま谷底に落ちたと聞いた。
正直、キヤとしては、シンクに対する思入れというのは特には無い。
初対面が”あんな感じ”であった為、記憶には残っているが、それ以降、なんの関係も無い少女だ。
問題は別にある。